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常総市の伝統方言継承に関するアンケート調査報告

佐々木冠(札幌学院大学)

以下は前任校(札幌学院大学)時代に行った調査の報告書です。肩書きは当時のままにしてあります。レイアウトは基本的に変更していませんが、スマートフォンでも読めるコマンドを埋め込みました。
設置:2019/05/11
2009年12月3日アップロード
2009年12月15日:「暫定版」を外す。

2.2. 言語類型論的に見た常総市の伝統方言

 これまで常総市の伝統方言の文法特徴として列挙したものの多くは格助詞でした。次に、これらの格助詞の存在によって常総市の伝統方言が言語類型論の観点からどのような性格付けを与えられるかについて述べたいと思います。言語類型論は、世界中のさまざまな言語を研究対象にして人間言語の多様性と普遍性を解明することを目指す言語学の分野です。

 オーストラリアの言語学者Barry Blakeは、人間言語のさまざまな格(日本語で言えば格助詞で表されるカテゴリー)を扱った著書(Blake 1994)において、連体修飾格は一つの言語に一つであることが多いと述べています。現在の日本語標準語は「の」という一つの連体修飾格助詞だけを持っているわけですが、このような状態の言語が多いということです。別な見方とすると、古典語や常総市の伝統方言のように複数の連体修飾格のある言語は珍しいということになります。ただ、古典語や南日本の方言のように二つの連体修飾格助詞がある体系は他にもあります。皆さんが学校で習っている英語がそうです。「's」(サクソン属格)を使った連体修飾表現(例:yesterday's newspaper(昨日の新聞))と「of」(ノルマン属格)を使った連体修飾表現(the king of England(イングランドの王))があります。これに対し、常総市の伝統方言のように生き物名詞に付く連体修飾格(「が」、例:俺がもの)ともの名詞に付く連体修飾格(「の」、例:机の脚)と場所名詞に付く連体修飾格(「な」、例:前なもの)と三つの連体修飾格を区別する言語体系はあまり見当たりません。

 常総市の伝統方言に見られる三つの連体修飾格の使い分けは言語類型論の観点から見て珍しい現象ということができそうです。言語類型論の観点から見て珍しい特徴は他にもあります。格助詞「げ」と格助詞「がに」の対立のあり方です。

 格助詞「げ」は受け手を表す要素で、文法的に見ると間接目的語をマークする要素です。「I gave the pocket money to my grandchild(孫に小遣いをやった)」の「to my grandchild(孫に)」に対応する要素です。

 格助詞「がに」は経験者を表し、文法的に見ると斜格主語をマークする要素です。間接目的語は英語の授業などで聞いたことがあると思いますが、斜格主語という言葉はなじみがないかもしれません。その言語の普通の主語とは異なるかたちをした主語を指す文法用語です。日本語で言えば、「僕には英語がわかる」の「僕に」に対応する要素です。形の上では普通の主語(〜が)とは異なり「〜に」となっています。しかし、さまざまな文法特徴を調べてみると主語と同じような特徴を持っていることがわかる要素です。例えば「僕には自分の体重がわからない。(身体検査を欠席したから)」のような例文をみると、文中の「自分」と同じものを指すことができる点などで、文頭の「僕に(は)」が主語と共通の特性を持っていることがわかります。「斜格主語とは何か」という問題を書き出すと長くなりますので、ここではこれ以上展開しません。興味のある方は、次の2冊をご参照ください(佐々木他 2006、角田 2009)。英語で斜格主語的な表現というと「It seems funny to me(僕にはおかしく思える)」の「to me」になります。

 間接目的語と斜格主語の例として上で示した例文を見ると、両者が同じ形式になっていることがわかります。標準語を見ると間接目的語も斜格主語も「〜に」というかたちになっています。英語でも両者は「to 〜」で共通のかたちになっています。実は、多くの言語で斜格主語はこのように間接目的語と同じかたちをとります(属格(日本語でいえば「の」)のかたちをとる場合もありますが、ここでは議論を複雑にしないために取り上げません)。そんなわけで斜格主語を間接目的語と結びつけて考える分析もあります。

 ところが、常総市の伝統方言では斜格主語は間接目的語とは異なるかたちをとります。斜格主語は「〜がに(俺がに英語わかる)」、間接目的語は「〜げ(孫げ小遣えやる)」で別のかたちになっています。常総市の伝統方言のように斜格主語と間接目的語が別々のかたちをしていて、斜格主語固有の格形式がある言語は、世界の言語の中で皆無ではありませんが、非常に珍しいのです。管見の及ぶ範囲では、常総市の伝統方言のほかには、コーカサスで話されているゴドベリ語(Kibrik 1996)とアンディ語(Comrie 1981)そしてインドで話されているボジュプリ語(Verma 1990)があるぐらいです。なお、ゴドベリ語・アンディ語・ボジュプリ語はいずれも能格型の言語であり、対格型の言語で斜格主語専用の格形式を持っている言語は、管見の及ぶ範囲ではこの地方の伝統方言以外にはありません(埼玉県の東部の方言にも同様の格助詞がありますが、常総市の伝統方言と同じ「がに」であり、明らかに地域的に連続した文法特徴です。「能格型」「対格型」という用語については下の段落の説明をご参照ください)。

 常総市の伝統方言には、言語類型論的に見て珍しい特徴があるだけでなく、ごくありふれた特徴もあります。主語と直接目的語の表し方がそれです。標準語では、主語が「〜が」のかたちで、直接目的語が「〜を」のかたちで表されます。一方、常総市の伝統方言では、主語は名詞そのもの、つまり何も付かないかたちで表され、直接目的語は、生き物名詞の場合は「〜ごど」が付くかたちで、もの名詞などの場合は何も付かないかたちで表されます(常総市の伝統方言では「が」は連体修飾格として使われています)。常総市の伝統方言は、主語と直接目的語のかたちが標準語と異なりますが、主語と直接目的語の区別のパターンは標準語と同じです。主語と目的語を区別するパターンは五つあります。自動詞文の主語をS、他動詞文の主語をA、他動詞文の直接目的語をOとします。主語と直接目的語の区別のパターンは代名詞と名詞で異なる場合があります。ここでは名詞について考えてみることにしましょう。World Atlas of Language Structuresというデータベースによると、中立型(S, A, Oを区別しない)が最も多く、190言語中98言語がこのパターンであるそうです。次に多いのが、「S=A≠O」の対格型(SとAを同じかたちにしてOを別のかたちにする)です。190言語中52言語あります。標準語はこのパターンです。常総市の伝統方言も生き物名詞に関しては、このパターンです。もの名詞の場合は中立型ですので、中立型と対格型という最もありふれたパターンが共存しているといえます。主語と直接目的語を区別するパターンにはこのほかに能格型(A≠S=O、自動詞主語と直接目的語が同じかたちで他動詞主語が別のかたち)、3項型(S, A, Oがすべて別のかたち)、活格型(SがAと同じかたちとOと同じかたちに分裂する)があります。これら三つのパターンは中立型や対格型に比べると少数派です。能格型が190言語中32言語、3項型が190言語中4言語、活格型が190言語中4言語といった具合です。