名誉館長あいさつ

   25歳を迎えた国際平和ミュージアム

 

 

               立命館大学国際平和館ミュージアム名誉館長

 

                   安斎 育郎立命館大学名誉教授)

 

 

立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長 安斎育郎

 この文章を書いている時点で、私は76歳、国際平和ミュージアムは25歳です。私の方が約3倍年上の「後期高齢者」ですが、ミュージアムの方は日本ならやっと衆議院議員や市町村長や地方議会議員になれる資格を得る年齢です。若いが、責任ある役割を社会から委ねられる、青年としての頼もしい門出に位置していると言ってもいいでしょう。
 25年前、立命館大学国際平和ミュージアムは、世界で最初にして唯一の「大学立の総合的な平和博物館」としてスタートしました。1941年~1945年の太平洋戦争の時代、立命館大学は約3000人の学生を戦場に送り、およそ1000人が命を失う悲しい体験をし、その反省の上に「平和と民主主義」という教学理念を確立しました。「わだつみの像」は「ペンを銃に持ち替えない」という決意の象徴ですが、国際平和ミュージアムは平和的教学理念をさらに現代に展開するための礎であり、この度「平和教育研究センター」も発足することになり、まさに門出に相応しい年になりそうです。
 25年前の平和ミュージアムの発足行事では、かなり思い切ったシンポジウムが開かれました。シンポジストとして、日本平和学会会長の岡本三夫さん(当時)に加えて、真珠湾攻撃の象徴であるハワイのアリゾナ記念館の副館長と、日本による植民地支配の象徴である韓国独立記念館の独立運動史研究所長をお招きしたのです。これは、国際平和ミュージアムの「過去と誠実に向き合う」という姿勢の表れともいうべきもので、過去の事実を見据えた上で、和解の可能性や平和創造への連携の可能性を追い求める姿勢は、今後とも変わらずに持ち続けていきたいと思います。
 ところで、今年は、国際平和ミュージアムも加盟する「平和のための博物館国際ネットワーク(International Network of Museums for Peace, INMP)」の創設25周年でもあります。4月には北アイルランド(イギリス)のベルファストで第9回国際平和博物館会議が開かれ、25周年を祝いました。私はその諮問委員としてニューズレター25周年記念特別号を編集しましたが、メッセージを寄せたヨハン・ガルトゥングさん(ノーベル平和賞候補にもノミネートされた現代平和学の泰斗)は、「もう25周年、おめでとう。時は流れ、戦闘しあっている国もあるが、総じて世界は平和に向かっている。そして、立命館大学国際平和ミュージアムは、大きな平和の灯台として際立っている」と述べました。過分な評価ですが、期待に応えるように努力を続けたいと思います。ガルトゥング先生は「総じて世界は平和に向っている」と評されていますが、シリアの内戦やヨーロッパの難民問題や北朝鮮の核武装など、日々のニュースには不穏な雰囲気が漂っています。私たちは関心を持続し、事実をしっかりと学び、主権者として声を上げる姿勢を忘れてはならないでしょう。国際平和ミュージアムが、平和について「みて、かんじて、かんがえて、その一歩をふみだす」場として役立つことを期待します。

安齋 育郎のプロフィール

1940年、東京生まれ。9人きょうだいの末子。4歳~9歳、福島県二本松で疎開生活。東大工学部原子力工学科卒、工学博士。1969年、東大医学部助手となり、86年、立命館大学経済学部教授、88年、国際関係学部教授。現在、名誉教授。95年より国際平和ミュージアム館長、08年4月より名誉館長。平和のための博物館国際ネットワーク・諮問理事。南京国際平和研究所・名誉所長。ベトナム政府より「文化情報事業功労者記章」受章。「第22回久保医療文化賞」、韓国のノグンリ国際平和財団「第4回人権賞」受賞。

著書に、『語り伝えるヒロシマ・ナガサキ』(全5巻、新日本出版社、第7回学校図書館出版賞受賞)、『語り伝える沖縄』(全5巻、新日本出版社、第9回学校図書館出版賞受賞)、『語り伝える空襲』(全5巻、新日本出版社、第11回学校図書館出版賞受賞)、『だます心 だまされる心』(岩波書店)、『安斎育郎先生の「原発・放射能教室」(全3巻、新日本出版社)、『「原発ゼロ」プログラム─技術の現状と私たちの挑戦』(共編著、かもがわ出版)、『原発事故の理科・社会』(新日本出版社)、など多数。NHK人間講座、あさイチ、クローズアップ現代、日本テレビの「世界一受けたい授業」などにも登場。趣味はマジック、俳句、お絵かき。


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