不憫なコアラ


不憫なコアラ君は、新入社員時代から断トツの優良社員であった。
責任感あり、能力あり、先輩にたてつかない、雑用をいとわない、粘り強い、 私生活はつつましくも心温まるもので、 仕事の好き嫌いをしない、 勉強 熱心という、会社員の八正道(はっしょうどう)の「け怠」(*)無き道を歩み、上司 からの信頼も厚く、まさにボロ雑布のように仕事に励んでいた。他の同期新入社員、 例えば、 計算機アーキテクチャーの研究室にて素数表の作成 にうつつを抜かす悪魔の愛でし”役満ドラ吉”、 明日の技術本部長目指して勉学と派閥作りに余念がない鉛筆回しの”バウケお化け”、 「いっしょうけんめいハジメ君」との虚実皮相の理(ことわり)を地で行く ”のらくろ”、 西川口の「お一人様でも楽しめます」リーチ麻雀の徹マン屋から昼前に 会社に出勤する諸業「務」無常の”タコ中くん”、 人工知能研にて将来を嘱望されつつも、入社後数年間の唯一の業績は職場でカ ロリーメイトの昼食を流行らせたことだけという、秘密のままに終りそうな秘 密兵器”ポチくん”、 お昼寝に余念がない”古池や蛙飛び込む水のお嬢”、 そして先輩をさんざんコケにして社内いじめに会い、後にICOTへ高飛びするこ とになる高山などとは比べ物にならない。

絶好調時の不憫なコアラくんは、「無敵モード」と呼ばれる程強力であるが、 仕事に疲れているときの足音は、ちょうど羅生門の上で鬼婆が屍をひきずって いるようなズズルッ、ズズルッ、という感じで、50メートル先から歩いてき ても容易にわかる。彼は実にひたむきに仕事するのであるが、なぜか世界じゅ うの不幸と混乱と争乱を一身に背負っているような趣がある。そして私は彼を 見るたびに、ある種の感動に襲われ、衆生の中に菩薩の姿を見る大日如来の大 悲の心や、混乱の世に世直し鯰男(なまずおとこ)の姿を見る鹿島大明神の心もかくやと 大ソレタ事を考えてしまうのである。思うにこういうタイプのひたむきな技術 者たちが日本の高度成長時代を支え続けてきた事は想像に難く無く、私はいつ も心の中で合掌礼拝するのである。

(*)「け怠」の”け”はりっしん辺に”解”と書く。