水沼 ひかり さん(産業社会学部2回生)

福島市の美術館で被災
震災当時、高校3年生だった福島県出身の水沼ひかりさん(産業社会学部2回生)は、被災直後の2011年4月に、立命館大学に入学し、「後方支援スタッフ」としてボランティアに参加しました。

私の実家は、福島県の内陸に位置する岩瀬郡天栄村にあります。震災当日、私は福島市で暮らす祖母と一緒に美術館を訪れていました。突然、周りの来館者の携帯がいたるところで鳴り始めました。それは、地震予測のお知らせだったのです。その直後に、地震が起こりました。美術館の玄関は壊れ、かろうじて裏口から外へ出ることができましたが、町では水道管が破裂して道路が不通となり、電気・ガスが止まりました。

そんな被災状況の中で、立命館大学に進学が決まっていた私は、福島を離れ京都へやってきました。京都ではほとんど地震が起こらず、地震の恐怖も感じない日々を過ごすうちに、「自分だけが被災地から逃げてきてしまった」「私だけがこんなに安全で不自由のない暮らしをしていていいのだろうか」と考えるようになりました。ボランティアとして被災地を訪れることも考えましたが、後ろめたい気持ちが心から離れず、なかなか踏み切ることができませんでした。

日が経つごとに故郷への想いが強くなり、「故郷にできること」を考えるようになりました。ようやく、気持ちが前向きに変化し、2012年2月「後方支援スタッフ」として岩手県遠野市を訪れました。そこでは、支援物資として届いた書籍のデータ化や博物館の展示物の洗浄作業を行いました。また、学内では「復興支援ガイダンス」の場で、講演の機会をいただきました。被災の経験やボランティア活動について語ることで、京都に住みながらできる復興支援の活動があること、自分が経験したことを知らない人へ伝えることの大切さに気付きました。

被災地では、私が通った郡山市の母校が取り壊されるなど、昔あった建物は消えてしまいました。震災前の景色と一番異なるところは、町のいたるところに放射能の線量計があることです。私の実家にも小型の線量計があります。小学校の校庭にある線量計を見たときは本当に胸が痛みました。

3月11日あなたはどう迎えますか?

震災発生時は、家族がばらばらの場所で被災しました。ライフラインが停止した2日間は、家族と会うことができず、とても寂しい思いをしたので、3月11日は実家に帰り、家族と一緒に過ごしたいです。2日間でしたが、その時間に「家族と過ごすことの幸せやありがたさ」に気づくことができたからです。
3月の気候・気温・においを感じると、震災当時のことを思い出して、気分や体調がとても悪くなりました。震災の映像も見ることができませんでした。辛く苦しいときもありますが、被災した自分だからこそできることがあると思っています。これからも支援活動を続けていきます。

企画/犬塚 直希(経済学部6回生)、田中 裕太郎(文学部4回生)、國田 華奈(産業社会学部3回生)、樽見 彩加(文学部3回生)、梅田 友裕(政策科学部2回生)、岡戸 亜沙美(産業社会学部2回生)、樋川 貴之(情報理工学部2回生)、松下 健太郎(情報理工学部1回生)、簗瀬 百合香(産業社会学部1回生)