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[「福祉国家の構造と政治体制」目次]
注
- マーシャルの「自由的市民」、「政治的市民」、「社会的市民」の概念(Marshall 1963, pp. 78-91)や、ティトマスの「残余的」、「産業業績達成的」、「制度的再分配的」社会政策モデルの概念(Titmuss 1974, pp. 30-1)は、明らかに単線的な発展を想定し、そのもっとも発展した段階に福祉国家が置かれている、とみることができる。
- 筆者は本稿執筆に当たって、宮本太郎氏の以下の論文による諸説の整理を多いに参考にしたし、御本人からも直接に教示していただいた。記して感謝すると同時に、諸説の解釈に誤りが有る場合は氏の教示にではなく教えられた側の筆者に全ての責めは帰することを確認しておきたい。
宮本太郎「福祉国家の形成と類型:比較福祉国家研究序説」、『法学新報』??八九〜一三四頁。「福祉国家レジームと労働戦略:3つの軌跡」、『季刊社会保障研究』二七巻四号、一九九二年春、三七二〜三八三頁。
- vid. Adler-Karlsson, Gunner, Functional Socialism: A Swedish Theory for Democratic Socialization, Bokforlaget Prisma, Stockholm, 1967, Childs, Marquis W., Sweden: The Middle Way, Yale University Press, New Haven, 1937.
- OECD諸国を相対的豊かさで2分し、豊かな17ヶ国の中で、それぞれの項目について最大値と最小値、そして、対象国の観測値を代入する公式を作っている。以下のようなものである。
政府支出の対GDP比、教育支出、一人あたりGDPについては
(xi−Min)*100/(Max−Min)
新生児死亡率については
(Max−xi)*100/(Max−Min)
- ウィレンスキーのリストではドイツもオーストリアも福祉国家としては上位に属していた。キャッスルズは福祉支出を福祉国家の指標にすると、社会平等主義とはあまり関係のない社会保険に対する国家の支出が算入されてしまい、指標としては正確でない、とする。福祉支出で見るとこれら両国は上位に来ることになるが、福祉政策を主として社会保険で行っているこれら両国の初等教育への国民のアクセスや新生児死亡率を見ると、これらの国々は決して上位の福祉国家とは言い難い、ということである(Castles 1978, pp.72-3)。
- 村松岐夫「一九六○年代と七○年代の日本政治」、東京大学社会科学研究所編『現代日本社会 5 構造』、東京大学出版会、一九九一年、所収、参照。vid. Migdal, Joel S., Strong Societies and Weak States, State-Society Relations and State Capabilities in the Third World, Princeton University Press, 1988.
- 彼が福祉と労働市場に関するデータを収集するにあたって、もっとも協力的な国はアメリカで、最低なのはドイツとオランダだったという記述がある。日本については良い国としても悪い国としても言及がない(Esping-Andersen 1990, p.x)。
- 政治発展論の分野で、農民を中心にする階級連合のありかたに注目して、近代民主主義の成立を論じたバリントン・ムーアの著作が、階級連合の成否がその後の政治発展に多大の差異をもたらしている、という形で、多くの論者により援用されている。vid. Moore, Jr., Barrington、 Social Origins of Dictatorship and Democracy: Load and Peasant in the Making of the Modern World, Beacon Press, 1966(宮崎隆次・森山茂徳・高橋直樹訳『独裁と民主政治の社会的起源』、岩波現代選書 120,121). 本稿でとりあげたエスピン−アンデルセンやワイァとスコッチポルの論稿もそうだが、スウェーデンにおける赤緑同盟の決定的重要性を語っているものとしては、Gourevitch, Peter, Politics in Hard Times: Comparative Responses to International Economic Crises, Cornell University Press, 1986 などもある。
- もっとも、国家の構造については、たとえばウィレンスキーの段階から中央集権制と連邦制の相違が福祉国家の帰結に異なるものをもたらすという議論はなされている。福祉国家の達成度を従属変数にするアプローチが必ずしも独立変数としての「国家」もしくは「制度」を排除するものではないようにも思われる。