こんにちは。1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると言われるように、
あっという間に時間が過ぎていっています。
私は春からの新生活に向けて、引っ越しの準備を進めております。
さて、話は変わって。
昨今、新聞やテレビを見ていると、○○大学はグローバル教育に強いだとか、
国際教育の重要性が高まっている…等の話をよく耳にすると思います。
(立命館大学もご多分に漏れず国際教育に力を入れていますw)
では、あらためて「グローバル」って何なんでしょうか。
私は、異なる価値観を受容し、対処する能力が強く必要とされる状況ではないかと考えています。
これは、私たち30人にとって2度目の日本学期が終わりに近づき、
共同生活をしていたシェアハウスの大掃除をした際の話です。
階段、浴室、キッチン…というように持ち場を分担して大掃除を始めました。
しばらく経った頃、一人の中国人学生が「(担当場所の)掃除終わったよー」とキッチンに戻ってきました。
その後、まだ終わっていない箇所の掃除を手伝ってくれるかと思いきや、
何と、お皿にカレーを盛り付け、食べる準備を始めたのです。
え?まだ掃除終わってないよ????なぜ今カレー?
これが、もし共同生活を始めた頃だったら、
彼女がなぜこんな行動をとるのかが理解できず、
かと言って強く言うこともできないまま、
もやもやと嫌な気持ちだけが残っていたと思います。
ただ、この時は共同生活も2年目、彼女の行動に悪気が無いことも分かっていますし、
「掃除まだ終わってないから、食べてから手伝ってー」と言えば、
何の軋轢も無く、また掃除に参加してくれることも予想できました。
実際に、何の屈託もなく「オッケー」と返されたことを覚えています(笑)
さて、冒頭でグローバルという単語について個人的な見解を述べましたが、
掃除カレー事件の下りを読んだ方は、異なる価値観がどうとか言っておきながら…と拍子抜けするかもしれません。
けれど私にとっては、こうして対処できるようになるまでが大変でした。
キャンパスアジアに参加する前から異文化に対する漠然としたイメージはありましたし、
自分は上手く適応できるという自信もありました。
しかし、いざ日中韓の人間がごちゃごちゃに混ざった環境に身を置いてみると、
日本人である自分にとっての「当たり前」が、
隣国では「理解できないもの」として認識されることを知りました。
心の中で、自分の常識はどこでも通じるだろうと高を括っていたようで、結構なストレスでした。
しかし、それも中韓学生と長く過ごすにつれ、適応していき、
今は、相手が日本人であろうと外国人であろうと関係なく、
様々な場面で自分の尺度だけで測るのではなく、相手の立場に立って考えてみるようになりました。
グローバル化が叫ばれる昨今、ユニークな国際教育を行う大学や留学プログラムも増えています。
これから留学したいみなさん、お子さんに留学を勧めたい親御さん、とても悩むと思います。
そんな時、私がおすすめしたいのは、なるべく外国人と深く付き合う(付き合わざるをえない)プログラムです。
キャンパスアジアの参加中は、一緒に学校へ行き、授業を受け、ご飯を食べてから、
また集まってチーム課題を進めたり、はたまたリビングでだらだらしたり…と、
とにかく中韓の学生と離れることなく過ごしていました。
四六時中一緒にいるので嫌になることもありましたが、
その分、学べたことも多かったと思いますし、修了式まで終えた今はすごく懐かしいです。
キャンパスアジアのみんなとは、これからは会うこともぐっと減ってしまいますが、
きっと何十年経っても、この時の話を延々楽しく語るのだと思います。