1927(昭和2)年11月の『立命館学誌』第108号には「日曜の全休を廃止したい」、1929(昭和4)年6月の『立命館学誌』第125号や1929(昭和4)年10月の『立命館禁衛隊』第1号では夏休みの廃止を唱えています。
「余暇」に対する当時の社会的・文化的背景もありますが、中川は学生は休みなく勉学に励むべしとの考えで、日曜日は半休でいいし、夏休みは全廃してその分勉強することが大切だと捉えていました。とはいえ、夏休みを廃止することは現実的ではないので、「平生には出来かぬることをこの期間を利用して為し遂ぐるようにせねばならぬ」として特に外国語の勉強をしなさいと言っています。そうして、この考えを実践していきます。
1928(昭和3)年には立命館中学校で放課後や長期休暇を利用した英・数・国の「特別講習」授業を開始、1929(昭和4)年には立命館大学でも夏休み期間中に英語とドイツ語の「夏期講習」を開始します。あわせて図書館の蔵書も充実させて自学自習の環境も整備します。1934(昭和9)年からは立命館大学で法律学・経済学の専門講義も夏期講習で実施するようになります。
現在の「夏期集中講義」の最初は中川小十郎だったのですね。
創立者中川小十郎総長