立命館歴史ツアースタート地点は衣笠キャンパスです。
みなさんが学ぶ衣笠キャンパスには、立命館の歴史にかかわるものがいっぱい眠っています。
4年間学ぶキャンパスの歴史スポットのことを、このツアーで学んでみましょう!!
さあ、立命館歴史再発見ツアースタートです!!

末川記念会館
衣笠キャンパスの正門から南へ直進すると東側に見えてくるのが末川記念会館です。
敗戦直後の1945年11月から1969年まで25年間にわたり、立命館総長・立命館大学長として学園の復興と振興に尽力された末川博名誉総長の偉業を称え、後世に伝える建物として、1983年11月に竣工しました。建設資金のうちの半分が末川博名誉総長を敬愛する人々からの寄付で賄われ、寄付者の方々の名を刻んだ銅版が正面玄関を入ったところに掲げられています。
末川博名誉総長
メモリアルルーム
末川記念会館
1階ホール
松本記念ホール
陪審法廷
白川静記念
東洋文字文化研究所
 
図書館
「理工学部発祥の地」の石碑
図書館入り口の左手の植え込みにあるこの石碑は、1938年(昭和13)立命館日満高等学校の設置に伴い、その校地として当地に3133坪を取得したことを表すものです。
以後、1949年(昭和24)の理工学部(新制)設置から1994年(平成6)理工学部がBKCに移転するまでの45年間、理工学部の多くの学生が衣笠で学んでいました。
「立命館」の扁額
図書館内、1階レファレンスカウンター入り口近くのパソコン開架所には、学祖・西園寺公望による「立命館」の扁額が据えられています。
この扁額には "明治二年秋九月二三日" の日付があります。西園寺公望が邸宅内に開いた私塾「立命館」の塾名を自身で揮毫(筆で文字や絵を書くこと)したものです。
また、図書館にある扁額と同じものが、立命館小学校にも設置されています。
「テオドシウス法典注釈書」
図書館の貴重書庫の中に納められているのが、東ローマ帝国法典を解説した「テオドシウス法典注釈書」です。
これは、末川博名誉総長が、1923(大正12)年に、留学先のフランスの古書店で購入しました。生前、末川博名誉総長は自宅の応接間に飾るほどこの本を愛していましたが、末川博名誉総長が亡くなられた後、遺族のご好意によって「テオドシウス法典注釈書」は大学図書館に寄贈されました。
この書物は一般公開していませんが、「テオドシウス法典注釈書」の現物を今回は特別に閲覧させていただきました。1665年に出版されたこの3冊の書物は、縦60cm、横73cm、平均重量4kg、ラテン語で書かれた革表装の書で、いかにも重厚な歴史を感じさせらました。
また、この書物を題材として、末川博名誉総長の二女である窪田洋子氏が描いた「父の愛した『テオドシウス法典注釈書』」が末川記念会館1階ホールに展示されています。こちらは一般にも公開されていますので、ぜひ一度見に行ってみましょう!
 
創立者 中川小十郎の墓
衣笠キャンパスの研心館と有心館の間に、等持院墓地があります。この墓地の中に学園創立者・中川小十郎の墓があります。
学園創立者・中川小十郎は、1900(明治33)年に「私立京都法政学校」(後の立命館大学)を創設しました。中川小十郎は二度にわたって内閣総理大臣を務めた西園寺公望の秘書官で、京大創設時の1894(明治27)年には当時文部大臣であった西園寺のもと、事務局長に従事しました。
中川小十郎はこの「立命館」の名称と「自由と清新」の学風を西園寺から受け継ぎ、今日の立命館の礎としました。
中川は1945年に亡くなり、広小路、北大路、衣笠それぞれの学舎ごとで告別式が行われた後、思い出深い衣笠の等持院墓地に埋葬されました。
また、同じ等持院墓地で中川小十郎の墓の向かいには第二次世界大戦で戦死した杉栄経済学部教授の墓もあります。杉栄は中川小十郎が特別に目をかけていた優秀な統計学者であり、向かい合うように等持院墓地に静かに埋葬されています。
 
「未来を信じ未来に生きる」の石碑

正門から南へ直進して西側、末川記念会館のほぼ正面にあるのがこの石碑です。
学園創立80周年と衣笠移転完了を記念し、1980年に建立されました。この碑に記された銘文は、名誉総長末川博が揮毫したものです。
末川博は、平和への願いとこれからの民主主義への思いをこの11文字に込めました。未来を担う若者へのメッセージとして、この碑は現在まで受け継がれています。

 
「立命館その由来」の石碑
正門から南へ直進すると、正面奥に大きな石碑が見えてきます。この石碑は、2000年に立命館創始130年・学園創立100周年を記念して、立命館大学父母教育後援会から寄贈されたものです。大きさは高さ2m、幅4m、重さは18tの花崗岩製で、碑には日展理事で本学OBの今井凌雪筑波大学名誉教授によって、「立命館」の名前の由来になった孟子「盡心章」の一節が揮毫されています。
「立命」というのは中国の古典「孟子」の盡心章(じんしんしょう)の一節にある「殀寿(ようじゅ)貳(たが)わず、身を修めて以て之れを俟(ま)つは、命 を立つる所以(ゆえん)なり」からとったもので、「人間には、若死にする人もあれば、長生きする人もあるが、それはすべて天命で決められていることである。だから生きている間はわが身の修養(勉強)に努めて天命を待つのが人間の本分を全うすることなのである」という考えです。したがって、「立命館」は人間がその本分をまっとうするための場所を意味しています。
 
[Movie]
1985年の衣笠キャンパスで取材された8ミリフィルム (Windows Media)
20年以上前の衣笠キャンパスの風景に驚くこと間違いなしです!!
当時の学生の様子もうかがい知ることができます。
各学部の基本棟も現在のものとは大きく異なりますね。
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