6歳のころ、親の勧めでエレクトーン教室に通い始めたことが全ての始まりでした。その一年後、7歳で個人のピアノの先生の下につきました。その先生の下には、当時、ある2人の高校生の先輩も通っており、私にとって最初の発表会で、D.ミョーの『スカラムーシュ』をデュオで演奏していたのを聴いて衝撃を受けたのを覚えています。思い返せば、彼女たちへの憧れと、「いつかこの曲を誰かと弾きたい」という気持ち、また何よりピアノは楽しいという気持ちが今までピアノを続けることができた大きな理由なのかもしれません。彼女たちの存在は今でも私の初心を思い出させてくれる心の支えであり、今も尊敬しています。
大学進学については、音楽大学へ進学するかどうかで悩みました。それでも、やはり理系の勉強をしたいという思いが強く、なかでも特にバイオテクノロジーに興味がありました。そのため、最終的には、奨学金システムの充実した立命館大学で、理系の勉強とピアノを両立させていくことを決断しました。学部の4年間を経て思うのは、課外自主活動に対して補助金を頂けたことは、ピアノを続けるうえで大きな助けになったということです。そのおかげで、多くの国内コンクールや今回のような国際コンクールに出場することができました。
ピアノを弾く上で最も大切なことは、「相手を知り、それを自分流に掘り下げる」ことです。ただ楽譜を見て書かれている通りに弾くだけなら誰にでもできます。問題は、作曲者がどういう思いで、どういう考えで音を並べたのかを捉え、その曲に求められる音色・フレーズ・構成など、その作曲者の意図を読みとって自分なりに咀嚼し、且つ、それを聴いている人に伝わるように表現する。それが音楽をする上で必要とされることです。どのような曲もその作曲者の周囲の環境に影響を受けています。例えば、ショパンの名曲『革命のエチュード』を例に挙げてみます。ショパンの音楽はリストのような大衆受けを狙った曲想ではなく、サロンで奏でられることのほうが合っているような気品ある音楽です。そのような曲を書いていたショパンがなぜこの曲のような「怒り」や「絶望」を連想させる荒々しい音楽を書いたのか。当時、ショパンは国内情勢の悪化等の理由により祖国ポーランドを後にしますが、その道中、祖国の革命軍がロシア軍に鎮圧されワルシャワが陥落したことを知ります。革命のエチュードはこのときに作曲されたと言われており、まさに祖国の辿った運命に対する「悲しみ」が表現されています。
このように音楽は、「その人の内面を映し出す鏡」といっても過言ではないかもしれません。これは作曲者にとっても、その音楽を奏でる人にとっても言えることで、その人が何を見て何を思ってきたか、つまり、その人が背負ってきた経験全てがその人の音楽を作り上げます。経験談ですが、アマチュアピアニストに特にこれが顕著に表れているような気がします。パリで聴いたどの演奏も、その人の今まで背負ってきた人生・経験を直に形にしたようなものばかりでした。プロによる演奏とは一味違った洗練された演奏がそこにはありました。 |