近代社会における人間の条件を考えるとき、自己と他者、個と集団との間に必然的に存在する緊張関係に注目することが不可欠である。ヒュームは、近代の初頭にあって、人間の自然本性が社会の中でどう展開するかを考察し、人間本性そのものの、社会性に浸透されているあり方を示した。個人の意識や知性から、社会的状況における諸個人の相互作用へという、哲学の中心的関心の転換は、現代哲学を特徴づけるもののひとつであるが、ヒュームの思索は、こうした現代哲学の視点を先取りしたものと言える。現代においてこうした転換をもたらした力のひとつは、言語への関心の高まり(いわゆる言語論的転回)に求めることができよう。現代の言語哲学という枠組みの中でも、言語活動における規範的・制度的な側面と、個別的な状況での個々の言語行為の関係が問題となる。ヒュームの議論は、こうした現代的問題を考察する際にも参照すべき、制度と社会的行為の分析を含んでいる。
以上のような問題意識から、ヒュームの人間本性論と、現代の言語哲学との双方を視野に入れながら、社会的文脈における人間存在の問題を分析する概念的枠組みの構築を目指してきた。その中で明らかにすることのできた最大の点は、ヒュームのconvention概念のもつ独自の意義である。conventionとは、自然に対する人為、ノモスに対するピュシスを表わす語である。ただし、ヒュームの場合、conventionがすなわち規範であり制度であるのではない。むしろ、諸個人の相互作用の中で、規範や制度が生成し、維持される、動的な過程がconventionなのである。この知見はまた、言語の考察においても、言語を固定した制度として完成したものと見るのではなく、個々の言語行為の中で、絶えず再構成されつつあるものとして分析するという視点の獲得につながった。
以上の成果は、別掲の一連の論文および学会発表としてまとめられている。とりわけ、ヒューム研究の国際組織であるHume Societyにおいて成果の発表を行ないえたことは意義が大きい。また、このときの参加組織を含め、日本国内のヒューム研究者の組織と研究交流が、インフォーマルな研究団体である「ヒューム研究学会」を中心に進められている。それへの積極的な参加も、この間の研究の進展に与って力があった。
上記の発表は、学外研究(国内)期間中に行なわれた。さらに、その前年度には、立命館学術研究助成を得ることができた。上の発表を含む一連の論文や発表は、こうした助成の成果である。
このほか、教育科学研究所における大学教育関連のプロジェクトに参加し、それとの関連で、大学教育、大学改革にかんする研究成果があった。アメリカ合衆国での大学改革にかかわる理論的論争状況について見通しを得ることができた。
(3) 今後の展望
言語活動の規範的・制度的側面に着目することから、言語を、全体として一定の規則に支配された活動とみなす見方が言語哲学では有力である。これに反対して、規則の支配のおよばない状況で、話し手と聞き手の個別的な相互了解によって言語行為が成立するような場に、言語の機能のより根源的なあり方を見いだしたいと私は考えている。「言語はどこまで規則に支配されているか」と題する発表はその試みのひとつであるが、必ずしも成功してはいない。未解決の問題のひとつは、規則や、それに支配される活動という概念そのものが明確に規定され難く、その活動の内部と外部の境界線を引くことが困難であることにある。この困難はひょっとすると根源的なものであり、当初の見通しそのものの見通しを迫るかもしれない。このことがらの考察は、社会と個人との緊張関係という、大きな哲学的主題の理解の深化にもつながるであろう。