戦前編
年 | 月 | |
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1905年 (明治38年) |
9月 | 10日、私立清和普通学校創立。 |
1906年 (明治39年) |
1月 | 学祖西園寺公望による第1次西園寺内閣成立(1908年7月まで)。 |
4月 | 私立清和中学校に改称。 | |
1911年 (明治44年) |
4月 | 「清和同窓会」設立決定。 |
8月 | 第2次西園寺内閣成立(1912年12月まで)。 | |
11月 | 清和同窓会第1回総会。総理には学校設立者中川小十郎、会長には校長。特別会員(現旧の教職員)、正会員(卒業生)、賛助会員(在校生)。総会では演説、談話、朗読、暗唱などを在校生も披露し、以後毎年続く。 | |
年会誌「清和」第1号を発行(後に校名が変更されても会誌名は変更されず)。 | ||
京都帝国大学と第三高等学校在校生からなる「清中会」など、各地で活発に同窓生による支部結成。 | ||
1914年 (大正3年) |
前年12月に「私立立命館中学」への校名変更と組織改編に伴って「同窓会規則」を改正し、「立命館中学同窓会」と改称。 | |
この年、清和中学最後の卒業生である大野木秀次郎氏は、戦後、サンフランシスコ講和条約の首席全権代理を経て、国務大臣就任。 | ||
この時期には京都医学専門学校(後の京都府立医科大学)在学生による京都医専立命会、立命会東京支部などの卒業生による地域の同窓会が活発に設立。 | ||
1915年 (大正4年) |
中川小十郎館長の発意に基づいて、生徒の思想修養および発表練習の一法として、夏期または冬期休業時に懸賞文を募集し、優秀作は同窓会誌「清和」の文苑欄に掲載。 | |
1916年 (大正5年) |
10月 | 清和中学校創立10周年記念式典挙行。 |
運営体制整備のための規約改正を行う。特別会員の主事を「理事」に、在学生の賛助会員を「副会員」に、運営委員の賛助会員枠を削除。 | ||
1917年 (大正6年) |
11月 | 会の規約を全六条から全十条に再編。総理(館長)、会長(学監)、理事(主事)と編輯・庶務・常務・京都帝大・同志社・京医・三高の委員からなる運営体制確立。 年会誌「清和」第7号発行。 |
1919年 (大正7年) |
8月 | 大学の校名が「私立立命館大学」から「私立」をはずした「立命館大学」に改称。 会長推薦の名誉会員を設定。 |
1921年 (大正10年) |
この年に旧中学卒業の羽根盛一氏は、戦後に富山県と福井県の知事を歴任。 | |
1922年 (大正11年) |
3月 | 卒業生総数1072名ではじめて1000名を超える(京都府立一中、二中、同志社中、大谷中に次いで府下5位に)。 |
卒業生による各地での活動も活発化し、「清風会」「同志社立命会」など結成。 | ||
1928年 (昭和3年) |
5月 | 校名から「私学」をはずして「立命館中学校」に改称。 |
1929年 (昭和4年) |
清和会会員から初めての立命館中学校校長として塩崎達人氏(1911年清和中学卒)が就任。 | |
10月 | 立命館中学校・立命館商業学校発行の広報誌「立命館禁衛隊」第1号創刊、以後ほぼ月刊で発行。1940(昭和15)年7月の第92号まで確認。その中に卒業生の進路、同窓会・同窓の消息なども掲載。 | |
1930年 (昭和5年) |
地方文化の向上を目指して「洛北立命会」結成。 第24回卒業生による「立命館中学校二四会」、「歩兵第九連隊内同窓会」、第25回卒業生による「古巣会」などが結成。 |
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1932年 (昭和7年) |
ロサンゼルス五輪の男子マラソンに権 泰夏氏(1925年旧中学卒・明治大進学)が出場。 | |
1934年 (昭和9年) |
商業学校第1回卒業生を送り出すを機に「立命館清和会」(中学校と商業学校の卒業生を包括)と改称。 | |
10月 | 20日、立命館清和会第1回総会開催。名誉会長(立命館総長)、顧問(中学校・商業学校両校長)、会長(選挙で選出し、任期は2年)、正会員(卒業生及び在学した者)などを会則変更。初代会長本田義英氏(1906年旧中学第1回卒で京都帝国大学教授・印度哲学)を選出。副会長には京都支部長が就くとして木村嘉一氏(1913年清和中学卒・病院長)が就任。入会金として6円を納付するなどを承認。 会報は不定期に発行。 |
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1938年 (昭和13年) |
3月 | 卒業式のお祝いとして清和会より赤飯の折詰弁当、立命館禁衛隊より芋がゆ、学校より「立命館」の文字の入った紅白饅頭を贈呈(この紅白饅頭は昭和40年ころまで続いた)。 |
この年には以下の23支部が全国各地で活動。 京都、東京、滋賀、大阪、兵庫、奈良、三重、愛知、岐阜、福井、石川、岡山、広島、山口、愛媛、福岡、熊本、大分、鹿児島、台湾北部、台湾中部、台湾南部、「満州」 |
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1942年 (昭和17年) |
9月 | 戦時体制強化のための再編として、創立者中川小十郎館長の発意により「全立命館大学校友会」に統合決定。翌年、会規約を改正施行。 |
1943年 (昭和18年) |
12月 | 1939(昭和14)年入学の中学校・商業学校生徒は1年繰り上げで卒業。 |
戦後編
年 | 月 | |
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1947年 (昭和22年) |
5月 | 学制改革により立命館中学校、立命館神山中学校が設置されるのに伴い、「立命館清和会会則」を改正し、会の再建開始。 |
1949年 (昭和24年) |
1月 | 木村嘉一氏、佐々木曠一氏(1927年旧中学卒)らの努力で立命館清和会再建。 清和会会長に本田義英氏(1906年清和中学卒)就任。 |
1951年 (昭和26年) |
本田会長が健康上の都合により辞任、木村嘉一氏(1913年 清和中学卒)就任。 | |
11月 | 立命館の理事に清和会から木村嘉一氏、塚本幸七氏(1913年清和中学卒)、小堀 憲氏(1923年旧中学卒)の三氏が選任。 | |
1952年 (昭和27年) |
2月 | 戦後初めての「清和会会員名簿」作成。 |
1955年 (昭和30年) |
9月 | 10日、創立50周年記念式典挙行。 |
1956年 (昭和31年) |
5月 | 清和会総会を二条城内にて開催。 |
1958年 (昭和33年) |
この年の終身会費は300円。 | |
1960年 (昭和35年) |
5月 | 15日、清和会総会開催。当日、葵祭を見物後、学校講堂で開催。 |
1963年 (昭和38年 ) |
10月 | 木村嘉一会長、立命館学園副理事長に就任。 |
1965年 (昭和40年) |
9月 | 10日、創立60周年記念式典挙行。「清和会名簿」発行。「立命館高等学校・中学校60年の歩み」完成。 |
1967年 (昭和42年) |
9月 | 細野校長辞任により長谷川金市氏(1943年旧夜間中学卒)就任。清和会会員二人目の校長。 |
1968年 (昭和43年) |
3月 | 高等学校定時制閉校。夜間高校2年目の1949年から毎年発刊された生徒会機関紙「蛍光」はこの年第20号で最終号となるため、教職員や過年度卒業生など64名の随想が掲載。 1937年から31年間続けて卒業生を送り出してきた定時制の灯は、戦前からの夜間(夜間中学校・商業学校夜間部・工業学校・第四中学校)の卒業生1371名。戦後(新制)の夜間高等学校と高等学校定時制で卒業した生徒2335(うち女子211)名。 |
1970年 (昭和45年) |
清和会総会を相国寺講堂で開催。 | |
1971年 (昭和46年) |
9月 | 木村嘉一会長、学校法人立命館理事長に就任(1975年からは学園名誉役員に就任) |
1973年 (昭和48年) |
副会長小堀 憲氏(1923年旧中学卒・京都帝大卒・京都府立大学長)、数学研究でフランス政府からレジオン・ドヌール・シュバリエ十字勲章受章。 | |
1974年 (昭和49年) |
校長任期満了に伴い、竹上信次氏(1941年旧中学卒)が清和会会員三人目の立命館中学・高校の校長に就任。 | |
1975年 (昭和50年) |
9月 | 10日、創立70周年記念式典挙行。「立命館中学・高等学校70年の歩み」発行。 |
1977年 (昭和52年) |
長谷川金市氏、校長に再任。 | |
1978年 (昭和53年) |
5月 | 清和会総会を白沙村荘橋本関雪記念館で開催。 |
1979年 (昭和54年) |
12月 | 木村嘉一会長逝去にともない小堀 憲氏(1923年旧中学卒)就任 |
1980年 (昭和55年 ) |
6月 | 清和会報復活第1号発行。 |
1981年 (昭和56年) |
西村清次氏(1932年旧中学卒)学校法人立命館理事長に就任。1947年二中卒の同窓生で「立命柊野会」結成。 | |
1984年 (昭和59年) |
10月 | 立命館中学校・高等学校出身歯科医師会「立歯会」発足。初代会長に北川正夫氏(1930年旧中学卒)就任。 |
1985年 (昭和60年) |
創立80周年記念式典挙行(国立京都国際会議場)。歴史的写真のパネル化。「立命館中高八十年の歩み」発行。 | |
1987年 (昭和62年) |
5月 | 副会長中川祐夫氏(1948年旧一中学卒)を委員長とする名簿発行委員会によって「清和会名簿」発行。 |
1988年 (昭和63年) |
4月 | 男女共学実施、学校規模の拡大(中学校5クラス、高校8クラス)。 |
7月 | 「さよなら北大路学舎」閉校式典・感謝の集い開催。深草への移転開始。 | |
9月 | 10日開校式典。清和会として高中移転記念事業の募金活動に協力し、「清和会記念ホール」と命名。 | |
10月 | 清和会総会を深草学舎「清和会記念ホール」で開催。特別出演でばんばひろふみ(1968年高卒、馬場弘文氏)フォークコンサート開催。 | |
1991年 (平成3年) |
3月 | 高校(全日制普通科)・中学校で女子1期生卒業。 |
1992年 (平成4年) |
7月 | 竹上和夫氏(1940年旧中学卒)会長就任。 1952年高卒の同窓による「裸木会」結成。 |
1995年 (平成7年) |
9月 | 創立90周年記念式典挙行。 |
1996年 (平成8年) |
2月 | 創立90周年記念「校友の集い」開催。 |
10月 | 竹上信次元校長を委員長として名簿発行委員会が組織され「清和会名簿改訂版」発行。 | |
2003年 (平成15年) |
7月 | 植松繁一氏(1950年高卒)会長就任。 |
2005年 (平成17年) |
7月 | 創立100周年記念式典挙行。清和会総会で「強い組織を作るには」と題して星野仙一氏が講演。 この年から高校卒業後25年目の学年(この年は1981年高卒)が幹事学年となって総会・懇親会を企画運営。同時に「100年の歩み」(CD-ROM)作成。 |
2006年 (平成18年) |
7月 | 布垣 豊氏(1957年高卒)会長就任。 |
2007年 (平成19年) |
7月 | 「懐かしい北大路の地と未来の立命館」と題し、北大路学舎跡に建設された立命館小学校で総会第一部、第二部をウェスティン都ホテルで開催。を開催。 |
2008年 (平成20年) |
1月 | 田中 博氏(1977年高卒)が清和会会員四人目の立命館中学・高校の校長に就任。 |
10月 | 総会第一部を「ALL立命館コンサート」(円山野外音楽堂)として開催。杉田二郎氏(1965年高卒)も出演 | |
2009年 (平成21年) |
7月 | この年の総会で幹事学年制作による「立命館清和会100年史」(DVD)を披露。 |
2011年 (平成23年) |
11月 | 立命館清和会設立100周年記念総会・懇親会「来たれ! 100年に一度の同窓会!! 」を1000名の参加で開催。 |
2012年 (平成24年) |
7月 | 北大路校舎で卒業した最後の学年が幹事学年となって、新たな100年のスタートとなる清和会総会・懇親会を開催。 |
2013年 (平成25年) |
6月 | 模擬授業などが企画された「深草キャンパスホームカミングデー」を開催。 |
2014年 (平成26年) |
6月 | 移転前最後の深草キャンパスイベント「ありがとう深草」を開催。 |
2015年 (平成27年) |
6月 | 移転後初の長岡京キャンパスイベント「立命館フェスティバルin長岡京」を開催。 立命館中学校・高等学校創立110周年 立命館小学校創立10周年記念事業として、あらゆる企画が行われる。 |