立命館小学校

ロボティクスのリテラシー

校長ブログ、ちょっと立て続けになりますが、書きたいことに出会ったときにできるだけ書いておきます。何を書きたいかというと、私自身の、現時点での「ロボティクスに対する手も足も出ない感」のお話です。

先日放課後学校をうろうろしていて、ロボット部の活動に出会いました。大会まで残された時間は5週間ということで、みんな集中して取り組んでいます。必死に試行錯誤を繰り返してる様子が、とても楽しそうです。
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・・・と書いて、我ながらやっぱりね、と思うのですが、私にはロボット部の活動を具体的に語る語彙がありません。「取り組んでいます」以上の説明ができません。ロボティクスのリテラシーがない、ということです。

活動している児童に「何やっているのか、全然知識がない人にもわかるように説明して」とお願いしたところ、何人もの児童が丁寧に今回の大会ルールの説明をしてくれました。それはなんとなくわかるのだけど、いや、そもそもなぜそういうことができるの?どうやってその指示を組み立てるの?・・・と疑問が次から次への浮かびますが、大会を控えて忙しいみなさん、あまり質問攻めにして邪魔をしてはいけません。
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おそらく、誰にとっても、それまでに全く接点がなくて、または分かろうと努力してみたけど手も足も出ない分野というのはあると思います。例えば、私にとってはチェコ語やロシア語がそうでした。どう頑張っても頭に入ってこないし、積み上がっていかない。でも、チェコ語やロシア語が修得できないからと言って、そんなにショックでもありません。日本語話者にとっては、誰にとっても難しいことだと思えるので。

しかし、ロボティクス。目の前で、子どもたちはすいすいとタブレット上でプログラミングを書き換えながら、ロボットを動かしていきます。本人たちにしてみたら「すいすい」じゃなくて、実は試行錯誤で苦悩しているのかもしれませんが、私にはそうは見えません。このようにリテラシーの差をまざまざと見せつけられ、私は「手も足も出ない感」を思い知らされているというわけです。

これからの学校のあり方を考える上で、これは大きなトラップになり得ます。つまり、「大人側にリテラシーがないために理解できないこと」について、その領域の存在すら認識できてない危険性があるということです。デジタル・ネイティブの子どもたちのICTリテラシーは、大人になってからパソコンやスマホを使い始めた私たちの世代とは比べ物になりません。まさにネイティブです。できる限りその世界観を丁寧に聴き取り、そこでの学びと成長の可能性を認め、尊重していくことを常に意識したいです。
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それにしてもこれ、いかにも面白そうな道具立てではありませんか。正直、ちゃんと学んでみたいです。

校長 堀江未来