11.09


2015

リーダーズフォーラム in 日本②(中編)

立命館大パイロット学生 石田晶子

リーダーズフォーラム in 日本②(中編)

立命館大パイロット学生 石田晶子


 学生の体験談に続いて行われた「徹底解剖!キャンパスアジアでの学びとは」では、3人の先生方が3つの視点でキャンパスアジアの取り組みを分析してくださいました。

 北出先生は、外国語教育の視点からキャンパスアジアの学びを評価してくださいました。キャンパスアジアのコミュニティは、共同生活などの「異文化接触の条件」を満たしており、異文化理解において格好の環境である一方で、学生たちが自ら行動し、自律的にキャンパスアジア外の人々と繋がっていく力の低下を指摘され、1年目、2年目と段階を踏んだ教育が必要であるとのお話をいただきました。
 私は移動キャンパスの間中「キャンパスアジアの学生以外の友達がほしい」と常に思っていました。しかし、授業でも宿舎でも見るのは毎日同じ顔ぶれ。少しでも外との繋がりを持とうと、ひとり一般留学生に交じって多国籍の中で韓国語の授業を受けてみたり、韓国人の中国語学科の一般学生たちと中国語を受講してみたりもしました。その中で得ることのできた友情もありましたが、ずっと心の中にあったのは、キャンパスアジアの学生と話している方が“楽”ということです。お互いの言語を話すことができ、常に一緒にいる間柄だからであるとその頃は考えていましたが、キャンパスアジアの学生が異文化理解に長けていたからという点も、理由の一つなのではないかとお話を聞きながら思いました。

 堀江先生からは、国際教育学の視点からお話を頂きました。中でも印象的だったのは、「言語における優位性が交替する」というキャンパスアジアプログラムの特徴です。例えばAが一般的な交換留学で1年間韓国に留学した場合、韓国語が母国語である韓国人がAよりも常に言語において優位な状況にあります。しかし、キャンパスアジアの場合は3ヵ国を移動するために、その優位性が平等に日中韓の学生の間で交替するという特徴です。その対等性はキャンパスアジアの大きな特徴のひとつである、というお話でした。
 私たち学生にとっては当たり前のことでしたが、先生に改めて説明されると、自分たちはなんだか特別なプログラムに参加していたんだなあ、と改めて気づかされました。
 そして、もう一つ、堀江先生が定期的にキャンパスアジア学生を対象にとっていたアンケートの結果、おおよその学生が異文化感受性の発達モデルにおいて高いレベルにあるというお話も、非常に興味深いものでした。そして、そのレベルに達した学生たちが、これから「自分のことをどう説明するか」が課題であるそうです。
 移動キャンパスが終わって日本に滞在するようになり、私にはずっと感じていた違和感がありました。それは、周囲の人々との外国人に対する感情の違いです。私は今、観光地である京都でアルバイトをしながら、多くの外国人観光客を相手に接客の仕事をしています。バイト仲間や上司、後輩からたびたび発せられる外国人観光客の行動に対する文句や、「○○(国名)人」として人を国で限定する視点に、少し窮屈な思いをすることも少なくありません。そんな違和感の正体を、堀江先生のお話を聞くことによって少し解決されたような気がします。そして、異文化に対し否定的な人の話に違和感を持ちながらも、黙って聞いている私は、おそらく先生が最後にお話ししていた「自分のことをどう説明するか」という課題にまさに直面しているのではないだろうかと思いました。

 3人目の安田先生からは、生涯発達心理学の観点からお話を頂きました。キャンパスアジア・プログラムを通して各国を2周することで学生たちが得たものは、自分から一歩踏み出す力であるというお話が、とても印象に残りました。踏み出すことにより発生した良いこと、悪いことの繰り返しの過程で感じた感情変化そのものがキャンパスアジアの学びで、この学びはプログラムが終わってからも生涯続けていくことが大切であるというお話でした。
 私にとってキャンパスアジアでの学びは20年間生きてきた中でも大きな割合を占めていて、その中の何がどうであった、と一言では収めきれません。しかし、文化という絵具が入り混じったカラフルな世界の中で葛藤、そして喜びがあり、その繰り返しが私を強くしたことは間違いないと思います。文化というものは何も国単位のものだけではありません。一人一人が持っている異文化に対面する限り、これからもこの葛藤と喜びを続けていくのかな、と感じながら先生のお話を聞いていました。


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