「全国知事リレー講義」ライン

 2011年 6月 7日            京都府 山田 啓二 知事


           「日本の再構築、行政の再構築





1.はじめに

皆さんはいろいろな知事や市長の話を聞いていると思うが、今なぜいろいろな考え方の方が出てきて、いろいろな施策を話すのか、その裏は何か、時代はどのように変わっているのかということをとらえてほしい。

私が知事になった10年前には、「改革派知事」ということが流行っていた。世の中を変えようという新しい勢力が出てきてすごいという見方がされていたが、そこには彼らが出てこないとならなかった前提がある。

10年前はバブルが崩壊して一気に日本の経済が落ち込んだ時期で、それまでは、自民党中心に、道路やビルの建設といった公共事業を行い、福祉を向上させ、経済成長するにつれて、お金が地域にばらまかれていた時代だった。その時は、良い知事というのは、どれだけ中央からお金をとってこられるかということにかかっていた。それがだめになった時に、良い知事と言われるのは、腕を見せられる人となる。これだけのお金と素材しかないが、それを使って私はこのようにするということを示し、どのようにしてほしいですかということを聞くようになってきた。

共通事項は、情報公開をすることで、自分はきっちりやっているということを示すということだった。これが改革派知事の登場の一つの裏側である。

新しい流れが出る時には、必ずその背景がある。それをどう正確にとらえて、行政を行うかということが、地域の将来、日本の将来に大きく関わってくる。そこから、京都はどうすべきか、日本はどうすべきか、ということを今日は話したい。




2.変わる日本のかたち


これから日本の形は、これまで誰も経験したことないくらい大きく変わる。今まで生きてきた日本とこれからの日本はまったく違う国だということを意識しておいてもらいたい。

高齢化時代や人口減少時代と言われるが、そのことが現実的にどのような影響を及ぼすのか、どういう日本を創るのかということを考えたときに、かなり劇的な変化を日本にもたらすことになる。

京都府は、10年後には死者が毎年5~6,000人増える。その時に何が起きるか。今亡くなっている方の8割は病院や施設で亡くなっているため、毎年新たに4,000人近い人が、新しい施設がないと死に場所がなくなる。その時に、今までの医療や介護でやっていけるのか。深刻なのは、この国の高齢化が異様な率で進んでいるということである。

2005年には団塊の世代が60歳を超えるくらいになり、2025年になると、日本の成長を引っ張ってきた団塊の世代が、いよいよ後期高齢者になり、団塊ジュニア世代も50歳を超える。

団塊ジュニアのジュニア世代が本来はあるはずだが、その部分の人口は膨らみがない。2045年になると、団塊ジュニア世代が後期高齢者になり、それをカバーする層がいないことになる。

そして、人口がどんどん減っていくことになる。そのため、今まで経験したことのない人口構成が2025年から2045年の間にやってくる。

その先駆けとして、2020年には女性の3人に1人、男性の4人に1人が65歳以上となる。また、その人たちの一人暮らしがどんどん増えており、平成22年の国勢調査でこの傾向が顕著に出た。

京都府は平成17年から22年にかけて、人口が2,647,660人から2,636,704人へ0.4%減ったが、世帯数は1,079,041世帯から1,122,634世帯へ4%増えている。人口はほとんど変わらないが、世帯当たり人員がどんどん減り、一人暮らし世帯が増えている。これは、経済・財政に大変厳しい影響を与えることになる。

人口ボーナス、人口オーナスという言葉があるが、生産年齢人口とそれ以外の人口を分けて考え、その国が成長していくかどうかを表した言葉である。生産年齢人口(15〜64歳)の層とそれ以外の層の比率を見た時に、1.5倍が中間で、2倍を超えると経済成長が加速すると言われている。

日本が高度経済成長にあった頃には、この数字が2倍くらいあったが、2005年に2倍を切り、そこからどんどん下がり、2030年には1.5倍を切ると見込まれている。

一方で、中国は2.5倍を超えている。また、今後インドが2倍を超えてくると見込まれている。日本は人口オーナス期と呼ばれ、高齢者人口が経済成長の重荷となっている。また、今後経済成長も落ち込むと見込まれている。

このような状況の中で、日本から企業もどんどんアジア等へ出て行っており、空洞化が起きている。

また、情報化も進んでいる。例えば、旅行にしても、今まではJTBや近畿日本ツーリスト等販売店を持っているところが上位を占めていたが、平成21年からは店舗を持たない楽天トラベルが上位に入ってきている。

日本の経済成長は確実に階段を降り始めている。これが今の日本の状況となっている。

働き方も変わっており、今までは終身雇用となって、企業の中で人を育てて企業も工場を拡大していっていたが、今では非正規雇用が大幅に増加し、社会のシステムの中に組み込まれている。

こういったことから、今までの行政の前提が大きく崩れ始めている。かつては終身雇用が前提であったため、生活保護にしても、退職後に動けなくなった人や、病気の人、障害のある人を対象とするのが行政の福祉だったが、非正規の人が派遣切りにあい、寮から追い出された人が、仕事と家をすべて失ってしまうという状況が出ると、その途端、福祉の世界に入らざるを得ないという状況になっている。

その結果、働く世代の生活保護が増加している。20~39歳の働き盛り世代の生活保護が、わずか10年の間で2倍に増加している。また、40~60歳世代の生活保護も大幅に増えている。このように、生活保護自身も今までとまったく違う性格のものになっている。今までは高齢の世代が生活保護の大半を占めていたが、その他の世帯がこの間大幅に伸びている。

また、それを支えていた日本の絆社会がどんどん失われている。今やプライバシー尊重、個人主義の時代に入っている。

「別れの時代」と言えるほど、人がいろいろなものから別れ、離れていっている。離職率を見ても、20~24歳の3割が離職を経験しているように、終身雇用は過去のものとなり、誰もが転職をする時代に入っていると言えるかもしれない。

また、離婚率も高くなっている。結婚をしない人も増えている。1980年頃、生涯未婚率は男性で4.5%程度、女性で2.6%だったが、2020年には男性で25~26%、女性で17~18%になる。2030年には男性の30%女性の23%が生涯未婚となる。

こうなると、行政が今まで見てきた「標準的な家庭」という概念はまったく変わる。夫婦と子どもの世帯を標準世帯として行政は考えて、そこがどのような生活を送るかということで政策を考えている。1990年にはそのような世帯が一番多かったが、2030年には、単独世帯が37.4%で一番多くなる。この前提で行政を考えていかなければならない。

今後10年、20年先の日本を考えると、それに対応するためにどうすれば良いのかということを今考えてやっていかないといけない。あと10年しか準備する時間はなく、残された時間は少ない。


  

3.今こそ日本の再構築、行政の再構築

 

高齢化、産業の空洞化、情報化により、世界の変貌が進んでいる。今の日本が、今の地域がそのことに対応できるかということを考えなければならない。

今の日本は戦国時代や終戦直後に次ぐ大きな変化の時代で、その変化へ対応できるかどうかが、日本が立ち直れるかの要となる。

そこに東日本大震災が起きたのは象徴的なことだと思う。日本の再構築のために、今こそ行政の在り方を変えないといけない時期となっている。

日本再構築には3つの視点がある。自分で頑張ること、みんなで助けて頑張ること、行政も頑張ること。つまり、自助、共助、公助という考え方で、安心の再構築をしていかなければならない。

昔は、例えば医療と言えば、最先端の医療を多くの人に提供するということだったが、今ではガンにかかることが当たり前の社会になっている。そうなると、病気と付き合いながら、生活の質をどのように保ち、どのように人生を全うしていくのかということが重要になってくる。

人は、どう長い人生の生活の質を確保していくのかということを考えると、福祉と医療と介護の垣根がなくなる時代にならないと安心は創れない。

 雇用も一緒で、ハローワークではうまくいかなくなってきた。今では、求職者側と求人側にギャップが生まれている。就職活動を何回やってもうまくいかないケースがあるが、求める人物像とのほんのちょっとのずれで、うまくいかないという状況がある。

そのため、就職の斡旋だけではなく、就職支援のカウンセリングも必要な時代になっている。また、生活保護と就労支援の間に谷間が出来ており、一旦生活保護に入った人が戻れないという状況が出てきている。ハローワークと生活保護が縦割りになっていて、ワンストップになっていない。

このようなことで、本当に福祉の正しい在り方と言えるか。今の制度の在り方を、現実にあったものに変えないといけないと思っている。

ありとあらゆる面から日本は再構築をしていかないとならないが、うまくいかないという点に大きな争点が生まれている。

阻んでいるものの一つは前例踏襲官僚主義で、公務員は利益をあげる職業ではないため、一歩間違うと、去年と同じことをやっていれば正しいと思ってしまう。しかし、世の中の変化に対応せず前例主義でいくと、日本は間違いなく破綻する。

今こそこの国を変えていかないといけない。そのためには、現実を見ないとならない。例えば、現実には地域間格差がある。京都府でも一定ではなく、北部のある町ではあと10年で65歳以上人口が50%を超える一方で、南には日本で一番人口が増えている町がある。地域によって全然違うため、地域のことに敏感でないといけない。

それぞれの現実を見ていかないとものごとは語れない。全国一律の中央集権、霞が関だけでは対応できない。今まで霞が関の役人は、先進国の書物を読み、制度をどう取り入れるかということを考えていればうまくいった。しかし、日本が先進国となったときに、現状を見ないとどうしようもない世の中になってしまった。

そのため、中央集権の問題が出ている。例えば、障害者の作業所の国庫補助は全国一律30人以上からとなっているが、過疎・高齢化が進んでいる地域では集まらない。また、放課後の児童クラブの補助基準も30人以上からとなっていたが、一律でうまくいくはずがない。

私たちが地方分権を叫びだしたときに、初めて基準を変えたが、そもそも市町村の方が事情を分かっているため、任せてしまったほうが良い。

保育所の面積にしても、国が基準を決めている。現状では、融通を利かせて子どもを預かり面積基準を下回ってしまうと、その場で補助が来なくなってしまう。また、高齢化になると、病院をリハビリ病院化していく必要があるが、一般病院とリハビリ病院では廊下の幅等の基準が異なるため、一旦病院を壊さないといけない。

根本から自分たちに任せろというのではなく、最後の応用の部分の判断を任せてもらいたいと思っている。

長野県では医療費が少ない。それは、昔から、地域ぐるみで予防と検診を一生懸命やっているためである。そのことで、健康寿命も長く、医療費も少ない。

京都府でも、これからは予防と検診の時代だと考えているが、このほとんどの事業は地方が単独で行っている。この単独事業を充実させることで医療費を下げることができるが、国は地方の予防や検診にはまったく目を向けずに、医療費の推計だけを見て消費税を上げると言っている。なぜ現場の意見を聞かないのか。

国民にしても、お願いをすれば金が来ると思っている。お金がなくなっている時代に、そのようなお任せで良いのか。国民も政治や行政に無関心になっている部分があるのではないか。

制度と組織と意識を変えないといけない。ハローワークはもう間違いで、その人の職業訓練、カウンセリング、生活支援を一体して見ていかないとならない。どうやったら一体化できるかを考えると、組織を変えないといけない。

婦人相談所と児童相談書は、組織も全く別になっている。しかし、母も子も、父から虐待を受ける場合に、どちらで相談するのか。他にも、組織の壁として、高齢福祉担当課と住民基本台帳担当課が異なるため、百何十歳という高齢者の戸籍が残るということも起こる。幼児行政でも、幼稚園を文部科学省が管轄し、保育所を厚生労働省が管轄している。

また、今年の1月に、鳥取県の国道9号で、大雪で車が立ち往生したという出来事があった。鳥取県は防災本部を立ち上げ、職員を動員し県道の除雪を行ったが、国道事務所は職員がおらず、国道の除雪が出来なかった。鳥取県は呆れた。

これは高度成長時代の名残で、その時は専門家集団が集中的に移住して道路を造っていたという仕組みだった。それを国がやった方が効率的にできるということで、地方整備局が出来た。しかし、今では雪かきは国道、県道、市町村道とも一括でやってしまった方が良い。力を合わせて組織の壁を越えてワンストップでやらないといけない。


4.京都府の取り組み


 

京都府の取り組みとして、ハローワークと生活支援を一体化して行うということで、「京都ジョブパーク」をつくった。京都ジョブパークの特徴は、京都府だけが経営しているのではなく、市町村も入り、ハローワーク等国の機関、組合、経営者協会も入って共同経営している。

これにより、すべてをワンストップでできる体制をとっている。

ここに来るまでにはものすごい時間がかかった。例えば、ハローワークを入れるのには2年かかった。今は就業支援、職業訓練、パーソナルサポートセンターとしてマンツーマンの支援も行っている。

また、児童相談所と婦人相談所を一か所に集め、家庭総合支援センターとしている。このような施設をつくることで、組織の壁を乗り越えている。

地域でもプラットフォームをつくり、みんなが集まって検討することで、行政と住民が一体となるような取り組みを、住民視点で行っている。

公共事業についても、陳情によるお任せ型ではなく、全国で初めて公募型を取り入れている。安心・安全にかかわることは、住民の方がよく分かっているため、住民から提案してもらい、府が審査をして事業を行うという形となっている。

住民にそのようなことを任せると、数が出過ぎるのではないかといった批判や、職員の負担が増えるといった批判が出たが、たくさん出たならそれまでの京都府の行政が悪かったということで、非難することではない。学校の校長会でも、よく府に通学路や学校の安全確保について言うが、自分で学校の周りを点検して危ないところを提案するように言った。

件数は出たが、無茶苦茶なものはなく、素晴らしいものばかりだった。提案書に地図や現場の写真が添付されており、京都府が探さなくても、道路や河川の危険な場所のデータベースが費用をかけずに出来てしまった。実行すると住民も喜び、議員や市町村長にも好評だった。それをさらに進めていきたい。

昨年、「明日の京都」という総合計画に関係するものをつくった。その中で、京都府の理念を大きく変えた。

これまでは、「個人の尊厳と人権が尊重され、日常生活の中に人権尊重の意識がすみずみまで浸透した、人を大切にする社会の実現をめざすとともに、人と人とが連携し、ともに支えあう視点を重視します。」となっており、人が尊重されるということと、人が支えあうことが並列となっていた。

今回の基本条例ではそれを変え、「府民一人ひとりの尊厳や人権が尊重されるために、互いが思いやりの心でつながり、支えあう社会を築くとともに、府民が自治の主役となり、各地域が永い歴史の中で・・・」として、本当に一人ひとりが尊重される社会というのは、思いやりの心でつながっていく社会で、それに向けて行政も変わっていきたいという理念になっている。

福祉も大きく変わっていき、地域包括ケアの考え方が出てきている。今までのように、医療と福祉と介護をバラバラでやっている時代をやめなくてはならない。

お年寄りのほとんどの人が在宅死を望んでいるが、病院や老人ホームに一度入って戻ったら、再度入ることができるかわからないといった不安から、出られないといったことが起きている。在宅を中心に、病気になったら病院に、動けなくなったら施設へといったように、それらをすべてネットワークでつないで、トータルでコーディネートする組織を地域でつくるのが、地域包括ケアの考え方である。

今までのように縦割りで施設も組織も分けていては、高齢化に対応できないため、地域包括ケアを地域で実現しないといけない。このように、地域中心に福祉を再構築するということをやっていかないとならない。

先日、地域包括ケアの推進機構が都道府県では初めて京都府にできた。医師会館を中心に、医療や介護や福祉だけではなく、弁護士会、司法書士会、行政書士会も入り、一人ひとりの暮らしの質を高め、その間をネットワークでつないだ組織である。たくさんの人が入り、ワンストップで行えるよう、高齢者の方々を中心にすべてのものごとを考えるようにしていかないとこの時代に対応できない。

公共事業を公募型からさらに地域普請という形に変えていこうとしている。行政はある程度までのならしはやるが、小さな運営や修繕は地域でやってもらう。例えば、河川敷の空き地の整地はやるが、そこにフェンスを造り、ベースを置いたり清掃したりするのは、地元の少年野球の人にどんどんやってもらう。

何でも行政に任せていたのではとんでもないコストがかかり、税金をいくら払っても払いきれない国になってしまう。あるミーティングで、公共便所が汚く、観光客が来ない、京都府は何をやっているのだということを言われたが、そこのところは自分たちでやったらどうかと言った。人が来て、地域が潤うなら皆さんでやったらどうか、行政がやるなら税金がどれだけかかるかということを考えてほしい。

お任せ民主主義ではだめで、行政は本当に厳しい所に入っていかないとならない。例えば、限界集落に「里の仕事人」、「里の仕掛人」という人を公務員として送り込んでいる。限界集落にはいくらきれいごとを言っても無理で、それなら行政から人を送り込んでいくことをしている。

行政の在り方を地域から変えていくために、ワンストップで組織も制度も壊して新しいものを創り上げていかないといけない。それをしない限り、未来は暗い。しかし、それをすれば必ずひらけてくる。

どんどん新しい動きを創り上げていかないとならない。今、京都府を超えた取り組みもしている。例えば、税金にしても、「京都地方税機構」という組織を京都府と府下25の市町村が共同で作り、賦課徴収業務を行っている。市町村税と府税は課税客体が同じものがあるため、同じ人が要って、一度に徴収すれば良い。滞納したからと言って、府の職員と市町村の職員が2人も行かないとならないのか。国税も含めて1人で良いとも思っている。国税は滞納するが、地方税は払うという人はいない。それならワンストップにすれば良い。そうすれば、コンピュータのシステムが変わった時も、一瞬で直すことができる。25の市町村がバラバラのシステムを使っていると、コンピュータ会社は儲かるが、税金がいくらあっても足りない。

また、関西広域連合も一緒で、関西でできることは一緒にやっていこうという考えになっている。外国から見れば京都も点に過ぎない。関空から成田へ抜ける線のうちの点なので、広域観光を考える時に京都だけでやっていたのでは一人よがりで、奈良や大阪や神戸と一緒にやっていかないとならない。広域防災も一緒で、東日本大震災の時にも関西広域連合はカウンターパート方式で対応した。京都府と滋賀県は福島県を応援し、兵庫県と鳥取県と徳島県は宮城県を応援し、大阪府と和歌山県は岩手県を応援するという形をとっている。関西広域連合は日本版EUだと思う。

出先機関にしても、地方整備局や経済産業局、地方環境事務所の仕事の移管を求めている。まだ開発をしていた時代はこの方式でも対応できたが、管理をする時代になると、例えば鴨川と桂川を管理する主体が異なっているのではなく、一括して管理したほうが良い。全部住民、地域の視点から現実を見て、制度を壊して再構築していかないとならない時代に入っている。

5.国と地方の協議の場

 

保育基準を少し緩和させてほしいと厚生労働省にお願いした時も、地方に任せたら日本の保育水準は壊滅的に落ち、最低の保育水準が維持できないということを言われた。地方に任せたらとんでもないことになると言われたが、根本から変えようとしているのではなく、フレキシビリティの部分を考えさせてほしいと言っているだけである。

今の基準は、「従うべき基準」となっていて、従わなければならないが、これを「参酌すべき基準」とし、条例等で少し動かせるようにしてほしいということで特区を申請したが、すべて否定されてしまった。

この時に、公開討論を申し込んだが、なかなか受け入れられなかった。らちがあかないため、「国と地方の協議の場」を法律で作ったが、いろいろ抵抗にあっている。

地方六団体の代表と、大臣がお互いに話し合うという法案を作る時に、私は国と真っ向からやりあった。この協議の場の特徴は、地方のためや、地方分権・地域主権のためではなく、国及び地方公共団体の政策の効果的かつ効率的な推進を図ることとなっている。

この国の政策を変えたい、この国の在り方を変えたい、本当にこの国が21世紀を生き延び再生していくために、現場の地方から意見を言って良い国にするための場にしたいというのが、国と地方の協議の場である。

これを形式的なものにする、おざなりなものにするという動きが今ものすごい勢いである。自分たちの権益を離さない人たちがいる。日本は大きく変わっており、皆さんが中心となって日本を変えていくという時に、この大きな変化を踏まえて、どのような形でこの国を変えるかという視点を持ってほしい。

この協議の場を落ち着かせるのには何年もかかるが、一歩ずつ変えていこうと思っている。それにより、皆さんの時代につなぐ日本をつくっていきたい。その思いを持ってこれからも進んでいくことを誓い、今日の講義を終わらせていただく。

 


 質疑応答

問 本当に身近な地方の実態を分かっているのは、市町村ではないかと思うが、都道府県の意義は何か。

答 市町村と一つに言っても、360万人の市から、200人の村まで様々ある。その時に、すべて同じ行政ができるだろうか。地域間の格差をどう是正していくかという議論が必要だが、国と基礎的地方公共団体の間にもう一層設けて、市町村の状態に合わせて調整していく機能をつくらないとまわらない。その機能を担うのが都道府県で、中間的なものがあって然るべきだと思う。

例えば、1,000人くらいの町で産業行政がうまくできるか、補助をしたり道路整備をすべてできるか。需要から考えても、いくつかの段階がある。すべての市町村をただ大きくして、国と直接やりとりできるようにするのが良いのか。日本はやはり地方公共団体は二層制が良いと思う。




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