学術と政治(5)
日本学術会議「法人化」問題の経緯と本質とは
兵藤友博
2024年年12月20日、日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会が最終報告書「世界最高のナショナルアカデミーを目指して」を
まとめた。この報告書は同会議の法人化の法制化を行おうとするものである。この新法が通常国会で通れば、創設以来75年有余、独
立性・自律性を保持し、日本の学術体制の要となってきた同会議は取返しのつかない事態を迎える。
以下では、前記報告書に至る経緯、またその内容の問題点を整理し、その上でナショナル・アカデミーの社会的責務と「学問の自由」
の公共性について考える。
1.経済財政諮問会議の基本方針に従う有識者懇談会の論点の「すげ替え」
この最終報告に至る直接的な契機は、2023年の6月16日の経済財政諮問会議の「経済財政運営と改革の基本方針2023」の次の一文、
「日本学術会議の見直しについては、これまでの経緯を踏まえ、国から独立した法人とする案等を俎上に載せて議論し、早期に結論を
得る」にある。なんと経済財政諮問会議において日本学術会議の改革方向が閣議決定された。
そして、2023年8月、この経済財政諮問会議の記載を布石として「日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会」が発足した。なお、
この有識者懇談会の審議は、「率直な意見交換を行うため」との理由で「非公開」とされた。
さて、梶田隆章・第25期日本学術会議会長は、第1回懇談会後に次のようなコメントを談話で示した。「『(提出の見送られた)法改正案か、
法人化か』という二者択一の議論ではなく、『日本の学術体制全般にわたる開かれた協議の場』として日本と世界の学術の改善に資する
ための広い観点に立って、日本学術会議の役割やそのあり方を考える場とすることを期待したいと申し上げました。懇談会構成員の皆様
のお考えは多様でしょうが、この姿勢自体は共感をもって受け止められたものと感じております」。
この二者択一というのは、同年4月の日本学術会議の春の総会で内閣府総合政策推進室から示された「国の機関」として残す「法改正案
(「日本学術会議法の一部を改正する法律案(検討中)」)」か、あるいは経済財政諮問会議の基本方針の「法人化」か、というような
学術会議の組織問題を焦点化した議論に終始するのではなく、そして「期待したい」というのは、後段の「学術体制全般にわたる開かれた
協議の場…」という、学術会議の春の総会で発せられた声明「『説明』ではなく『対話』を、『拙速な法改正』ではなく『開かれた協議の
場』を」実現して、「日本と世界の学術の改善に資する」協議をすることにあると考えられる。
実は、学術会議の春の総会後、政府はこの学術会議が発した「勧告」を含む「声明」の意を受けて、「国の機関として存置する」に基づく
「法改正」を見送り、また5要件を満たす、法人化を含め検討する方向性を示した。実際に政府側が「法人化」の改革方向を迫ってきたのは
その4ヶ月後の8月である。これは、2020年秋の会員候補任命拒否の不当性を学術会議の組織・役割に問題があるとする論点の「すり替え」
ではないが、日本学術会議の本意を外した、あからさまな論点の「すげ替え」の挙に出てきたのである。
なぜあからさまな「すげ替え」なのかというのは、会員候補任命拒否後の論点「すり替え」後、総合科学技術・イノベーション会議有識者議員
懇談会は、「日本学術会議の在り方に関する政策討議」を開始し、2022年1月その「取りまとめ」を出した。そこには「法人化」と「国の機関」と
の両論を記していた。そして、その年12月「日本学術会議の在り方についての方針」、それに続く「(具体化検討案)」がまとめられた。そこには
「日本学術会議を国の機関として存置」するとし、「法人化」については「改正法の施行後3年及び6年を目途として、…最適の設置形態となるよう
所要の措置を講ずる」と含みをもつ記載を示していた。ところが、政府は、学術会議の前記の勧告と声明、その真意を受けとめることなく、「国の
機関として存置」することを反故にして「法人化」に「すげ替え」たのである。なお、学術会議はこの含みのある改革方向についても異議を示して
いたことを付記しておく。
その後の展開はどうだったのかというと、有識者懇談会は、梶田会長のコメントを受けて審議を進めはしたが、学術会議が第25期から第26期へ、
すなわち梶田会長から光石衛・次期会長へと移行する時期をにらんで、二者択一どころか「国の機関」では限界があり「法人化」が望ましいとの
論理立てで迫ってきた(注1)。
それにしても、なぜ経済財政諮問会議で日本学術会議の改編にかかることが記され、閣議決定された文書に基づき、日本学術会議の「法人化」
を目指す有識者懇談会は発足したのか。思うに、ここにこの国の政治の在り方の問題性が示されている。経済財政諮問会議の議事概要を調べて
みたが、日本の学術体制に関する議論がされた形跡は見られない。そのことはともかくとしても、学術政策を経済財政政策の枠組みで整理する
というのでは、政治の側は学術の本来の在り方、機能を発揮させようとする意思を持ち合わせているのだろうかと思う。この閣議決定は政治権力
を持つ側の権力行使への安易さが見え、政権側の政治的都合に対する思量はあったにしても、学術と社会に対する思慮はなされたとは思えない
(注2)。
注1.有識者懇談会の各回での「法人化」という言葉の出現回数は下記の通り(第○回開催期日/回数)であった。
第1回230829/7回、第2回230906/1回、第3回230925/3回、
第4回231102/8回、第5回231109/33回、第6回231120/43回、第7回231130/60回、第8回231213/38回、第9回231218/62回、第10回231221/40回、
第11回240607/5回、第12回240729/9回、第13回241129/8回、第14回241213/2回、第15回241218/7回
第1回から第3回までは、日本学術会議第25期、会長梶田隆章、
第4回以降は、日本学術会議第26期、会員半数改選、会長光石衛。第5回懇談会に「法人化の場合の基本的な考え方について」が示される。その回以降、
「学術会議の機能とその適切な発揮について」を議題に審議される。第6回には「有識者懇談会の論点整理」が示された。第10回「中間報告」がまとめられ
発表された。これに先がけ12月18日に「中間報告(案)」と「日本学術会議の法人化に向けて(案)について」が懇談会に提示された。
上記に示したように、第4回有識者懇談会から第10回有識者懇談会まで「法人化」の言葉の出現数が多く、「法人化」改編で審議されたことが分かる。
第3回と第4回の懇談会で懇談会の審議を「法人化」に絞り込んでいくことが、議事録に確認できる。参考に関連発言を掲げておく(・・・は筆者による省略、
以下同じ)。
第3回議事録から
「○久間和生委員(農業・食品産業技術総合研究機構理事長) ・・・懇談会で本来議論すべき課題を、・・・、例えば、会員選考に関しては、改革された
方法で充分か、選挙が必要ではないか、諮問委員会が必要ではないか・・・、学術会議がこのまま国の組織として残る場合、法人化する場合、それぞれのメリ
ット、デメリットは何か、予算はどの程度必要かなど・・・。そろそろ、これらの核心を議論していかないと、報告書を書けないのではないか・・・。そのような
論点整理を行って、次回以降の議論に繋げばと思います。」
司会の原副室長(内閣府審議官)から指名されて、「○笹川武室長(大臣官房総合政策推進室) ・・・いつまでに結論というふうに区切っているわけではござ
いませんけれども、早期に結論をということですので、高い視点から、あるいは広い観点から議論という一方で、おっしゃったとおりきちんと論点は絞って
いかないといけないのだろうということは改めて認識した次第でございます。それで、久間先生から幾つか具体的な論点、検討項目を御提案いただきました。
そのとおりだと思います。私どもといたしましても、・・・今回の先生方の御議論も踏まえて論点を整理し、議論を進めていただくように事務局としてもやって
いきたい・・・」
第4回議事録から
「○大栗博司委員(カリフォルニア工科大学フレッド・カブリ冠教授・東京大学特別教授) ・・・内閣府からの事前説明で、『閣議決定で、国から独立した
法人とする案を俎上に載せて議論することになっている』とお聞きしていますので、今後、法人化すべきかどうか、また、する場合にはどのようにするのか
の議論もしていくことになる・・・。そのような議論をするためには、まず、岸座長がおっしゃったように、学術会議が果たすべき機能や役割について、この
懇談会として合意できる点を明確にしておく必要があると思います。この点について、委員の間で十分な議論ができるように、議事進行をよろしくお願い
いたします。」
第4回有識者懇談会を終えるに当たって、光石会長は審議の在り方について学術会議の意を発言し、岸座長は受けとめるとした。
「○光石学術会議会長 今日、まだ一部ですが、日本学術会議のあるべき機能について議論をいただいたと思います。次回以降は法人化の案が出てくると
いうことですが、法人化ありきの議論ではなくしていただきたいのです。したがって、国存置の場合の前回お示しいただいた案はのめませんと日本学術会議
は言ったわけですが、それ以外のやり方だってあるわけですので、そういうことを全て含めてどのような形態が一番良いのかということを議論していただき
たい・・・。」
年が明けて2024年4月には、組織制度ワーキンググループ(WG)及び会員選考等WGが設置され、同年12月までにそれぞれ10回、8回開催され、集中した
審議が両WGで行われた。
有識者懇談会は「懇談会」と銘打っているものの、端的に言えば、「法人化」の報告書を目的化し、その審議はその下にあるWGも含め、学術会議側はと
もかく、独立性と自律性の制度的保障をそなえた国際的に信頼されるナショナルアカデミーの核心を明らかにするものとはならなかった。
注2.参考情報:自由民主党国防議員連盟は2022年6月、「産官学自一体となった防衛生産力・技術力の抜本的強化」に関する提言をまとめ、これを
首相に手渡した。その提言には、第2の学園都市を整備し、「国家安全保障先端技術研究所」(仮称)の創設を記しているという。
2.有識者懇談会「最終報告書」の論点の問題性
「独立性」は「法人化」の方が確保されるとの論理は正当か
最終報告書は「日本学術会議を国から独立した法人格を有する組織とする」としている。だが、これは学術会議法の「独立して職務を行う」の本来
の意味合いとは異なる。報告書は「まずは国が設立する法人として出発し…国民の理解と信頼を獲得するよう努めつつ、財政面も含めた運営の自律性
を着実に高めていくことが現実的である」とし、独立とはいっても「国が設立する法人として出発し」のフレーズから分かるように、国の機関から外
して法人化することを指している。
また、「学術会議の使命・目的を踏まえると、独立した立場から政府の方針と一致しない見解も含めて政府等に学術的・科学的助言を行う機能を十分
に果たすためには、そもそも政府の機関であることは矛盾を内在していると考えられるし、会員選考の自律性の観点からも、主要先進国のように学術
会議が選考した候補者が手続き上もそのまま会員になる仕組みの方が自然であり望ましい」との、懇談会の「中間報告」の整理が引用されている。注
意すべきは「最終報告書」はこの場面で「国の機関」を「政府の機関」と言い換えて、学術会議の独立性は矛盾があるとし、「法人化」すれば、会員
選考も政府からの「自律性」も保持されるのだとの形式論から欺瞞的整理をしている。
「国(国家)」とは、国際法的には永続的住民、一定の領土、政府、外交能力などの要素で構成される多義的かつ包摂的な意味合いを持つ。「最終
報告書」は「国」と「政府」を言い換えて、政府にとって都合のよい「独立性」の考え方を持ち出し、法人化すれば「独立性」が保持されるのだとの解
釈を展開する。
この点に関わって指摘しておきたいことは、これまでの政府と学術会議の関係に関する議論では、独立性は「政府」からの独立、時の政権から独立性
を確保することで、政権が変わろうと学術会議は学術の側からの見解を独立に示すことと理解されていることだ。1949年日本学術会議の発足にあたって、
当時の吉田茂首相は「日本学術会議はもちろん国の機関ではありますが、その使命達成のためには、時々の政治的便宜のための掣肘を受けることのない
よう高度の自主性が与えられておるのであります」と、祝辞の中で述べている。「独立性」「自律性」に関わっての重要な起点となる理解がここに明言
されているのだが、今日の政府(関係者)はこの吉田首相の祝辞の一節が示す趣旨を忘れてしまったのか、知っていても無視する態度に出ているのだろ
うか。このような理解を政府がとるのは許されるものではない。
「最終報告書」は独立性の理念的理解を取り違えているだけではない。現行の学術会議法にある、「独立して職務を行う」という具体的権限をあたかも
継承しているかのごとく、「政府から独立して適切な学術的・科学的助言を行う」と記す。この記載は五十歩百歩というような記載の変更ではなく、政府
にとって使い勝手よい「適切な学術的・科学的助言」は職務として認めようというものである。ここに「適切な」を付け加えたことは極めて意図的で政治
的意味合いを持つ。「最終報告書」は現行の日本学術会議法にある「勧告」について書き込もうとはしない。この勧告権は、日本学術会議設立に当たって
学術の側からの政府に対する日本学術会議の枢要な役割として認められたことである。これを示そうとしないことは重大だ。
ときに「法人化」すれば「国の機関」から外れるので任命拒否は起こらないとする意見が聞かれる。だが、これは2020年の会員候補任命拒否を正当化
する見地に立つ、学術会議の独立性の意味を理解しないものである。
表向き会員選考や運営の「自律性」を認める管理統制
最終報告書では、会員選考ならびに運営の助言委員会設置に対する、日本学術会議側からのこれまでの批判・意見に配慮したかのように、会員任命や、
会員選考・同会議運営の助言委員会の委員任命を学術会議会長によるとした。その一方で日本学術会議の活動に対する評価と監事は、国民の理解と信頼、
国民との約束とその仕組みが必要だとし、評価委員と監事を主務大臣任命で縛りを掛けている。
この大臣任命を正当化するために、最終報告書は日本学術会議には「国民の理解」や「国民との約束」が必要なのだと理由を持ち出す。しかしながら
大臣任命にすれば、なぜ国民の理解や国民との約束が深まるのか、その根拠は最終報告書には示されていない。主務大臣が国会議員だからだろうか。確か
に内閣総理大臣は国会の指名選挙によるが、国務大臣の指名は内閣総理大臣によるもので国会の指名ではなく、ましてや国民の指名でもない。従って大臣
任命とすれば学術会議の透明性が高まり国民の理解、国民との約束が深まるというものではない。
それにしても、なぜ国民の理解、国民との約束を持ち出すのか、それは国民をかませることで国民の代わりに主務大臣が役目上任命しているのだと適切
さを装うためであろう。だが、その適切さとは裏腹に、その意図は政府・政権党の意を反映しようというのが主務大臣任命の狙いである。しかも学術会議
の財政的措置に関わって、財政支援と運営とはトレードオフとの論理を持ち出す、金を出せば口も出すというのは通常のルールなのだという。実にあれこ
れの仕組みを労して、学術会議の独立性を狭め、抑え付けようとしてはばからない。
こうした手法は、会員選考においても仕組まれている。制度的には現行のコ・オプテ一ションの仕組みを残すというものの、新法人移行にともない
「新たな学術会議の発足時の会員の選考」を行うとする。すなわち、「新たな学術会議」と称して、3年任期を残す現会員も含めセットアップ(中途解職)
を行なう。また次期会員候補の現会員の推薦の権利を外し、日本学術会議の構成員の継続性を遮断しようとする。実に、コ・オプテーション制度の根幹を
認めようとはしない。そればかりか連携会員数(約1900名)は過剰感があるとして見直し、学協会(現在、協力学術研究団体は2000を超える)との連携を
遮ろうとしている。学術体制を樹木に例えれば、要となる樹木の幹はナショナルアカデミーが担うにしても、学術体制が十全にその機能を発揮するために
は、伸び広がる枝木、その葉や根などが欠かせない。学術体制の要だけでその機能を発揮できるものではない。しかも今回の改編は前述のようにナショナ
ルアカデミー本体の生命線をも断絶しようとするものである。
この法人化による「新たな学術会議の発足時の会員の選考」に関連して「組織としての正統性」が、2023年12月21日の「中間報告」に登場する。新法の
法制化によって「高い正統性」が法定化されるとの論理であるが、ナショナルアカデミーの理解が適正に行なわれていないにもかかわらず、法定化されて
適切ではないとしても、とにもかくにも新法が成立したらそれを根拠に「正統性」を主張し、特例的な会員選考も妥当性があるとするのはおかしな話であ
る。この点については、第9回有識者懇談会から第11回有識者懇談会まで議論となっている。
第13回有識者懇談会で光石会長は、第7回組織・制度WG240722の只野雅人第一部会員・副部長や、第8回組織・制度WG241016の島村健第一部会員の「正統性」
に関する発言を踏まえて、「日本学術会議の基本構造を法定することは、民主的正統性の確保と独立性の制度的保障のために不可欠」と発言した(注3)。
これを機に以後「組織としての正統性」の言葉こそ聞かれなかった。正当性のない正統性は正統性にあらずといえようが、問題の「新たな学術会議の発
足時の会員の選考」は残った。
上述に示したナショナルアカデミー体制の枠組みをどう構成するかという問題もあるが、ナショナルアカデミーを担う会員をどう選考するかという問題
もある。最終報告書には、会員選考にあたって選考基準、選考会員数、専門・分野別の配分、外部からの推薦手続、投票方法など、選考全般に関する選考
助言委員会を設け、これを関与させ干渉する仕組みをつくろうとしている。
注3、「組織としての正統性」に関連する議論を紹介しておく。
第9回有識者懇談会231218の議事録より
「○笹川室長 学術会議を法人化する場合に、最初の会員の選考をどうするかということ。ここは学術会議の使命・目的が異なるものになる訳ですから、
今の法律の下で選ばれた方がそのまま選んでいくのは適当ではなかろうということで、高い正統性を備えた移行のための特例的な方法を検討するべきだ・・・
。特例的というのはその1回限り、あとは通常のコ・オプテーションでやっていってもらえればいい・・・・。例えば特別の選考委員会を設けて、幅広い視野
で選んでいくといったようなこともあるのではないか・・・。具体的にどう設計するかは、・・・学術会議の意見も聞きながら検討していくということで、特段
御懸念はなかろう・・・」
「○日比谷潤子学術会議副会長 ・・・高い正統性を備えた移行のための特例的な方法とあるのですが、この高い正統性とはどんなことを意図していらっしゃ
るのか・・・」
「○光石会長 先ほどの高い正統性を備えた特例的な選考方法を検討するというところで、今の会員が次の会員を選ぶのではうまくいかないのではないか
という説明がありましたが、その根拠はどういうところにあるのでしょうか・・・」
「○笹川室長 何かお二人とも高い正統性という言葉に妙に反応していますけれども、低い正統性でいいわけはない・・・、これは普通のことを書いているだ
けです。特段意味はありません。それから、今の会員だけが選ぶのがうまくいかない理由というのは、論理的には、最初に申し上げたとおり、法人のミッ
ションが変わるので、古いミッショ ンの法人にいる人たち、古い法律で選ばれた方が新法人の会員を選ぶのはおかしいのではないか・・・。それから、運用
というのか、実態の上でも、1つの例ですけれども、仮に今の会員が新法人の会員にもなれるような形にするということだとすると、コ・オ プテーション
のやり方としては、いろいろ特例を設けてできなくはないのかもしれませんけれども、うまくいかない。そういったことも含めて適切な方法を考えるべき
であろう・・・」
笹川室長は上記に示したように、「高い正統性を備えた移行のための特例的な方法・・・その1回限り、あとは通常のコ・オプテーション・・・特段御懸念は
なかろう」、「これは普通のことを書いているだけです。特段意味はありません。・・・古い法律で選ばれた方が新法人の会員を選ぶのはおかしいのではない
か・・・適切な方法を考えるべきであろう」と述べるが、これは学術組織に重大な問題を引き起こす可能性をはらんでいるにもかかわらず、この点を顧みよう
としない弁明という他はない。
次の第10回懇談会では、この笹川室長の説明をサポートする発言が「新法人の出発点」などと言って発される。
第10回有識者懇談会231221の議事録より
「○瀧澤美奈子委員(科学ジャーナリスト・日本学術会議外部評価委員)・・・新法人の最初の会員選考は、新法人の出発点にふさわしい特別な方法を検討す
べきだと思います。」
「○小幡純子委員(日本大学大学院法務研究科教授・元日本学術会議会員)・・・今、瀧澤委員からの御指摘もあった・・・、法人化するときの会員選考の在り
方なのですが、これはそれほど新しいことを言っているのではなくて、やはりせっかく新生学術会議としてスタートするのですから、ただ継続したという
印象を持たれるよりも、より正統性を高めるような形式を取ってはどうかという趣旨ではないかと思います。」
「中間報告」(2023年12月21日)には、「組織としての正統性」が「国民の理解・信頼」とセットで書込まれた。
「・・・外部に対して可視的に開かれた透明性の高いプロセスを制度的にも担保することなどによる選考過程の徹底的な透明化が、組織としての正統性と国民
の理解・信頼の確保という観点から不可欠であることを忘れてはならない。」
前述に話題となった「正統性」と「国民」(懇談会の委員・事務局と学術会議の第一部只野会員・島村会員・光石会長らの発言)、加えて国際活動の在り
方(懇談会の原田委員と学術会議第一部大久保副部長の発言)との関連で議論される。
第1回組織・制度WG240415の議事録より
「○笹川室長 ・・・選考に係るルールの策定や方針の検討に外部の目を入れること、可視的に開かれた透明性の高いプロセスを制度的に担保することによる
選考過程の透明化が、組織としての正統性や国民の理解・信頼の確保に不可欠という指摘を踏まえまして、政府の方針では、選考助言委員会というものを
置いたらどうかということを提案しております。・・・」
第4回組織・制度WG240527の議事録より
「○原田久委員(立教大学法学部長・日本学術会議連携会員)・・・法人の比較表を拝見して、この比較表は従来からの日本学術会議の議論の延長線上にもち
ろんあるわけですけれども、大きく分けてアカデミシャンの組織なのか、それともアドミニストレーションの組織なのかという観点を意識しながら比較をし
たものなのだろう・・・。・・・学術会議の科学的な助言が学問、学術に基づいて出てきているということは、組織の正統性に関わる問題です。選び方が非常に
大事だろうという話が出てくる、これはよく分かります。・・・」
「○大久保規子学術会議第一部副部長 ・・・この一連の流れが、海外からどう見えるのかということです。日学は国際活動を本当に強化してきた。今、50人の
職員の中でも15名は国際で、言わば国際的な学術外交を担っていると言ってもいいわけで、国際団体の分担金に関しては別途毎年閣議決定により予算が決め
られており、そういう形で別枠で正統性も確保されている・・・。今回の改革が海外からどう見えるのかを考えた場合に、レピュテーションを築き上げるのは大
変ですけれども、レピュテーションが下がるのは何かのきっかけがあったらあっという間です。一瞬です。万が一、日学は政府のナショナル・アカデミーと
いう名称は形式的には持っているけれども、独立性が損なわれた政府関与型のアカデミーなのだという印象を与えてしまったら、このレピュテーションを取
り戻すのは本当に大変なこと・・・、一連の過程をどう国際社会あるいはほかのアカデミーが見ているかということにも重々気をつけられたほうがいいと思いま
す。・・・」
上述では、「独立性が損なわれた政府関与型のアカデミーなのだという印象を与えてしまったら、このレピュテーションを取り戻すのは本当に大変なこと
」と指摘されている。
第11回有識者懇談会240607の議事録より
「○相原道子主査(横浜市立大学名誉教授・学長室顧問)・・・新法人の発足時の会員選考につきましては、本当に新しい学術会議を目指すのであれば、継続
ではなく全く新しい選考にすることも考える必要があるとか、現会員だけで選考するのではなく、オープンに幅広い観点から行うほうが国民の理解と支持に
つながり、正統性も高まるのではないかとか、新しく特別な選考委員会の設置を考えてもよいのではないか、それから、これまでのコ・オプテーション方式
を継続しつつも、新たな枠組みがあってもよいのではないかなどの御意見をいただいております。・・・」
第7回組織・制度WG240722の議事録より
「○只野学術会議第一部会員 ・・・最初の使命・目的のところで「国民の総意」という言葉が入っている意味合いなのですけれども、私たち学術会議は国民の
皆さんから重い負託をいただいている、そのことは自覚している、これは前回お話をさせていただいたとおりです。ただ、ここでいう「国民の総意の下」と
いうのは少し違うニュアンスがあるように思っておりまして、先ほど笹川室長がおっしゃったようにある種の民主的な正統性のような話ですね。しかし、国
民の後ろには政府が、国民の意思を体して活動する政府があるような、こういう印象を強く持っております。前々回出た図でしょうか、「国民(政府)」と
いみじくもこう書いてありましたけれども、違うものが2つここに同居しているような感じがいたしまして、前文に書くとすればどこから負託を受けてい
るのか、こういう話になるのではないだろうか・・・」
第8回組織・制度WG241016の議事録より
「○島村学術会議第一部会員 ・・・委員の先生方からも日学のガバナンスを適切なものにする必要があるという御指摘をいただいてきた・・・。この点につきまし
ては、国民が選挙を通じて国会議員を選び、国会議員が大臣を選び、大臣が任命する監事や評価委員を日学に送り込むというプロセスが唯一の正統性の担保
の仕方ではない・・・。そういう素朴で単線的な民主的正統性の確保のみを考えるというのは古い公法学の考え方です。ununterbrochene legitimationskette
(途切れのない正統性の連鎖)というふうに言うのですけれども、・・・そういう正統性の連鎖が国民から国会や大臣を通じて行政機関の端々まで及ぶというのは、
非常に単純なモデルなのですけれども、それのみで組織の正統性、ガバナンスの在り方を論じるというのは、現代の議論ではございません。・・・
・・・任命拒否を総理大臣がされた後に様々な新聞が世論調査をしておりますけれども、どの媒体でも過半数の国民がそれは妥当ではなかった、あるいは少
なくとも説明が不足しているというふうに回答しています。つまり、6名の会員の任命を拒否したのは国民の意思に合致するものではなかったということ
になります。この例が表すように、大臣の任命する監事を組織に送り込むとか、大臣が任命した評価委員が日学を評価するということが民主的正統性を担
保するものとは必ずしもならないということでございます。・・・
・・・単純で素朴な「民主的正統性の連鎖」というモデルだけではなくて、日学の組織としての正統性、ガバナンスを確保する方法というのは他にもある・・・
。政治からの自律性、独立性を維持する必要があるナショナル・アカデミーのような組織のガバナンスの在り方としては、自律的な正統性、自律的なガバナ
ンスを追求すべきです。実際、日学では、科学者がコ・オプテーション方式によって会員を選任いたします。選任過程の透明性は、この間非常に改善されて
おりまして、会員候補者は研究業績や選任された理由、会員としての抱負まで示されることになります。通常の審議会などではそういうプロセスは一切明ら
かにされておりません。どういう理由で、どのような資質に基づいて審議会の委員が選ばれるかということは、通常の審議会などの場合には、国民に対して
明らかにされていない・・・。
・・・勧告や声明を出す際には、市民や多様なセクターとの対話を行う方向で運用を改善してきている・・・。このように自律的な正統性を担保するための仕
組み、国民に対して直接説明責任を果たす仕組みがあり、また、パブリックコメントなどで御意見を聞くというような場を設けるなど、このような形での
ガバナンス、正統性の確保というのが、科学者からなる独立かつ自律的な組織としてのガバナンスの在り方であり、政府案と称されているものと比較して、
より適切なのではないか・・・。以上のような観点から、監事を大臣が任命するとか評価委員を大臣が任命するというのは適切ではないというふうに考えて
おります。
室長は、評価委員や監事は大臣任命だというのがこの会議体のコンセンサスというようなことをおっしゃったのですけれども、冒頭のご発言で主査はそ
ういうふうにおっしゃっていなかったと思います。監事を置くということは方向性として共通しているとおっしゃったと認識しており、大臣任命の監事を
おくことがコンセンサスだというふうにはおっしゃらなかった・・・」
第13回有識者懇談会241129の議事録より
「○光石会長 ・・・日本学術会議の基本構造を法定することは、民主的正統性の確保と独立性の制度的保障のために不可欠でありますが、一方、会員選考に
関しましては、会員数・任期・定年及び会長の選考方法は法定することになります・・・」
上述に示したように、「正統性の確保」は「科学者からなる独立かつ自律的な組織としてのガバナンス」であって、政府案と称されている「監事を大臣
が任命するとか評価委員を大臣が任命するというのは適切ではない」ということが指摘されている。
科学者の代表機関たるアカデミーの会員資質とは
そうした点で危惧されることは、会員資質について「学術的卓越性」と微妙な表現をし、その一方で「ダイバーシティ」の触れ込みで「多様な視点から
よりオープンに慎重かつ幅広く選考する」としており、基準は揺らぎかねない。というのも「最終報告書」の「国民が納得できるメンバー」の項には「科
学者の価値は『新しい価値や知識の創造』であり、会員選考において 学術的な卓越性が最終的な価値であることがナショナルアカデミーのスタンダードで
ある」ことが確認され、その線で「学術会議にふさわしい学術的な卓越性に必要な資質・選考基準の言語化に務めることが不可欠である」としている。
問題は「新しい価値や知識の創造」は何かということである。そのフレーズの前後にある、「学術の方向性や学術と社会の関係などを俯瞰的に議論する
ための高いダイバーシティを確保すること」、また「異なる専門分野間をつなぐことができる資質、政府や社会と対話し課題解決に向けて取り組む意欲と
能力、国際的な活動実績」、そのほかに「使命感や倫理観」などもあげられているけれども、これらの記載からすれば、学術の外延的な部面を重視してい
ることは明らかである。学術の方向性、社会の関係、分野間をつなぐ、課題解決などといっても、学術本体の核心部分、構成などが形成されていなければ、
それらの外延的な部分も実のある確かな成果を結ぶことはできない。
また、「最終報告書」には「会員が仲間内だけで選ばれる組織だと思われないために」とのフレーズが散見される。また「少数の科学者だけが内輪の論
理で独りよがりになってしまうのではないかというような懸念を生じさせないためにも、そのために必要な仕組みを制度的に担保しておくことが望まれる」
とも述べて、選考助言委員会や運営助言委員会などの設置の必要性が書き込まれている。これらは科学者による会員選考、コ・オプテーション制による選
考、そうした会員選考にみられる学術組織の運営の在りようについて、政策策定の側が憶測ともいえる見解を有識者懇談会やWGで述べ、最終報告書に記載
している。その意図は、あたかも会員/科学者たちは独りよがりでクローズドした集団などではないかとの印象操作を行って、一国のナショナルアカデミ
ーをおとしめようとしているところにある(注4)。
なぜ、このような発言をしてまで会員資質を再定義するのか、それは現行・日本学術会議法に謳われている「優れた研究又は業績がある会員をもつて組
織し」という基準、すなわち科学者の代表たる会員資質からは距離をとりたいからなのであろう。とはいえ、学術会議は科学者の代表者で組織されなくて
は学術会議にはならないので、学術を認めざるを得ず「学術的卓越性」とする。けれども「的」とは「そのような性質・状態・傾向」を示すものである。
注意を要するのは、会員選考について「ダイバーシティを踏まえた会員の多様性の拡大」と記していることだ。ここでのダイバーシティ/多様性とは何か、
なお議論を要することなのであるが、その枠、バランス、基準も含め示されていない(注5)。
現在会員は210名であるが、最終報告書では250-300名を上限として選考し、新たに選考基準、専門・分野別の配分などを言語化し、ダイバーシティ
を振りかざして産業界等の会員の増員を図ろうとしている(注6)。これらの会員が一定数を占めればステークホルダーの集まりが形成され、学術会議は学
術的真理性に基づく合議の場ではなく、利権追求の場となる恐れがある。なお、透明性の確保として選挙制導入があげられている。しかし、マイナーな学
術分野は排除される可能性が高く、またSNSの下での選挙制は危ういものとなりかねない。
私見を示せば、現行法の前文にある「科学者の総意の下」にというフレーズに帰する。これを学術組織の会議体として実現するためには、@科学者の代
表者たる会員選考、A会議体として組織された科学者の代表機関における科学的真理性に基づいた妥当性のある審議、これらが的確に行われるか、その上
で「独立性」に象徴される「学術と政治のあるべき姿」をどう捉えるのか、この点の理解をなお深める必要があろう。
なお、2010年代半ば頃より指摘される研究力低下の原因は、科学技術基本法下の研究資金の競争化・重点化ならびに国立大学の法人化、運営費交付金の
経常費の削減策など、政府の施策に起因し、主要国の中で相対的低位となっていると指摘されているが、今度は上述のような法人化の施策によって日本の
学術体制は変質し奇形化する、取り返しのつかない事態を迎えよう。
注4、この「仲間内」の言葉は最終報告書に5回登場する。この間の審議の出所を調べてみると、
2023年開催の懇談会では、以下のように、「仲間内で選ばれる印象が残らないような選定の方法であることを社会に理解してもらわないと、国を代表する
学術の組織としての正統性が担保されることは難しいのではないか」(第3回有識者懇談会20230925相原委員発言)とか、「仲間内だけで選ばれる組織でない
ことを担保しないと、その正当性は担保されないのではないか」(第7回同懇談会20231130笹川室長発言)、ないしは「組織の正統性のためにはそのプロセス
の透明性が必要だとか、仲間内だけで選ばれているようではいけない」(第9回同懇談会20231218同室長発言)といった発言が見いだされる。
その頃は、まだ学術(学問)の分野で選考するのでは枠が決まっていると述べて、「仲間内」なのではないかというのだが、これでは自然と社会を対象と
する学術の客観的な枠組みを理解しないことになる。そこで、産業界だとか外国人などの出身の科学者を選考したらどうかというような社会的多様性を理由
付けにした。
だが、これではしっくりしないと見たのか、2024年開催の懇談会では、「国民に納得できる」ものとして透明性を理由付けにして、スクリーニングや候補
者の絞り込みなどの選考の仕方を工夫することで、「会員が仲間内だけで選ばれる組織であると思われない」といった発言として展開された。
以下に紹介する。
第1回会員選考等ワーキンググループ(WG)240426で、笹川室長が、「科学の進歩や社会の変化が会員構成などに反映され、学術会議が自律的に変化し、
進化していく機会でもあること、次のパラグラフで、プロセスが透明で仲間内で選ばれる印象が残らないような方法であることも、組織の正統性のためには
必要だということでした。」、
次いで、第5回会員選考等WG240719で、笹川室長が、議題2の海外アカデミーへの確認状況に関連して、「学術会議がミッションを完遂するためには、やは
り会員の選考がすごく大事で、我が国の代表にふさわしいvery bestな会員、国民が納得できるメンバーが選ばれるということ。客観的で透明な国民に説明で
きるような、理解いただけるような方法で選ばれること。会員構成に学術の進歩と社会の変化が反映されること。そういったことが重要だ」と述べている。
しかし、このWGの委員からは「仲間内」という言葉を口にされなかった。
ところが、同WGの相原主査がそのWGの最後のまとめ発言で、笹川室長の先の議題にかかわって述べた「客観的で透明な国民に説明できるような、理解いた
だけるような」というフレーズに触発されたのか、「仲間内」との言葉を発している。
そして、このWGの10日後の2024年7月29日の第12回有識者懇談会で、相原主査が「会員が仲間内だけで選ばれる組織であると思われないために、ファース
トスクリーニングと候補者の絞り込みを同じメンバーだけによる閉じられた形で行わない仕組みが望ましい」と発言している。
これは自然な流れといえるのか、作為的な意図はなかったのか。というのも、「仲間内」の発言はその後の有識者懇談会ならびに会員等選考WGで見られ
ず、学術会議側のメンバーも一過性の発言だとみて特に問題視しなかったのだろう。
ところが、2024年の年の後半、最終報告書をまとめる時期が近づき、この「仲間内」発言が繰り返される。
第6回会員選考等WG241011で、相原主査が冒頭発言で「国民に説明できる方法という観点からは、会員が仲間内だけで選ばれる組織であると思われないた
めに、ファーストスクリーニングと候補者の絞り込みを同じメンバーだけによる閉じられた形で行わない仕組みが望ましいこと、海外アカデミーが自分た
ちと同等のアカデミーだと認めてくれるような方法で選考することが必要ということでした。そのために、コ・オプテーション方式を前提としつつ、海外
アカデミーのようにどこかの段階で投票のプロセスを入れるということで透明性を高めることが望ましいということに同意は得られたかと思います。」と述
べている。
そして、第7回会員選考等WG241111で、笹川室長が「我々としては、・・・仲間内だけで選ばれる組織であると思われないためにも、国民との約束として法定
化することが大切ではないかと思っています」、また、12月2日の第8回(最終)会員等選考WGで、笹川室長が「仲間内だけでやっていると思われないように、
外部に説明できるような選考の仕組みを整えることを国民との約束として制度的に担保することが必要である。・・・これが投票制度をはじめとする選考プロ
セスの透明化、実質化とか、選考助言委員会の議論につながっていく・・・」と述べている。
こうして主査や室長が口にした「仲間内」の言葉が、「最終報告書」で先に触れたように5回も繰り返し現れる。これは学術会議は改編が必要な組織であ
ると印象付け、政策策定側の意に沿って議論を進めるためにそう発言されたのではないかと疑ってしまう。
「内輪の論理で独りよがり」について示せば、これを想起させるフレーズは、2024年10月11日開催の第6回会員選考等WGの笹川室長の、「例えば生命科学
とか、理学・工学とか、ほかの分科会からも少し持ってきます。10人ぐらいずつ持ってきて合計100人などにして、それで投票すると。そうすると、人文社
会グループでの意思決定を変にゆがめることもなく、ただ、ある程度は外の目が入るので、いわゆる内輪の論理で選ぶというようなことがやりにくくなる
・・・」、そして同年11月29日の第13回有識者懇談会で笹川室長が、「選考助言委員会での議論の過程とか投票の結果をきちんと議事録に残していけば、自分
たちが内輪で決めているのではないかということは言われないで済む」と述べている。
上記のWG、懇談会以外ではこれに類似した発言は見られない。この出所は有識者懇談会の事務局で、「最終報告書」をまとめる政策策定を担う事務局が
そのために脚色しているのではないか。
それにしても、「仲間内」や「内輪の論理で独りよがり」の発言は巧妙で「仲間内だけで選ばれる組織であると思われないためにも」ないしは「内輪
で決めているのではないかということは言われないで済む」という形で書き込まれていることである。つまり、実際には学術会議の会員選考でそういうふ
うに行われているのかいないのか分からないにもかかわらず、「仲間内・・・と思われない」ないしは「言われないで済む」とすれば誤解されないのだからと
おもんばかっているように装っていることである。そう表現することの妥当性を考えてのことなのか、そうした考慮もなく発言し記載していたならば、
「最終報告書」に書き込む必要はないと考える。報告書に書けば、それも一つの「事実」となる。実際、「最終報告書」発表後のマスコミ報道であたかも
「事実」のように紹介されている。SNSのフェイク拡散に類似したことが起きている。
注5、確かに「最終報告書」の「学術的卓越性」は閣議決定された「法案」には登場しない。だが、仮に法案が施行された場合には、会員選考に関わって、
助言委員会を構成する委員等の意向も反映されるだろうが、「最終報告書」の記載も選考の際に拠り所となろう。
注6、自由民主党PTの提言(2020年12月)には、文部科学統計を根拠に「全研究者の6割を占める企業・産業界の研究者」として、学術会議の会員構成比
を検討すべきとしている。
科学技術指標2024に記載される2023年の研究者数のHC:実数(専従換算しない人員/頭数)/FTE:専従換算値は、企業所属61.8万人/53.0万人、大学
34.2万人/13.7万人、総数100.3万人/70.5万人である。統計の前提となる研究者の定義は、企業における研究者の定義は緩く、企業所属の研究者の定義
を、大学課程を修了した者、または同等以上の専門的知識を有する者で特定のテーマをもって研究を行っている者としている。これに対して、大学の研究者
の定義は、@教員、A博士課程在籍者、B医局員、Cその他研究員のいずれかであるか、または同等以上の専門的知識を有する者で特定のテーマをもって研
究を行っている者である。このように企業と大学での定義が異なる。
ちなみに、学術振興会の2023年度の研究者登録総数は29.0万人で、そのうち企業・NPO等の研究所の研究者登録数2.5%、短大等を含む大学のそれは83.7%、
国公立研究機関等のそれは11.9%を占める。また各種統計では企業における研究者の博士号取得者の割合は、大学は6割程度であるのに対して、企業は数%
でしかないと指摘される。経済産業省「企業における博士人材の活用及びリカレント教育のあり方に関するアンケート調査」(2020年)では博士号取得者数
は4%の数字が示されている。確かに部門によって学位、職位などの有無が異なるけれども、概して企業所属の研究者の定義は上記に示したように緩く、企
業所属の研究者数は相当割り引いて考える必要があろう。
3.日本学術会議と政府との関係の変転
学術会議の75年のその成り立ち、歴史は、科学者の総意の下に自生的、合議的な在り方を育み、独立性・自律性を保持して活動を行ってきた。しばしば
話題となる原子力基本法の三原則、研究基本法と真理性の提起、等々。だが、「窓際」に寄せられ、毀損されてきた。
日本学術会議は、これまで政府と次のような関係/協議機構をもってきた。創設から10年は科学技術行政協議会(1949年〜、内閣総理大臣の所轄機関、
会長:内閣総理大臣、委員26人以内の半数は学術会議推薦)、ついで科学技術審議会(1956年〜科学技術庁の附属機関、会長:科学技術庁長官、27人以内
の1/3は学術会議推薦)を設置し、科学技術行政に対応していた。
だが、1959年科学技術会議(総理府の附属機関、議長:内閣総理大臣)が設置されると、日本学術会議会長は前記会議の議員10人(「日本学術会議会長」
を含む)のうちの1議員となり、その地位は大幅に低められる一方で、省庁に設置された審議会の重みが高まっていった。
そして、平成の「省庁再編」にともない、科学技術庁は文部省に統合され、科学技術会議は2001年総合科学技術会議(内閣府設置機関、議長:内閣総理
大臣)に改編され、日本学術会議会長は議員14人のうちに「関係する国の行政機関の長」の1議員として指定されるようになった。なお、科学技術会議に
おいては日本学術会議への諮問、答申・勧告は、内閣総理大臣が関係行政機関の総合調整を必要とする4項目の諮問事項の一つとなっていたが、総合科学技
術会議においては、その学術会議にかかる記載はなくなった。
現在(2014年〜)は、総合科学技術・イノベーション会議に名称変更しているが、上述のように、日本学術会議の存在・地位、機能は相対的に低められ
抑制されてきたが、日本の学術体制の要を担う日本学術会議は法人化によって「窓際」に寄せられるどころか、「窓外」に追いやられ、法制がその独立性、
存在性を毀損する事態を迎えている。
今次学術会議法人化が俎上に上がって国の機関を外すことになれば、法人化の制度そのものは組織論だが、問題はそこに独立性、自律性を弱体化させ
る仕組みが仕込まれていることである。有識者懇談会では学術会議側のメンバーはその点での懸念を再三再四指摘しているものの、有識者懇談会の審議
は、任命拒否問題はもちろんのこと、その懸念の指摘を顧みるような議論になってこなかった。
4.ナショナル・アカデミーの社会的責務と「学問の自由」の公共性
この学術会議の法人化をめぐる問題は、単に学術会議にとどまらず、また研究者のみに関わる問題ではないことを、最後に指摘しておこう。
国の機関か法人化かということで、組織的な所轄関係の問題として考える向きもあろう。だが、この問題は過程として学術と学術体制、学術行政をとら
え考えるならば、いいかえれば、学術と政治、経済、広く社会との関わりでそれらが進み行く過程を見通して考えることが欠かせない。そして、これらの
問題をとらえるときに、しばしば学問の自由、擁護が問われるのもそれゆえである。
確かに学問の自由はこれに直接関わりあう研究者の権利問題として限定してとらえることも大事だ。だが、学問の自由、その擁護はそうした限定した範
囲ではなく、学問(学術)の成果は広く人々に事柄や事物を介して還元されるものである。その際に、それらの学問(学術)の探究の過程が適正に進めら
れているのか、産業や行政、生活などを介したその還元のされ方が適正に行われているのか、要するに、研究者の権利行使を含め、社会的還元が学問の自
由の下、現実社会の過程を包摂的にとらえ、科学的真理性に基づきつつも学術が公共的あることを踏まえた確かな判断のもとに行われているのか、判ずる
必要がある。当然のことながら学問の自由は、科学が対象とする自然と社会につらぬく普遍性、多様性を客観的にとらえるために必要不可欠であるけれど
も、一方で広く社会と関わり公共的な意味あいをもっている。
ところで、現在、日本学術会議の会員は、3年で半数が改選されるコ・オプテーション制で、他にパーマネントな職分をもった研究者(科学者)が選任
され構成されている。その運営体制は「ボトムアップ・ネットワーク型の合議制」に基づくものであるといわれている。
これは、筆者の仮説的な見解であるが、民主主義の在り方に構造的ともいえる課題を抱える現在の日本社会を考えると、日本学術会議が、全国各地の研
究機関(大学等)に所属する研究者が、全て非常勤の会員として任命され、アカデミーとして構成されていることには計り知れない意味がある。正会員210
名による学術会議の総会は一見多すぎるともいえる会議体だが、これは多彩な分野からなるメンバーの意見交換で問題意識の共有を合議によってはかるも
ので、また学術会議は200を有に超える委員会・分科会を会員と連携会員をメンバーとして構成し、学協会とも連携し様々な課題の解決を図っている。留意
すべきは、このシステムが独立性・自律性を保持し、学術会議ならではの組織・運営を形づくっているのだが、同会議の「健全性」はこのような在り方が
歯止めになっていると思われる。
仮に会員がナショナル・アカデミーに専任職として雇われた者、それに類似した専任職(例えば、テクノクラート:米国の原爆開発マンハッタン計画で
活躍したことが知られている。今次の最終報告書では、会長の常勤化や、ストラテジックインテリジェンスと称する戦略部隊のようなスタッフの設置などが
示されている。)で構成されたり、あるいは今次の「最終報告書」に仕込まれているような、独立性・自律性を毀損する仕組みによってアカデミーが干渉
(統制)されたり、ないしは「新たな学術会議」との触れ込みで学術会議の生命線が遮断され、その継承が危ぶまれる事態となれば、アカデミーの機能は
まともに発揮されなくなるだろう。というのも、それらの会員は、機関組織の指示・方針ないしは機関組織への職務専念性から政治的都合や経済的便宜に
服してしまいかねない、そうでなくとも時の政権等への忖度がまかりとおる恐れがあるからである。
「法人化」によって企図されていることが現実のものになったならば、ナショナル・アカデミーは学問の自由が阻害されて場合によって真理性や社会的
責務としての公共性から遠ざかり、その名に値する科学者の代表機関たる会議体ではなくなるだろう。そうした状況となれば、学術と政治の関係は20世紀
前半の世界大戦時の日本学術会議の前身:学術研究会議の軍事動員を彷彿とさせるものになりかねない(参照、学術と政治(1) 学術体制「国策化」の危険
性)。目下策されている学術会議法の「改編」は、学術体制本体の法制を改編し、そのようなアカデミーになることを狙っているといえよう。
改めてナショナル・アカデミーの社会的責務と「学問の自由」の公共性との関連、擁護することの意味を顧みることが欠かせない。
(2025年1月5日記、2月15日4項加筆、3月5日4項更新、4月5日注加筆、4月15日一部加筆更新)
○参考ページ:学術と政治(2) 日本学術会議の「独立性」を掘り崩し、学術の国策化を狙う「法改正」に反対の意を示そう>
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○参考ページ:学術と政治(4) 有識者懇談会「最終報告書」の問題性をめぐって>
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