「全国知事リレー講義」ライン


 
2011年 11月 1日            奈良県 荒井 正吾 知事


           「日本と東アジアの未来を考える





1 遷都1300年祭と東アジアとの交流

遷都1300年祭を昨年行った。710年に平城京に都が置かれ、789年に桓武天皇が平安京へ都が移されるまでの79年間、奈良は都だった。また、飛鳥藤原にも天皇がいらっしゃったことから、奈良は歴史が深い地域である。

今日は2つのテーマについてお話する。1つ目は、奈良の歴史は東アジアの歴史と深い関係があること。奈良は当時の国際関係の中心である唐や、お隣りの韓半島と交流が盛んで、その時日本の骨格が形成された。そこから、遷都1300年祭では、東アジアと日本の今の関係を考えることをテーマとした。

もう1つは、先程から述べている遷都1300年祭をどのように評価するかということ。このイベントを行うにあたってのポイントはマーケッティングである。マーケッティングとは、30年前に日本に入ってきた考えであるが、本祭に適応して行った。

東アジアのことを視野に入れて日本、そして東アジア全体の将来を考えていきたい。






2 奈良時代の国際関係


東アジアとは、日本、中国、韓国のことを指す。日中韓の経済規模は、世界におけるシェア2割強、ASEAN、インドまでに地域の範囲を広げると4分の1ほどの割合を占めている。今日、とても勢いのある地域であることがわかる。そのような地域と日本は、奈良時代においてどんな共通点があったのだろうか。

「日本」という国ができたのは、遣唐使が701年に唐へわたって、「日本と名乗らせてくれ」と国書を持ってお願いしに行き、当時政権を握っていた則天武后から、「倭」という名前から「日本」という名前を名乗ることを認められてからである。それ以降中国の国書には「倭」という名前は一切出てきていない。

現在、国として世界から認めてもらうためには、国連へ行く必要があるが、当時は唐に行ったということは、当時の世界の中心は、唐だったということがうかがえる。

奈良では現在、正倉院展を行なっているが、そこで展示されているものの多くは、中国や韓半島からきたものである。

昨年、アフガニスタンのカルザイ大統領が、ラピスラズリというアフガニスタンでしか取れないものが正倉院にあるため、それを見に来られた。ラピスラズリはアフガニスタンでしか採れない石のため、唐を通じて入ってきたと考えられる。

ここから、当時唐がアフガニスタンと交流があったということ、そして唐がグローバリゼーションの中心であったこと、また、近隣に位置する日本は、唐からかなりの恩恵を受けたということである。

また、韓半島の存在も大きかった。近鉄奈良駅の駅前に、行基さんというお坊さんの銅像がある。行基さんは、聖武天皇が大仏建立のための資金集めを依頼したことから動員力が高かったと思われるが、実は韓半島の百済から来た渡来人二世である。

他にも韓半島の影響を伺える場所が、奈良の明日香村にある。平城京の前に都が置かれた明日香は、「飛鳥」という二通りの書き方がある。

なぜ「飛ぶ鳥」と書いて「アスカ」と呼ぶのだろうか。ある学者の人は、「ナル」というハングルがあり、「〜する」という意味である「ナ」を付けると「ナル」とは「飛ぶ」という意味になる一方で、「日」という意味も持つ。

また、「明日香」という名前は「これからの街をつくる」という意味があるが、街に当たる「香」は、現在も韓国で行政区として使われ、近い発音をする「郡」のことだと考えられる。奈良には郡山(こおりやま)という地域があるが、その名残である。

このような、宝物、人物、地名などから、世界の端に位置しながらも、非常に国際交流を盛んに行なっていたことがわかる。

インドから日本に直接入ってきた仏教は少ない。玄奘三蔵が長安の都に帰ってきたのが645年だが、日本では同時期に大化の改新があった。ちょうどその時に長安に行っていた道昭という日本のお坊さんは、「唯識」というインドのお坊さんが体系化させた仏教の哲学を、玄奘三蔵から教えてもらい日本へ持って帰ってきた。

その時教え継がれたお経は興福寺で守られ続けている。このようにして、玄奘三蔵が持ち帰ってきたお経を守り続けているお寺は、世界中探しても興福寺だけである。

奈良時代のグローバル化の中でセンターの端っこに位置しながらも、大変な文化をいただいたということがわかる。





  

3 現代のグローバル化による影響

 

皆さんは今留学をしようと思えばどこでも行けるし、海外の企業に就職することができるが、そのようになったのはここ30〜40年であり、戦後まもなくは考えられなかった。 

この、現代のアメリカを中心としたグローバル化は、資本・人は世界中どこでも活用できるようにしよう、物はなるべく関税をかけないで自由に流通するようにしよう、という考えである。

今、TPPという言葉をよく聞くと思うが、これはアジア太平洋で関税を低くし自由な流通を促進させる枠組みである。労働力も、資源も、農産物もあらゆる資源の関税を下げることで、企業はいろんな国の資源をいろんな国の人を雇うことができる。

現在、就職氷河期というように皆さんの就職活動が大変になってきていると思われるが、それはいろんな国の人を雇用ができるようになったという面が大きいだろう。

日本の教育を受けた学生は優秀かもしれないが、企業はもっと頑張ってもらえる人をもっと安く雇えるからである。それが行き着くと格差が起こる。

ニューヨークでは反ウォール・ストリートといって、「1%の人に富が集中している」と特に学生、また学生にもなれない軍隊から帰ってきた人々がデモを行っている。

アメリカのグローバル化は競争を促進させ、資源や人材の有効活用には適しているかもしれないが、格差を拡散させている。ノーベル経済学賞受賞者の中にも「反グローバル化」を掲げる経済学者が現れるなど、グローバル化と格差にまつわる議論はよく行われている。

とはいえ、グローバル化に伴って、日本人にも次のような能力が求められていると思われる。1つは、色んな国の人とコミュニケーションが取れる人になること。これは言語能力を習得するのではなく、色んな人の立場や考えを感じ取り、それに応じた付き合い方ができる能力である。日本では気の合う人とつるんでいれば良いかもしれないが、グローバルなマーケティングを行う企業であれば、全く価値観が異なる人にどう自分の意見を主張し、折り合うかが重要である。このような訓練を日本の教育では全くされていない。

自分の意見を主張するためにも、確固たるアイデンティティを持つことが大事である。

そのアイデンティティを考えるにあたって、それは奈良の歴史を参考にすることができるのではないか。東アジアというのはどのような地域か、どのような哲学・宗教を持っているのかが、テーマの1つである。







4 東アジアの特質とグローバル化への対応の仕方

 

キリスト教と、神道、それから仏教などの宗教がどのように違うのか。東アジアの思想・哲学とキリスト教、イスラム教との違いの1つは、ユダヤ教のヤハウェ、キリスト教のイエス、イスラム教のマホメットのように、オールマイティーな超越神がいるかどうかという点である。

そのような超越神の存在については、欧米の政治制度、経済制度、科学、哲学は絶対神の存在に基づいて生まれた。グローバル化は「自由になることが、いいことである。」という考え方を持つが、それは絶対神という思想・哲学からきている。

しかし、絶対的に思える制度や思想にも限界がある。そのため、そのような制度がどのような状況にあえば行き詰ってしまうのかを考えるためにも、神道や仏教とそれら宗教の違いについて検討することは意義がある。

東アジア内には厳しい宗教対立はない。かといって東アジア内、また中国国内でも価値観が全く異なる。中国人、韓国人には白黒はっきりさせたがる人が多い。日本的に言えば「家庭での言い合いが絶えない」と思われるが、彼らからすれば、そのようにして言い合ったほうが互いに理解し合えるし、逆に日本人は我慢をしていると思われる。それは、「キレ」て人を突然刺してしまうといった事件が、度々起こっていることからもうかがえる。 

このように、東アジアでも異なる価値観があり、日本というのは東アジアの中でも変わっている点があることがわかる。

戦前はドイツ、イギリス、戦後はアメリカというように、これまでは欧米とばかり付き合い、中国、韓国は視野に入っていなかった。しかし、世界経済の2割弱と東アジアは勢いのある国々であり、今後仕事をするにしても、大学で学ぶにしても、東アジアの人々とどのようにお付き合いするか、考えなければならない。

このように、東アジアの国々との付き合いを考えていかなければならないが、相変わらず東アジアの専門家の先生は少ないと思われる。私の時代に教えてもらった東アジアの知識は、漢文の授業ぐらいだった。

   私たちの時代に比べ、今は東アジアについて学校で教えられていることは多いと思われるが、行基さんが韓半島からの渡来人二世であるだとか、桓武天皇のお母さまが百済の武寧王を祖とする王族の子孫であったなど、多くの人は知らない。

東アジアの今の関係をどのように形成するか。重要なのは知識ではなく「気持ち」である。日本人は他人との付き合いを見上げるか、見下すかで行うが、「異なる価値観でも対等に意見交換ができる」という対等な関係を築くことのほうが、国際化の中では大事である。

対等な関係の形成のためにも、自身のアイデンティティとそれを形成する文化に対する自信が重要である。

民主主義を政治の基礎とするということ。また資本主義経済の元となっている、他人を害しない範囲で自分の財産を処分して良いという自由主義という考え方。そして人を人として基本的なことを尊重する。このような考え方は世界の普遍的価値になりつつあり、これらを否定する人は今の世の中を生きていけないだろう。

だからといって、民主主義、自由主義、人道主義というグローバルなルールをアメリカ流にしなければならないというわけではない。アメリカの金融主義の行き過ぎがリーマン・ショックを引き起こしたわけだが、日本はアメリカの金融主義に従順であり、竹中平蔵という学者は小泉政権の中でそのような考えを広げようとしていた。

東アジアでどのような普遍的価値を展開するかという問題は、とても難しく奥が深い。というのは、日本の神道とは全く異なる超越神の存在を信じることは矛盾しているからである。

 奈良の歴史から東アジアの思想、哲学、そして他地域との関わりの重要性を述べてきたが、このようなテーマを考える場としても行った遷都1300年祭について、次にお話する。







5 遷都1300年祭の開催について

 

何か催し物をするには、その趣旨を簡潔に示す必要がある。遷都1300年祭の開催趣旨は、「祝い」「感謝する」「考える」の3つである。「考える」とはこれまで話してきたような、歴史や思想を考えるということ。それでは「祝い」「感謝する」とは何に対してか。これは日本の歴史・文化が連綿と続いたことに対してである。

それでは、遷都1300年のお祭りをどのように行ったか。大阪の万博や、愛知万博のようにゼロから作るのではなく、「あるものを使う」ということ。また主催イベントは無料にして、周りのお店等でお金を使ってもらうということ。お金儲けではないということを態度で表すことが大事である。言い換えると、財布の後ろにあるハートを掴むということである。

また、商売においてはお金をたくさん使う人に対して最敬礼をする傾向があるが、お金を使わない人に対してこそ最敬礼をする態度が大事である。小さな事でも大いに感謝することで、お客さんにとっての評判が良くなり、その評判が口コミで広がるからである。

宣伝は関東圏から始めたが、それは。認識の高い人は口コミのレベルが異なるため、そういう人を重点的に案内した。また、マーケティングにおいては売り込む対象を決めることが求められる。そこで、本祭では地元が盛り上がるのも良いが、首都圏で盛り上があると波及効果が高いため、首都圏に重点的に売り込みに行った。

また本祭の予算は全部で100億であり、何に重点をおいて使用したかというと、職員の研修の意味での使用である。エージェントに委託すれば効率よく行うことができるが、職員自身が色々考え、試行錯誤し成長してもらうための費用である。

奈良は、観光地としてはどうしても京都に劣り、色んなところが不十分だと思われる。例えば観光業は宿泊してもらうことが大事だと言うが、奈良の宿泊施設数は全国の中で最も低い。それは京都に泊まって奈良に来る人が多いからである。それは結局、貸切バスやタクシー、それから宿泊施設など京都のほうが充実しているからである。そのため、奈良では今「泊まる奈良推進事業」を行なっている。

 





6 おわりに

奈良は思考を巡らすのに非常に良い環境である。色んな歴史や思想について考え、「自分ってなんだろう」「自分はどう生きたいんだろう」等と考える時には、仏様に近づいて色々考えを巡らすと、パワーが得られると思う。

それぞれの人の違いを大事にするというのは国際交流だけでなく、人との交流において大事な事である。人との違いに対して我慢する必要はないが、自分のアイデンティティをきちんと説明し、人のアイデンティティを受け入れる技術を身につける努力が、一生において求められる。

自身のアイデンティティを考える際に、奈良の歴史を振り返ると、1つのアンチテーゼは絶対神や西洋文化などである。明治は、西洋文化の存在は圧倒的であったため、福沢諭吉は脱亜入欧という欧州に入れ込む姿勢だったが、今日、東アジアの存在感は日に日に増してきているので、今日お話ししたような東アジアとの付き合い方も考えていく必要があるのではないか。







 質疑応答

問 奈良マラソンについて質問。東京や大阪など全国各地で市民マラソンをしているが、市民マラソンのメリット、奈良マラソンの特徴を教えてほしい。

答 6月に募集をかけると、全国から応募者が集まり、参加料8000円にも関わらず4日ほどで参加枠が埋まってしまった。また、市民マラソンできちんと走ることを目標にして、日々ジョギングをするなど人々が健康に気を使うようになることは非常に良いと思う。ランナーの人々に足湯サービスをして、私も一緒に足湯に入り走った感想を聞いたところ、他の地域と違って、のどかな風景を見ながら走れることが、非常に評判が良かった。

 

問 東アジアとの関係が今回の講演のテーマだったが、関係性を結ぶための他の東アジアと話し合われたことや、今後の計画はあるのか。

答 鳩山元総理が東アジア共同体という話をされたが、この話はあまり進んでいない。東アジア共同体はEUのような経済共同体を目指したモデルだが、私はその前に文化や思想などの共通性についてもう少し考える必要があるのではないかと考えていて、今回はその内容についてお話しした。

奈良県では昨年から地方政府の会合を行なっており、中国や韓国の関係のある地方政府の首長さんをお呼びした。東アジアのモデルを構築する、というと堅苦しくなるが、このように集まって色々話をすることでわかる事もたくさんある。

例えば、今大阪都構想があるが、韓国の特別市では、府にあたる道が関係していないという。つまり、大阪市民は大阪市議会だけを選び、大阪府の議員は選ばなくても良いということである。近くだけれどあまり知られていないが、そういうことはおつきあいするとすぐに分かる。

私たちは違いに着目しがちだが、絶対神を信仰対象とする西洋人と異なり、違いは大変小さい。東アジアそれぞれの地域が互いの共通項や違いを認識し、それぞれの違いを尊重することで、ヨーロッパ共同体とは異なったお付き合いができるのではないか、と考えている。

 

問 東アジア同士の紛争は大変多かったが、それをどう乗り越えていくのか。

答 見下さない、見上げないという対応が大切。自分のアイデンティティに自身が持てないときは相手を見下したり、想像以上に怖がったりする。ヨーロッパの人々がそのような態度を取らないのは、神の前では皆平等だと考えているからである。アジアではそれがないため、ちょっとした違いで上下関係を作りたがる傾向にあるかもしれない。それを乗り越えるためには、自身のアイデンティティに自身を持つことと、スゴイと思える相手と対面しても謙虚に接することが大事である。









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