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常総市の伝統方言継承に関するアンケート調査報告

佐々木冠(札幌学院大学)

以下は前任校(札幌学院大学)時代に行った調査の報告書です。肩書きは当時のままにしてあります。レイアウトは基本的に変更していませんが、スマートフォンでも読めるコマンドを埋め込みました。
設置:2019/05/11
2009年12月3日アップロード
2009年12月7日改訂
2009年12月15日:「暫定版」を外す。

2. 常総市の伝統方言の文法特徴

2.1. 常総市の伝統方言の文法特徴

 今回の調査は常総市の伝統方言が若年層にどれだけ継承されているかを調べることを目的としたものです。今回の調査について述べる前に、常総市の伝統方言の特徴について概観したいと思います。その中で常総市の伝統方言が言語学的な観点からみてどのような点で興味深いのかを示したいと思います。

 常総市は、2006年に石下町と水海道市が合併してできた自治体です。常総市の北部を構成する旧石下町を中心とする地域を舞台とした小説に『土』があります。『土』は長塚節の小説で、1910年に朝日新聞に掲載されました。この小説の会話部分では当時のこの地方の方言が使われています。ここで伝統方言という場合、『土』の会話部分に現れるような言葉を指すものとします。後で詳しく述べますが、アンケート調査でも『土』の会話部分の表現が使われています。

 常総市の伝統方言がいつ頃形成され『土』の会話部分に現れるような言葉になったのかはまだ明らかにはなっていません。今後の文献学的な調査の進展が待たれるところです。伝統方言は決して過去のものではありません。現在も老年層には継承されています。私は1990年代の前半から石下町や水海道市の調査を行っていますが、現在80歳以上の年齢の方の中には『土』に現れる方言の特徴を色濃く残した言葉を使っていらっしゃる方がいることを確認しています。ここで、「『土』に現れる方言を使っている」と言うのを避けたのは、使っている語彙(単語)などに関しては、20世紀初頭の方言とは異なっている場合があるためです。しかし、私がこれまで調査で会ってきた80歳以上の方の言葉は、文法的に見ると『土』に現れる方言の特徴をほぼ受け継いでいます。

 では、常総市の伝統方言はどんな特徴をもっているのでしょうか。文法的な特徴に焦点を当てて概観したいと思います。

 常総市の伝統方言は推量の助動詞が「べ」(あるいはその音声的な変異形、古典語の「べし」と同系)である点などで東日本的な特徴を示す方言といえます。ちなみに標準語の推量の助動詞「だろう」は東日本の「だべ(または、だっぺ、など)」と西日本の「やろう」が混ざってできたものです。

 名詞に付属する要素に関しては、東北地方や九州といった日本の周辺部で話されている方言との共通点があります。「さま」に由来する方向を表す格助詞「さ」が使われている点では、東北地方の方言と連続性があります。ちなみに「さま」に由来する方向を表す格助詞は、九州地方でも「さみゃー」「さん」などのかたちで使われています(小林 2004)。また、常総市の伝統方言で使われている「げ」は受け手を表す格助詞です。「げ」は古典語の「がり」に遡るといわれています(森下 1971)。「がり」に遡る格助詞は、主に九州地方や琉球列島の方言に分布しています。八丈島の方言や山形県の一部の方言でも「がり」に由来する格助詞が使われています。

 連体修飾格助詞が複数ある点も常総市の伝統方言の特徴です。標準語では連体修飾格助詞は「の」一つしかありません。一方、常総市の伝統方言には、「が」、「の」、「な」の三つの連体修飾格助詞が存在します。標準語では、同じように「の」で表される「私/僕もの」、「机脚」、「前もの」が「俺もの」「机脚」「前もの」と常総市の伝統方言では区別されます。「が」と「の」という二つの連体修飾格助詞が存在する方言は琉球列島等の南日本に広く分布しています。連体修飾格における「が」と「の」の区別は古典語にもあったものです。

 これまで紹介した文法特徴は古典語にもあった要素を使ったものです。その中には「が」と「の」のように古い段階からあった要素(そして区別)を引き継いだものもある一方で、「さ」や「げ」のように古くからあった要素を別なカテゴリーに発展させたものもあります。一方、この地域の方言で独自に発展させた要素もあります。能力や感情の持ち主(経験者)を表す名詞に付く格助詞「がに」です。「がに」は連体修飾格の「が」と場所を表す格助詞「に」が合わさってできた格助詞です。後で詳しく述べますが、経験者を表すのに特化した格形式があるという特徴は非常に珍しいものです。「がに」がいつ頃からこの地方の方言にあったのかはわかりませんが、『土』の中ではすでに使われていますし、私の調査に協力してくださった老年層の方も使っていました。