「全国知事リレー講義」ライン

 2011年 6月 18日            和歌山市 大橋 建一 市長


           「地域主権改革と東京一極集中





1.はじめに

私は、地方になるべく権限を与えてほしいということをずっと言い続けている。住民に一番近い基礎自治体である市町村が行政の中心になるべきで、それを国が義務付けや枠づけをしている今の政治スタイルは変えてもらわないと困る。

今回の震災でも、国が決めないと市町村が動けないという問題を露呈しているように思えてならない。

また、今年6月から、全国に41ある中核市の市長会の会長を務めており、そういった立場も踏まえて、説明していきたい。






2.和歌山市の紹介


和歌山市は、京都から大体140キロくらいの位置にあり、関西の人は大体和歌山市の位置が分かるが、特に関東では和歌山市の知名度が低い。

和歌山のものとして、白浜や勝浦、みかん、梅干しが知られているが、これらは「和歌山県」のもので、「和歌山市」のものではない。そのような意味でも、和歌山市の知名度は低いと言える。

和歌山市には和歌山城があり、昔は全国でも6番目の人口を誇った城下町だった。また、番所庭園という、海に面して緑が延びている、感動的な景色が見られる庭園がある。さらに、片男波の海水浴場は、「日本の快水浴場100選」の特選にも選ばれている。

特産品として、ミカンもカキもモモもイチゴもよくとれるが、和歌山市では特にショウガがよく取れる。全国の都市でのショウガの生産量を比べると、和歌山市がトップを占めている。このショウガを搾ったジンジャーエールを売り出したところ、大変好評となった。一時はANAの機内などでも、そのジンジャーエールが販売されていた。

最近の和歌山市では猫の「たま」が有名となっている。電車の貴志川線という路線が廃線寸前だったが、いろいろなお客さんが「たま駅長」を見に来てくれたおかげで、貴志川線はよみがえった。終点の駅を「たまステーション」としてアピールしている。


  


3.和歌山市における行財政改革の取り組み

 

和歌山市の財政は、大変厳しい状況にあった。それは、下水道、土地造成、国民健康保険という3つの特別会計に多額の赤字があったためである。

和歌山市は海に近いところにあり、市内に川がたくさん流れているという特徴がある。和歌山市は特に雨水の排水の水はけの悪いところで、雨水処理の下水道に力を入れざるを得なかったため、公共下水道の接続が遅れていた。そのため、下水道事業で莫大な赤字を抱えた。

土地造成では、バブルの時代に、土地は必ず値上がりするという土地神話に乗って造成に手を出して、見事に失敗して大変な借財を作った。

国民健康保険事業は全国的にどこでも難しいが、和歌山市では普通会計からお金を繰り入れてまわすことができなかった。

このようにして、3つの特別会計が赤字となった。

北海道夕張市の破たんを受けて、国は財政健全化法を今から4年前の平成19年に成立させた。財政健全化法では、特別会計の赤字と一般会計の赤字をトータルで見て、赤字比率が16.25%を超えたら、早期健全化団体として、イエローカードを渡され、早期健全化団体に指定されることになっている。

和歌山市がその時赤字比率を計算すると、17.60%の赤字比率となっており、危機的な状況だった。第二の夕張にならないためにも、なんとかしないといけないということで、様々な取り組みを行った。

下水道では、40%程度のかなりの料金の値上げをしたり、一般会計からの繰り入れをしたりして、とにかく単年度で赤字をなくそうとした。

また、国民健康保険事業では、一般会計からの法定外借り入れを増やした。

土地造成事業では、和歌山市の西側に「つつじが丘」というニュータウンを、和歌山市が造成していたが、なかなか売れていなかった。そこに、近々開かれる予定となっていた国体に使える施設として、テニスコートを建設することにして、そのために土地を買い戻した。

もう一つは、和歌山市の土地開発公社が持っていた広い土地に、20数年間使われないままになっていたものがあったため、阪和自動車道の紀ノ川の北のあたりにインターチェンジを建設して、アクセスの利便向上を測り、企業誘致を行った。

このようにして赤字を減らすということに取り組んだ結果、平成19年度には17.60%の赤字だったものが、平成20年度には1.50%の黒字となった。これには、下水道で単年度黒字を作ったことが大きくプラスに働いている。

今、財政再生団体としてレッドカードを渡されているのは北海道の夕張市のみだが、早期健全化団体として、イエローカードを渡されているのが、平成21年度決算では13団体ある。近畿では大阪府の泉佐野市、奈良県の御所市、上牧町が入っている。泉佐野市は、関西国際空港へ渡る橋の手前に、前島を造るなどで莫大な投資をしてきたため、大きな赤字を抱えることとなった。

経常収支比率とは、市の経常的な歳入のうち、経常的な経費として支出されるものの割合を示すが、地方財政が厳しくなってきたため、他の市町村も含めてどんどん経常収支比率が上がってきた。

昔は80%程度が理想だとされていたが、今では90%を超えるのが普通になってしまっている。和歌山市でも、リーマン・ショックによる歳入減などの影響を受けて、平成21年度には経常収支比率が97.0%にまでなった。そのため、職員の数を思い切り減らそうとしており、平成12年度には3,863人、平成22年度では3,137人いた職員を、平成2441日には3,000人にまで減らすことを目標として取り組んでいる。経常収支比率に占める人件費の割合も、平成12年度は25.4%であったが、今では19%台にまで下がっている。

この取り組みが地方財政を大幅に健全化する要因になっている。




4.和歌山市における人口減少の影響

 

頑張って様々な取り組みをしてきたが、まだまだ和歌山市の財政は楽になっているわけではない。その大きな要因は、人口が減り続けているということにある。

1985年は40万人だった和歌山市の人口が、昨年の国勢調査では369,400人にまで減った。出生数が大幅に減っていて、1985年には4,581人が生まれていたが、2010年には3,064人しか生まれていない。また、社会減もなかなか止まらないという問題もある。そのため、高齢化がどんどん進んでいる。

高齢化率は65歳以上の人が人口に占める割合だが、和歌山市の高齢化率は、1985年には10.7%だったものが、2010年には24.8%にまで上がった。

全国的な少子高齢化の波に加えて、和歌山市を支えている大変大きな企業である住友金属工業の和歌山製鉄所が大幅に人員を削減してきた影響もある。また、和歌山市には大学が少なく、和歌山大学、和歌山県立医科大学、信愛女子短期大学の3つしかない。そのため、毎年4月に住民票異動の調査をすると、どうしても1,000人以上の減少が見られる。

和歌山市は国土軸から離れており、大阪の中心部から遠いということも、大阪周辺の各都市と比べても非常に条件が悪い要因となっている。

大阪の中心部からの距離を見ると、奈良市は36キロ、神戸市は33キロ、京都市は43キロ、大津市は53キロだが、和歌山市はそれよりも遠く、63キロも離れている。

首都圏からの和歌山市の知名度が低いのは、遠距離間とアクセスの悪さのためだと思う。東京の人には和歌山への行き方が分からない人も多く、関西空港から40分ほどと言うと、そんなに近いのかと驚く人もいる。

カレー事件が和歌山であった時に、週刊誌やテレビの取材陣が東京からたくさん押しかけてきたが、白浜空港に降りて3時間ほどかけて和歌山市まで来て、「和歌山は遠いなぁ」と言っていた記者がいたのを覚えている。関西国際空港が1995年に開港したことで、多少遠距離感は減ったが、関西国際空港自体の国内線が減少しているため、また遠距離感が出てきている。

関西圏全体の地盤沈下も起きており、大阪自体の元気がないため、和歌山市もその影響も受けている。

一方で、京都の隣の大津市は、和歌山市と反対の減少が起きている。

1970年から2010年までの近畿24県の人口の推移を見ると、1970年には1,700万人くらいだったものが、2000年からはほぼ横ばいだが、1,900万人くらいまで増えている。

大阪市の人口は、1970年には300万人ほどいたが、その後減少を続け、2000年には260万人ほどまで減少したが、最近また持ち直してきている。

京都府、大阪府、兵庫県の3府県を足すと約1,500万人から1,600万人の間になるが、これもほぼ横ばいで推移している。

奈良県の人口は、大阪に近いこともあり、2000年に150万人ほどになる頃まではずっと増加していたが、今は頭打ちになっている。

しかし、和歌山県はずっと減少している。

和歌山県と滋賀県の人口推移を見ると、大きな差が出ている。和歌山市の人口は、1980年の約40万人から、2010年の約37万人までずっと減り続けているが、大津市の人口は1980年には20万人ほどだったものが、2010年には約34万人にまでなっている。

大津市は和歌山市とは対照的となっているが、和歌山市と大津市は何が違うのか。滋賀県が右肩上がりになるのは、以前は不当に評価が低かったということが言える。

大阪から遠く、雪が多く寒いところだということで、滋賀県は敬遠されてきた。しかし、時代が変わると、地価が安く開発しやすい土地が多いということで、大企業が次々と進出してきた。

考えてみると、滋賀県は東海道と中山道が合流する交通の要衝で、名神高速、第二名神、国道1号、国道8号と道路は縦横にある。また、新幹線の駅は米原だけだが、JRの路線は充実していて、特に湖西線が出来て以来、琵琶湖の西側が発展した。滋賀県13市の中で、大津市、彦根市、近江八幡市、草津市、守山市、栗東市、野洲市の7市で人口が増加している。1県の中でこれほど人口が増えている市があるのは、滋賀県以外にはない。近畿では大阪から一番遠いが、東京には一番近いということが滋賀県の強みになっている。

そうなると、東京一極集中ということが最大の問題ではないかということになる。


5.東京一極集中の現状と弊害

 

全国の人口の動向は、2005年から2010年にかけて12,800万人前後で横ばいとなっている。東京23区は一時期減り気味だったが、最近また増えている。一方で、関西3府県は1,700万人前後で横ばいとなっている。東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県の13県だけが、1980年には約3,000万人だったところから、2010年の約3,600万人までずっと増えている。

なぜ東京一極集中が進んだのかを考えると、当たり前のことで、政治も行政も文化も司法も経済も教育も外交も、全て東京に中心があるのが日本の構造となっているためである。

企業は情報のたくさん集まる東京に本社機能を置きたがり、大阪に本社があった企業もほとんどが東京に本社機能を移している。

メディアもすべて東京が中心となっており、東京の情報が全国に伝えられるという体制になっている。地方の持つ情報も、東京から見た目線で選別して全国に伝えるということになってきている。どうしてもみんなが毎日それをテレビですり込まれるため、東京でないとダメだという気持ちになってしまう。

学者の先生も大体は東京に住んでいて、東京から週何回か地方に通うという生活をしている。

首都圏の人は、住む上で東京が圧倒的に有利だと思っている。車を使わなくても出かけることができ、あらゆる芸術・芸能関係の一流品をいつでも見ることができる。また、娯楽施設にしても地方とは格差がある。

しかし、東京は生活コストが高く、おいしいものを食べることはできるが、大変高いといった世界となっている。人が多すぎるが、そのことにみんな慣れてしまっている。

個人的な見方だが、東京では本能的に反大阪意識があると思う。日本中、九州から北海道まで、大体東京中心の思考に席巻されているように感じるが、京阪神だけは最後まで抵抗してきた。

テレビでも、関西では大阪発のローカル番組がわりと有力で、全国紙も大阪本社だけが独自のローカリズムを持っていて、関西中心のネタを一面トップにしたりして頑張っている。スポーツ新聞でも、どこでも阪神タイガース一辺倒という作り方をしている。東京の官庁にいる人たちや、マスコミの人たちからは、関西は言うことを聞かないと思われている。関西弁を使うお笑い芸人が関東に進出してきて、それを関東の人々はどうも不愉快だと思っている。関西がのさばらないようにしたいということがどうもあるように思う。大阪府と大阪市の対立をやたらはやし立てることで、関西を陥れていじめようとしているのではないかというのは偏見かもしれないが、私はそのような気がしている。

また、関西空港が大変厳しい状況にある。空港を造った借金を強制的に背負わされた。関西空港は関西がやりたくてやった空港なのだから、金を出せということを言われるが、それはむちゃくちゃなことだと思う。このように、東京からいじめられている気がしてならない。

一極集中とはどういうことか。法人税は本社があるところに税収が入っていくが、和歌山県の法人税収は1948,500万円だが、東京都の法人税収は13,0098,700万円となっている。

東京都と和歌山県を比べると、東京都は和歌山県の人口の13.15倍だが、税収全体では約49倍、法人税だけでは約68倍の差となっている。これを石原都知事は東京都が汗水垂らして稼いだ金だというが、私はそうではないと思う。

東日本大震災で東京はあっという間にガタガタになり、帰宅難民が大量に出て、外国人は震災の翌日から日本を離れている。

電力不足はついに関西に及びそうだが、東京に災害時のバックアップ機能がないことは大変な不安材料となっている。

また、メディアの発進力偏在もあり、関西の情報を関西で発信しても、関西の中で止まってしまう。ローカルニュースという扱いになり、東京では伝えられないということがしばしば起こる。また、都会の視点で物事を語る人がどんどん増えている。公共インフラでは、東京はもともと道路も都市交通も下水道も本当に満ち足りていた。そのようなところが、地方に何かを造ろうとすると、大変無駄に見えてしまう。自分たちが使うものは無駄だと思わないが、地方の人が使うものは無駄だと思っている。

例えば、首都高速に、この春「大橋ジャンクション」というのが開通した。大変な規模のジャンクションで、便利になったとテレビでは言われた。また、羽田空港に国際線ターミナルができたときも同様に便利になったということがテレビで言われた。誰も悪く言わないのは、自分たちの目が標準的な目だと思っていて、目が曇っているのが分からないためだと思う。

5年ほど前の話だが、呆れたことがある。和歌山県内にある国道42号線はほとんどが海岸沿いに通っており、東南海地震などで津波が発生すると、使えなくなってしまう。そのため、新宮・那智勝浦道路というバイパスを建設した。その頃、国会議員が視察に来て、「交通量の少ない山の中にこのような道路を造るのは贅沢だ」ということを言われ、無駄の典型だという形で、テレビで報道された。この道がないと、この町を助ける手段がほとんどないという状態だということが頭にないということが情けないことだと思う。

2006年には首都圏への転入・転出人口差が13万人あった。日経新聞がそのことについて報道し、「地方に手厚い公共投資のあり方を見直し、大都市のインフラ整備をより充実させる必要性が高まりそうだ。地方財政の運営の効率化につながる道州制の導入など、政策面での議論も必要になりそうだ。」ということを書いていた。

要するに早急に都市部にお金をまわせということを強調している。どうも話がずれていると思う。産経新聞には、石原都知事が、「首都東京は、国の心臓であり頭脳である。ここが壊れると国家が死んでしまう。都の災害対策は膨大な費用を要するが、法人税をきちんと都にまわせば毎年3,000億円程度の防災対策ができ、発電所も自前で造ることができる。法人事業税のうち、4,000億円を国が奪い取っているため、都が自分たちの努力で得た税金を、国が財政状況に困って、つけ払いのために奪うのは許せないことだ。」というようなことを言っているのが書かれていた。

しかし、この4,000億円は東京以外の地域にまわされたお金で、それによって国の赤字を減らしたということにはなっていない。東京都と地方が支え合っていかなければ、日本はダメになるという視点がまったくなく、東京さえ生き残れば心臓と頭脳があるから良いではないかという議論をするのはいかがなものかと思う。


6.首都機能移転・分散の必要性と可能性

 

首都機能移転構想はこれまで何度も出てきていた。バブル期にも唱えられ、1990年代には国会が首都機能移転を議決し、1992年に「国会等の移転に関する法律」が成立した。1995年には阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生し、あまりに東京の地価が上がりすぎていてどうにもならなかったこともあって、首都機能移転が再び議論されるようになった。関西では大震災が起き、東京ではサリン事件が起き、どこも危ないということで議論がされてきた。

移転候補地として、「栃木・福島」、「愛知・岐阜」、「三重・畿央」という三カ所が選ばれたが、この後、議論が止まってしまった。

首都圏の知事が反発したこともあり、2003年には、「移転は必要だが、3候補地のどこが最適か絞り込めない」という中間報告を採択した。

その後、2006年には担当大臣が廃止され、首都機能移転担当大臣は道州制担当大臣となった。そして、国家の財政問題を持ち出し、首都機能移転自体が無駄な公共投資だという空気になってきた。

2011219日の朝日新聞には、国土交通省が夏の組織改正で首都機能移転企画課を廃止する方針だということが書かれていた。首都機能移転の話は完全消滅かと思い、私は心を暗くしていたが、その報道の矢先に、311日東日本大震災が起き、大きな被害が出て原発がやられてしまった。そして、再び首都機能分散論が活発となっている。

関西広域連合には奈良県が参加していないが、近畿の23県と福井県、徳島県と鳥取県が参加していろいろ協力体制をとっている。

そこで、関西広域連合がいよいよ関西の出番だということで、提言書を出した。提言書では、関西が首都機能のバックアップを行い、政府などの代替機関を関西に置くということや、民間企業も関西に本部機能を置くような、双眼鏡構造という形をとってはどうかということや、国会の審議を京都でやることの社会実験をしてはどうかということについての構想を出した。

これは首都直下型地震に対する不安感がこの間の帰宅困難者が出たことから、電力事情も含め現実の不安となり、このような声を出している。

しかし、この声が実際に首都機能の分散や移転の方向に進むかというと、必ずしもうまくいかないのではないかという危惧がある。以前首都移転がなぜかけ声倒れに終わったかと言うと、3候補地が決まったことで、関西など誘致に熱心だったところが、しらけてしまったという影響もあった。

また、東京を中心に、反対運動が起きた。さらに、バブルが崩壊し、土地神話が崩れ、地価が値下がりしたため、東京23区内に住める人が増えてきたという影響もある。

改革派の知事たちは、皆さん知事をやめた途端に東京に移り住んでいるように、これが東京の魔力だと思う。

他にも、理由がある。一番は、選挙制度の小選挙区制である。選挙区と東京とだけを行き来するという国会議員がものすごく多くなってきた。

地方といっても、自分の住んでいるところだけを考えているため、地方同士が一緒になってまとまるということにならない傾向があり、選挙の応援の時にしか他の町に行かないということになっている。

そうすると、地方と中央の結び付きの強さを競うという形になってしまうため、地方のまとまりがなくなってしまう。

もう一つは、国の機関(府、省、庁)が移転に消極的ということである。移転の議論がされていたにもかかわらず、中央省庁の庁舎の建て替えを行ったり、国会議員宿舎も今年の6月に建て替えたりということが見られる。

私はどうも影の主役はマスコミではないかと個人的に思う。都合が悪いということについては、無駄な公共事業などに対して世論調査でこれだけ反対があるということを示して客観性を装った反対キャンペーンを行う傾向がある。

首都機能移転では、マスコミ各社にとってもコストの増大や経営効率の低下につながるため、乗り気ではなかったのではないか。

いろいろな議論があるが、大阪府の橋下知事が府庁舎を咲州に移転することを発表して以来、猛烈な反対を府議会がしている。マスコミも、一斉に反対をした。耐震性の問題を取り上げているが、みんな一斉に反対しているということは不自然で、移転するのが嫌だということの裏返しではないかという勘ぐりをしたくなるような感じがする。

では、一局集中に歯止めをかけるにはどうするのか。第1案は、完全な首都移転として、政府と国会、皇居をどこかに移してしまうということが考えられるが、おそらく無理だろう。第2案として、国会だけ、あるいは皇居だけの移転ということも考えられるが、日本国憲法の制約がいろいろあり、例えば、大臣が決まるとすぐに認証式をやらないといけないといったことがあるため、国会と皇居の分離はほとんど不可能ではないかと思う。第3案として、政府機能を分散させ、本庁は東京以外に置くということが考えられる。

国会と皇居は東京に残るが、経済の中枢は西日本に移すというものである。例えば、証券取引所は、大阪証券取引所があるため、東京証券取引所は廃止してしまう。最高裁判所など、独立性の高い官庁は、移転させ、他の場所に移す。一般の省庁の本庁は西日本に置いて、東京には本部機能を置くといった形が最も現実的だと思うが、これでも相当なハードルの高さがある。

マスコミが東京にいて、東京中心で情報を発信し続ける限り、いつの間にか東京本部が本庁になってしまうという可能性は否定できないと思う。そのように考えると、今関西広域連合が提唱している、補完構想が、一番実現性が高いのではないかと思う。それに加えて、私は東京大学が是非ともどこかへ移転すべきだと思う。





7.地方分権(地域主権改革)と基礎自治体

 

日本は明治以降、ずっと中央集権国家だった。日本国憲法は地方分権や地方自治をうたっているが、実際には戦争直後の混乱期からの立ち直りのためには、中央の強力な指導が必要だということで、やはり中央集権が続いていた。

昭和30年代に大合併が行われ、地方が少し力を持つようになってから、「3割自治」という言葉が出てきて、我々地方は3割しか自治をやっていないということで、それをもう少し広げようという声が地方から強まった。しかし、中央省庁や国会議員は権限移譲に反対していた。

今、国と地方の税収費は6:4となっているが、担当している仕事は4:6となっている。その差は、国が補助金を出して埋めるというのが今の財政構造となっている。財布を国が握って、結局国が地方を支配するという形になっている。

なんとか自主財源を増やしてほしいということを言ってきているが、なかなか進まない。

機関委任事務という国が地方に命令して国の仕事を地方でやらせるというものがあったが、これだけが廃止された。

地方の自治体は分権を進めるために熱心に動いたが、地域の住民は分権の推進にあまり関心がなかった。

高度成長期は日本中が東京志向になっていた。テレビが普及して、東京の姿が毎日のように地方全体に広がっていく。東京の姿に対するあこがれがどんどん広がっていった。国はその時開発の時代なので、全国総合開発計画で地方を平等に東京のようにしてしまおうというプランが進んでいった。予算を付けて、地方が主体で進めるが、国が補助金を出すといった形で進めていく。そして、このようにやらなければダメという条件を付けた。道幅やビルの高さなどすべてに細かい条件を付けて、それに合うものだけ補助金を付けるという形にしてきた。

しかし、補助金でもらうのは半分で、あとの半分は地方が負担(裏負担)しないとならず、その部分は借金でまかなっていた。借金の分を後から地方交付税で賄う(交付税措置)ということを餌に、メニュー通りのことをやらせるということをずっとやってきた。その結果、地方都市はどこでも同じようなまちになってしまった。このように、お金を持ってくる力を国会議員が競うという時代がずっと続いてきた。

バブルが崩壊し、景気が悪化して税収が減り、対策のために国債をどんどん発行するようになると、地方も窮地に陥ることになった。

和歌山市でもバブル時代の土地神話を信じて、大規模開発を行ってきたため、大きな借財を背負った。そのようなに、様々なところが大変ピンチになっていった。

そこで、国に分権改革推進を要求してきたが、三位一体改革が小泉政権のそれに対する答えだった。それは、国から地方に税源を移譲し、五分五分に近い形にするが、その分、補助金を縮減・廃止し、あわせて地方交付税の見直しも行うというものだった。ところが、まず初めに地方交付税が大幅に減らされた。和歌山市もそこからピンチに立った。

そのように地方が国を攻めていた時代に、和歌山県をはじめ知事が3人逮捕されるという事態が起きた。それぞれの事件で有罪となっているため、悪いことをしたのだろうとは思うが、福島県の知事は当時原発に反対していたため、それでやられたのではないかと私は思っている。宮崎県の知事、和歌山県の知事にしても、なぜあの時に一斉に操作のメスが入ったのかということについては、マスコミにいた人間としては、若干、疑わしいところもあるのではないかと思ったりもする。

そういったこともあって、地方分権を推進しようとする動きにブレーキがかかった。三位一体改革で税源移譲は行われたが、リーマン・ショックの結果税収が落ち込んだため、入ってくる税収は同じとなった。このように、相変わらず、国に振り回されている。

しかし、分権についていまだに国民の理解を得られていない。財務省が地方の悪口を言っており、地方が勝手にお金を使い、放漫財政を行っているということを言う。そして、財務省に近い経済畑の記者たちは、これに便乗する傾向がある。

税源移譲の話は、国と地方の税源の奪い合いだという形で矮小化される。税と社会保障の一体改革では、消費税の取り合いだということで見られる。財政が厳しいのは、放漫財政のつけだ、自治体職員は高給をもらっているがちっとも働かないというようなことを言われ続ける。

夕張市は確かに放漫ではあったが、炭鉱が閉山となって、どうしたらまちを維持できるかということを自治体として真剣に考えて、炭鉱から観光へということで、国や北海道の進めもあって、いろいろな事業を行ったがうまくいかなかった。うまくいかなかったのを隠していて、また借金が増えてどうしようもなくなったという状況である。

大半の自治体は財政破綻におびえながら、行財政改革を進め、職員を減らし、給与も上がらないまま仕事の量は増えるということで、みんな影では泣いている。それが努力不足だと言われる筋合いはないと思っている。

今こそ地方分権改革を進めなければならないと思うが、震災以降は国会も霞ヶ関も地方分権どころではなくなっている。

ある程度社会保障改革では状況は変わっているが、いずれにせよ、国が決めて地方にお達しをするという形は変わっていない。

しかし、この震災で分かったように、災害対策のほとんどは市町村が行っている。消防、水道、下水道、がれきなど廃棄物の処理、避難所・仮設住宅の確保、被災状況の調査、罹災証明の発行などすべて基礎自治体が行っている。

今のようなとんでもない状況になると、それに対応するための法的根拠がまったくなく、がれきに所有権があるのかどうかもすべて法律の特例で決めてもらわないとならないため、動けないという状況になっている。岩手県山田町では、がれきがずいぶん片付いてはいるが、隅に重ねているという状況で、また、仮設住宅が県立山田高校の敷地内に急ピッチで建設されているが、まだ完成していない。対応が遅れている原因はどこにあるのか。

都道府県、市町村の関係では大阪府と大阪市の話題がある。今、市は全部で786市ある。一般市は686市で、人口が一番多い一般市は58万人で、一番少ない一般市は北海道の歌志内市で4,400人となっている。その規模で、一般市は、生活保護、特別養護老人ホーム設置、運営、介護保険事業、国民健康保険事業、市町村道、橋梁の設置・管理、住民票、戸籍事務、一般廃棄物の収集、処理、消防、救急業務を担当している。

人口30~50万人が要件となる中核市は41市あり、人口は27万人から70万人まである。一般市の仕事の加えて、特別養護老人ホーム設置認可、監督、保健所設置、身障者手帳交付、屋外広告物の条例による制限、一般廃棄物、産業廃棄物処理施設設置許可、市街化区域、市街化調整区域の開発行為の許可、市街地開発事業区域の建築許可、騒音規制地域の指定、規制基準設定といった事務も担当する。

人口20万人以上が要件となる特例市でも、一般市の事務に加えて、市街化区域、市街化調整区域の開発行為の許可、市街地開発事業区域の建築許可、騒音規制地域の指定、規制基準設定といった事務も担当する。

一番大きいのは指定都市で、条件は人口50万人以上ということになっているが、現在ある19市は、69万人から362万人までの幅がある。人口73万人の熊本市は、来年の4月に政令指定都市に昇格することになっている。指定都市では、さらに児童相談所の設置、市内の一部国・県道管理、市街地開発事業に関する都市計画決定、県費負担教職員任免、給与決定といった事務も担当する。

平成2341日現在の中核市は、函館市、旭川市、青森市、盛岡市、秋田市、郡山市、いわき市、宇都宮市、前橋市、高崎市、川越市、船橋市、柏市、横須賀市、富山市、金沢市、長野市、岐阜市、豊橋市、岡崎市、豊田市、大津市、高槻市、東大阪市、姫路市、尼崎市、西宮市、奈良市、和歌山市、倉敷市、福山市、下関市、高松市、松山市、高知市、久留米市、長崎市、熊本市、大分市、宮崎市、鹿児島市の41市で、北海道から九州までうまく散らばっている。

都と道府県、指定都市との関係を見ると、道府県は警察全般、指定区間の1級・2級河川管理、都市計画区域の指定、市街化区域と調整区域の線引き、小中学校学級編成、教職員定数決定、高校の設置・管理、私立学校、市町村立学校の設置許可を行う。

しかし、23区内に対する東京都の権限は、市が行う業務を区に渡さず都が握っている。一般市が必ず行う業務である上下水道、消防業務も都が行い、多くの市が行っている業務である公営住宅、霊園・火葬場の設置といった業務も都が行い、主に政令市が行っている業務である地下鉄・バス、都立病院の運営や公立大学の設置も都が行っている。

また、法人市民税、固定資産税、特別土地保有税という3つの税金は「都区財政調整制度」によって財政調整の原資として都が握っている。そして、都と特別区が協議した上で、その配分を都条例で割合を決めるという形になっている。各区の財源不足額の割合に応じて、調整交付金という形で渡され、都が払う地方交付税という性格を持っている。

23区側は一般市並みの権限移譲を求めているが、なかなかそうはなっておらず、都に財布を握られているという形になっている。

大阪都構想とは何かと言うと、橋下知事は知事に就任した時に、府の権限があまりにも少ないことにびっくりし、政令市である大阪市と堺市に府として手を出せることがほとんどないという仕組みに、大変不安を感じた。

それに引きかえ、東京都はものすごい権限を23区に対して持っている。その絶大な権限がほしいと思い、大阪府を都にして、政令市を区に分けてしまえば良いというように思ったという流れのものではないかと思っている。

当然、大阪市は猛反発するが、そうすると、言うことを聞かない大阪市ということで、府と市が二重行政をしていて無駄だといったようにして、橋下知事独特の形で攻撃をし始めたのではないかと思っている。中京都構想や新潟州構想は中身がよく分からないが、大阪都構想は東京都を手本にしているということは分かる。

地方分権の基本的な理念は、住民に近い基礎自治体にできる限り権限を移すことであるが、橋下知事の大阪都構想はその流れとは逆になっているのではないかという感じがする。分権の受け皿である市町村にそれなりの力をつけるというのが平成の大合併の時に総務省が考えていたことで、それができたら道州制が導入できるのではないかと考えていたようだ。

しかし、今でも人口500人くらいの村がたくさん残り、平成の大合併は必ずしもうまくいかず、道州制も今は頓挫している状態となっている。

大阪府と大阪市の対立に象徴されるように、道府県と市もいろいろなところで対立している。まだまだ地方分権を進める上では難問がたくさんある。

実際にすべての権限を基礎自治体に移譲した場合、道府県はどうなるのかといったことも分からない。道州制の下に現在の道府県を残すとすれば、四重行政となってしまう。道府県を解消することが本当にできるのだろうか。明治22年に343県が成立して以来、122年間経っている。また、その原型である旧国の枠組みは平安時代からあり、1300年以上の歴史を持っている。それだけの歴史があるものを廃止できるのかという点は疑問に思う。

私は、現行の都道府県は残さざるを得ず、道州制にはしないほうが良いのではないかと思う。

ただし、市町村と都道府県の業務は一からすべて見直したほうが良いとは思っている。例えば、消防は市町村が持っているが、本当に市町村が持っているほうが良いのか。国民健康保険のような事業は都道府県が持ったほうが良いのではないか。都道府県はそのような全県的なものを担当し、基礎自治体の補完役となり、連絡調整を行い、広域にまたがる事務を担当したほうが良いと思う。

義務教育は原則市町村に任せて、小さくてできないというところには事務組合という形で、数市町村で一緒になって支えれば良い。

高校と私立学校については都道府県が担当すれば良い。防災や都市計画はどうしても双方の協議事項になるだろうが、そのような形を考えていくべきではないか。その上で、府県の協力体制を強化して、地域力を高めていく必要がある。

地方分権改革は、日本の未来のためにはやらなければならないもので、これからも全国市長会の方々や、地方六団体の皆さんと協力して、この思いを国にぶつけていきたいと思う。






 質疑応答

問 東大の移転について、伝統的校舎の移転は難しいと思う。第二の東大を24県が協力してつくるということはできないのか。

答 東大移転は私の思いつきだが、要するに、あの伝統的な大学が東京にあることは、東京にとってものすごい重みになっているように思う。実力は別として、銘柄としてのブランド力は大変なものがあり、東京大学が東京にある限り、東京信仰はなくならないのではないかと思っている。その意味で、地方に移したほうが良いと言った。

 

問 市として今後どのように地方鉄道をサポートしていきたいと考えているか。

答 貴志川線は以前南海電鉄が経営していた。毎年5億円程度の赤字が出ていたため、南海電鉄としては廃線届けを出さざるを得ないという状況だった。今の法律では、廃線届けが出されたら1年で自動的に廃線になる。これは大変なことだと思った。我々が試算しても、年に8,200万円程度の赤字が出るだろうと思った。いくら企業努力を積んでも、年間200万人ほどしか乗客がいない状況では赤字が出ざるを得ない。その8,200万円の赤字を、和歌山市と紀の川市で10年間は補填するということで、経営者を公募した結果、岡山県の岡山電気軌道が来てくれた。190万人台まで減っていた乗客数が、210万人台まで復活した。しかし、あと40万人くらいは来てくれないと、単年度黒字を出すことは難しい。

現在は10年のうちの半分が過ぎたので、次の支援体制を考えていかないといけない。今、地元の沿線住民の市民グループと電鉄会社とでいろいろな委員会を作って協議をしている。彼らが中心となって、いろいろなイベントを開催したり、駅の清掃をしたりして活動しているという状態が貴志川線を支えているため、その活動が続くようにしていきたい。一番心配なのは、「たま駅長」の高齢化で、今年12歳となる。後継者がいないとこの先については大変不安がある。

 

問 理想の地方分権改革が行われた場合、東京や国の役割はどのようになるのか。

答 かなりの改革が進んでも、東京が日本の中心という状況には変わりはなく、あまりにも進んでいる集中が一部緩和されるという程度だろう。東京が日本の看板であることが変わるほどのことにはならないだろうと思っている。とにかく、今のままではあまりに集中しすぎている。裁判所などは東京にある必要はない。それがどうして東京にあるのかということが問題だと思う。東京が中心であり看板であることは不変だと思う。

 

問 関西広域連合に奈良県が不参加となっているが、地方分権改革に対する地方の足並みがそろっていないのではないか。

答 私も個人的には和歌山県知事には、和歌山県は関西の端にあるため、広域連合でも端に置かれて少しもメリットがないのではないか、また、関西の知事は個性が強い方が多いが、その方々がまとまることが想像しづらく、広域連合は出来たが意見がバラバラで、中でけんかをしているような状況になったら東京の人に「それ見たことか」と言われ、あまり良くないのではないかということを伝えた。

私はそのような危惧をしていたが、結果的に、関西広域連合は今極めてうまくまわっている。橋下知事もなるべく広域連合では目立たないようにして、兵庫県知事に連合長を委ねている。震災にあたってすぐ、関西広域連合がみんなで助けるということで、いち早く声を上げ、全国的にも関西広域連合はよくやるなという形で見てもらえるようになった。ついこの間、私の見方が間違っていたということを知事に伝えた。したがって、奈良県もそう遅くない時期に入ってくるのではないかという気がする。


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