>> 序章 <<


これは幻の名著「ICOT人名鑑」の10年ぶりの改訂版である。「ICOT人名鑑」 とは、1985年から1989年まで私が 財団法人新世代コンピュータ技術開 発機構(ICOT)の研究員をしていた時代の、同僚達に対する人間観察記録である。 当時ICOTには、20代後半から30代前半の個性溢れる優秀な研究者が、 期限付き出向研究者として各大手 コンピュータメーカから集まり、言わば利害関係無し、しがらみ無し、後ぐされ 無しの寄り合い所帯の研究所でプロジェクト研究を進 めていた。私は陰湿極まる某旧制帝大数学科の人間関係、さまざまな権力関係 のしがらみに息を潜める会社の人間関係を経て、この開放的な同僚との交遊 を大いに楽しみ、多くの知己を得た。
まずは10年前 に書かれた「ICOT人名鑑」のあとがき(一部修正)を振り返ってみよう。



このICOT人名鑑は1987年の5月半ばごろ、レイアウト変更を含む居室の改 修工事の騒音と空調の無い夜間の信じられない暑さに音をあげ、思い余って仕 事を放棄したことに始まる私とM博士との「愛の交換日記」である。工事が一 段落してからも休み時間の秘密プロジェクトとして極秘裏に続けられ、I. Fさ ん(英国人短期招聘研究員)の訪問を機に英語版作成の計画までもまことしやか に語られたほどの近来稀なる労作である。ごく一部ならが、我らの 「歩くウ ズラ人形」Oくんもこの作業に参加しいている。思えば夢のようなひと月で あった。私としては、言葉を重ねることによって自らが日々対峙している物事 と渡り会う作業から遠ざかって久しく、時おり放つ言葉らしい言葉がまるで揮 発性物質のように、語るそばから消えてゆくことに物足りなさを感じはじめて いた頃でもある。そして、私のそばには炸裂する言葉の肉弾M博士がいた。彼 は正しいギャラリーである。24時間体制の真空放電男、打てば響くお祭り乱 入嬉しがり人間であるM博士は、プロのギャラリーとしての正しい資質を備え た数少ないひとりである。私たちは仕組まれたように愛の営みを開始した。こ の長い長い「会話」は、しかしながら、夏の夜に打ち上げられた花火のように 淡く静かな終えんを迎えた。高い塔の上から放り出された夢のような、 この危うげな安堵感は、多くの’ノリの良い’会話の宿命である。我々はいつ も終えんの予感にかすかにおびえながらも談笑の軽快なフッ トワークを楽しんだのである。我々は「懲りない青少年」としていつの日かま た酔狂の宴を持つことであろう。最後に、この人名鑑で膾(ナマス)斬りにされ た40名余りの人達の冥福を祈って筆を置く。

「不幸な時代でもナウシカは存在します。」(意味無し芳一)

1987年6月24日 高山幸秀



「ICOT人名鑑」では全て実名が使われていたが、今回Webで公開する改訂版で は全て仮名を採用することにした。ここで、「M博士」とは現○山大学のM. M 氏のことである。また、「Oくん」とは、超一流のワープロ技術と、その奥ゆ かしくも愉快な人柄で職場の人気者であった M. O女史のことである。

この「ICOT人名鑑」は、ICOT研究所内部の「あじきなき筆のすさび」としてご く小数の仲間うちだけで回覧されていたものであるが、これをかぎつけた通称” Nの旦那”(現電子技術総合研究所)が電子メイルで各方面に流し(内容が内容だ けに私は一寸青ざめたが)、それを某電機メーカ研究所の通称 ”不憫なコアラ” 氏が、当時ようやく計算機科学者に普及し始めた文書清形システムのひとつ であるXeroxのJStarを使って「コアラ堂出版」 から出版した。それまで、VAX-11の一文字6秒の超低速仮名漢字変換を使って 単なるテキストファイルとして書かれていた人名鑑が、美しく生まれ変わった のである。この出来栄えは、かつて日本製本学会理事を勤めたキャリアを誇る 私をして満足させるに十分なものであった。

「懲りない青少年」達は、しかしながら再び酔狂の宴を持つ事なく波乱の10 年を過ごし、次世代の「懲りない青少年」たちとの微妙な間合いを楽しむ大学 教員として、四十路の声を聞きつつじたばたしている(?)毎日である。当時、 K大助手のH氏、T大助手のT氏と並び「理論計算機科学美少年三羽カラス」の栄 光を欲しいままにしていた”若き日の田村正和の再来”M博士も、凛々しい青年時代の 面影を残しつつもビール好きの怪しげなオジサンへ(これは彼の究極の理想の ように思える)の道を少しずつ、しかし確 実に歩み始めている。かく言う私も脂切った暑がり青年のつもりが、マンモス 私立大学工学部で理論計算機科学の研究室を運営する人間が時に陥りやすいス トレス性胃潰瘍のお蔭で、いつしか体重も貧乏学生時代に戻り、寒い寒いと 言ってはマフラーしてマスクしてコート着て、「高山先生は寒がりなのですか?」 との問いに「いえ。私は無類の暑がりですよ。」と答えて失笑を買い、10年 の歳月に初めて愕然とする始末である。寒がりの同僚と職場のエアコンの温度 設定をめぐって血みどろの戦いを繰り広げていた日々は、はるか彼方になって しまったのである。

そうした中で「ICOT人名鑑」は、「別に馬鹿な事をしていたとは思わないが、 立派な事をしたとも思わない」人生のひとコマとして、太陽の光が届かぬ私の 記憶の海底で、日々の営みという微生物の死骸を静かに食べながら行きながら えていたようである。一年程前、絶版になって久しいコアラ堂版「ICOT人名鑑」 のコピーを送ってくれたのは、かつて某電機メーカ研究所にて日本製本学会の 理事長を勤めた 「悪魔の愛でし人」K氏(現徳島大)である。(本人の依頼により、リンク を張る。) K氏は「ICOT人名鑑」 の復刻を強く勧めてくれたが、私は「数学復帰への野望」の足がかりを掴むべ く京都大学に国内留学する直前であり、それやこれやで長らく放置していた。 先月徳島大での集中講義の折り、讃岐うどんに舌づつみを打つ私にK氏は再度 復刻版の作業を勧めてくれた。四十路を前に数学復帰への野望を抱きじたばた する私にとって、単なる復刻ではいささか気分がそぐわない。ところで私はこ の10年間、言葉と生活の緊張感を持った渡り合いを忘れていたのではないだ ろうか?単なる意志の伝達、概念の説明、駆け引きの道具としてだけ言葉を操 り、言葉をもって生活を、そして人間を楽しむ事を忘れていたのではないだろ うか。そこで10年前の言葉と現在の言葉の距離を測りつつ、新たな言葉を削 り出す作業の試みは魅力的ではないか?と考えた。このような経緯でようやく 復刻版ならぬ改訂版の作業に乗り出した所である。