「県民主権の長野県を目指して 〜21世紀の勝ち組地域をつくる〜」
今日は長野県の話をするというよりは、行政がどのようなことをしているのか、知事がどのようなことを考えているのかを話したい。
私の略歴を見ると、平成13年に長野県企画局長に就任したのが、私と長野県の最初の出会いであ った。私は東京生まれの東京育ちで、長野県に親戚もいなければ友人知人がいたわけでもなかった。当時は印象に残っている人もいるかもしれないが、田中康男氏が知事をやっていた時期だった。私は田中知事に呼ばれ、平成13年1月1日に長野県職員となった。そして、長野県をあとにして、一度総務省に戻り、その後平成19年4月に横浜市副市長に就任した。このときに、完全に総務省を自分の意思で退職した。横浜市では、中田市長と共に、横浜市の改革をしていた。また、私は行政刷新会議の事務局次長も務めている。横浜市の中田市長が途中で辞めたのを追う形で私も横浜市を辞め、行政刷新会議に任期付き職員で採用された。
田中県政には良い面も悪い面もあったと思う。横浜市も割りと大変であったが、昔の長野県も大変であった。その意味では、私自身は行政の現場でずっと仕事をしてきており、普通の人より何倍も面白い経験も嫌な経験もしてきたと思う。行政刷新会議では、国の役所の守旧的な部分を思い知らされた。
ギラン・バレー症候群という難病があり、私は長野県企画局長として赴任する前にこの病気に罹った。この病気のことが最初は分からなかったし、病名を聞いたこともなく、見たこともなかった。自分の体調が少しおかしく変だなと思ったが、何とかなると思っていた。ある日、有名な総合病院に行って、ありとあらゆる診療科をまわされ、最後に整形外科にまわり、何とか病名をつけないとならないため、リウマチではないかと言われ、痛み止めだけもらった。そして、ある日鍼灸院に行くと、10分くらい聞き取りをされて、しばらくして先生が来て医学書のコピーを持って来て、ギラン・バレー症候群ではないかと言われた。その後もう一度総合病院に行くと、すぐに入院だと言われた。
行政は、その総合病院と同じではないかというのが、私の問題意識である。鍼の医者は全体を見たから病名が分かった。今の行政は縦割り行政だと言われているが、総合病院化して全体が分からないのが大きな問題だ。
今回の原発事故で、政府がいろいろ批判されている。きわめて行政の悪い点が出ていると思う。完全縦割り態度で、福島の皆さんの暮らしを見ても、環境省が土壌除染を担当し、文部科学省が教育のことを考え、厚生労働省が食品基準を考えるというように、ばらばらの対応をしている。長野県にも1,000人ほどの方が福島県から避難して来ている。被災地からガレキを受け入れるべきかという話になると、福島県の人自身が受け入れないで欲しいと言っている。ガレキが高レベルの放射性物質を含んでいるわけではないので、政府がきちんとした基準を定めていけば理解が進む。今の基準の作り方、国民への説明の仕方では理解が得られないと思う。
これまでも縦割りできわめて事務的な対応をしてきたから、うまくいかなかったということが現実にたくさんあると思う。その集大成となったのが、福島原発への政府の対応だった。
私はずっと公務員をやってきているが、今こうやって二本足でたっていられるという当たり前のことが幸せだと思う。そのようなことを経験してきて、今の行政の縦割りの仕組みは直さないといけないと思ったのが長野県へ行く前の経験であった。
私は田中康男県政、中田弘市政で、全国の首長の中でも有名な人と一緒に仕事をしてきた。田中県政は、功罪両面あったと思うが、結果として長野県には罪のほうが多かったと思う。良いところもあったが、差が大きかった。
私が田中県政で一番考えさせられた経験の一つは、行政の進むべき道はなんとなく寄木細工のような狭い道だと思っている点だ。その狭い道を通ろうとしているのが多くの行政だったと思う。少なくとも10年ほど前までは、細い道を歩いていかないといけないという強迫観念にとりつかれていた。脱ダム宣言で一度決めてしまったことを変えても良いではないかということを示したのが田中県政の功の一つだったと思う。
財政改革で、今では当たり前となっている公共事業大幅削減も、給与カットも、10年前当時はとんでもないという感覚だった。組合にも最終的には合意してもらったが、とんでもない、非常識だと言われることがこれからの行政は避けて通れないテーマではないかという問題提起がされたと思う。このことは、大きな意味があった。今では給与カットを進めていない、公共事業も10年前と変わっていないという都道府県はほとんどないと思うが、当時は田中知事の発想は世間の常識からは早すぎたのではないかという面もあった。田中県政は今の自治体行政のいろいろな意味でのさきがけとなったと思う。
橋下大阪市長も枠を壊そうという方向で行動しているが、そのような動きのさきがけとなったのがかつての田中県政だった。中田市政では、功罪両面から議論されることが多い市政だと思うが、当時の中田市長と仕事をしていてすごいと思ったことは、決めたことは断固やり抜くということである。大阪の動きを見ていると、かつて横浜市がやったことが多いのではないかと思う。職員にとっては厳しい市長だった。横浜市の一般職員と副市長の私で市長のところへ行ったときに、職を賭する覚悟でやってほしい、という強い姿勢を見せられたことがある。
横浜市は大都市で、私は横浜市へ行く前は神奈川県で市町村課長をしていたことがある。私も横浜市と神奈川県庁両方で仕事をしていて、大都市を特別市としてはどうかという議論を名古屋市などとしていた。特別市は横浜市を神奈川県から抜こうという発想だが、大都市制度のあり方に関しては横浜市と神奈川県の間でも同じような問題があり、全国の大都市と都道府県の間でもそのような問題はあると思う。
行政刷新会議の話では、事業仕分けは過去のことになりつつあるが、今は国会が事業仕分けをするという方向で取り組まれている。事業仕分けは政府がやる前に、構想日本が自治体の現場でかなり取り組んできていたものである。その発展形で政府が取り組んでいるという形になっている。私も仕分け人として館山市や浜松市で仕分けを行っていた。政府の事業仕分けはマスコミでおもしろおかしく書かれているが、私はこれには問題があるのではないかと思う。
仕分けの場での議論はちょっと論点がずれていると思うものもあるが、政府の事業自体を衆人環視の状態でおかしいのではないかと言うことは、今まで行われておらず、国民が意見を持てるようになっただけでも大きな進歩だった。私が問題だと思うのは、その結果の扱いで、マスコミは仕分けの議論は報道するが、その結果の成り行きを検証している報道は少ないのではないか。私は仕分けの結果や結論は、それなりに考えるべき問題提起がされていると思う。政府として結果の活用がしっかり行われていないのが問題だ。
今の長野県の切実なテーマは鳥獣被害対策で、この議論は仕分け現場でも行われたが、この事業の判定の議論は、「国の仕事ではなく地方の仕事である」という結論だった。国としては、地方の仕事だから、国から補助金を出しているが削るという方向になった。私はそのような短絡的な整理のされ方自体が問題だと思う。私はこの事業仕分けでの判定用のシートをどのようなシートにするかという検討を行った。最終的には私が当初想定していたものと異なるシートとなったことが今でも悔やまれてならない。事業仕分けは、それぞれの事業について、国がやる仕事か、県がやる仕事か、市町村がやる仕事か、必要ない仕事かということを判定するものだが、地方に任せるとなったときにその後のことをどうするかをしっかり議論しないとならない。
今の国と地方の財政関係を見ると、地方の仕事のほとんどを交付税で措置しており、税財政面での自立ができていない中で、「地方の仕事」だということを言っている。そのため、地方では事業仕分けなんかとんでもないという話につながってきていると思う。事業仕分けの議論自体ではなく、その後の国としての対応の仕方が間違っていたのではないか。
長野県は「信州型事業仕分け」を行っている。あえて「信州型」とつけているのは、仕分けは予算を減らすことが第一ではないということを示すためである。今は事業仕分けの議論も下火になってきているが、行政の仕事を国民の目に見えるところで議論するというのは大きなツールである。国民参加での議論のうえで、貴重な財源をどうしていくかということを議論することを恒常的な仕組みとしていってほしいと思う。
2 「県民主権」とは 〜県民の思いが形になる県政〜
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私は一昨年長野県知事に就任したが、選挙のときに県民に訴えてきたことは、「ともに支える確かな暮らし」ということであった。これは、公のことを行政だけでやる時代ではなく、行政のやっていることにももっと県民が協力と監視をしてください、ということである。例えば今は困難に直面している子どもたちも多かったり、毎年3万人の自殺者がいたりするという状況となっている。行政は住民のくらしを守ることが第一の責任だと思うし、県民主権ということを強く訴えてきている。
これは、県民の思いが形になる県政ということである。行政は住民のためにあるものだが、本当にそうなっているのか。本当に国民、県民の暮らしを見ているのかと言うと、パーツは見ているが、全体最適にはなっていないと思う。「県民の思い」と漠然と言っているが、福祉や教育といった個別の分野ではなく、全体を見ていく必要がある。そのためには、「地方分権」と「県政の刷新」が必要である。
中央集権的な行政が長く続きすぎて、中央の動きが地方隅々まで浸透しているという現状がある。防衛などは国がしっかりやらないといけないが、教育や福祉について国が津々浦々まで細かく考える必要はないし、弊害になっていると思う。文部科学省が子どもの自殺が出た場合のマニュアルを定めている。文部科学省の職員は懸命に仕事をしており、おかしいことではないと思うが、子どもが自殺するような不幸なことが起こったときの対応をマニュアルで定めていることについてどう思うかということを選挙のときに新聞記事を示して県民に問いかけた。このようなこともあり、地方は国の指示待ちになり、思考停止になってしまっている。
私は県民の思いを長野県で実現するためには、知事や現場の職員が真剣に考えることしかないと思う。権限や財源の分捕りあいであるといわれる地方分権だが、もっと基本的なところで問題がある。
県政の刷新に関しては、私は国と県と市町村という三層のすべてで仕事をしてきたため、市町村の職員と話をする機会が多かった。市町村の皆さんと話をして不満が出ることは、一つは上司の悪口で、もう一つは、都道府県の悪口であった。国の悪口はあまり出なかった。市町村からすると一番近いのは都道府県だが、都道府県にはあそびが少ない。国は割りと裁量を持ちいろいろな政省令や法律を出し、おかしいと思えば自分で変えることができるため、市町村の人は国と直接話すほうが早く変わると言う。都道府県は国ほど権限も財源も持っていないし、住民にそれほど身近でもない。
行政の中で一番変えないとならないのは都道府県の部分ではないかと思う。これは仕組みの問題で、県がやっている事務のほとんどは機関委任事務であった。県側から思考停止状態を変えていかないといけないと思うし、上下主従の関係から対等の関係でいないといけない。対等になりきれていないと、どうしても県はワンクッションおいてしまう。県と市町村は首長がそれぞれ別に選ばれているため、県は県としての考え方を出すべきだと思う。
今大阪では大阪「都」構想が話題となっているが、長野県では信州「郡」構想というものを考えている。これは、大都市制度をどうするかという長年の懸案であったもので、今の政令指定都市制度ができたときから、議論されてきた問題である。都道府県と大都市の関係がどうあるべきかについては、常に議論がなされてきた。国民的な議論をした上で、良い制度ができれば良いと思う。
一方で、長野県のような農村部にも問題があるのではないかと思う。私は、長野県は 教育県であると他見の人からよく言われるが、私は今は教育の再生をしていかないといけないと思う。大阪市の橋下市長も教育の再生をしないといけないと言っている。教育再生は県だけではできない。地方自治体の間でもきわめて複雑で責任の所在があいまいになっている。
長野県では今年度当初予算で、中学校一年生への30人学級を導入する予算をつけた。職員の人件費を編成する権限を県知事が持っているため私が発言しただけで、教職員の人事権は教育委員会が持っているため、予算要求を教育委員会にしてもらわないとできない。また、市町村との関係もある。公立小中学校は市町村立がほとんどであるため、市町村もやる気にならないと進まない。各者が違う意見だと改革が進まない。県民から見ると、誰に言えば良いのか分からず、責任の所在がきわめてあいまいとなっている。
教育に端的にあらわれているが、他の分野でも同じだと思う。田中知事は保育所優先で予算配分しようとしたが、子どもの行政はほとんど市町村が行っている。市町村では保育所以外にも予算をつけたいという意向を持っており、県と市町村の関係がぎくしゃくしたこともあった。信州「郡」構想は、県と市町村が共に予算権限を持ち、ともに責任を持つようにしてはどうかというものである。
私が長野県の職員に求めるものは、共感力、政策力、発信力である。チャレンジ精神を持った人が多く集うのが行政の職場であってほしい。県民、住民と思いを共感できる職員が増えてほしいと思う。現場や共感は非常に大事である。
これから新しい中期計画をつくり実行していかないといけないが、今日本全体が宙に漂っていると思う。日本全体のビジョンをしっかり可視化しないといけない。思いを共有できれば必ず実現すると思っている。ビジョンが共有できず、適当なことしか考えない社会では日本は良い方向に進まない。行政は地域のビジョンをしっかり掲げて取り組んでいくが、みなさんも将来のビジョンを常に持って生きていけば、必ず実現できると思う。
これから国も自治体も行財政改革を真剣にやっていかないといけない時期だと思うが、行政の改革と財政の改革は別だと思う。行政改革は縮小させるというベクトルの話ばかりとなっている。長野県に は国内・国外から農村体験にたくさん人が来ており、さらに強化させていこうと思っている。
道州制については、私は消極的な立場である。長野県は地理的に道州制を採るとどことくっついても中途半端な地域になってしまう。仮に道州制が導入されたなら、長野県を一つの州として独立させることも案だと思う。一つは自立をできるような体力があるのかということで、そのような県政運営を行っていかないといけないと思う。自立は孤立ではないため、他の地域との連携をさらに強めていかないといけない。地域間の交流、連携を強くしていくなかで、長野県の独自性を強めていきたい。
問 田中県政に関して罪も大きかったとのことだが、具体的にはどの部分か。
答 今の県政にも影響を与えていると思うことに一つは、職員との関係である。当時「猫の目人事」と称されたこともあるが、数ヶ月単位で人が異動しており、職員が落ち着いて仕事ができない状況だった。田中知事だけの責任ではないと思うが、いわゆる「メル友人事」ということが公然と言われていた。職員と知事がメールでやりとりすることは問題ないと思うが、知事と話をするとそのことが筒抜けになるという噂が出ていた時期があり、職員のまとまりやモチベーションが低下した。このようなことは職員への影響や組織への影響は外からは非常に見えにくい。私自身は感じることが多かったが、外から見るとほとんど分からなかったと思う。組織の内部的な面が多かった。
問 これから長野県を何かこのようにしたいということがあれば教えてほしい。
答 長野県の良さは一言で言うと美しさだと思う。山岳、農村景観、人のこころ、さまざまな美しさがある。長野県から東京などに出張し、長野県に帰るとほっとする。この美しさをしっかり守りながら、もう一度我々の暮らしがどうあるべきかということを、つくっていくことができる県にしていきたいと思う。
3.11の震災の前から多くの人が漠然と今のままの社会で良いのかと思っていたと思うが、3.11以降明確に今のままではいけないと思う人が増えてきたと思う。今のままの暮らしを続けて良いのか、大都市の暮らしは少しでも歯車が狂うと大変なことになる。例えば横浜駅では電車が10分遅れるだけでもホームが満杯になる。一見強く見える大都市も脆弱である。長野県は、これまでの経済的な豊かさを求める社会から、新しい成熟社会にしていきたいと思うし、それができる地域だと思う。今までの価値とは違った地域づくりを長野県で行っていきたいと思う。
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