「「共感と信頼」の市政運営 〜経営者・女性の視点を活かして〜」
私は1965年に東京都内の都立高校を出て、就職した。その時は、男女雇用機会均等法ができる20年ほど前で、当時は男性と女性の仕事に完全に線がひかれていた。
私が初めに就職した東洋レーヨンでは、男性は人事部が管理し、高卒の女性は勤労課が管理していた。入って一週間くらいの時に、講義室のような形式の所で、高卒の女性たちが集められて、「おめでとう、高い倍率をくぐり抜けてきて就職することができて。しかし、君たちみたいな高卒の女の子は大体5年でやめている。」と言われた。当時は結婚適齢期があり、それは大体22歳か23歳だった。今は、大概女性たちは、30歳を過ぎてから結婚するが、当時は早かった。
私の家庭環境は厳しく、父親が家を出たため、母親に育ててもらっていた。また、小学生の時からアルバイトをしていた。昔は、貧しさはわりと当たり前のことだった。私は昭和21年生まれで、当時は今みたく豊ではなかった。そのため、子どもの頃から働いており、高校を卒業して社会人になって、やっと一人前になれると思っていた。
当時はキャリアという言葉もなかったが、それにふたをされていた感じがした。一生懸命仕事をしたが、なかなか責任のある仕事を任せてもらえなかった。高卒女性に特別なスキルはないため、特別な仕事をさせてもらえなかった。
その後何度か転職をしたが、31歳のときに、どうしても男性と同じ仕事をしたいと思った。地元の横浜の小さな車の販売店が、営業マンの募集をしていたため、そこへ電話をした。電話の声から女性ですかと聞かれ、女性は無理と言われた。しかし、一生賢明というのは人を動かすと思う。「今まで君のように熱心な人に電話をもらったということはない」と言ってもらえた。そして、3か月でダメならクビにしても良いという条件で、営業マンとして採用してもらった。本田技研の営業の研修に申し込んだが、女性はダメだと断られたため、社長が3日間かけて営業のことを教えてくれた。
研修のときに、長靴を履き、洗車場に来るように言われた。そして、車の営業マンの大事な仕事は、車が売れたらそれを丁寧に洗車して納品することだと言われた。後日、研修を受けるのはダメだと断られた本田技研が、私に鞄を送ってきてくれた。それは、営業マンとして認めてもらえたということで、大変嬉しかった。さらに、そのかばんの上に100枚の名刺をもらった。
当時高卒の女性は対外的に名前を知られる必要がなく、名刺を持つということはなかったため、大変嬉しかったのを覚えている。そして、営業に出ていけと言われた。外に出て営業所がここにあるということを宣伝して来いと言われた。先輩にセールスに連れて行ってほしいと言ったが、女といっしょに行くはいやだと言われた。1977年でもそのような時代だった。
また、家庭を訪問していくらチャイムを鳴らしてもなかなか出てきてもらえなかった。毎日100件声を交わすことを目標として、100件声を交わせたら帰ろうと思って歩いていた。あるアパートを訪問した時に、若い奥様から車の営業マンに女性がいるのが格好良いわね、と言ってもらえた。その後、その奥様と話がしたく、何度も訪問したが、相手をしてくれた。ある日、チャイムを鳴らしても奥様が出てこない日があり、様子を聞くと風邪をひいていた。何かできることはないかと聞くと、牛乳が欲しいと言われ、買って届けると大変喜んでもらえた。
そのとき、私は、何のために歩いているのかを忘れていたと気づいた。お客様のために何か役に立とうと思うと、仕事は楽しくなる。当時はそのようなことを考えていなかったが、今で言うと情報提供という役割になると思う。
次第に私は近所で御用聞きセールスと呼ばれるくらいになった。そして、その奥様の旦那様の部下の方が車を買うということで、紹介してもらうことができた。その奥様のご一家から、営業とは何かを教えてもらったと思う。
途中からは、外回りではなく、ショールームにいて良いと言われるようになった。
企業経営していると間違ってしまうことは、経営会議で事業計画を立てるが、実行していくときに現場にいるのは社員で、その先にいるのがお客様である。お客様の気持ちから離れてしまうと経営はできないということである。
「現場主義」という言葉が今いろいろ言われているが、なかなかできていない。今はICTの時代で、携帯、パソコンがなければあらゆるところがストップしてしまう。しかし、安易にパソコンの情報を信じ、画面に書いてあることがすべてのような気がしてきてしまうようになっている。
人肌で感じ、そばで見ることで、印象が変わる。パソコンだけを見ていると、バーチャルの世界を現実だと思ってしまう。そのようなことを1970年から1980年代に、働くということを通して身に着けることができたと思う。昔は、泥臭い時代だった。私が営業マンをしていた頃は、ダイレクト・メールもすべて手書きだった。
私のビジネスの経験は、人によって教えられた。人は人によってしか育たない。学習する際に本や書類を読むと思うが、それだけでは心にしみこまないと思う。例えば大学でも、良い講義を聞くと、感動して心が震える。心は本当に大切で、パソコンや携帯で情報を読むだけでなく、心に響くまでいかないといけない。心に響く言葉をどれだけ伝えられるかが重要となる。
キャリアを考えるときに何が重要かということを若い人によく聞かれるが、基本は共感力と信頼だと思う。「自分を信じてほしい」とよく言われるが、言葉だけではいくら言われても信じられず、相手と共感しないと信頼できない。信頼の前にあるのは、共感して相手の心に寄り添うことである。
今いろいろな基礎自治体で様々な行政計画があるが、共感という言葉を頭に出すケースはあまりないと思う。
何度もいうが、今の時代に一番足りないのは、相手のことから考えるということである。相手の話を最後まで聞くということが大事で、最近は、少しでも対立すると、それを対立軸にして激しく議論するのが改革というようになっているが、改革とはすべてを否定することではない。
最近はとにかく対立したがる空気があるように思う。まず相手によりそってほしい。相手の話をよく聞き、共感することによって信頼につながっていく。このことをベースに生きていくと、ビジネスは非常にスムーズにいく。これから経営学を学ぶこともあると思うが、経営のベースは人間性である。天命を待つまで、何か学びたいという志を持って生きてほしい。この点が本当に置き去られていて、話題に出てこない。新聞でも経済欄には人間性の話は出てこない。偉大な経営者でも、日々悩み苦しんで経営している。
私は経済界にどんどん進んでいき、支店長、社長、ダイエーの会長を務め、そして市長に立候補してほしいという依頼を受けた。
選挙のイメージはまったく見当がつかなかったため断ろうと思ったが、横浜市には新しい風が必要で、市制120年だが、女性の市長はいなかったということがあった。行政の世界に女性市長は大事だと思うと言われ、立候補を決めた。
ダイエーでも、現場で働いている従業員もお客様も8割が女性だが、経営のトップ層は男性が占めている。男性と女性の性差を寄せ合って、足りない部分を補完しあうマネジメントができればどれほど良いかと思い、市長に立候補した。
市長選に当選し、2009年8月末から市長になった。自治体の首長は日本全体で1800弱いるが、そのうち女性は1.5%しかおらず、いかに少ないかがわかる。行政は、日々の暮らしを常に安心・安全に守るのがすごく大事な仕事である。
横浜市では医療、福祉、子育て支援の政策に力を入れているが、これにはとてもお金がかかる。そのため、横浜市の市税の収入が上がる工夫をしないとならない。そのためには法人税を横浜市に落としてもらう必要がある。横浜市内の企業が活性化すると、税収が上がる。持続的な成長を目指して、税収増と企業活性化の2つを同時にまわしていかないといけない。
横浜市を将来このようにしていく、という大きな話も大事だが、日々の小さなところにも、緊張感を持ってきめ細やかに取り組んでいかないといけない。そのためには、生活感のある女性の視点も必要となる。男性ばかりでやってもバランスがとれない。
(1)観光
横浜市の経済成長の目玉を紹介したい。
APECを知っていると思うが、昨年11月横浜でAPECの会合があった。横浜市では「おもてなしの行政サービス」ということを掲げていたため、徹底的に歓迎をして迎えて、多くの方に喜んでもらった。
市民とともに、市を挙げて歓迎を行った。これを機に、国際都市横浜として、追い風を受けて一気に進めていけばと思った。
その前の年の10月には、羽田空港が国際化していた。ソウル・羽田空港間の便は毎日12便ほど飛んでおり、日帰りができるほど近くなった。羽田空港からから横浜までは、電車で25分ほどで来ることができる。
ますます海外旅行客が増えると見込み、「観光MISE戦略」として、観光を柱に掲げて一気に進めていこうとした。
そのときに、3.11の地震が起きた。放射能汚染の危惧から、横浜でも外国人観光客が途端に減ってしまった。そのため、市長自ら外国の都市をまわっている。先日も5日間、中国、韓国をまわり、現地で旅行雑誌を出版するまでにいたった。ソウル市等の市長に対して、横浜市は放射能汚染について心配なく、水、食料ともに心配ないということを横浜市長自ら話してきた。
横浜市の国際会議の参加者数は、日本で1番多い。件数では東京が一番多い。このように、横浜市では観光にも力を入れている。
(2)環境モデル都市
横浜市にはもう一つの側面があり、環境モデル都市という側面もある。
京都でも盛んにやっているが、横浜市では大都市の経済活動もしているが、郊外では緑も多く、農業も盛んとなっている。ホウレンソウや小松菜、ぶどうの栽培も盛んにしている。
APECの時にも、太陽光発電を利用してCO2を削減しているということを宣伝した。今の神奈川県知事は太陽光発電に力を入れているため、進めていければと思う。グリーン成長は、経済成長にもつながっていくため、一挙両得の政策といえる。
(3)市議会との関係
これから大変な問題になってくるのは、高齢者が大変増えてきたということである。2020年をピークに横浜市でも人口が減少してく。
そうなると、扶助費が大変増えてくることになる。今一番増えているのは、生活保護である。どの市も行財政改革に一生懸命取り組んでいるが、行財政改革と言うと、公務員の人数を減らしたり、議員の人数や報酬を減らしたりということを意味するようになっているように感じる。
議員の話をすれば、今は二元代表制で、市長も選挙で選ばれ、市会議員も選挙で選ばれる。横浜市では370万人の人口で、86人の議員がいる。私は市長になってまだ2年だが、議員の中には20年くらい市議をやっている人もいる。
そのような状況で、市長と市議のどちらが地域のことをよく知っているかと考えると、議員のほうがよく知っている。議員は地域に住民として日々住んでいるため、基礎自治体の住民の暮らしに寄り添っているのは、議員の人たちということになる。市議の意見をよく聞き、市政に反映させることは、市民の声を聞くということになる。
私は現場主義ということで、自分で市民の皆さんのところへ行き、直接話を聞いているし、市議とのコミュニケーションも大事にしている。
時々、市長と市議会が対立するという話を聞くが、市民の生活を守るという観点からすると、市長と市議の考えには大きな差はないと思う。市議の人が考える目標も、市長が考える目標も、価値観はいっしょだと思う。
やさしい言葉で話し合って、合意点を見つけるまで話し合うことが大事だと思う。何となく政治の世界では、政治理念で対立し、本質的ではないところで対立してだめになるなどといったことがある。レベルの高いコミュニケーションとは、難しい言葉で議論することではなく、相手に寄り添って話を聞くことだと思う。
そのため、私は何よりも対話することが大切だという考えで市政運営をしている。経営では個と個の関係となるが、市長と市議会もそのような関係となっていると思う。つまり1(市長)対86(市議)ではなく、1対1/86の関係となっていると思う。すべてのことは1対1の関係から始まる。
外交もそうで、先日上海と仁川とソウルへ行って来た。ソウル市長と2度目に会うと、とてもフレンドリーな関係で対話することができた。個と向き合うことの基本は、コミュニケーションだと思う。議会との関係では、話合って合意点を見出すことを重視している。
(4)国際コンテナ戦略港湾
横浜市は国際コンテナ戦略港湾となっており、これにも力を入れている。
横浜市は開国をしたところで、西洋の文明が一気に入ってきた場所でもある。今はあまりにも全国に港を造りすぎて、貨物船がアジアの主要な港にとられ、日本に寄港しなくなっているという状況があり。また、今の危機的な状況として、放射能被害でさらに減っているということがある。
このような視点になったのは、以前経営者をしていたためである。私のいた会社はすべて小売業で、ものを売る仕事であった。
経営をすることは、いかにお客様に分かってもらうかということである。毎年春に事業計画を立て、社長がプレゼンテーションするが、社長がどのような人で、普段何考えているかが分からなければ、胸には届かない。
人間は感情の動物で、理屈だけで感情がモチベートするわけではない。社員と社長、上司と部下の関係でもコミュニケーションが非常に大切となる。
私は、横浜市役所の職員が大切だと思っている。横浜市役所の職員の自慢話になるが、横浜市役所の職員は大変優秀な人材が揃っている。一時期、政府が官僚を退けたが、大変優秀な頭脳を持っている人に動いてもらわないと海外との競争に勝てない。
その一方で、市役所は法律にしばられているため、職員には積極性がない面もある。また、法律のため、スピーディーにものごとができない点もある。例えば、保育所一つ建てるにも大変時間がかかる。お役所仕事と言われるが、仕方ない面もある。
また、役所の人は伝統的に上から目線になっていた面があると思う。市役所に来た人に対して、「聞いてあげますよ」という態度だったが、そうではなく、おもてなしの心でやってくださいということを言っている。
区役所にお客様がいろいろな用事で来たら、笑顔で対応してくださいと言っている。職員が笑顔で対応すると、お客様も明るくなる。皆さんもスーパーへ買い物に行ったときに、そこで働いている人が笑顔でいると、辛いときでもなんとなく明るい気分になると思う。
さらに、「区役所に来てもらうのではなく、自分から営業に行ってください」と言っている。民間と近くなりすぎると癒着するのではないかということで、一時期市役所が民間に近づくことに対して控え気味になっていた時期があったが、積極的に取り組もうとしている。
横浜市には27,000人の職員がいるが、私は全員と話すことを目標としている。プロセスをいかにコツコツやっていけるかが重要だと思う。現場に行くと、いろいろな人の生活が肌で伝わってくる。
企業誘致は経済成長に欠かせず、最近大手では富士ゼロックス社から8,000人がみなとみらい地区に移って来た。他にも、本社をみなとみらいに移した企業もある。
社長のところに直談判に行くと、結構聞いてもらえる。横浜市役所で足りないことは、行政と民間での違いだが、営業部がないということである。市役所は儲ける組織ではなく、税金を預かって公平に運営するというものという性質はあるが、営業部がないということは、頭を下げるという習慣がないということになる。そのため、どうしても上から目線になってしまう。
職員には営業するとはどういうことかを身を持って知ってもらいたいと思っている。企業への営業にいっしょに来させて、実際に見せると分かってもらえる。市役所は今までは営業をしておらず、新聞に広報を出して、問い合わせが来たらそれに答えるというだけだった。
横浜市では、東京事務所に企業誘致の営業部隊を作った。営業は半年間とか集中して通えば出来るというものではなく、そこに通い続けて、その企業にとってその人がいるのが当たり前にならないといけない。そのような点からも、横浜市の市政は対話型で行っている。
男女雇用機会均等法ができて以来、男女が等しく職場で働くようになり、男女共同参画も進んだが、今でもまだ女性の社会参加の場が広がっているわけではない。横浜市でも女性の課長以上の管理職の割合が10%程度と低いというのが現状である。
女性の活躍の場を広げるために、子育て支援に取り組んでいる。保育所に預けられないために働けない女性たちの支援を一生懸命やっている。待機児童を限りなくゼロにすることを目指し取り組んできて、1年間で待機児童を37%減らすことができた。
保育所を造るだけではなく、多様な預かり方として、幼稚園にも預かってもらう、保育ママとして研修を受けた方に家庭で預かってもらう、横浜保育室という預かり方も取り入れるなどして、いろいろやってきた。
厚生労働省へも直訴したりもしたが、努力を重ねていると国も応援してくれる。民主党政権では子育て支援に大変力を入れてくれたため、おかげで37%も減らすことができた。既成概念はやめ、柔軟な気持ちでやっていこうとしている。将来、横浜市で女性が本当に活躍できるようにがんばっていきたいと思う。
政令指定都市は今19市あるが、日本の地方自治制度は中央集権を前提とした制度で、全国画一的となっている。370万人の人口がいる横浜市のような大都市でも、小規模なところでも立場上あまり変わらない。
しかし、海外へ出張すると分かるが、海外の都市の状況はすごく、ソウル市は特別市として独立している。国もいろいろと経済的に支援している。しかし、日本はわりと均一に公平に市を育てるという発想になっている。
海外競争に勝たないといけない時代となっており、港湾でもそうだが、今のままでいくと経済成長が止まってしまう。経済成長する可能性があるところに集中して投資していかないと、この先発展が見込めない。
そのような意味で、横浜市を大都市制度として独立させてもらいたいとお願いしている。
税金を預かって行政を運営しているが、非常に無駄な二重行政が多くある。神奈川県の中に横浜市、川崎市、相模原市という3つの政令指定都市がある。神奈川県は900万人の人口だが、そのうち600万人が3つの政令市に住んでいる。
川崎市も大都市制度として独立したいという意思があると思う。それは二重行政があるためである。また、法律上、県の仕事を相当肩代わりして行っているが、それに見合うだけの経費がもらえないという税源の配分の問題がある。
今、大都市が急速に高齢化していく中で、扶助費が増えているが、それでも経済的に成長させていかないといけないとなると、もう少し税金の使い道を自由にしてもらいたいと思う。また、二重にやっていることをやめたいと思う。例えば、保育園は横浜市の管轄だが、幼稚園は神奈川県の管轄となっている。今、国は子ども園ということで、一体化を掲げているが、現状では省庁でも管轄が分かれているという状況になっている。ハローワークでも、国がやっているが、生活保護の人と直接かかわっている市が直接やるほうが合理的となる。このように、たくさんの矛盾がある。
横浜市は地域資源も多くあり、これらを活発にして経済活動を活発にして、そこで上がった税収を広域的に周辺市町村に配分していくということも必要だと思う。ある程度集中的に投資をするポイントは決めないといけないと思う。
ダイエーにいたときに全国の店舗をまわったが、地域によってまったく色彩が違う。地域格差が大変ある中で、画一的な制度をとっていたのでは地域の競争力が落ちてしまう。それぞれの都市の歴史、文化にあったマネジメントをしていかないといけないと思う。
また、横浜市では、文化・観光局というものを創設した。行財政改革が厳しく行われると、どうしても芸術、文化といったところが切り捨てられてしまうが、芸術・文化は人を育てる上では欠かせないものである。ここに力を入れて、芸術、文化の資源を観光に活かしていくことが、横浜市の成長につながると思う。
最後にお願いだが、「ヨコハマトリエンナーレ2011」というイベントが8月6日から11月6日まで行われる。これは現代アートの国際展で、世界最高峰クラスのものである。
今回、大震災があって、トリエンナーレの開催が危ぶまれたが、世界中の現代アートの作家たちが、今だからやろうということを言ってくれた。すばらしい作品を見てもらい、横浜から元気を発信しようとしている。是非横浜に来てほしい。
立命館という志ある大学で、すばらしい青春を送ってほしいと思う。
問 政治家が政権争いばかりをしていて、国民のことを考えていないように思う。それを見て国民の政治離れが進んでいくのではないかと思うが、そのような状況を変えるにはどうすれば良いと思うか。
答 政治離れとはまったくおかしな話で、もっと政治に参加していかないといけない。投票行動をしっかり勉強し、いろいろな情報を仕入れ、この人だったらと思う人に是非投票してほしい。サークルや勉強会、政治家の講演会もあると思うが、いろいろなところで是非話を聞いてほしい。政治離れとあきらめてしまうから、政治が政局で動くような状況になってしまう。投票権を大切にしてほしい。
問 行政において、営業によって得た成果で一番大きなものは何か。
答 行政はものを売る仕事ではないが、営業活動を通して身に付けた人と話し合うということはうまくできていると思う。心を開いて話し合うことは難しく、こちらが市長だというだけで相手が構えてしまう。人間関係を良くするために、まず相手の人を受け入れるという技術を身に付けた点が、役に立った。その成果としては、企業誘致へプラスに働いたことなどがある。
問 横浜市長を2年務めて、一番困難だったことは何か。
答 あまり困難なことという意識はなく、やるべきことをやっているという感覚を持っている。これだけ優秀な職員が揃っていて、市民にもボランティア精神のある人がたくさんいる。困難と思うと数限りないものが困難になると思う。今やらなければならないことをやりぬくことが、最終的にうまくいく秘訣だと思う。
神奈川県は広域自治体で、横浜市はそこから独立して県と同等の立場に立つようにしたいと思っている。今、道州制ということが言われているが、道州制になったときは都市州という言葉で肩を並べる立場になりたい。
横浜市には370万人も市民がいて、一人の市長で大丈夫なのか、分割したほうが良いのではないかということを言われるが、横浜というのは、半農半漁で貧しい歴史を持っており、地方から出てきた人たちの意欲によってつくられてきたすばらしい文化がある。その中で大都市ができあがっているため、合併・吸収ということは考えない。文化をすごく大事にする必要があり、分割論は考えられない。そのためには、18ある区それぞれで、住民が自主自立でいろいろなことを決めていかないといけない。
もっと地域自治の精神を育てないといけない。そのため、泉区というところで、協議会を実験的に取り入れている。区長にかなりの権限を渡し、区独自でいろいろな事業を行っている。
問 経験を積むにつれ、人の意見が聞けなくなるという経験を持っている。自分の経験を人に押し付けようとするようになるが、どのように自分の経験を抑えて人の話を聞く姿勢を保っているのか。
答 今日私がここまで来れたのは、いろいろな人に支えられてきたからこそ。男の人には相当勉強させてもらった。そのような感謝の気持ちが強い。体験型で学んできており、高校を出て大学で経営学を学んだというわけではなく、自分の実体験の中で感じることをやってきたというキャリアがある。
日々迷いながらやっており、絶対の自信があったわけではない。ひたすらやってきたら、ここまで来たという感じがする。今やらないといけないことを一生懸命やっているときに、ふと気づいたらそこにいるようになっていると思う。
問 市長にとって一番好きな横浜とは何か。
答 たくさんあり、一口では言えない。中心地では経済活動があり、昔からの商店街がずらっと並んでいたり、郊外の暮らしもあり、芸術・文化の拠点もあり、ハードの施設もあり、懐かしさと新しさが入り混じっている良い街だと思う。
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