立命館小学校

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【特集】本校卒業生が教育実習生として帰ってきました


瀨川 実来乃さん(2011年立命館小学校 卒業、現在京都教育大学 在学中)

教育実習生として、2期生の瀨川 実来乃(みらの)さんが本校へ帰ってきました。
瀨川さんは、小6の時の担任教諭に影響を受け教員の道を志望。
立命館中学校から高校に進学する際、ほとんどの生徒が内部進学する中、音楽科専門のコースがある大学を見据え外部の高校への進学を選択しました。
現在は京都教育大学にて音楽科教員を志し日々邁進されています。
そんな瀨川さんに、在学時の出来事やどのように道を歩んできたかについて話を伺いました。

○小6の時に目覚めた「教員になる夢」
私は6年生の時のあることがきっかけで先生を目指すようになりました。その当時は日々の宿題として自分で考えたことをまとめる「自学ノート」があったのですが、私はあまり熱心に取り組んでいるとは言えませんでした。そんな私を見兼ねて、現在も小学校におられる当時担任のU先生が一喝。そこで反骨心を抱いた私は「先生を見返してやろう!」という気概で、毎日居残りもしながら全力で取り組むようになりました。先生もそれに応えてくれて、気付けばそれが自分の習慣となり、ノートの総数は年間25冊に及びました。初めの動機はさておき、そこから「自分は継続して努力できるんだ」という確固たる自信にも繋がりました。またこのことがきっかけで人の意識を変える魅力を感じ、自分も子どもの意識を変える先生になってみたいなと思うようになりました。


○中学から高校へ9割の生徒が内部進学する中、音楽科専攻のある大学を見据え外部受験
小さい時からフルートをやっていたことと先ほどの担任が音楽科の先生だったことも影響して、「先生になるなら音楽科」と考えていました。しかし立命館には音楽科に特化したコースが無く、また外部受験する生徒もほとんどいない中で、どうするべきか迷っていました。その時も、今小学校におられるT先生が親身になってサポートしてくれて、立命館だけではない選択肢も一緒に考えてくれたこともあり、中学校から高校に上がる時に外部受験することを決断しました。実技試験の関係でオーストラリア研修もやむなく諦めるなど、寂しい思いもありましたが、無事に合格し音楽科教員へのスタートラインに立ちました。あの時に先生が幅広い選択肢を提示してくれたことはとてもありがたかったと今でも思っています。

(2008年度学校パンフレットの一ページ。中央は当時担任だった長谷川現学校長、右から2人目が瀨川さん)

○音楽の授業は一種の”LIVE”。流れをくむ、反応を繋ぐ大切さ
実際に教壇に立って授業を行う中で、「流れをくみ取る」重要性を実感しています。特に音楽という授業はLIVEのようなイメージで、「今ノっているな」とか「ちょっと予想より反応が薄いな」など子どもたちの反応が如実に現れます。その雰囲気をどう感じ取り、児童目線で空気を作り、全体に繋げていくかが大事だと考えています。授業としてのゴールは同じでもクラスによって過程は違います。児童目線で場を紡いでいくような指導力を付けたいと思っています。

○私にとって母校立命館小学校とは
卒業してからも何度か帰ってくる機会はありましたが、来る度に感じるのは安心できる場所、そして勇気付けられる場所だということです。小学校のうちに勉強は楽しいものと知ることができたことや、様々な経験をしたことが、自分のアイデンティティや人生の土台になったと思っています。
また先日、児童との関わりで驚いたことがありました。小学生の頃私は樫ハウス*所属だったのですが、今の児童に「先生は何ハウスだったと思う?」と聞くと、「んー、何となく樫っぽい」とヒント無しで当てられたのです。何を感じてそう言ったのかは分かりませんが、その時ふと、同じハウスだった子とは中学に上がった後もある種の家族のような繋がりがあったことを思い返しました。児童のみんなは、まだハウスというものを無意識的にぼんやり捉えているかもしれませんが、これから先そんな繋がりを感じるようになると思います。立命館小学校の縦割り集団組織であるハウス制度の存在は改めて良かったなと思います。

*ハウス…異学年の縦割り集団組織。1年生から6年生までの6名がグループとなり、スポーツフェスティバルや遠足、掃除などで共に活動する。

○大切なのは”子どもたちが自分自身のことを好きになる”
子どもにとって一番大事なのは、自分自身を好きになることだと思っています。何か壁にぶつかった時や、私のように周りとは違ったことをする時、その気持ちが乗り越える時の源になると思います。知識を教えるだけではなく、様々な経験をさせながら、色んな可能性があるということを示せる教員になりたいと考えています。