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[「政策科学と政治過程論」目次]
注
- 「政策過程」という語も使われ方が様々で、ここでいうような意味のみに限るものでないことは言うまでもない。ただ、政治過程のなかでプロセス(加工)されるものを政策に特定してこれを切り口に政治過程論を展開するもの、という捉え方が大方の意見の一致を見られる捉え方か、と思われる。この語を最初に使いはじめた日本の研究者はおそらく山川雄巳であるが、彼は政策過程と政治過程の関係について以下のような述べ方をしている。「……一つの政策を新しく公的なものとして実体化させようとしたり既存の政策を改めようとするときには、そうした変化をもたらすための『努力』がはらわれる必要がある。……変更のために力が行使されるときには、変更させまいとする力も作用することが多い。そこに政策をめぐる力のせめぎあいが生じ、関係者たちの力関係で政策が変化したり、しなかったりするわけである。この力関係の過程のことを権力過程と呼ぶ。それゆえ政治過程は、政策過程と権力過程という二つの側面を持っていることになる。(山川「政策過程研究のフロンティア」内田満編『講座政治学III政治過程』、1986年、三嶺書房、269〜270頁)ここを読む限り、彼の政策過程の捉え方がわれわれの考えるものと異ならないことは明らかであるが、彼のしばしば引用される「政策研究の問題領域」と題される図(同上、266頁)は政策過程の一部に政治過程を矮小化してしまっているかに見えるため、ミスリーディングである。
- こうした課題を検討していくにあたって参考になるのは、政策研究と政治学のあり方を政治学のサイドから考えたいくつかの試みである。とりわけ、書物にまとめ上げらた3つのものが注目される。最初のプロジェクトは言うまでもなく、RADIR(Revolution and the Development of International Relations )プロジェクトの果実をラーナー、ラスウェル編の書物(Lerner & Lasswell, eds.1951)にまとめ上げたものであり、第二はSSRC(The Social Science Research Council)のもとに1964年に設けられたCGLP(Committee on Governmental and Legal Processes)が一連の研究会議を行った結果をまとめ上げたもの(Ranney, eds. 1968)である。第三はPSO(Policy Studies Organization)の最近の試みを編集したもの(Dunn and Kelly, eds.1992)である。
本稿では特に、第三のプロジェクトから本稿の課題に直接かかわるサバティール(Sabatier, Paul A. )の論文に依拠しつつ、近年の「政治過程」から「政策過程」への展開について略述することで手掛かりを得たい。その意味では本稿はノート以上のものではない。
- 政策ネットワーク論の最近の動向については、新川敏光「政策ネットワーク論の射程」、『季刊行政管理研究』第59号、1992年、12〜19頁、参照。また、カッツェンシュタインの政策ネットワーク理論については、真渕勝「カッツェンシュタインの行政理論:行政研究の外延」、『阪大法学』41巻、2・3号、197〜214頁、参照。
- 執行研究の嚆矢は、Pressman, Jeffrey and Wildavsky, Aaron, Imprementation, 1973, University of California Press. である。
アジェンダセッティングの研究については、バカラックとバラッツの多元的集団過程論への異議申し立て(Bachrach, Peter and Baratz, Morton S., "Two Faces of Power", APSR, vol.56, 1962, pp.947-53., "Decisions and Nondecisions: An Analytical Framework", APSR, vol.57, 1963, pp.632-42. )を嚆矢とする。笠京子「政策決定過程における『前決定』概念」、『法学論叢』123巻4号、49〜71頁、124巻1号、91〜125頁、1988年、参照。
- 政策過程研究がエリート傾斜を持っているという指摘は、大嶽秀夫『現代政治学叢書11 政策過程』、1990年、東京大学出版会、8〜9頁、でもなされている。
- ロウィの議論については以下の参考文献に掲げたものがすべて重要である。拙稿「T・J・ロウィの『権力の競技場』論」、『法学論叢』第121巻1号、4号、1987年、も参照されたい。