量子常誘電体における第二音波(=温度の波動)について



固体物理 第45巻 2月号 pp111-122(2010) (誤植が多いのでプレプリントを置きます)

平成20年度村田学術財団研究助成の報告書原稿

Physical Review Letters vol.99, 265502 (2007) [4 pages]

Physical Review B, vol.80, 165104 (2009) [25 pages] 

Physical Review B, vol.82, 125103 (2010) [7 pages] 


概要

固体におけるエネルギー輸送過程は「熱伝導方程式」に従うことが広く知られている.

熱伝導方程式は拡散的な時空間プロファイルを解に持ち,実際に我々が目にする固体の熱伝導をよく説明する.
しかしながら,厳密には 固体中の熱は元来波動としての性質を持っており,熱拡散現象はその「熱の波動」の
過減衰極限として近似的に実現されている



このような熱の波動あるいは「温度の波動」は,しばしば「第二音波」という言葉で呼ばれ,超流動ヘリウムにおいては
その存在がよく知られている.

固体における第二音波は超流動ヘリウム中の第二音波とは本質的に異なり,結晶が本来持っている非調和性に
基づく一般性を持った概念であるが,固体において第二音波の伝搬が許されるためには「周波数の窓」と「温度の窓」と
呼ばれる厳しい条件を同時に満たす必要がある.ここで,「周波数の窓」とは第二音波の不足減衰(underdamping)条件
および局所熱平衡成立条件(温度が定義されるに十分な非抵抗性フォノン間衝突が必要)によって定義される.

「周波数の窓」を開くためには不純物を極限まで(同位体レベルまで)減らした上で冷却する必要があるが,
低温下ではフォノンの熱分布自体が少なくなり,もはや温度(の波)を定義できなくなるというジレンマにより,
通常の物質では「周波数の窓」が開くことはほとんどない.そのため,実際に第二音波が観測された固体は,
フッ化ナトリウム(NaF),固体ヘリウム,ビスマスの,わずかに3例しかなかった.

「量子常誘電体」と呼ばれる物質群では,それらが本来有する強誘電性が「零点振動」によって妨げられていると
考えられており,強誘電性を担う長波長・低エネルギーの光学フォノン(ソフトモード)が低温下で存在できるために,
熱抵抗に寄与しない長波長フォノンの状態密度が低温でも過剰であるという著しい特徴を有している.
このことによって,低温で「周波数の窓」が大きく開き,ある程度不純物があっても第二音波が存在できるという
可能性が理論的に指摘されていた.

一方,観測例としては,1995年以降いくつかの光散乱スペクトルが第二音波の候補として報告されていたが,
これらに否定的な報告も多く,決定的な議論には至っていなかった.その論争の主な原因は,局所熱平衡下で
しか適用できない動的構造因子(スペクトル関数)が解析に使用されてきたことにある.正しい理解には
広い温度範囲・周波数範囲をカバーするデータと,流体力学レジームから局所熱平衡が成り立たない
非平衡状態までをも一貫的にカバーする理論式が不可欠であった.

著者らは高分解能光散乱分光器を用いて,代表的な量子常誘電体であるチタン酸ストロンチウム(SrTiO3)における
低エネルギー素励起,特に熱拡散によるレイリー準弾性散乱と,特異な非弾性散乱ピークの詳細な温度依存性を得た.
さらにスペクトルの解析においては従来の流体力学的な動的構造因子に替えて,「フォノン気体」に対する
新しい非平衡熱力学方程式から局所熱平衡の成立に関わらず適用可能な動的構造因子を導き,
これを用いて6Kから300Kという非常に広い温度範囲,および1GHzから1THzという広い周波数範囲に渡るスペクトルの変化を
矛盾無く統一的に解析することに初めて成功した.

解析の結果は, SrTiO3においては約50K以下で「周波数の窓」が開いており,なおかつ約30K前後の「温度の窓」に
おいて第二音波が存在していることを示しており,理論的に予言されていた量子常誘電体における第二音波の存在が
初めて明らかになった.第二音波は「温度の波動」であり,物質中のほとんどの物性量は温度を重要なパラメータに持つ.
また,SrTiO3は様々な興味ある物理の舞台を提供するよく知られた重要な物質である.したがって,もしSrTiO3および
その関連物質において「コヒーレントな第二音波」を励振出来れば,この「温度の波動」の注入によって様々な素励起を
劇的に変調することが可能であると考えられる.

また,第二音波の存在は,これまでひと言に「熱浴」と呼ばれてきた散逸的な系に「固有状態」が存在することを意味する.
したがって,他の励起状態と「熱浴」との相互作用(エネルギー移動過程)の結果として逆に第二音波を放出させることも
可能であると考えられる.このように,「温度の波動」,つまり「熱の固有状態」の存在は,SrTiO3およびその関連物質に
おける新しい物理の実験的・理論的な開拓に道を開くものと期待される.なお,著者らの導いた非平衡動的構造因子は
フォノン気体のみならず,マグノン気体など他の系における光・X線・中性子散乱スペクトルの解析にも広く応用が可能で
あると期待される.



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