知事リレー講義
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   2010年 12月 7日           前高知県知事  橋本大二郎 氏


   「 第三の開国を目指して  」 




1. はじめに

私は昭和22年に東京で生まれて、東京で育った。昭和31年の6月から32年の10月にかけて、自宅の近くで東京タワーの建設が行われ、毎朝小学校に通うとき、東京タワーが伸びていくのを見ていた。今、東京のスカイツリーが500メートルを超えたという話を聞くと、時代の変化を改めて実感する。その後中高一貫の男子校に行き、慶應義塾大学に行った。NHKに就職し、浅間山荘事件が起きた1974年に福岡に赴任し、大阪放送局を経て東京で10年間皇室や宮内庁を担当した。その時は、昭和天皇が病気で亡くなるまでの間はほぼ毎日テレビに出て、関連するニュースを報道していた。

当時私は全国に顔と名前が知られていた。それがきっかけで、縁もゆかりもない高知の県民の方から、是非知事選挙に出て欲しいという要請を受けた。後先考えずNHKに辞表を出し、44歳の時に出馬を決めた。立命館大学の講義にも一回知事として登壇したことがあるが、今回はOBとしての参加ということで、今日は現役の知事とは違った切り口で国と地方の関係について話したい。





2.三度の開国と地方分権


第一の開国とは、坂本龍馬が活躍した、幕末から明治にかけての開国のことを指す。

第二の開国とは、太平洋戦争の敗戦に伴う民主化としての開国のことを指す。

第三の開国とは、世界の市場はグローバル化していくという大きな国際情勢の変化の中で、今第三の開国が求められているという意味である。それに備えるためには、中央集権を改め、国の権限と財源を地方に移し、分権型の社会にこの国の形を変えて行かなくては成らないと思う。日本人の持っている革新の力をよみがえらせることが必要である。




 


3.自由貿易協定を巡る議論

 

今年12月3日、ワシントンで、アメリカ・韓国間のFTA(自由貿易協定)が妥結をした。双方の議会が承認すれば、来年の後半にはアメリカと韓国でFTAが発効し、関税なしで貿易ができるようになる。5年間ほどの猶予期間はあるが、やがて韓国は、例えば韓国で造った自動車を今よりはるかに安くアメリカの市場に売ることができる。

アメリカの貿易委員会の試算では、この協定が効力を発すると、向こう10年間、毎年60億ドルずつ韓国のアメリカに対する貿易が増えていくと見込まれている。このことは当然韓国と競い合いながら輸出をしてきた日本の産業に大きな影響を与える。

そのため、日本も同じような協定に参加しようという動きが出てきており、これがTTP(環太平洋パートナーシップ協定)である。

TTPへの参加をめぐっては、長く円高が進んで、日本企業がどんどん生産拠点を海外に移している状況の中で、この協定に参加してもこれ以上日本の雇用が増えることにはつながらないのではないかという疑問がある。韓国はアメリカとだけではなく、EUとも自由貿易協定の交渉を進めているが、アメリカを中心としたTTPだけ注目しても、あまり意味がないのではないかという議論もある。





4.鎖国時代の日本と第一の開国

 

TTPの議論で使われた、今の時代を象徴する言葉に、「開国か鎖国か」という言葉がある。

第一の開国は幕末から明治にかけてで、その当時日本は1630年代から相次いで出した鎖国令によって230年あまりにわたって鎖国し、海外との貿易を制限するという国策をとっていた。しかし、黒船が来て開国を迫られた時に、様々な西側の文化・思想が入り込んだにもかかわらず、日本は他のアジア諸国のように植民地化されることはなかった。それどころか、海外から入った思想や技術を日本は上手く取り入れ、荒波に乗りアジアでは初めての近代化を果たすことができた。なぜこのように上手く開国の波に乗れたのか。

それは、表向きは鎖国という看板を掲げていたが、国内ではすでにビジネスのネットワークができていて、開国に対応できるような構造改革が進んでいたためであると言える。例えば、大阪の堂島には米会所というものがあった。当時、大阪には全国から年貢米が集められていて、お米の現物取引はもちろん、保証金を積めば先物取引もできた。世界の資本主義に先立って、先物取引の市場ができたのは日本であったと言え、1730年にはすでに世界に先駆けた先物取引市場ができていた。

郵便でも、大名や幕府の手紙を運ぶだけではなく、町飛脚が1663年には幕府の許可を得て民営の飛脚問屋という形で運営されていた。江戸を中心に、5つの街道を通って定期便が走っていた。やがて、現金書留や小荷物も運ぶようになった。堂島の米会所の近くには、米飛脚という専門の問屋もあり、堂島の米の価格の動向を情報として全国に伝えるという仕事をしていた。このように、先物取引市場だけではなく、そのマーケット情報を配信するネットワークも当時から出来ていた。この飛脚の制度が国の制度に変わっていき、郵便制度となっていった。海では、北前船が昔から海上問屋の役割をしていた。

こうした様々な民営のネットワークを支える人材が全国各地に育っていっていた。各藩では、藩校という公立の学校を作って役人を育ててきたし、それだけではなく、寺子屋という私立の学校が全国にあり、そこで読み書きそろばんの出来る人材をどんどん育て、新しいビジネスの創意工夫を支える人材となっていったのである。

幕末の時期、日本は鎖国という看板をかかげていたが、国内には民営のネットワークが育っていっており、それを支える人材も育っていた。そのために開国を迫られ、新しい思想や文化が入ってきても、それを取り入れ新しいものを創りあげていくことができた。それは、海外のものを丸写ししたわけではなく、大半の部分は和魂洋才の形だった。海外の思想や文化、技術を日本流にうまく咀嚼しながら近代化を果たしていったのである。





5.第二の開国

 

第二の開国は、太平洋戦争の敗戦に伴う開国である。この時も、戦後の復興期から高度成長期にかけて、日本は世界の国々が驚くような経済発展を遂げた。その頃の時代は、東京タワーが伸びていくのを見ていると、明日はまた今日とは違うことが起きるだろう、自分たちもちょっと頑張れば欲しいものが手に入るだろう、という思いを実感として持つことができ、わくわくとした躍動感の中で生活していた。

しかし、今スカイツリーが500メートルを超えても、それほどわくわくせず、あの時代のような躍動感は感じられない。

何が変わったのか、あの時代には何があったのだろうか。安い賃金で競争力が高かったというのも驚異的な発展を遂げた原動力の一つだったことは間違いないが、それだけではなく、もう一つ大きい原動力となったものはイノベーションである。革新の気風とその実践がその時代にはあった。革新とは、新しい技術を開発し、それを取り入れるということだけではなく、システムとして新しいビジネスモデルをつくる仕組みをもつということである。そのためには、経営者や幹部だけではなく、社員も含めてみんなが一致して新しいものを目指すという思いを共通認識できるような組織を作っていかないとならない。

具体的な事例を挙げると、電子製品に欠かせないICチップの原理は1959年にアメリカの技術者が発明をしたが、原理だけでは事業化をすることはできず、事業化をするためには、製品化するときの設計、製造、マーケティングの担当者が必要となる。それら全員が連携して、システムとしてものづくりを行う体勢が必要となる。これに最初に取り組んだのはNECで、革新の力でアメリカを一気に追い抜いていったという歴史がある。

別の事例として、日本ではQC(品質管理)サークルがあった。それぞれの職場で、自分たちが造っている製品の品質をもう少し上げるにはどうすれば良いかということを議論して、そこで出てきた取り組みを実践していくという活動のことで、1966年にQCサークルの全国大会が東京で開かれた。それを見に行ったアメリカの品質担当者が大変感動したというエピソードが紹介されている。自分たちの取り組みについて自信を持ってプレゼンテーションを行い、質問が来ても堂々と応える姿を見て、アメリカの担当者はすごいと感じたのである。

このように、当時の日本には仕事に対する関心の高さと、いかに改善していき新しい創意工夫をどう取り入れるかという思いが社員一人一人にまで染み渡っていた。そのことが、資源がほとんどない国でありながら、日本が敗戦という荒波を乗り越えた大きな原動力となった。



6.第三の開国

 

(1)今の日本を取り巻く環境

今、日本を取り巻く環境は大きく変化していると思う。世界の市場は、グローバル化、ボーダレス化の中で、大きく変化をしたが、我が国はどのように開国の準備をしていかないとならないのかということが問われている。

日本が開国するためには、日本国内の産業をすべて残しておくのではなく、国際的な分業でまかなう手法を考えないとならない。国内に残すものは、生産性を高めるために思い切った構造改革するということを考えないとならない時期になっている。

TPPの議論の時に問題となったのは、日本の農業がどうなるかということだった。専門家の中には、日本の農業はすでに生産性が低く高齢化を進んでいるため、無理して産業を維持するよりは、思い切って分業に踏み切った方がよいのではないかという議論をする人もいる。米では、オーストラリア、タイ、ベトナム、ミャンマーなど、世界に大きな穀倉地帯が5つあり、その地域と貿易の関係をしっかり築いておけば、どういうことが起きても心配はないという議論もある。

しかし、オーストラリアやロシアでも年々干ばつが起きるようになってきている。砂漠化も大きな現象として世界中に起きており、11月にもかかわらず、日本に黄砂が飛んできた。これは中国の北西部で砂漠化がかなり深刻に進んでいるということを示しており、実際に、中国では国土の18%が砂漠化していると言われている。世界中では、年間500万ヘクタールの土地が砂漠化をして、農地として使えなくなってきている。日本の農地面積は460万ヘクタールなので、日本の農地以上の面積が年々世界では耕作できなくなってきているということになる。また、2050年には人口が92億になると見込まれており、人口が増えた分の生活水準が高くなると、家畜用の資料も必要となってくる。

このようなことを考えると、国際分業だけで日本の食糧が確保できるかは相当心配しないとならないことである。1970年からコメの減反が続いているが、その政策は早く見直すべきだと思う。農水省が掲げる農業農村の基本政策を見ると、大規模な農家をつくり、競争性と生産力を育てるというのが一つの柱で、中山間地域にあるような棚田のような景観を保全することがもう一つの柱となっている。減反政策では、大規模な農家も、田舎の小さな田圃も、一律に前年の出来高で次の年の生産量を決めている。そのため、大規模な農家も育たず、棚田も姿を消さざるを得ない。自ら掲げる基本政策を、自ら消し去るような政策をとっていることに大きな疑問を感じる。

 

(2)食糧自給率を巡る問題と産業政策

世界で食糧不足が起きたら大変だという議論がされるが、今世界で食糧の国内自給率を計算するのは先進国では日本くらいだろう。他の国の資料は、農水省が各国の資料を洗い出して計算してお節介にも発表をしているのである。食糧自給率の計算方法にも疑問はあるが、日本は自給率40%、イギリスは70%、ドイツでは84%となっている。日本は大丈夫だろうかと心配に思うかもしれないが、国民の食糧のどれだけを他の国が海外から輸入をしているのかという輸入依存度は、イギリスやドイツでは日本より高い。なぜ輸入依存度が高いにもかかわらず、食糧自給率が高いのかと言えば、イギリスやドイツは輸入分以上に海外に輸出をしているためである。輸出分は自給率の計算の分子に入るため、その分自給率は高く出る。

なぜ日本は技術的にも質的にも優れているコメを輸出の対象としなかったのかを残念に思う。産業の中で、国内の需要を国内の生産で満たすことができたらそれ以上生産させないという産業がどこにあるだろうか。そのようなことをすれば、自動車や電気製品も産業としては成り立たない。産業は、国内の需要を満たすようになったら、そこから自由競争が起き、そこで生産性を高めていかなくてはならない。消費者のニーズを捉えて付加価値をつけた生産者が残るようにするのが産業政策だと思う。

減反政策を産業政策だと言うなら、今こそどの部分をあきらめ捨て、どの部分の残すかを考えないとならないし、残す部分には集中的に投資をするという、選択と集中という政策判断をしないとならない。もちろん、今は国内農業の構造改革はできていないため、今すぐ世界に市場を開いたら、残していかないとならないような分野の農業も一気に潰れる可能性がある。時間は必要だが、その間に、票田対策のような療法で対処していったら、日本の農業の明日はない。

海外との関係を考えるときに、パソコンや携帯電話などで「ガラパゴス化」ということが言われる。ガラパゴス諸島では、それぞれの島に特徴ある動物がいることから、自然淘汰による進化論が唱えられたように、世界と隔絶してきたなかで進んだ技術が、世界と競争できなくなることをガラパゴス化と言う。

このことは、工業製品だけではなく、農業についても言える。日本が技術的に進んでいてコメを競争力のない商品にしたことはガラパゴス化の一つだと思う。また、日本には果物などでも過剰な規格のガラパゴス化がある。例えば、日本では果物に対して過度な糖度を求める。また、野菜にも規格があり、規格を外れると市場には出せない。過度な規格化によるガラパゴス現象が、生産者の打撃となり、日本の農業を弱めている。ガラパゴス化を見直し、世界の中で戦っていけるようにどのようにイノベーションを進めていくかを考えないとならない。

 

(3)地方分権の必要性

ガラパゴス化から抜け出すために、日本はこの国の形を変えないとならない。日本は今中央集権で、国が地方の上に立って、地方を指導するという枠組みになっている。この中央集権の枠組みをやめ、財源・権限を地方に移し、地域のことは地域で決められる社会にしないとならない。

民主党はこれを「地域主権」と言うが、私には地域と主権という言葉を組み合わせることがしっくりこないため、「地域自立型の国」と言っている。

このような形で、国と地方が上下の関係ではなく、横の水平になる分権型の社会に早く変わらないといけない。

 

高知で体験した道路整備の事例として、「1.5車線での道路整備」を紹介したい。従来の国の法令では、一車線の道を広げるときには、二車線にして初めて改良が終わるという考え方だったが、高知のような中山間地域が多いところを見ると、「もちろん二車線の方が良いが、財政が厳しい中で、ある程度広ければ二車線なくても1.5車線ほどの広さでの整備で構わない。」という意見がたくさん出てきていた。

国と協議した結果、道路構造令の解釈で1.5車線での道路整備も可能だという判断をもらったため、1997年から1.5車線による道路整備を始めたが、最初は財源は全部高知県で持つという単独事業として始まった。始めると他にも真似するところがあらわれ、10数県で1.5車線の整備が進んでいったとき、再度国と協議した結果、2003年度からは1.5車線での道路整備が国の交付金の対象事業となった。2007年度では工事にかかる期間も2車線での整備に比べ3分の1程度になり、費用も8分の1程度になった。この1.5車線の例は、中央集権の枠組みの中で地方で起きたイノベーションで、制度として認めて貰うために国と協議し、財政援助を得るためにまた協議しないとならなかった。

 

このような権限と財源が地方にあればいろいろな分野でイノベーションが進むと思う。そもそも、これまでの補助金中心の行政をいつまで続けるのかということや、補助金の評価をもう一度問い直さないとならない。補助金をもらうと、全国一律の枠付け・義務付けがあるため、例えば全国どこに行っても同じような駅前の整備や都市公園ができ、同じような雰囲気の商店街やアーケードが立ち並ぶという状況が生まれる。そうなると地域の個性が失われ、個性が失われると競争力も伴わない。おしなべてどこも元気を失うという状況が広まっている。補助金が良いものであるとするなら、しっかりとどのような効果があったのかの説明がされないとならない。

補助金だけではなく、法律による規制も、全国一律にするのは最低限だけにし、あとは地方が上乗せするかどうかを決めるという法規制の緩和も考えないとならない。住宅を建てるときにも、法律により細かい規制が定められているため、全国一律に高コストな住宅を造らざるを得なくなっている。この基準を最低限のもののみにし、後は地域毎の地形や経済状況などそれぞれの事情を考えて規制をするかしないかを考えていけば、もっと低コストの住宅を建てることができる地域が出てくると思う。公債の発行で経済対策をするのではなく、規制を緩和することで、いろいろなところでイノベーションが起きてくると思う。

 

APECの終了後、総理大臣が農地法の改正に触れた。総理大臣の認識は、戦後農地が細分化され、その細分化された農地の生産者と地主を結ぶ法体系として農地法ができたが、このため大規模な農家が出てこないという問題が起きているため、今農地法を見直さないとならないという考え方で、この考えには賛成している。しかし、全国一律に解除して条例で上乗せできないようにするのではなく、最低限だけ一律で決め、あとは条例で各自治体が上積みできるようにしたほうが良いと思う。そうすることで、うまくいった事例が全国的に広がっていくようなスキームを作ることができると思う。このように、地方の生産性や競争力を伸ばすためにも分権型社会は当然必要で、それ以上に、この国が国として、第三の開国を前に戦略を整えるために分権が必要だと思う。







7.今後の日本の進むべき道

 

今は低価格競争が進み、低賃金の非正規労働者が増えるという経済現象が全国に広がっている。ボーダレス化など、世界経済の動きがその背景にあると思う。国境の壁を越えて、ヒト、モノだけでなくカネも動くようになると、生活必需品の価格も投機により上げられたり下げられたりしている。

また、グローバル化とは、世界の技術と市場が一つにつながるということで、インターネットの発達で、どこで加工組み立てをすれば一番安く造ることができるかなどがすぐに分かるようになっている。そのため、モノの生産拠点も安いところへ安いところへと張り付いていくようになる。従来型のものづくりをする製造業は従来のやり方ではついていけず、海外へ生産拠点を移している。そうでなければ、無理を承知で競争に突入しているということになる。従来型の雇用構造、賃金構造を持っている企業も、従来の形ではやっていけなくなるため、雇用の格差や賃金の格差を承知で非正規社員をどんどん増やしている。

世界の経済の動きを背景に起きている大きな動きに対して、一つの地域で何か手を打とうしてもとても無理で、日本という国一国で考えてもあまり大きな効果はない。そのためには、G20など世界の主要な国々と連携、協調していくことが必要である。

世界の人口が昨年で65億、2050年には92億になると見込まれる。人口が急激に増えるということは、食糧不足や、水の取り合いが起こることになる。保健衛生の面でも、新しい感染症が世界に広まっていく可能性もある。また、公害や地球環境、エネルギーの不足など、さまざまな地球の安定を脅かす危機が起きる可能性がある。人口が増えるということは、貧しい人が増えるということを意味するため、過激派が入り込む温床となる恐れがあることも考えておかないとならない。

これらの問題は、明治以来日本が直面して何度も乗り越えてきた課題で、我が国には、この問題を乗り越えるための技術やノウハウが蓄積されている。これを、縦割りの部分部分としてのノウハウとして当てはめるのではなく、国全体としてのパッケージとして当てはめていくことで解決できる。また、一つのパッケージとして外交上の武器としていくことで、世界へ向けての戦略として使うことができる。国内に目を向けても、医療保険や年金など、我々の生活を支えるセーフティーネットを、少なくとも10年か15年は持続的にまわっていくような制度づくりに国は取り組まないとならない。

国が集中的に取り組まないとならない戦略課題があるときに、地方の細かい所に口や手を出している暇はないし、補助金の審査や交付に膨大な労力とコストをかけている場合ではない。

地方に任せられることは地方に任せて、国は第三の開国に備えて戦略的な課題に集中して取り組むという国にならないとならない。しっかり備えないと、国も地方も世界の荒波に巻き込まれてしまう。そのためには、何を国がやるのか、地方がやるのか、民間に任せるのか、なくすのかを一つずつ再度仕分けていかないとならない。

民間が公共サービスに介入しやすいように規制を緩和するなど、新しい公共の受け皿をしっかりと造りながら事業仕分けをしていかないとならない。そうして国の形を変えていくのが本来地域主権で取り組まれるべきストーリーである。

今の事業仕分けは、本来の事業仕分けの理想ではなく、予算の無駄を見つけ出すという対症療法としての事業仕分けとなってしまっている。予算の中の無駄を見つけ出すことは必要だが、それは事業仕分けという形ではなく、それぞれの官庁の中で事務事業の見直しとして行われるべきで、それこそが政治主導である。

国が迷走している中で地方が何の準備をするのかは分かりにくい面もあるが、日本も第三の開国をしないとならないという状況が必ず起きてくる。その時に、地方を担う公務員や住民がいろいろ言うが、本音は国から補助金を貰うほうが楽だと思ったら、その地方はイノベーションの気風を失ってどんどん力が落ちていく。








8.おわりに

 

 みなさんが社会に出たとき、どのような地域に住み、どのような仕事に携わるか分からないが、それぞれの地域、仕事の立場でこの国をイノベーションするという意識を持ち、それができる人材になって欲しい。








 質疑応答

問:G20で日本は具体的にどのような協力が出来ると考えるか。

答:さまざまな視点があると思う。他国と連携をとることも必要であるし、世界の国々が納得するような提案もしていかないとならない。G20の中で何が出来るかということは、外交力と何を提案できるかの構想力にかかっている。

 

問:イノベーションの実践が必要とのことだったが、これからの日本にはどのような公務員が必要と考えるか。

答:国と地方ではやる仕事が違う。国家公務員は国全体として取り組まないとならない戦略を考えられる役人にならないといけない。

地方公務員の場合は、国の下に地方があるという意識を変えていかないとならない。知事になったときに、意識改革として4つのことを言った。

県は県民にとってのサービス機関であるということ、県の仕事には締め切りの意識が欠けているためだらだらと借金を増やすという問題があるということ、事業をすると時には費用をかけてどれだけの効果が得られるかの分析をしないとならないということ、自分たちの地域の何が問題かをマーケティングしていくという視点が必要だということ、の4つで、そのような意識を持っていくことが必要である。

 

問:農業の大規模化について、高知県のように耕地が少ないところでは難しいと思うが、どう考えるか。

答:すべての農業を守ることはできないのは事実なので、これからの地域づくりをしっかり話し合っていかないといけない。事前に説明して、どのような農業形態にしていくかを地域毎に話さないとならない。

 

問:補助金に依存した行政をやめるためには国民が賢者でないとならない。そのためにはどのようなことをしなければならないのか。制度的にはどのようにすれば良いのか。

答:首長はリーダーシップを持つことが必要で、民間も「みんなでやってみよう」という意識を持つことが必要である。









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