「全国知事リレー講義」ライン


 
2011年 12月 13日           川崎市  阿部 孝夫 市長



           「川崎市のグッドサイクルなまちづくり 
            〜ライフサイエンス・環境分野などにおける国際競争拠点の形成〜





1 はじめに

私は最初官僚を25年間やり、その後大学で地方自治、地域政策、村おこしを専門に10年間教授をやり、平成1311月から川崎市長を務めている。

話の仕方が役人、大学教授、政治をするときにはそれぞれ全然違う。

役人のときは、できるだけ尻尾をつかまれないように、まちがったことを絶対言わない、言うべきようなことも言わないのが優秀な官僚となる。

大学の教授はよくしゃべらないといけない。学生が納得するまでくどくど話してきちっと単位をとってもらわないとならない。そのため、必要以上に長く話す習慣が身に付く。

政治家は、頭に訴えるのではなく、心に訴える演説をしないといけない。短い言葉でも、心に残る言葉を発する政治家が高く支持される。最近の例では小泉純一郎氏がある。

 




2 グッドサイクルなまちづくりとは


グッドサイクルなまちづくりとは、あまりお金を使わず、効果のあがる政策をやるということである。

何か民間の事業で元気の出そうな事業があったら、てこ入れをする。少ないお金で宣伝をしたりすると、民間の事業が発展し、その事業が玉突き効果を起こして、どんどん発展していき、全体として地域社会が活性化し、税収も上がる。

この税収で福祉生活も十分できるという、市民社会が自動的に良い方向に変わっていくという取り組みを心掛けてやってきた。





  

3 東日本大震災への対応

 

今年は3.11の東日本大震災が非常に大きな影響を及ぼした。関西地域では阪神大震災があったが、東日本では3.11にそれを上回る大きな震災が発生した。日本をあげて、復興をどうするかということで議論がされている。

川崎市でも地震発生後すぐに災害対策本部を立ち上げた。これは、災害対策基本法に基づくもので、大きな震災が発生したときには、すぐに災害対策本部を立ち上げるということで取り組みを始めた。被災地からの避難者の受け入れとして、福島県をはじめ、東北のほうから100名ほどの方が川崎市に避難してきた。最終的には避難者は5~600名となった。ボランティアの方々と一緒になって避難者のお世話をしてきた。

川崎市内では、鉄道が止まったことによる帰宅困難者が駅周辺にあふれた。その人たちを、一時的に避難所を開設して受け入れを行い、川崎駅の地下街や市内の小中学校などで延べ5,432人超の人を受け入れた。

川崎市内の小中学校や保育園でも、なかなか親が帰って来れず、学校や保育所から帰れないというこどもたちが出たが、保育所は生活の場で、寝る場所も食べ物もあるため、それほど問題にはならなかった。このように、災害が起きて初めて分かったこともあった。

首都圏で今一番困っているのは、大きな地震が来て鉄道が止まった時に、帰宅困難者が出るということ、あるいは、道路を緊急自動車が通れなくなるということで、帰宅困難者対策は大変大きな課題となっている。

川崎市内の災害はそれほど大きくなかったが、川崎は音楽のまちづくりをしており、その音楽のまちづくりの中心の施設であるミューザ川崎シンフォニーホールの天井仕上げ材が落下し、今でも使えない状態となっている。

一部液状化も出ているが、東北方面の被災地と比べると、被災はそれほど大きくなかった。そのため、主として東北地方の復旧・復興の支援に力を入れた。例として、福島県郡山市に給水隊を派遣した。また、緊急消防援助隊を原子力発電所への放水のために派遣も行った。被災地に支援物資も送った。原子力発電所事故に伴う放射性物質への対応は今でも続いている。

市内の被害はあまり大きくなかったため、被災地の復興支援に重点を移すということで、東日本大震災対策本部を立ち上げた。本部長は市長となるが、これは法律に基づく災害対策本部ではなく、援助を中心にする対策本部なので、任意の災害対策本部として設置している。

取り組んだ内容としては、まず被災地・被災者支援である。災害対策本部は自分たちの災害をどうするかということとなる。遠く離れた地域の支援にウェイトをかけるとなると、法律上の災害対策本部ではなく、任意の災害対策本部として協力することになる。

自分の地域の被災もあるので、川崎市域の災害対策も行っている。川崎は、ものづくりのまち、産業都市で、東日本大震災で東北地方の企業との取引や東北地方の支店に影響が出るなど、サプライチェーンが途絶えるということもあったため、川崎市域の地域活性化も大きな課題となった。そこで、企業の支援、商店街の支援という対策も行った。また、放射能対策も行った。

4月5日から東日本大震災対策本部を設置し、対応にあたってきた。具体的な中身は、被災地・被災者支援では、援助物資を送った。支援隊も送った。また、東日本大震災被災者等支援基金も作った。

今年の4月は統一地方選があり、議会に諮ることができない状況であったが、緊急の場合だったため、専決処分を行い、この基金を設置した。国の復興対策がなかなかうまく進まない、議会で多数・少数の問題があり国会で決められないという状況なので、国で専決処分のようなものが首相権限でできればもっと早く進んだのではないかと思う。

私は川崎の日赤の支部長もしていたため、市民から預かった義捐金を日赤の支部にまわしていた。日本赤十字社は非常に大きな組織で、役所のいつものやり方で、現地に持って行って正式な記録を以て配分しないといけないというルールがある。

阪神・淡路大震災でもあったと思うが、通常のルールで公平・公正に配るというと、支援が必要なところになかなか届かないという状況になる。迅速に行うため、赤十字社にも配分するが、川崎市に寄付してもらい、情報が入り次第、必要なところに配るというやり方をとってきた。とにかく災害のときは、必要なところに早く支援が行かないといけない。

今回の災害では、役場が被災して災害対策を行う本部がなくなったという特色がある。そのようなところを支援するためには、とにかく早く確実に届くようにしないとならない。その基金で、川崎市に避難してきた人の生活自立支援も行ってきた。

市域の災害対策では、ミューザ川崎シンフォニーホールの復旧や、自分のところで災害があったときに備え、提供した備蓄物資の補充も行った。また、放射能の監視体制も整えている。

中小企業の支援も行った。商店街で復興支援イベントを行う、東北地方の物産展を行う時に、市としても援助をするという取り組みであった。

さらに、節電の取り組みをした。短期的にはエレベーターやエスカレーターの運転台数を減らしたり、冷房の設定温度を高くしたりするなど、いろいろな取り組みをした。節電の15%削減の目標は完全に達成された。

大事なことは、無理をしないで長期的にエネルギー消費を抑えるということである。川崎市では、電力消費の少ないものへの買い替えの促進など、恒久的にエネルギー消費を抑える取り組みとセットで行っている。

長期的な節電対策は今でも進んでいる。ちょうどタイミング良く、川崎ではこの時期に大規模太陽光発電(メガソーラー)の運転開始、バイオマス発電所の運転開始など、再生可能エネルギー活用による電力供給が始まった時期であった。川崎の臨海部(工業地帯)を中心として、再生可能エネルギーのモデル地域としてマスコミにも取り上げられた。

今でも放射能対策は問題となっている。小中学校、子供が立ち寄るところは徹底的に検査をしている。また、民間の方々が検査して放射能が高く出たところは市でも調査をして、土壌を取り除くという取り組みを行ってきた。

今現在困っている問題は、下水道の汚泥処理した灰に放射線が高い値で出ており、どのように処理するかが決まっていないということである。

被災地の瓦礫を運んできて自前で処理しているのは東京都だけとなっているが、川崎市は、この運搬のためのコンテナを45基東京都に貸している。

避難所は最大の時に112名、延べ10,213人となった。731日まで、とどろきアリーナという冷暖房付きの広い施設で宿泊してもらい、お世話をしてきた。731日までに、仮設住宅や民間の借り上げ住宅等に移っていただくという支援をしてきた。

支援基金は、10/31現在、川崎市に寄付していただいた金額は88,518,649円で、今は被災地への暖房器具の調達・輸送を行っている。また、川崎市から約4,000人の職員を被災地の支援のために派遣した。

節電の取り組みは15%が目標だったが、それをクリアし、大口需要家で29%、小口需要家で19%の削減をした。家庭は残念ながら6%だった。市役所では、大口で27.2%、小口で19.9%の節電をしたが、冬場も15%を目標に節電を行っている。これからの節電は、生活に無理のないように、長期的にライフスタイルを変えていく取り組みを行っていく必要がある。災害対策は今現在非常に大きな仕事となっている。音楽のまちづくりの中心となるミューザ川崎シンフォニーホールの復旧にも取り掛かっている。

4 川崎市の概要

 

川崎市の人口は今現在約143万人で、ここ10年で20万人も増えた。全国的に少子高齢化で子供が減っているなかで、川崎市は人口が増えており、あと78万人は増える予定である。

面積は144.35Kuで非常に狭く、企業や公的な研究機関が集積しているまちと理解してもらいたい。

東京都と横浜市の間にあり、真ん中をJR南武線が通っている。また、鉄道は、京王線、小田急線、東急田園都市線、東急東横線、JR横須賀線、新幹線、JR東海道線、京浜急行線が走っており、それらの結節点ごとに拠点都市ができている。

企業が集積しており、市内の総生産は年間5兆円を超えている。従業員1人あたりの生産額が非常に高い都市となっている。

交通の便が良く、東京駅まで18分、横浜駅まで10分、羽田空港まで15分、成田空港まで90分となっている。武蔵小杉から成田エクスプレスに乗ると1時間ちょっとで成田空港へ行くことができる。

 



5 元気都市かわさき

 

川崎市は若い人を中心に人口が増えている都市で、平成42年にはピークの151万人となる見込みとなっている。その後は全国の趨勢に従い、徐々に人口が減っていく見込みとなっている。そのため、市政運営は難しいものとなる。

一つは、人口増加で子供が増え、保育所や小学校を増やさないといけないという課題もある。あわせて、高齢化も進んでいるので、特別養護老人ホームをつくるなど、高齢化対策も同時に進めていかないとならない。

生産年齢人口比率が高いのも川崎市の特徴で、全国では63.9%なのに対して、川崎市では70.3%となっている。人口増加率、出生率、婚姻率も指定都市の中で1位となっている。人口1人あたりの課税対象所得額も指定都市の中で1位となっている。男女比では、男性の割合が女性より1割ほど多い。

川崎市は高額所得者が多いまちとなっている。川崎市の税金の中枢を成すものは、個人市民税と法人からの固定資産税、事業所税となっている。日本全体が落ち込んでいるなかで、川崎市は経済成長している。大都市平均2倍の一人あたり製造品出荷額がある。ものづくり中心のまちと言える。

また、産業・研究開発の先端都市でもある。昔の川崎は公害のまちと言われ、北九州市四日市市と同じ冠をかぶせられることが多かったが、今はその公害をもたらした企業が大きく転換しており、生産活動を行いながら、公害問題を克服している。

公害問題克服の過程では大変な努力があり、ほとんど技術開発で乗り越えてきた。例えば、亜硫酸ガスの排出を少なくするための機械設備などが発展してきている。昔、公害のまちであった故、今は環境先進都市となっている。これは、北九州市四日市市でも同じだと思う。






6 産業・研究開発の先端都市

 

「マイコンシティ」は川崎市の北西に位置するハイテクの工業団地で、研究・開発を中心に行っている企業群が集積している。

「かながわサイエンスパーク(KSP)」は神奈川県と川崎市で出資し、世界でも早く始めた企業のベンチャー育成の研究機関である。この中にハイテク研究を行っている研究機関がたくさん入っている。

「新川崎創造のもりサイエンスパーク」は慶応義塾大学と川崎市で設立した研究機関である。

「テクノハブイノベーションTHINK」にもベンチャーが育っており、メラミックスを開発している企業がある。メラミックスとは、セラミックと同じようなものだが、アフリカの砂の中から取り出すもので、非常に加工しやすく、セラミックより機能が上のものを生産しているベンチャー企業がある。

「ゼロ・エミッション工業団地」は必ずしも研究開発機関ではなく、例えば、雑紙を全部集めてトイレットペーパーに再生する事業所がある。この事業に使う水は、川崎市の下水道の処理水である。今では世界中から川崎に視察者が来ている。

「殿町3丁目地区(KING SKYFRONT)」は、今後の日本の成長戦略の拠点になろうとしている。

川崎は鉄道の駅の真ん前に工場がたくさんあったが、一時期円が高くなり、日本国内で生産ができなくなり、海外へ転出するという企業がたくさんあり、駅前が空地となった。そして、日本の発展のためには研究・開発しかないということで、駅前の空地が研究開発の拠点となった。

企業が研究開発拠点をつくってもまだ土地が余るため、そこに近代的なマンションを建て、人口が増えた。研究開発センターと環境に配慮したマンションが駅前に出来ていることが、川崎市で研究開発機関と人口が増えている原因となっている。




7 市政運営の3本柱

市政運営の3本柱の1つ目は、川崎再生フロンティアプランの推進である。川崎市内にある良いところを伸ばしていって、発展させることで、人口が増え、産業も伸び、税収が増え、福祉も向上できるという考えである。

2つ目は、自治基本条例に基づく市民本位のまちづくりである。これからは日本全国で高齢化が進み、施設を維持できず困るところ出てくる。川崎市でも、今後高齢者が増え、年金受給者が増えると、税収が下がることになる。その時に、川崎市が長期的にまちとして生きていくことができるかということが課題となる。

財政を厳しくして歳出を削減するというところが、あちこちで出てきているが、市民サービスを削らないとならない時代に、どのようなことをやっていけばよいのか。そのためには、年金生活でも元気いっぱいの高齢者や、役所や企業で活躍していた人に、地域社会でまちづくりに参加していただく必要がある。

つまり、行政と民間の協働事業である。何でもかんでも役所が公務員を雇ってまちづくりをやるということになると、市の財政は成り立たなくなる。どうしても行政がやらなければならない事業は絞らざるを得ない。地域の美化や里山づくりは、役所がお金をかけてやるよりも、地域社会の人たちが協力してやるほうがきめ細かく良いことができる。

絆を強くして、災害時に要援護者の面倒を見るといった仕組みを、市民社会の中に築き上げていくことが重要となる。行政としては、どうしてもお金を使わないといけないところを公務員の力でやっていくというけじめをつけることが必要となる。

そのために、区民会議を区ごとに設置している。川崎市には60人の市会議員がおり、各区に79人の議員がいる。市議会議員は市全体の議員で、各区のきめ細かいまちづくりをやるためには、市議会議員中心ではなく、地域社会のまちに詳しい人に入ってもらう必要がある。各区の代表者20名ほどに問題点を指摘してもらい、同時に取り組みも進めてもらうという実行部隊と作っている。

市民が意見を言え、その意見が反映されてこそまちづくりが進むため、パブリック・コメント手続き条例をつくっている。

また、住民投票条例も作っている。市長と議会が食い違ったときに最終的に誰が解決するかということになるが、そのようなときには市民投票で決めようということで、常設型の住民投票条例を設けている。今までのところ、市長と市議会が食い違ったことはないため、この条例を働かせたことはないが、いざという時に市民が中心となって川崎市政を決定できる仕組みをつくっている。

高齢化が進んだときのまちづくりや市役所にお金がなくなったときのまちづくりをどう進めるかということで、まちづくりを考えている。

3つ目は、行財政改革の推進である。これは就任してから真っ先に取り組んだ政策である。私は平成1311月に就任し、平成147月に財政危機宣言を出し、9月に第一次行財政改革プランを作った。

それを着実に今日まで実行してきた。行財政改革がなぜ必要かと言うと、これから財政的に厳しくなる時代に無駄を省いていくことは大切となるためである。公務員は一旦雇用するとずっと人件費が必要となり、市民から頂いた税金から人件費を払い、残ったお金で市民サービスを行うというのが実態となっている。

できるだけ、市民が出した税金は直接市民の手に帰るようにすることが必要となる。保育所など、民間でできることはできるだけ民間で、ということで進めている。行政体制の再整備ということで、筋肉質の役所にするということを行った。

建設事業(ハコモノ)を三年間凍結し、四年後に解除するようにし、その過程で見直し・整理を行った。市民サービスも、やり過ぎと思われるものは選択をしながら廃止をするという取り組みをしてきた。例えば、敬老祝い金が当時あり、70歳になると全市民に一律3,000円を配っていた。これが、他地域の人からは「川崎市長は選挙運動をしている」と言われたことがあった。今は切り替え、88歳と99歳、100歳以上の方々にカタログ方式で川崎市の特産品を贈るという取り組みをしている。市からお金は出るが、市の産業振興にもなる仕組みとなっている。

このように、役所のスリム化と不急の公共事業は廃止、市民サービスも選別しながら見直すという取り組みをしてきた。市職員も平成14年度から22年度までの間で2,587人削減し、702億円の改革効果があった。しかし、事業廃止ではなく、民間に事業を任せたものもあるため、実際に削減された税金は220億円程度だと思う。

収支均衡を確保するという取り組みで、平成21年度に一旦プライマリーバランスを確保したが、その後企業の景気も悪くなり、若干心配な面も出てきている。



8 中長期的なまちづくりの方向性

 

川崎市の中長期的なまちづくりの方向性の一つ目は、コンパクト化である。建物や施設を造る力が役所になくなってくると、多くの人が集まる施設を効率的に造っていかないといけない。主要な駅を中心として、多くの人が利用するような施設を集約化していく「コンパクト・シティ」という取り組みが必要となっている。そうして、高齢化が進み税収が少なくなったときにも対応できるまちづくりを進めている。

二つ目は、長寿命化で、今ある建物を上手に管理して長持ちさせて使っていくということである。道路でも橋梁でも学校施設でも、計画的に点検をして、補修をするというやり方によって、全体にかかる経費を少なくして長持ちさせるという資産管理方式を今とっている。

三つ目は、エコ化として、廃棄物を出さない取り組みを率先して進めている。

四つ目は、ユニバーサル化である。バリアフリー化を設計段階から行うことが、ユニバーサル化となる。そのような機能を持った施設を中心にまちづくりをしていく必要がある。



9 国際競争拠点の整備

 

川崎市には研究・開発機関が集積しているが、その中でも将来有望なものが二つある。一つは、「新川崎・創造のもり」で、ナノ・マイクロ技術をはじめとした先端技術の研究を行っている所である。四つの大学が共同で世界に勝てるような研究を行っている。ナノ・マイクロ技術を活用することで、さまざまな産業が発展していく。

羽田空港が国際化し、その対岸の空地である殿町三丁目に「キング スカイフロント(Kawasaki INnovation Gateway at SKYFRONT)」を設置し、国に国際戦略総合特区を提唱している。

ここには、実験動物中央研究所があり、世界中の研究者に実験用動物を供給している。実験用動物は管理が非常に難しく、これを核にして研究開発センターをつくり、世界中の医薬品の研究開発者や医療品の研究開発者をここに誘致しようとしている。キング スカイフロントでの一期の事業としては、実験動物中央研究所と、iPS細胞を活用した脊髄損傷の再生の研究を行っている。マウスでの実験段階ではすでに、脊髄損傷したマウスがiPS細胞で手足を動かすことができた。早く人間に使えるようになれば良いと思う。

第二期事業としては、貸し研究所である「産学公民連携研究センター」を造り、川崎市の研究施設である「環境総合研究所」、「健康安全研究センター」を入れる予定である。

さらに発展させて、世界をリードしていくようなライフ・イノベーションの戦略競争拠点を形成しようという取り組みを進めている。なぜライフ・イノベーションかと言うと、鉄道を作ったり道路を作ったりというのは、どこの国でも真似できるようになってきたが、これから重要になる産業は、健康関係、医療関係、福祉関係、環境関係である。いずれも世界中に人類が生きている限りなくならない産業である。これらは高齢化時代で最も重要な分野である。

研究開発から産業化することで、日本の産業が世界中でリーダーシップをとりながら、続けることができる。そして、日本の経済を安定させることができる。その中心機能を果たそうという取り組みを行っている。

「新川崎・創造のもり」の事業展開では、慶応義塾大学が電気自動車の「エリーカ(8輪駆動の電気自動車)」を開発した。また、ナノ・マイクロの研究開発も行われており、その支援をする取り組みも行っている。



10 川崎市の環境への取組

 

1960年代の環境問題をクリアした結果、産業活動を行いながら、省エネルギーで生産活動を行っている現場がある。それを国際的に発信しようということで、「川崎国際環境技術展」を行った。川崎市だけで200以上の団体が展示した。世界中から視察に来た。

川崎市の特徴は、近くにそれらの技術で生産活動を行っている現場があるということである。省エネルギーで生産活動を行っている工場や、バイオマス発電や太陽光発電の発電所もあるため、現場を見ることができる。

そして、商談会を行うことで、世界中から川崎市に蓄積されている環境技術を買ってもらうことができる。地球環境問題がある限り成長していく分野で、このような取り組みを促進していく必要があり、アジア諸国の生産力、所得水準が伸びると必ずこの環境技術が必要となる。

川崎市に蓄積されている環境技術としては、「大規模太陽光発電所」、「川崎バイオマス発電所」、「大型リチウムイオン蓄電池の量産工場」、「かわさきエコ暮らし未来館」、「川崎天然ガス発電所」、「川崎駅東口駅前広場」がある。



11 かわさき基準

 

これからの成長分野には、福祉がある。

かわさき基準(KIS: Kawasaki Innovation Standard)がある。高齢化社会では、高齢者が高齢者を介護するということになる。みなさんが高齢者になった時に介護してくれる人がいなくなるかもしれない。そうした時には、産業で取り組み、機械で取り組まないとならない。

福祉関係の機械の開発は喫緊の課題となっている。日本の介護サービス、介護技術が世界最先端の事業として国際社会に売っていくことができるのではないか。早くこれを実現しないといけない。

かわさき基準の理念は、@人格・尊厳の尊重、A利用者意見の反映、B自己決定、Cニーズの総合的把握、D活動能力の活性化、E利用しやすさ、F安全・安心、Gノーマライゼーションで、これらをコンセプトにして取り組んでいる。これが大きく発展していくことを期待している。



12 おわりに

 

芸術・文化の発信都市川崎ということでは、研究開発都市になり、公害都市から環境技術の都市になるというグッドサイクルもあるが、音楽のまちや芸術のまちもグッドサイクルなまちづくりの典型例である。

新たな大都市制度の創設については、基礎自治体で、一元的に市民にできるだけ税金を多く返すのが良いという主張をしている。







 質疑応答

問 阿部市長は川崎の外から来た市長だからこそ改革できたのかもしれないと思うが、外から来たからこその苦労はあるのか。

答:私の生まれは福島だが、家内の生まれが横浜である。車いすの祖母の面倒を見ないといけない立場で、川崎に家を買って住み川崎市民となった。北陸大学などにも川崎から通っていた。

自分が住んでいるまちを見て、問題があると思い、もっと良いまちにできると思ったのが立候補したきっかけだった。

それまでは全国の村おこしを手伝っていた。村おこしはその土地にある良いものを磨き上げて、他所の人に貢献することである。過疎地域で自然豊かなところは、人がいなくても自然を分け与えることができる。つまり、訪れる人に恩恵を施すようなまちでないと発展しない。それが村おこしの原点である。

そのようなことを川崎がしていけば、素晴らしいまちになると思った。ある時機会があり、立候補したら当選したという経緯である。

 

問 川崎市の文化政策について教えてほしい。

答 私の持論だが、文化・芸術では水準の高いものはお金がかかる。歴史をさかのぼると、まわりからお金をいっぱい集められる人がスポンサーとなって文化振興をしてきた。

大昔は宗教の時代で、神様のところにお金が集まったため、神社仏閣が立派になった。そこに、音楽や演劇が発展した。

中世の時代には、国王や大名が力を持ち、その人たちが立派な城を造った。

今民主主義になって、お金を集めて文化・芸術に投資する人は制度的にそんなにいない。そのためにお金を集められるのは、政治・行政である。政治・行政が文化に投資し守っていかないと、国全体が文化的に停滞して国際社会で尊敬される立場を維持できない。余分な口出しはしないほうが良いが、文化芸術振興のためにはきちんとした投資を行ったほうが良い。

今は映像のまちとして進めている。上映するところもたくさんあるが、日本映画学校、日本映画大学という人材育成機関ができた。また、川崎は細長いまちで、工場、住宅街、海、川など何でもあり、撮影に最適な場所となっている。それを取り上げて、映像のまちづくりを進めている。種があり、それをみんなで持ち上げて芸術文化を生み育てるという取り組みをしている。

 

問 大阪都構想についてもう少し詳しく話してほしい。

答 地域づくりにはいくつかの基本原則がある。川崎では、首都圏の非常に良い場所にあるという地理的条件が基礎となり、川崎のまちがどのように発展してきたかという歴史を踏まえて、歴史的な強みや弱点を克服していく取り組みをしていくことが座標軸となる。

地理的条件でうまくいっているのが音楽のまちづくりで、音楽のまちづくりは川崎市民だけがやっているのではなく、川崎市民が中心だが、川崎市内の事業所に働きに来ている人、あるいは川崎から東京や横浜や世界中に飛び回って活躍している人も参加している。

公害を克服した都市が環境先進都市になるというように、挑戦に対する応戦が社会を発展させる。危機意識を持たないと社会が発展しない。公害のまちだからこそ、解決するために必死の努力をしてきて、その間に環境関連の世界屈指の技術が蓄積された。

大都市制度では、二重行政、三重行政の問題がある。明治以来、日本は外国から優れたものを取り入れてきた。全国一律で日本の近代化を進めてきたが、第二次世界大戦に突入し、戦後にアメリカ式の民主主義が入ってきた。それが十分に浸透しないままに、国・都道府県・市町村という仕組みが入ってきた。

地方自治制度で、特別市制度が構想として入っていたが、それが途中から政令指定都市という中途半端なものになったという歴史がある。

ヨーロッパ、アメリカで民主主義を大事にするところでは、国民に近いところが大きな力を持つというのが原則で、「補完性の理論」というものである。第一義的に市町村でできることは市町村がやる、それでできないことを広域自治体である都道府県が補完的にやる。都道府県でもできないことは、国家的な規模でやるという考え方が欧米ではとられている。

そのようなことから考えて、できるだけ基礎自治体で力のあるところは、場合によっては国家的な仕事も全部やることも考えられる。国際成長戦略構想も本来は国がやることだが、たまたま全体の調整能力があるので川崎市がやっている。

できるだけ政令市を特別自治市にし、県がやっているような仕事を引き受けて行こうとしている。今、県会議員のやることがなくなっている。県会議員をすべてなくし、その資金を政令市以外のところの支援にまわすと、神奈川県だけで18億円もの金額になる。

つまり、政令市が力を持って地域の問題を全部解決できるようになると、他の地域も助かることになる。

大阪都構想とは異なる。大阪府が中心となり、大阪市堺市を解体し直轄するというのも一つの方法だと思うので別に反対はしないが、神戸市京都市も一緒に入って研究している構想は、政令市の権限を強くし、府県は政令市以外の支援を行うという考え方である。









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