第1章-5-Bへindexへ第1章-5-Dへ

 

第一章  『文選』全體像の概觀

五、全文體作品の作家別統計による分析
C.詩の分野による分析

  (1)陸士衡 52首19篇
  (2)謝靈運 40首32篇
  (3)江文通 32首3篇
  (4)陳思王 25首16篇
  (5)顔延年 21首16篇
  (6)謝玄暉 21首21篇
  (7)鮑明遠 18首9篇
  (8)阮嗣宗 17首1篇
  (9)沈休文 13首13篇
  (10)王仲宣 13首8篇

『文選』の撰者は「四言詩から五言詩へ」という發展史觀をもって詩の選録に當たっている。その結果として、自然、五言詩の採録が壓倒的に多くなっているのである。その當然の歸結として、五言の詩形がなお未熟であった建安以前の詩は殆ど採録されておらず、かの班固の五言詩も兩都賦に付録されているものの、詩の分野としては一篇すら採られていない。それ故、詩の分野においては、五言詩の形成された魏晉以後の文人の採録數が多數を占めるのは當然の歸趨と言える。しかし、それにしても後漢末には既に建安七士を中心に五言詩が盛行し、續く魏朝においても三曹を始め、竹林の七賢等が數多くの五言詩を遺しているのであるから、採録數の多い上位十名中、建安から魏末にかけての約70年間の詩人が陳思王(25首16篇)・阮嗣宗(17首1篇)・王仲宣(13首8篇)の三名に過ぎず、更に上位20名に廣げても(16)嵆叔夜(7首3篇)が加わるのみという現象は過少傾向にあると認められよう。

これに比し、西晉の詩人は上位十名中、わずか陸士衡一人であるが、その採録數が52首19篇と斷然突出している上、なお十一位以下に(11)左太沖11首3篇(12)張景陽11首2篇(13)潘安仁10首6篇の三名が連續して入っている。また宋・齊・梁の百年間の詩人にしても(2)謝靈運(40首32篇)を始めとして、(6)顔延年(21首16篇)・(7)鮑明遠(18首9篇)・(5)謝玄暉(21首21篇)・(3)江文通(32首3篇)・(9)沈休文(13首13篇)の六名が上位十名中にランクされ、採録數も壓倒的に多い。この現象は『文選』撰者のこの時代の詩人に對する高い評價を如實に示す軌跡と見て間違いなかろう。これは文體別の統計による分析結果とも見事に合致している。

『詩品』に「麗典の新聲、絡繹として奔會す」と評される謝靈運、その詩を湯惠休に「采を錯(まじ)え金を鏤(ちりば)むるが如し」と評されたという顔延年、「頗る清雅の調を傷(そこな)ふ」と評されている鮑明遠たちの詩風はみな共通して文飾性過多の傾向を有している。更に齊梁の謝玄暉・江文通・沈休文の詩はみなともに「聲韻に拘わり麗靡を尚ぶ」という「永明體」の詩であり、より一層文飾性過多で、所謂「當世」の詩風であると言える。

以上、各詩人の採録數の統計によって選録の軌跡を描くと、『文選』は詩の分野において晉代から梁代に至る華麗なる作風の詩を中核にして選録されているという形跡が鮮明に現れていると結論できよう。


次へ