正式には「立命館衣笠球場」と言い、1948(昭和23)年9月15日に竣工しています。
球場は中堅112m、両翼82mで、約27,000人が収容できる観客席がありました。一般にも開放されプロ野球公式戦や社会人野球でも使用、市民に親しまれた球場でもあったのです。
完成記念大会では、新制高校秋のリーグ戦、立命神山-同志社、立命-平安、洛南-條商、西京-西陣の4試合が行われ(注1)、大学の硬式野球部、準硬式野球部も使用し立同戦や総合体育定期戦なども行われていました。
プロ野球の阪神で活躍し監督も務めた吉田義男さんなども立命館大学1回生のときこの球場で練習をしています。
プロ野球の使用としては、1949(昭和24)年に大陽京都ロビンス(翌年松竹ロビンスに)がフランチャイズ球場として使用し(注2)、1948(昭和23)年から1951(昭和26)年まで66のプロ野球の試合が行われました。1950(昭和25)年には、女子プロ野球結成記念試合の京都・ヴィナス軍対東京・エーワン軍戦が行われています。
しかし1967(昭和42)年に柊野グラウンド野球場が完成し、1969(昭和44)年に体育館が出来ると球場は中央グラウンドとなりその使命を終えました。現在はキャンパス周辺の電柱に「衣笠球場」の名が残っているだけとなっています。
注1:條商は市立四条商業高校、西陣は市立西陣商業高校、洛南は府立洛南高校(旧二中)と思われ、現在の洛南高校ではない。
注2:大陽京都ロビンスは前年太陽ロビンスだったが、点を取る球団に、ということから太陽から大陽となる。
立命館衣笠球場。現在の中央ひろばあたりにあった。立同戦やプロ野球も行われた。