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第11回 公共性・公共放送を整理する

 

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第11回 本年度第11回のNHK講座は、営業局専任局長の長村中さんにお越しいただいた。長村さんは、「もっと身近にNHK」と題して、公共放送が担う役割について語られた。

 

<講義概要>
 NHKは公共放送である。では、公共放送とはそもそも何なのか。公共放送に要求される「公共性」とは何を指すのか。基本的な概念の説明から、長村さんの講義は始まった。


 公共性(public)は三つの性質に分かれる。一つ目はofficialだ。これは国家に関係する公的な性質を指す。二つ目はcommonである。これは特定の誰かにではなく、すべての人々に関係する共通の性質を指す。最後はopenで、誰に対しても開かれている、あらゆる人がそこにアクセスするのを拒まれない性質を指している。放送における公共性を考えるとき、この三つ目の性質が非常に重要であるという。


 次に長村さんは公共放送の定義について語った。公共放送を成立させる条件は四つある。普遍性・多様性(均衡性)・先進性・独立性だ。普遍性とは、あまねく全国への放送普及を指している。多様性(均衡性)とは、多数派のためだけでなく少数派のための放送も行うことで、両者の調和を図ることを指している。先進性とは、放送技術の面や報道の手法・切り口の面から、かつてなかったものをリスクに屈せず開拓し、放送界の先導となることを意味している。独立性は、国家の制限を受けない非国家性、そして、利益にならない放送も厭わない非営利性を指している。なお、独立性の一角を成すこの非営利性は、多様性や先進性とも深く関係しているものだ。また公共放送を支える財源のあり方も、非営利性との関わりによって決まっている。


 そこで長村さんは、次に、公共放送の財源について述べた。広告収入の割合が高まれば高まるほど、公共放送の長所は失われる。世界には、財源を広告収入に求めている公共放送も存在するが、それを模倣するべきではない。やはり英国のBBCが示したような、理想の公共放送を目指すべきだ。具体的には、商業放送にも対抗できる資金規模を誇り、商業的・政治的影響からも独立し、中期的な安定が予測可能で、フリーライダーが禁止されている放送である。


 最後に長村さんは、日本の放送事業の歴史について語った。第二次世界大戦が終了するまで放送と政府は、非常に近しい関係にあった。第二次大戦中に虚飾だらけの大本営発表が行われてしまったのはこのためである。そこで1950年、GHQによる放送体制の見直しが実施され、日本放送協会と民間放送の二元体制が誕生した。日本の現行の放送体制が確立されるまでの経緯を紹介したところで、長村さんの講義は幕を閉じた。

 

<感想>


 インターネットはとても便利だ。自分の求めている情報だけを、的確に獲得することができる。検索エンジンにキーワードを打ち込めば、たったそれだけで知りたい情報を手に入れることができるし、ニュースサイトにアクセスすれば、興味深いトピックのみを選択し、残りを全て切り捨てることができる。一方、テレビを観るときは、そう円滑には進まない。何か気になることがあれば、わざわざテレビの番組表を探し出して、それに関する内容の番組を地道に探さねばならない。そうしてようやく興味深い番組を見つけても、それが本当に自身の見込み通りの内容で構成されているのかは、実際に観てみないと分からない。期待に胸を膨らませつつ、いざ観てみると、見当はずれの内容だった、ということはよくある話だ。ニュース番組を観ていても、自分にとっては必要のない情報ばかりが報道され、肝心の情報が手に入らないことも少なくない。つくづく思う。インターネットは役に立つメディアだ。


 しかし今回の講義は、インターネットのこうした「便利さ」の裏に危うさが潜んでいることを、浮き彫りにしたように思う。確かにインターネットは、自分の知りたい情報だけを的確に収集できるが、それは、自分が欲した情報のみにしか触れられないということと表裏一体である。日本は島国とはいえ、その国土は広大だ。多様な価値観があり、多様な人々がいる。ましてや昨今は国際化の世の中だ。様々な感性が複雑に絡まりあうことで、社会は成立している。そんなご時世に、自分の気になる情報ばかりを検索し、嗜好に深く埋没してしまうことは、その人にとってはもちろんのこと、その人の周りで暮らす人々にとっても、非常に不幸なことに違いない。嗜好にぴったりと適合した知識ばかりを積み上げても、想像力は弱体化する一方だし、そうして弱体化した発想力から産み落とされた、凝り固まった認識は、必ず周囲との調和を困難にするだろう。


 「プッシュ型」と呼ばれるように、テレビは、こちらが必要としていない情報まで押し付けてくる、少しお節介なメディアだ。しかし、インターネットの発展や大衆社会の崩壊によって、ただでさえ相互理解が難しくなった21世紀において本当に必要なのは、個人の知の需要にぴったり応えてくれるインターネットではなく、むしろ、まるで厳格な教員のように、大局的な観点から必要だと言える知識を吟味し、網羅的に与えてくれる、少しお節介なテレビではないか。中でも、多様性や普遍性を始めとする公共性を強く意識しているNHKは、その担い手として最も適切であるように思う。インターネットという、ある種「便利な」メディアが出現した現代だからこそ、公共放送における公共性を、これまで以上に頼りにしたいと思う。

 

記者 立命館大学産業社会学部 植田真弘

 
 
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