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ベルリンの慰安婦像で思うこと

波佐場 清(立命館大学コリア研究センター上席研究員)


「ドイツの少女像、展示継続へ」――12月初め、ベルリン発のこんなニュースが各メディアで伝えられました。ドイツの首都ベルリン中心部のミッテ区に韓国系市民団体が慰安婦少女像を設置、日本政府の抗議で当局はいったん撤去を決めたものの、区議会の決議で存続の見通しとなったというのです。

 

率直、「またか…」という思いです。

 

少女像は今年9月、ミッテ区から「1年間」の許可を得て住宅街の公園前(公有地)に置かれました。台座には「第2次大戦中、日本軍は少女や女性を強制連行し、性奴隷にした」といった説明が英語で記されているようです。

 

これに対して日本の外務省はドイツ政府に撤去を要請。区はいったん設置許可を取り消したのですが、市民団体が裁判所に決定の差し止めを請求、「保留」の状態にあったところへ区議会が存続支持を決議したというのです。

 

区議会の存続決議は賛成24票、反対5票。決議文は「河野談話」を引用し、像は戦時中の性暴力についての議論のきっかけになるとし、設置期間についても「恒常的な設置に向けた解決策を探すべきだ」としているといいます(時事通信)。

 

■「性奴隷」に反発

日本側はこの間、外務省がホームページに載せている慰安婦問題に関する政府見解をドイツ語で発信したほか、自民党有志議員らも「日本の尊厳を一方的に傷つけている」とする声明文をメールでミッテ区側に送っていたといいます(産経新聞など)。

 

日本の立場を説明すること自体、悪いことではありません。しかし問題はそれに十分な説得力があるかどうかです。説得力がないなら、ただの「言いつくろい」ととられ、かえって不信を深めてしまうことにもなりかねません。

 

今回、ドイツ語で発信した外務省のホームページ上の「政府見解」には、日韓請求権協定やアジア女性基金、201512月の日韓外相会談での合意など、この間の経緯を述べたうえで、次のような説明がなされています。

 

▽「強制連行」

これまでに日本政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった。

▽「性奴隷」

「性奴隷」という表現は、事実に反するので使用すべきでない。この点は、日韓合意の際に韓国側とも確認しており、同合意においても一切使われていない。

 

■カイロ宣言とポツダム宣言

これは十分に説得力があるといえるでしょうか。「性奴隷」は事実に反する、とするのはどうでしょうか。「性奴隷」の定義自体、いま一つ明確ではありませんが、とくに朝鮮半島出身の慰安婦の場合、国際社会からは「性奴隷」とみられても仕方のない状況があったのだと私は思います。次のようなことです。

 

日本はあの戦争で、ポツダム宣言(19457月)を受け入れて降伏しました。そのポツダム宣言は、194312月に米英中3国首脳(ローズヴェルト大統領、チャーチル首相、蒋介石主席)が発表したカイロ宣言を踏まえたものでした。そしてそのカイロ宣言は朝鮮に関し「3大国(米英中)は、朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する」としていたのでした。

 

つまり、あの時代、植民地朝鮮の人びとは「奴隷状態」にあるとみられていたのです。そうだとすれば、朝鮮人慰安婦は「強制」があったかどうかという以前に「奴隷状態」にあったというわけです。このことだけをとっても、慰安婦は「性奴隷」とされてもしかたがない面があったといえるのではないでしょうか。

 

ちなみに日本は「カイロ宣言の条項は履行されるべく…」(第8条)としたポツダム宣言を受け入れて降伏文書に調印したのです。このことによって日本は連合国の占領を経て平和条約を締結、国際社会に復帰できたのでした。

 

■ワイツゼッカー演説

少女像に戻ります。今回、それが、あの戦争で日本が手を組んだナチス・ドイツの、そのかつての本拠地が舞台になっているというわけです。何かと比べられる日本とドイツの過去清算のあり方について考えてしまいます。

 

思い浮かぶのは、戦後ドイツと周辺国の和解に貢献したワイツゼッカー元大統領のことです。第2次世界大戦でのドイツ敗戦40周年にあたった198558日に西ドイツ大統領として連邦議会でおこなった、あの演説です。次のように述べていました。

 

大抵のドイツ人は国の大義のために戦い、耐え忍んでいるものと信じておりました。ところが、……犯罪的な指導者たちの非人道的な目的のためであった、ということが明らかになったのであります。

▽(戦後を)振り返れば暗い奈落の過去であり、前には不確実な未来があるだけでした。しかし日一日と過ぎていくにつれ、58日が解放の日であることがはっきりしてまいりました。......ナチズムの暴力支配という人間蔑視の体制からわれわれ全員が解放されたのであります。

今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれていませんでした。

この人たちは自ら手を下していない行為について自らの罪を告白することはできません。ドイツ人であるというだけの理由で、……悔い改めるのを期待することは、感情を持った人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされております。

過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

 =『荒れ野の40年』(永井清彦訳/岩波ブックレット)からの一部抜粋

 

■ドイツの過去清算

ドイツは戦後、このような歴史認識でナチズムによる迫害被害者らに補償をおこなってきました。最後まで「宿題」として残った強制労働被害者についても、2000年にフォルクスワーゲン社などの企業やドイツ政府が基金を設け、2007年までに補償の支払いを完了させました。

 

この基金は、国家賠償ではなく人道的補償の次元で設けられました。過去を直視し迫害の記憶と責任を未来に引き継ぐという意味から「記憶・責任・未来」基金といわれ、総支出額は55.79ユーロ。うち、45.29億ユーロが約100カ国、約166万人の個人補償に充てられたのでした。 =『徴用工裁判と日韓請求権協定』(山本晴太、川上詩朗ら著/現代人文社)

 

■「安倍首相談話」

さて、日本です。日本政府の歴史認識に関しては戦後70年にあたった20158月の「安倍首相談話」があります。次のようなくだりがありました。

 

▽日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 

戦争に関わりのなかった子らへの言及など、ワイツゼッカー演説とどこか似ています。トレースしたのだと私は思いますが、そこには大きな違いがあります。ワイツゼッカー氏が「罪の有無を問わず、全員が過去を引き受けなければならない」としているのに対し、安倍談話は「過去に真正面から向き合い、未来へと引き渡す責任がある」としつつも、「子や孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と言っているのです。

 

この違いが、過去への取り組みの差となっているのだと思います。安倍談話は言葉巧みにワイツゼッカー演説をなぞることで日本も十分に責任を果たしているのだ、という印象を与えようとしている。そう感じられるのです。

 

決定的なのは、ワイツゼッカー氏があの敗戦を「全員が解放された日」と位置付けていることです。安倍談話にはそのような発想は見当たりません。

 

■問われる菅政権の歴史認識

ベルリンの少女像について日本政府は引き続き撤去を求めていく方針のようです。「政府見解」は、慰安婦問題は2015年の日韓合意で「最終的かつ不可逆的な解決」を確認したと主張しています。しかし、この合意自体、たとえば、国連女子差別撤廃委員会ですでに「被害者中心のアプローチを十分取らなかった」と指摘されているところです。

 

思い起こされるのは20077月、慰安婦問題をめぐって米下院が日本政府に謝罪などを求める決議をしたときのことです。当時、これに先立って日本の一部国会議員や保守関係者らが米紙に「慰安婦は公娼だった」といった趣旨の意見広告を出したことがかえって米側の不信を深めたとの指摘もなされているのです。

 

前轍を踏んではなりません。国際社会では慰安婦問題を「戦時性暴力」の問題として提起しようとする動きもあります。「安倍政権の継承」をいう菅義偉政権は歴史認識もそのまま引き継ぐのでしょうか。

 

問われているのは歴史認識そのものです。文字面、言葉面だけで繕おうとすれば、かえって不信を深めるだけでしょう。菅政権には元徴用工の問題とも併せ国際社会に十分に通じる誠意のこもった、内実ある対応が求められます。

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