立命館小学校

学校への誇り

 2学期が始まり2ヶ月が経ちました。「with コロナ」の学校生活も慣れてきた子ども達です。しかしながら、この「慣れ」は、「感染予防」の慣れであって、以前の様に過ごすことではありません。しかしながら、この慣れと言うものは、人間には、「気の弛み」に陥りがちで、慎重さや緊張感に欠けてしまうことが起こります。


 先日、夕刻に、一般の方(観光客の方)から、苦情の電話を頂戴しました。どうやら、地下鉄での本校の児童の様子が残念ですということでした。乗客の皆さんは、静かにしているのに、集団で乗り込んで来て、マスクをしているので喋らないかと思ったが、それぞれが喋ったり、低学年らしき児童は遊びだしたり、車内が一気に騒々しくなってしまい、落ち着いた京都観光を味わおうと思っていたが、思わず、注意せざるを得なかった、というお叱りの電話でした。学校からは、丁重に謝罪し連絡していただいたことに感謝申し上げ電話を切らせていただきました。

 これは、学校再開時には、起こることの無かった事象です。皆それぞれが緊張感をもって過ごしていたからです。正に、気の弛みが起こっているのでしょう。コロナ感染は決して収まっているわけではありませんので、再度、児童への注意喚起を繰り返ししていこうと思っています。


 しかし、もう一点、ここで言いたいのは、本校児童の「学校に対する誇り」です。立命館小学校に帰属することへの誇り愛着です。前校長の後藤文男先生は、全校集会で「あなた達が、その立派な制服を着て、一歩学校の外に出たら、あなた達自身一人ひとりが、実は『立命館小学校』なのですよ」、と話されたことが今も心に染みています。

 立命館小学校の児童であるのは、学校の中だけではなく、それが、学校外であっても、ずっと立命館小学校の児童であるということ、この誇り高き学校への意識・愛着・プライドをしっかりと育てて行かなければならないと今改めて思っています。ご家庭でも何かの機会にこのことを話題にしていただければと思います。

 


学校長  長谷川昭