「被災の状況と復興計画
~宮城・東北・日本の絆・再生からさらなる発展へ~」
宮城県は災害に度々見舞われている地域である。私が生まれた1960年つまり51年前にも南米のチリで起こったチリ大地震、また、33年前に起こった宮城沖地震によって大きな被害を受けきた。
3年前には岩手・宮城内陸地震もあった。このような経験から、地震や津波に対する対応を十分に行なってきたが、今回は「千年に1度」と言われる、これまでの地震を凌駕する規模の大地震だった。
南三陸町の被害の様子を捉えたTBC東北放送の映像をまず、見ていただきたい。
阪神・淡路大震災では、行方不明のほとんどの方がご遺体として発見されたが、東日本大震災では未だに2000人ほどの方が行方不明である。それは、引き潮で海に連れて行かれたからである。結果、宮城県における人的被害は、全国の被害者総数の約6割に相当する被害であった。
避難者の状況は2ページにあるように、ピーク時で1,183施設に32万人が避難する状況だった。宮城県民はおよそ233万人であるため、およそ県民の13%が避難していたことになる。現在は、19施設に332人の方が避難生活を送っていて、ピーク時の1,000分の1程度に減っている。
今回の津波の高さは8.6メートルが公式な数字である。浸水面積は327㎢と、大阪市の1.5倍の規模である。
今回の津波の特徴は、地盤沈下が起こったことである。3ページに記載しているように、海抜0m以下の面積は3.4倍に、大潮の満潮位以下の面積は1.9倍に、過去最高潮位以下の面積は1.4倍に増加した。
4ページの写真は各地の被害状況である。写真の左上は女川町であり、どこもかしこも瓦礫で埋まっていることがわかる。隣街の南三陸町もこのような状況である。右上の石巻市では川が決壊して、周辺一帯が浸水した。
左下の仙台空港では運よく全ての飛行機が離陸したため、飛行機の被害はなかったが、空港自体は被災した。9月になって国内線・国外線ともにフライトできるようなった。
沿岸部にある下水処理場も大きな被害を受けた。右下は被災した県南浄化センターだが、復旧は来年までかかる予定である。
次に、被害額について説明する。産業被害額は1兆9,624億円で、特に農林水産関係の被害が1兆2,274億円と多くを占めている。
建築物被害額は3兆7,386億円、公共土木施設・交通基盤施設被害額は1兆46億円、そのほかのライフラインや保健医療福祉などについては5,037億円、総額7兆2,093億円の被害である。
しかし、これには個人資産の被害額は計上していない。これを計上すれば倍近くの額になるだろう。
宮城県では度々大きな震災に見舞われているため、震度6以上の地震が起こった場合、自動的に災害対策本部を立ち上げることになっている。
また、私は元自衛官であるため、発災後16分後には自衛隊派遣要請を行い、そして45分後には第1回の災害対策本部が開始された。
このように、過去の地震の経験を元に初期対応は迅速に行うことができた。しかし、今回の地震はこれまでのものを凌駕する規模だったため、その後の対応において次のような問題が生じた。発災初期の課題について、7つ列挙していく。
(1)情報不足
被災前、県庁と市町村、県の地方機関とは、主回線を衛星系、副回線を地上系とする防災行政無線による電話とFAXで情報伝達を行っていた。しかし、沿岸部の3つの合同庁舎および5つの市町は、地震や津波の被害により非常につながりにくい状況となった。
通信強化のために、3月13日から15日にかけて、空路そして陸路で防災行政無線と衛星携帯電話を仮設庁舎に輸送することによって、通信伝達ができるようにした。
この混乱から得られた教訓は次の3つである。
1つは、災害に強い通信手段の整備が必要であること、2つに、衛星携帯電話を避難者など県の機関以外にも複数配備すること、3つに、通信機器に必要な電源の確保が必要である点である。
(2)道路の確保(くしの歯作戦の前後)
今回、沿岸部の幹線道路は13ページのように完全に寸断されてしまったが、内陸部の高速道路や国道が寸断されずに済んだため、沿岸部の道路確保のために「くしの歯作戦」を行った。
くしの歯作戦とは、レジュメ12ページ左下にあるように、まず東北道や国道4号線を優先的に整備し、縦のラインを確保する。
次に、これら道路から沿岸部への道路を整備することで、横のラインを確保する。
さらに、横のラインの沿岸部側をつなぐ縦のライン、国道45号線を整備することで、3月18日までに国道45号線の97%が通行可能となった。
ここから、被災地支援を行うためのルートをいかに早く復旧・確保するかが被災地の復旧活動の鍵となる、という教訓を得た。
(3)深刻な燃油不足
製油所タンクローリー車が被災したことによって、深刻な燃油不足となり、被災地の復旧活動が 停滞した。
東北経済産業局の調査によって、宮城県内のガソリンスタンド702店舗に電話でガソリンスタンドの稼働状況について確認を行ったところ、電話に出た45店舗のうち、20店舗が運営を行い、16店舗が緊急車両しか利用できない、という状態がわかった。
つまり、一般車は4店舗しかガソリン供給ができない状況にあった。
そのため、16ページのような取り組みをした。そのため初期対応として、全国に対して燃油支援の働きかけを行い、国・自衛隊や石油元売り各社などから提供を受けたが、それに依存していては他の地域が燃油を使えなくなってしまう。
燃料ルートの確保について。全国各地から船や鉄道を用いた燃料供給も起こっていたが、このような燃料の移動が困難であること、また各地域で使用する予定だった燃料を分けてもらうばかりではいけないため、タンカーが入港できるよう海の瓦礫撤去を優先的に行い、直接燃料を供給できるようにした。
その結果、3月21日には発災後初めてタンカーが入港し、それ以降燃料不足は解消された。
ここから、大規模災害時に備えた国の燃料供給体制、そして広域的な燃料供給の応援体制の構築が必要だという教訓を得た。
また、私は3月21日に「安心宣言」というものを行った。燃油不足によって食料などが供給しにくい状況にある人たちによる暴動、略奪が起こりうると考えたためである。そのようなことが起こらないよう、燃油の供給状況について説明し、「近々燃料がいきわたるので、安心してほしい」と県民に呼びかけた。
(4)食料・飲料水の確保
燃料不足によって避難所で生活する人に食料を届けられない、また自宅で生活する人も燃料不足によって買い出しに出られないという問題が生じた。
そのため、3月13日にチェーンスーパーが震災後初めて開店したが、その時には長蛇の列ができ、私の家も5時間ならなんでバナナ1房しか買えないという状態だった。
教訓として次のことがあげられる。
1つ目に、交通機関が麻痺したことによる帰宅困難者に対する食料供給体制である。仙台市には、交通機関が麻痺し自宅に、また観光客の場合はホテルなどに帰宅できない帰宅困難者が多くいた。
寒さを凌ぐため、一時1,000人ほどの帰宅困難者が県庁や市役所にやってきたが、県庁や市役所は避難場所として指定されていないため、十分な食料等の供給ができなかった。
2つ目は、食料の確保、配当困難地域に対する対応も必要である。例えば、道路が寸断された地域や離島に対してである。
3つ目は、避難の長期化に伴い、タンパク源や野菜の確保など栄養改善対策も必要である。
4つ目に、この食料・飲料水の確保が困難になった背景に、多くの物流倉庫が沿岸部にあったことである。多くの物流倉庫は瓦礫に埋もれたり、また倉庫自体が被災にあうなどによって利用できない状態だった。
よって、物流倉庫を内陸部にも確保する必要があるといえる。
(5)災害廃棄物の処理である
宮城県では約1,800万トンという、県内で1年間に排出される一般廃棄物の23年分に相当する災害廃棄物がこの震災によって排出された。
この膨大な廃棄物量をどのように処理するかであるが、まず一次仮置場に搬入を行う。災害廃棄物といえど、可燃物、不燃物、また車や船などに分類する必要があり、それをここで行っている。10月4日時点で55%以上の搬入が終わっている。最終的には宮城県を5つに区切ってそのエリアでの処理を、およそ2年かけて行う。
(6)ボランティア活動
これは課題ではなく、うまく機能した例である。阪神・淡路大震災の教訓として、ボランティアの人達が一斉にやってきたことで、ボランティアの対応に行政が追われ被災地が混乱したことが挙げられる。
今回もそのような混乱を予想していたが、今回は「ボランティアのためのボランティア」がうまく機能したため、ボランティア活動が円滑に行われた。たとえばパーキングエリアにボランティアインフォーメーションセンターというものをボランティアの人達が設置し、色んな情報を、ボランティアに来る人達に提供してくれた。
また、石巻市では、NPOやNGOなどのボランティア団体によって、石巻災害復興支援協議会がつくられた。支援協議会が災害対策本部や自衛隊と連携し、市民のニーズに合った支援を効率よく支援できるよう調節機能を担っている。
(7)福島第一原子力発電所事故への対応
原発については、宮城県の原発は難を逃れたが、放射能について県民の方も心配されているので、「放射能情報サイト」というものを立ち上げた。ここで放射能に関するあらゆる情報をここで発信している。
食品の安全についても、宮城で作られているものについては全てチェック済みのため、京都にある宮城県産の食物は安全なものだと思っていただいて大丈夫である。
また、食料の安全確認を行う団体による情報共有を目的とした「東京電力福島第一原子力発電所事故対策みやぎ県民会議」を設立した。
今後、広域的な放射の汚染に対する監視・測定、除染、汚染物質の処分、損害賠償などへの対応をしっかり行なっていかなければと考えている。
復興を目的とした本計画は、従来の制度の枠組みを超えた、思い切った事業を取り入れる必要があるため、「提案型」としている。
通常このような計画を作成する場合、国が作成した計画にあわせて都道府県が、都道府県が作成したものに市町村が合わせる形で作成しているが、復興を迅速に行うため「宮城県ではこのような復興計画を希望する」という意見を政府にぶつけ、市町村には県の復興作業の方向性を早く示している。
本計画の基本理念5つは、レジュメの27ページに掲載しているが、補足する点について述べる。
3つ目の「復旧」にとどまらない抜本的な「再構築」は、阪神・淡路大震災の際には、復旧に力を置いたことで街は美しく整備されたが、活力が失われてしまったことを教訓に受けてである。
(1)災害に強いまちづくり宮城モデルの構築
本計画において、同じような災害がおこった際に、被害がない場にまちづくりをすることを宣言している。もちろん、まちづくりは市町村事業であるため、市町村長が「元の場所で復興したい」といえば反対することはできないが、県のリーダーとして方向性を示すことの意味は大きい。
具体的イメージは31ページの通りである。高台に住宅地を作り、道路や鉄道を少し高めのところに作ることで何重かの堤防を形成する。また、いざという時に物資を運ぶための「命の道」となる道路の整備促進を行う。このようなことを復興計画の中に位置づけている。
仙台よりも北はリアス式海岸にあげられるような急峻な地形、仙台よりも南はなだらかな地形である。このような地形によってエリアを3区分し、それぞれの特徴にあわせた復興計画を描いている。各エリアのイメージの内容は32ページのとおりである。
(2)水産県みやぎの復興
平成21年時点で、指定漁港数は142港、海面漁業養殖業生産額は全国4位、水産加工生産額は全国3位と水産漁業に非常に強い県だった。しかし、震災によって水産業は壊滅的な被害を受けた。
それでは、以前のように元通りに復旧する予定なのかといえば、そうではない。宮城県では海面漁業の就業者数は2003年から2008年に14.8%も減少した。さらに就業者の46.5%は60歳以上、50歳以上については72.8%と、若い人が少ないことがわかる。さらに、今回の震災で3割ほどの方が漁業をやめてしまうのではないかと思われる。
こういう社会状況を踏まえ、水産業について、次のような復興計画を立てている。
1つめは、水産業集積地域や漁業拠点の集約再編。2つ目に、競争力、魅力のある水産業の形成、3つ目に、新たな水産業の創造である。
3つ目の新たな水産業の創造とは、民間が参入しやすい仕組みづくりのことである。現在、漁業に参入しようと思えば漁業組合に加入しなければならない。つまり利用料を支払わなければならないし、経営面で漁協の影響を受けやすい、ということで民間が参入しにくい仕組みとなっている。そのため、民間の漁業権が知事の許可によって与えることができる仕組み、今話題になっている「水産業復興特区」の設置を求めている。
(3)先進的な農林業の構築
水産業だけでなく、宮城県は農業も盛んな地域である。また農業をビジネスとして行う、つまりアグリビジネスの参入が盛んで、1億円以上の売り上げのある経営体は平成22年までに77経営体にのぼる。
今回の震災で1割程の農地が海水に浸かってしまったことから、農業復興においては次 のような新たな時代の農業・農村モデルの構築を提案している。
まず、宮城県は米作りが盛んだが、稲作と共に畜産、野菜、大豆、大麦などもバランスよく行い、また農地の面的集約化と経営の大規模化を図ることである。
このイメージを実現させるためにも、農業の新たな担い手支援が必要である。具体的には、アグリビジネスを推進する人材育成、展開支援、連携体制の整備を柱とし、民間企業との連携等により、付加価値と成長性の高いアグリビジネスを推進していく。
(4)ものづくり産業の早期復興による「富県宮城の実現」
仙台市は暮らしやすい都市のため、人が集まり飲食店やサービス産業などの第三次産業の割合が高い一方、第二次産業のうち製造業が全国で42位という非常に低い状況にある。
人口減少が進む今後、第三次産業だけでなく、より付加価値が大きい製造業に力を入れていく必要がある。そのために、各自動車会社の工場や、高度電子機械産業の工場の誘致に力を入れ、他にも45ページのような産業振興のための計画をたてている。
将来的には、現在の自動車関連産業、食品関連産業、高度電子機械産業だけではなく、医療産業、クリーンエネルギー産業などの新たな産業の集積・振興を目指している。
(5)多様な魅力を持つみやぎの観光の再生
宮城県の観光客数は右肩上がりで、みやぎ観光創造県民条例では、平成25年に観光客数を6,500万人、宿泊観光客数900万人、外国人宿泊数20万人、観光消費額6,300億円と目標を定めた。
しかし、震災によってこの目標はひとまず先送りにし、平成25年までに震災前の水準にすることを、新たな目標として掲げた。
目標達成のために行っている事業が、49ページに記載している事業である。特に6つ目の「震災についての学習・研修を目的とする旅行の誘致」は、本計画の特徴である。
また東北の豊かな観光資源を巡るための、広域的な観光ルートも考えている。
(6)地域を包括する保健・医療・福祉の再構築
保険、医療、福祉に関する被害の数値はレジュメ54ページのとおりである。また多くの病院が震災によって廃止や休止している。
これら再構築のための計画には次の3本柱がある。
1つ目は、保健医療福祉施設の適正配置と機能連携。2つ目に、ICT(情報通信技術)を活用した医療連携の構築。3つ目に、被災者へのケア体制の充実である
ICTを活用した医療連携の具体的イメージについて説明する。大学や宮城県の拠点病院と、ローカルな病院、診療所、高齢者施設がITを用いてネットワークを形成し、なるべく自宅で療養できるようなシステム構築を考えている。
(7)再生可能なエネルギーを活用したエコタウンの形成
震災による原発事故によって、原発依存型ではなく、多少コストは高くてもクリーンエネルギーへの移行の声が高まってきている。宮城県では平成21年に、環境と経済が両立を目指した「クリーンエネルギーみやぎ創造プラン」を策定し、このプランを土台に宮城県復興においてエコタウンを目指している。
復興計画には次の3本柱を掲げている。
1つ目に、環境に配慮したまちづくりの推進、2つ目に、復興住宅における太陽光発電の全戸整備、3つ目に、スマートグリッドやコージェネレーションによる先進的な地域づくりである。エコタウンのイメージは57ページのとおりである。
(8)復興を支える財源・制度・連携体制の構築
復興を進めるにあたって財源などが必要であるが、特に重要なのが特区である。宮城県では8つの復興特区を考えている。
震災によって失業者、休職者合わせて11万人が仕事を失っている。「民間投資促進特区」は、仕事を作るために民間に投資してもらうよう、そのインセンティブ図るための特区である。他にも、「復興まちづくり特区」、「水産漁業特区」、「農林・農村モデル創出特区」、「交流ネットワーク復興・強化特区」、「クリーンエネルギー活用促進特区」、「医療・福祉復興特区」、「教育復興特区」、全部で8つの特区を構想している。次に始まる臨時国会ではこれら特区はほとんど取り入れられそうである。
特区のほかにもう1つ重要なのが、財源である。震災復興に必要な財源は、31市町村分で5兆円、宮城県分だけで7兆円、合わせて13兆円が必要となっている。政府は第三次補正予算案にて確保してくれるようであるため、特区と財源が揃い思い切った復興が可能になるのではと思っている。
復旧復興には地域の要望に柔軟に、そしてスピーディーな対応が求められる。遅れてしまえば、地域人口の流出や地域コミュニティの衰退が進んでしまう。これを政府や行政だけでなく、県民、NPO、企業や大学等のいろんな力を合わせて行っていかなければならないことだと考えている。
復興には若者の体力、そして能力が必要である。復興のために力を貸していただきたい。伊丹空港から仙台まで来ることができるため、皆さんにはぜひとも何かの機会に来ていただきたい。
問 知事が求めている高台移転に対し、まちづくりの主導権を持つ市町村はどのような反応を示しているか。
答 高台移転ではなく以前とまったく同じ場所を復旧させたいと意思表示している市が1つ、どのようにしようか迷っている町が1つあるという状況である。住民の皆さんは賛否両論である。
ここで問題になるのは、土地の価格をどのように定め、誰が買うのかということである。国は高台移転のための土地整備については、国がほとんどお金を出してくれるが、その上に建つ家については、土地の所有者が建てる、また自治体が公営住宅という形で建設するという方針が定まっている。
ただ、土地の価格を震災前後どちらで設定するのかがまだ明確ではないため、住民の皆さんの意見が賛否両論になっている。
問 水産業復興特区についてお伺いしたい。漁業への民間参入を緩和したノルウェーでは、民間が海を寡占的に使用したことによって漁協組合がかなり疲弊したと聞いた。それが日本でも起こるのではないか。
答 おそらくノルウェーの例はレジュメ36ページの第5順位である「新規参入者」のことを指している。本特区で許可する企業というのは、今回被災した地元漁業者中心の企業のことを指している。漁協の影響を受けないで、独自に販路を築くことで、利益を生みやすくする。つまり、現在の漁業従事者を排除する制度ではない。
問 震災後の対応について、既存ルールの枠組みを超えて行う場面もあったとお聞きしたが、それはどのようなプロセスで行われたのか。
答 震災後のあらゆる対応は基本的にすべて国に相談をし、調節した上で行ったため、私の独断で既存ルールの枠組みを超えたことはない。国は「緊急上やむを得ない」ということでこちらの提案ほとんどにゴーサインを出してくれた。
問 離島の特徴に合わせた災害対応はあるのか。
答 今回の地震では離島と本島を結ぶ船が被災したため、すぐに市町村と県が協力して船と燃料を確保するようにした。
ただし、離島だけを切り出した災害対応は、市町村は自治体の計画に盛り込んでいるだろうが、県ではそのようなことはしていない。今後、非常時における離島への対応について検討していく必要があると考えている。
問 被災地の高台移転などの意思決定については、住民同士で責任を分担する住民投票という方法を採ることも考えられるが、知事はどうお考えか。
答 住民投票というのは住民の皆さんの意思を確認する最も分かりやすい方法である。しかし、日本の民主主義は、住民が選んだ首長と議員が政治を行うという議会制民主主義で成り立っているため、何でもかんでも住民投票というわけにはいかない。
ただ、高台移転など住民の生活に直結した事柄については、住民の意見を丁寧に聞く必要があり、その意見を尊重して移転先を決めるべきである。
問 今回の震災の甚大な被害を後世に語り継ぐためにも、被災した建物を広島の原爆ドームのように残しておくという議論はされているか。
答 各市町村でその議論はよくされており、南三陸町では防災庁舎を未来に残しておこうという話があったが、時が立つにつれ、庁舎で亡くなった人の遺族が建物を見る度に胸を痛めているため早く取り壊して欲しいという声もある。どのような形で後世に残していくかは、そのような声を踏まえ、市町村長と話し合いを進めているところである。
問 復興計画のうちに「未来を担う人材育成」と書かれていたが、講演の中で話がなかったため詳しい話を聞かせて欲しい。
答 宮城県には震災後に作成した10年間の復興計画と、震災前に作成した「みやぎの将来ビジョン」という10年計画が並列している。人材の育成については前者において掲げており、特に震災で被害を受けた子供たちのケア、教育支援等を盛り込んでいる。
問 震災によって失業した人に対する就労支援について、詳しく教えてほしい。
答 国のお金を用いて、例えば瓦礫の処理や船の改修などの仕事を作っているが、震災前に就いていた仕事に復職できることを目指している。
被災した人の多くは、養殖業をする人、捕ってきた魚を加工する人、保存のため氷を作る人、市場の人など水産業に関わる人だった。そのため漁業関連の仕事の復旧のための予算は、第三次補正予算案にだいたい盛り込まれたが、地盤沈下による市場への海水の浸水の処理に時間がかかっている。
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