「地域から市政を変える 日本の元気は大阪から」
最近、都市間連携の取り組みとして、京都市の門川市長と会って関空・京都間のアクセスについての記者会見を共同でやるなどしている。関西には大阪市、京都市、堺市、神戸市という4つの政令市があるが、日本の中でこれだけ政令市が固まっているエリアはここにしかない。
今日は私が日ごろやっている直接行政、政令市の基礎自治体としての役割、大阪市の歴史について話したい。
私の生まれは兵庫県の尼崎市で、大学で初めて京都へやって来た。今日大阪から来る車で、京都市内に入ると、懐かしい雰囲気を感じた。そして、1971年に大学4年を終えて卒業し、毎日放送に入社した。私の学生時代を振り返ると、大学4年のときに大阪万博が行われていた。当時は尼崎から吹田に引っ越しており、すぐ近くで万博の雰囲気を感じていた。学生時代はいわゆる全学連の学生運動と言われた時代で、大学3年の時はほぼ半年間はロックアウトされていたという状況だった。時に学生運動にも参加したり、時にアルバイトに励んだりしていた。当時のアルバイトは、朝日放送の深夜番組のリクエスト番組「ABCヤングリクエスト」でレコードかけの仕事をしていた。
私はもともとアナウンサーになりたいと思っていたが、小さいころはなかなか人前で話しをしない内気な子だった。ある時、小学校の先生から、恥ずかしいからわかっていても発表しないのだろうということを説教された。そこから何かスイッチが入ったように感じる。大阪市の特別顧問をお願いしている先生もよく言うが、子供を信じることが大切で、子供の自主性などを発揮させるにあたって、何がスイッチになるかわからない。教師がすべての子供の可能性を10まで引き上げることができるというのは妄想に近い。特に、幼少期に誰にスイッチを入れてもらうことになるかは分からず、それは、近所の人、親かもしれない。
アナウンサーを志して、実際になることができた時に、将来どのようなアナウンサーになりたいか聞かれた。そこで、ニュースを伝えるアナウンサーになりたいと伝えていたら、1976年の27歳の時から夕方の時間帯のニュース番組「MBSナウ」を担当することになった。
初めは非常にプレッシャーを感じた。当時、ニュースを読むということは、世の中の酸いも甘いも知り尽くした人が原稿を読み、問題点を解説してくれるというものだったが、開始まで残り3日くらいという時に開き直れることができた。毎日放送は社命で私を指名したのだから、万一うまくいかなくても会社に責任があるのだと考えるようになったことで、気分が楽になった。その次に、分からないことを分かったような顔をしてニュースを読まないようにしようと自分に命じた。つまり、輪郭だけでも把握して、関西、近畿が抱える問題を多くの人により分かりやすく伝えてこそニュースではないかということを心に刻んでいた。
アナウンサーは頻繁に取材に出ることができないので、自分の会社の記者をどの程度信じ、その原稿が本当に視聴者にわかりやすい原稿になっているかということを考えながら原稿を読んでいた。ふと気がつくと、18年8ヶ月間もニュースを読んでいた。そして、1995年から3年間ニューヨーク勤務になった。そこで、「大阪は怖い」というイメージを持っている日本人駐在員と出会った。
当時の大阪市長選挙の前に、関元市長は当時市営交通の民営化を掲げていたが、何故そうする必要があるのか、私にはいまいち分からなかった。高度成長の中で、どのように都市インフラを整備するかということで、市営交通の整備が進められてきた。市バスを切り離して地下鉄を民営化するという話になっていたが、そのようなことは、私は聞いていなかった。それで、なぜそれを民営化する必要があるのか等、情報公開がもう少し必要ではないかと思った。そうすると、民主党の議員から、大阪市長選に出ないかと言われ、出てみたら市長になってしまった。
昔、大阪市は大阪府と大バトルを展開した時代がある。昭和31年に、大阪市を特別市として認め、県並みの権限と財源を持つ市にすることで、よりこの圏域の発展に貢献できると主張して、大変大きな運動をした。
しかし、当時は府のほうが、力が強く、残念ながら、大阪市が市域拡張も含めて運動をしていた大阪特別市構想は潰えた。そして、大阪市は政令市という中途半端な形となった。中途半端ながら、もともと大阪市が持っている力をいかに積極的に生かして、自分たちの町に貢献できるかということを考えてきた。
水道ひとつをとっても、公営企業体としては大阪市水道局がISO22000という水道のトータルシステムの安全管理の水準を世界で初めて取得したように、非常に力を持っている。また、大阪市は日本で初めて、公営企業である市営地下鉄が累積赤字を解消した。日本でいろいろ公営交通があるが、大阪市が初めてである。
おそらくみなさんの目には入っていないだろうが、大阪市がこれまで取り組んできた市政改革について具体的に触れたい。
3年前のことだが、浪速区の個室ビデオ店で火災が起き、15人が亡くなった。この時に、すぐに現場に連れて行ってほしいということを消防局に頼んだ。すぐに迎えに来てもらい、車の中で図面を見せてもらうと、その店舗は非常口が一か所しかなく、奥には非常口はなかった。そのため、分岐点で火災が起きると奥から逃げられないことは誰でもわかることである。しかし、これは消防法や建築確認にも違反していなかった。その時、法律にはどこかに不備があると思った。大阪府警が現場検証をしに入った様子を見ながら、これは本当に法律の不備だと思った。
法改正を国に訴えかけて、2年ほどかかったが、去年の秋には法改正に取り組むことができた。事務所として建築確認を受けたものを、第三者が間仕切りをして店舗として運営しても、そこを規制する法律がなかったことが問題であった。そして、消防と建築確認のエキスパートを集めた消防査察隊というものを火災の一ヶ月後に立ち上げるなどということをした。
また、西成区のあいりん地区の萩ノ茶屋小学校のすぐ近くには、40件の屋台が市道を占拠する形で違法に営業を続けていたが、市長としてその現場を見たのは私が初めてと聞いて再びびっくりした。覚せい剤を売っている前を子どもたちが通って行くという状況もあった。何年間そのような状態だったか聞くと、30年を超えると言われた。それまでの市長は何をしていたのだということを思った。
縦割り行政ということを何となくわかると思うが、実際、道路の占拠と屋台の営業は担当する部局が違う。道路の占拠は建設局で、屋台の営業許可は健康福祉局が所管している。営業許可は衛生上の許可で、要件さえ満たしていれば出さなければならないものだが、屋台という撤去しないといけないものを大阪市が放置してきた責任もあるという状況である。局間が連携することで、西成をきれいにしたいということを言い続けてきた。年末に西成で放火騒ぎがあったのを機に、一気に動きを加速した。そして、行政代執行をすることなく、緻密・綿密に説得を続けた結果、屋台をすべてなくすことができた。
行政は、相手が言うことを聞かないからこの問題は先送りしておくというようなこともあったが、私は民間から入ったため、その感覚で「なぜそのようなことになる」、「おかしいではないか」ということをいつも職員の前で言っていた。
大阪市が良いことをしてもあまり大きなニュースにならず、むしろ悪いことをしたときに大きな問題として扱われる。私が市長になってすぐに公金の不正支出問題が起き、勧告を受けて調査をした。関前市長の時の職員厚遇問題を受けて、徹底的に市役所を改革したため問題はほとんど出ないと周りの人に言われたが、実際に調査に入ると、問題がたくさん出てきた。それがメディアの格好な攻撃材料となり、さんざん叩かれた。
今現在、景気が非常に悪い。リーマンショックに加えて、東日本大震災という未曽有の国難に直面する中で、行政がどうあるべきか、ということを一番考えなければならない。日本の行政のあり方である、いわゆる「お役所仕事」への批判がこれまでもあったが、私自身、市長になって各行政区を回るなかで、中之島が言ったことだけを伝えるだけで良いのか、ということを感じた。
大阪市は中心部の発展に伴って、そこに人が集まってきて市域が拡大していったという経緯があり、地区ごとに特徴も異なる。自然発生的にまちを作り上げてきた人々がいるため、地域ごとの施策は異なった形で必要になってくるのではないかと感じた。
これからは、新しい公共の考え方が重要になってくる。今まさに、それぞれの地域が自分たちのコミュニティを支え、新たな展開をしなければならない時期にきている。これまでは高度経済成長を一気に駆け上がってきたが、人口がこれ以上増えないということがはっきりした中で、これから先の世の中を誰がどのような形で支えるのかを考えなければならない。
現在、根底からこれまでの年金等のシステムが崩れようとしている。大阪市には地域振興会という町内会組織がある。戦後アメリカが隣組をバラバラにしたが、大阪市では赤十字奉仕団ができ、それが地域振興会の役割も担っている。266万人いる大阪市の人口のうち、今では大阪市の地域振興会への加入率は7割超程度まで減っていたが、多いときでは9割を超えていた。しかし、今でも9割を超える区もあれば、5割を切るような区もあるように、区ごとにばらつきがあるなかで、中之島の言ったことだけを各区におろして市民の満足度が高まるとは思わない。
「なにわ元気アップ会議」という名称で、各地区でボランティアをしている人たちの会合に400回以上も出席させてもらった。本当に前向きな市民の方々を協働という形で結び付けることによって、税収増が見込めない中で、自分たちの住んでいる地域からもう一度日本をつくっていくことで、もう一度上を向いて歩けるような社会にしようと思った。
市民協働という言葉を使っていたころは、「協働」という言葉の意味から説明しないとなかなか分 かってもらえなかったため、「いっしょにやりまひょ」という言葉に変えた。それは、みなさんが今までボランティアとしてやっていることを、行政も公共として一緒にやらせてくださいという趣旨のものである。
実際に大阪市は怖いというイメージを実証するデータもあった。街頭犯罪8項目のすべてで、政令市の中で大阪市の発生件数がワーストワンだった。大阪府警も含めてあまり表に出したくないデータであったが、私はあえてそれを出した。違法駐輪の台数は、平成19年には瞬間的には5万台もあった。ワースト2は横浜市で、2万5千台で大きな差がある。大阪をどうにかしないといけないと思っている人の中には、なぜ私はこのような細かいことをするかと思う人もいたかもしれない。
市民と協働してさまざまな取り組みを進めた結果、街頭犯罪発生件数は、平成19年には44,205件だったものが、平成22年には28,877件となり、約1万5千件も減っている。放置自転車も、2万5千台まで減らすことができた。青色防犯パトロール団体数も40団体から135団体に増えた。
大阪のこれから先の成長戦略において、大阪の都市格を高めようという動きを市民と共にやっている。
このことの大切さを多くの人にわかってもらいたい。昨年末の段階で、街頭犯罪5項目でワースト1を返上した。大阪市の防犯や地域協働の取り組みが、警察庁の中では「大阪の奇跡」と言われている。
そういった大阪で、どのようなまちづくりをしていくのかということで、成長戦略をたてた。集客・観光、環境・エネルギー、クリエイティブ・デザイン、健康・医療が柱となっている。
集客・観光は大震災の影響を受けてかなり落ち込んでいる。なぜクリエイティブ・デザインなのかと疑問に思う人もいるかもしれないが、大阪市はかなり前から、扇町にある水道局の古い施設をインキュベーション施設として使ってもらっていた。そこで出来た人々のつながりやネットワークが、大阪の北を中心としたエリアに多くのプロダクション関係の集積となって今も残っている。これから先の世の中に、クリエイティブな人たちやデザインというものが持っている力を生かしていきたい。
大阪市は大学を外に出してしまったという残念な歴史を持っている。大阪大学は昔中之島にあったが、工場等制限法が出されたことと、それに大阪市が乗っかったという構造で大学は出て行った。そのような歴史もあって、平成14年から大学や研究機関の誘致を進めてきている。専門学校群で学んでいる若い人も大阪にはたくさんおり、そのような人々の活躍の場や、人々のつながりの場をつくりたいが、公共が何から何までやるのではなく、触媒のようなことができないかということを思っている。
それを御堂筋に展開していき、御堂筋デザインストリートの形成をするといったことを進めている。イタリアのミラノ市と大阪市は姉妹都市提携を結んでいるが、ミラノは街中をデザインの見本市にするということを進めている。
また、パリにはロボットを専門に勉強している人たちがおり、その人たちに日本に来てもらい、ロボット工学を進めている大阪大学と共に、大阪駅の北ヤード(梅北)にナレッジキャピタルを作りたいと思っている。さらに、世界のあらゆる知能を集めて、ベイエリアにそれを実用化できるような産業を持ってきたいと考えている。
観光・集客については、極端な外国人観光客の減少ということに日本中が直面している中で、関西から元気をという考えで、アジアの国々に「西日本は大丈夫ですよ」というメッセージを発信していきたい。
市政改革基本方針では、平成18年度から平成22年度の間に2,250億円予算を減らすという目標をたてていた。実際にはそれ以上に達成し、2,719億円削減することに成功し、経費削減効果累積額は8,961億円となった。
職員数は、退職不補充ということで、1,000人退職しても50人くらいしか補充しないといった形で対応している。平成9年には53,437人の職員がいたが、平成23年には38,564人まで減少した見込みとなっている。公務員給与への風当たりも強いが、大阪市の職員給与は19政令市中18位という水準となっている。市債残高も平成17年度末から平成22年度末までの間で4,000億円も減っている。
また、大阪市は保育所待機児童数もワーストワンだったが、保育所待機児童は縦割り行政の典型と言える。空いている土地があっても、そこを建設局が所管していると、子ども青少年局が保育所を建てたいと思っても保育所を建てるわけにはいかないという。自分たちの資産をまちのために使うことができないのはおかしいではないかということを、中枢の職員の会合でずっと言い続けてきた。対策を行った結果、待機児童ワーストワンから、今では政令市の中で一番少ないところまで減ってきた。
今回の東日本大震災を受けて、私も4月17日から3日間現地に行っていた。大槌町や 大阪市が対向支援を行っている釜石市、陸前高田市、政令市として災害相互援助協定を結んでいる仙台市を見て回った。
阪神淡路大震災の様子も見てきたが、今回の大震災はそれとはまったく違った。つまり、地震で潰れたものが燃えたのではなく、何もかもが流されてなくなっていた。思い出や、暮らしていた証すらも流された現場を見た時に、みんなで支え合わなくして、どうして乗り越えられるのかと思った。
すぐに大阪市として、京都市、神戸市、堺市と連絡を取り合い、災害対策本部を立ち上げた。基礎自治体は現場の職員を持っているため、すぐに派遣して支援することができる。そのため、一番多く命を助けられる支援の送り方をできる。
現地対策本部を釜石市に置いたことによって、他の町も含めてどのようなことに困っているのかということを把握することができている。仙台市には生活保護申請を手伝う職員を派遣したり、消防派遣をしたりして、合計で1,000人を超える大阪市の職員が岩手、福島、宮城、長野といった被災現場へ行った。
大阪市は政令市であるが故に、国と直接交渉し、モデルとなるべき先駆的な取り組みができる。市民目線でしっかり見つめなおす中で、市民としっかり共有しあい、効率論だけで世の中が良くなるという風潮を排除し、自分たちの子孫にどのような世の中を残すのかということを、しっかり地に足をつけて考え直さないといけない時期だと思う。
今日ここに若いみなさんが多くいるという前でお話できることを嬉しく思っている。今みなさんの中からこそ新しい日本が、分かち合うことによって希望が生まれるような日本をつくることができる。日本全体が一体となって、これから先の地球環境や、地球の存続をかけた戦いに積極的に一員として参加できる存在なのだということを自覚してもらいたい。
しっかりと未来を語り合い、その中で自分が果たせる役割は何かということを見極めるためのモデルとなるような大阪市をつくっていきたい。また、都市間連携のモデルを追い求めたい。二つのものを合わせることで、力は三倍になることもできると信じている。
問 被災地の復興について、それぞれの土地の復興とはどういうことだと考えるか。
答 非常に難しいテーマで、住んでいる人一人ひとりの思いが違う。なおかつ、そこに残っていた財産の値打ちも違う。そのような状況で、画一的な基準を探さないといけないのが国の基本方針である。
ある新聞に、憲法に緊急災害時の主権の制限に関する規定がされていないということを指摘する記事があった。私自身、陸前高田に行った時に、地盤沈下して野球場が水に浸かっているのを見た。そこにもう一度盛り土をしてまちを造るのが良いかというと、疑問のほうが強い。そこに自分の私有財産を持っていた人の思いを大事にしながらも、国の方針を早く決めてもらいたい。
コンクリートに覆われた無機質なものを造るのではなく、日本の本当に良い部分は何かということを考えてやっていかないといけない。
問 もし大阪府知事になったら、一番に取り組みたいことは何か。
答 「もし」に答えるのは政治家としてなかなか難しい。私は知事になりたいと思ったことはない。
国会議員に出ないかと言われたことはあるが、何をやって良いのか具体的なことが分からない。当時尼崎に住んでいて、国会議員よりは尼崎市長のほうが、やりがいがあるだろうと感じていた。
知事は間接行政なので、震災への対応にしても、実動部隊を持っていないまどろっこしさを知事は知事で感じていると思う。
この状況を国難だと思い、やれることをやり切ろうと思うのは、基礎自治体である。私は、基礎自治体でも政令市は、規模を持っているからこそ、国に直接ものが言えると思っている。
生活保護制度に対して、大阪市は地方自治体の中で、これまでで最も深い突っ込み方をしている。今までは一自治体が厚生労働省に発言してもあまり相手にされなかったが、中国人による入国後すぐの生活保護申請を受けて、厚生労働省の生活保護担当課長から一枚のファックスが届いた。この一枚の重みは、国の仕組みや地方自治体のあり方を知っている人からすると、よくこれが来たものだというほど重い印象だった。
問 大阪都構想にはどういった理由で反対しているのか。
答 都構想と言いながら、構想の中身がないといつも言っている。都というからには特別区にすることになるが、特別区にするにはどのような分け方にするのか。30万人と言うが、どこで区切るのか。なぜ30万人が正しいのか。特別区は都のためにあり、東京都の23区は独立していない。自分たちの住んでいる区の固定資産税は都に吸い上げられている。都にお伺いをたててそれを使うのを、自治と言うのか。
地方主権、地域主権、地方分権と言うが、基礎自治体がそれを勝ち取ってきて住民のために何をするのかが大事であるにもかかわらず、時代逆行的である。東京都が抱えている矛盾からわざと目をそらしている。本当に市民のためになるというデータを出し、そのために何をするかということを議論しないとならないのに、雰囲気とムードで一番住民に近い政治が変わると大変なことになると思う。
市民のためにどうあるべきかということを言い続けていきたい。
問 区長公選制についてはどう思うか。
答 区長公選にいく前に、選挙で選ばれた者が絶対かということをときほぐしていかないと、今の世の中怖いものがあると思う。選挙で信任を得たから何をしても良いといった雰囲気で、区長公選制と言われても、どっちが先になるのか分からない。
公選になった区長が治める区とはどのような区を言うのか。財政の権限があるのかも分からないし、税収にも大きな差がある。公選で選んでも、その人が何をできるのかわからない。先にどのような制度で公選にするのか、財源はどうなるのかという議論なしでイメージだけ進めると、「自分たちの言うことを聞いてくれる区長が良い」というイメージは持たれるが、選ばれた区長が自分の思ったことしかやらない区長だったら、一部の利益しか代表しないこともある。民主主義は最終的に選挙で結果が出るが、のっけから区長公選制にしたら皆さんの思いが通るという議論をするのは間違いだと思わないだろうか。
何のために民主主義は少数であっても弱い人をしっかり支えようとする社会の仕組みをつくろうとするのか。勝者の論理だけなら社会保障などはいらなくなる。このように、危ないシステムにつながりかねないことを、民主主義だと言っているのである。
また、24区で区長公選制を導入する経費や、議会をどうするのかといった問題もある。大阪都構想は大阪市を潰すための構想でしかない。区長公選制には反対である。市民の意見を吸収しながら、絶対に駄目な意見は排除し、調整をしながら皆さんにどうやったら納得していただけるかということを考えていく。今は制度がないから、制度をつくってもらいたい。誰にでも分かる話をしていきたいが、なかなか機会がない。
問 地域の力を重要視しているが、元気な大阪になるための他の要素は何か。
答 大阪市というものが持っているブランドを大阪市自身がはっきりと認識していない。海外に行って、領事館の方やいろいろな方たちとプロモーションをやると、大阪や神戸や奈良は知らないが、京都は知っているという人を見かける。しかし、大阪の場所を示すと、そのような便利な場所にあるのかと驚く人がいる。
これは、観光・集客では必ず力になる。歴史で見ると、大阪市は今世界の8つの都市と姉妹都市提携を結んでいる。国際的に都市間連携をやってきたが、今までは儀礼的になりすぎている。儀礼的な国際協力ではなく、実質を求めていく形が必要である。大阪市はパリに事務所を置いている。あらゆるやれることをやっていくのが私のやり方である。
問 市政改革の進捗度についてどのように考えているか。
答 私が引き継いだ市政改革(経費削減)は120%やったと思っている。しかし、これで終わりではなく、まだまだ変えていかないとならない。人が痛みを感じても構わないというような切り方をするのか、将来を見据えた上で、必要なものをしっかり見据えていく形の改革をするかということで言うと、私は後者をやりたいと思う。
そういったものが未来の子どもたちに良い社会として残すことができる。文化が薫る都市格のあるまちにしたいとずっと言い続けている。単なる経費削減では120%達成したが、自分の想いはまだまだある。
都市格で言うと、大阪は安全になったと皆さんに堂々と言うことができる数字を残している。さらに、違法駐輪も大幅に減らすことができた。実績を残しながら進めていることを非常に嬉しく思う。
問 基礎自治体と言っても、さまざまな規模があるが、住民のニーズを把握するために行っていることや、行わなければならないと思っているのはどのようなことか。
答 大阪市は大きすぎるから小さくしないといけないという言い方をされる。大阪市は3,400程度の事務事業を行っているが、それらを一度全て見直そうとしている。人口が少ない市町村では少ない役人で処理をすることができるが、大阪市がやっているような地下鉄や水道事業など公営企業はできない。それをやりきるだけの力がありすぎたからこそ逆に細かいところをほったらかしにしている部分を何とかしたいと思う。
大きすぎるから潰してしまえとは非常にもったいない話で、せっかく昔から続いてきた大阪市の名前を潰すことは、市民にどれだけのマイナスを及ぼすか。大阪市が好きだという市民は本当に多い。現在、「人の都大阪市」というキャンペーンを行っている。
問 大阪市議会についてどう思うか。
答 私は学生運動もした。その頃は、既成の体制は悪いという考えや運動は分からなくもなかった。しかし今は、大阪市長となっている。大阪市民の投票によって選ばれた市長として、法治国家の枠組みの中で政令市の市長をやっている。
二元代表制の議会を尊重するのは当たり前のことであると思う。守旧派とかではなく、法を守らなければならない。制度によって市長という地位を得ている人間として、よほど理不尽なものではない限り、制度を尊重するのは当たり前のことである。
今回、議会に維新の会が33人入ってきて最大会派となり、どのような議会運営になるのか分からないが、議員も間違いなく市民によって選ばれた代表であるため、きちっとした議論をしていきたい。市民の信託を得て市長となり、この3年半市民のために仕事をしてきたという自信を持っており、それをより多くの人に分かってもらいたい。そのために何をすれば良いのかということを残り半年の間に考えていきたい。
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