RS 学園通信 vol.129 座談会 立命館歴史探検隊 Student Report 時代を駆ける先輩たち
December 2000 INDEX

Masafumi Kawaguchi
河口正史さん
プロフットボールプレーヤーとしての自分、その原点に立命館がある
Profile

かわぐち・まさふみ
1997年国際関係学部卒業。 立命館大学時代には初のアメリカンフットボール学生日本一に大きく貢献、 傑出した筋力とスピードを併せ持つ日本フットボール界を代表するラインバッカー。 現在は舞台をヨーロッパに移し活躍を続けている。

 

 


プロになる! 夢は現実になった

 小学校のときはアメリカに住んでいました。そして、日本で子どもたちが普通に野球に出会うように、アメリカでフットボールに出会ったんです。そのときは、「プロのフットボールの選手になりたい」というのが、漠然とした夢でしたね。
 本格的にフットボールをはじめたのは、2度目にアメリカに行った高校のときです。そして日本に帰ってきて立命館大学に入学しました。
 立命館に入学して、すぐにパンサーズに入部したんです。いきなりレギュラーになれるものだと思ってました。身体も大きかったし、足も速かった。でも、それだけじゃ、ダメでしたね。
 部員は、1・2軍のA、3・4軍のBに分けられるのですが、僕はBチームにしか入れなかった。でも、「なぜレギュラーになれないのか」、その理由がわかっていたので、それを克服するために努力しました。体格を活かせる技術を付けるために、必死になりましたね。学生時代で一番練習したのは、1年生のレギュラーを取るときだろうと思います。
 努力家ではないと思います。いいかげんなところがあって、いったんレギュラーになって、努力しなくても試合に出られるとなると、とたんに努力しなくなるんです。3回生の終盤、自分の体力や技術が劣ってきていることに気がついたんです。このままだとダメだと。その時ですね、気持ちが変わったのは。絶対、今の位置に満足しないで、上の目標に向かって努力し続けようと決心したんです。


型にはまらないプレーも、
自分を鍛えることも、
立命館での出会いが教えてくれた

 4回生になったとき、アメフトにプロができて、ヨーロッパへの道が開かれました。そして2年後、ヨーロッパへ行くことにしたんです。不安な気持ちより「世界を感じてやろう」と思う気持ちが強かったですね。ヨーロッパでプレーしてみて、技術的なものや体力的には差を感じました。でも手が届かない場所じゃない、と実感したのも事実です。「やれるな」と思いました。
 アメフトをやっているときって、本当に気持ちがいいんですよ。観客からの応援も気持ちいい。応援に応えるプレーをする、と言いますが、本当に熱い声援を聞くとプラスαの力がでるものです。アドレナリンが出て、疲れも吹き飛ぶ。学生時代、パンサーズの応援に多くの人が来てくれた、その時もやっぱり自分の力以上のものが出たと思います。
 生活の全て、今は職業にもなっているアメフトですが、今のプレイヤーとしての自分を作ってくれたのは、立命館時代の人との出会いだったと感じます。自由な環境で、自分なりの技術を磨けたことが現在の基礎を作ってくれたと思います。
 先輩には、とにかく追いつきたいと思ってました。ラインバッカーとしての技術はもちろん、選手としての気持ち、試合に望むときの姿勢など、いろんなことを学んだと思っています。
 自分自身、まだ中途半端なところに居ると思っています。身体の動くかぎり、現役の選手でありたい。そのためには、「目標は高く、自分を成長させることに力を惜しむな」と言い聞かせています。みなさんも自分の目標に対して、とことんやってみる、そしてがむしゃらになって下さい。これが、ぼくから後輩へのメッセージです。


 
 
 
 
 
 
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