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第二章 『文選』編纂の實態

三、梁代の「總集」(詩文集)編纂の實態
(一) 梁元帝蕭繹編纂の「總集」(詩文集)

昭明太子の異母弟元帝蕭繹には『金樓子』なる著書がある。その「著書篇」には自己の著書編纂の事情が記述されている。これを見ると、『梁書』や『隋書』經籍志に記載されている撰著には確かに種々の編著の形態が混在していることが分かる。

今、『梁書』(卷五、元帝紀)及び『隋書』經籍志に記載されている元帝の撰著を中心に、それらと對應する『金樓子』著書篇の記述を表示してみると、次表のようになる。

これに據ると、『梁書』及び『隋書』經籍志に元帝の撰著と記載されているものには、およそ、次の五種類の編著形態が存在していることが分かる。

  (1)金樓(元帝の號)が自ら撰したもの
  (2)金樓が撰したもの
  (3)金樓が某に付託して撰したもの
  (4)金樓が自ら序を爲り、某に付託して撰したもの
  (5)金樓が序を爲ったもの

特に「自撰」と明記したものがある以上、單に「撰」とのみ記したものは、あるいは「自撰」以外の形態の撰著である可能性が高く、恐らく他者との協力による撰著であろうと思われる。「撰」のみの注記がそうした意味あいであるなら、(3)・(4)・(5)の形態の撰著は、例えば「蘭陵蕭賁に付して撰す」という注記がある「碑集十帙百巻」は、金樓が蕭賁に付託して選録させたものである如く、金樓自身が直接實際の編纂作業には携わっていないものを指している可能性が強い。金樓が確かに有力な側近文人と協力して編纂したことが分明な場合には、「長州苑記一帙三巻。金樓與劉之亨等撰」(同前、著書篇)の如く、當然「金樓、某と撰す」と註記してある筈である。

梁書元帝紀 隋書經籍志 金樓子著書篇
(1)孝徳傳三十卷 孝徳傳三十卷梁元帝撰 孝徳傳三帙三十卷。金樓合衆家孝傳成此。
(2)忠臣傳三十卷 忠臣傳三十卷梁元帝撰 忠臣傳三帙三十巻。金樓自爲序。
(3)丹陽尹傳十卷 丹陽尹傳十卷梁元帝撰 丹陽尹傳一帙十巻。金樓爲尹京時自撰。
(4)注漢書一百一十五卷 梁元帝注漢書一百一十五卷 注前漢書十二帙一百一十五卷。
(5)周易講疏十卷   周易義疏三帙三十卷。金樓奉述制義私小小措意也。
(6)内典博要一百卷 内典博要三帙三十卷  
(7)連山三十卷 連山三十卷梁元帝撰 連山三帙三十卷。金樓年在弱冠著此書。至於立年、其功始就。躬親筆削、極有其勞。
(8)洞林三卷 洞林三卷梁元帝撰  
(9)玉韜十卷   玉韜一帙十卷。金樓出牧渚官時撰。
(10)補闕子十卷   補闕子一帙十卷。金樓爲序。付鮑泉東里撰。
(11)老子講疏四巻   老子義疏一帙十巻。奉述制旨并自小小措意也。
(12)全徳志一卷 全徳志一巻梁元帝撰 全徳志一帙一卷。金樓自撰。
(13)懷舊志一卷 懷舊志一卷梁元帝撰 懷舊志一卷金樓撰。
(14)荊南志一卷   荊南志一帙二卷。金樓自撰。
(15)江州記一卷   江州記一帙三巻。
(16)貢職圖一卷   貢職圖一帙一巻。
(17)古今同姓名録一卷 同姓名録一卷梁元帝撰 同姓同名録一帙一巻。金樓撰。
(18)筮經十二卷    
(19)式贊三卷    式苑一帙三卷。金樓自撰。
(20)文集五十卷 集三帙三十巻 研神記十卷蕭繹撰 研神記一帙一巻。金樓自爲序。付劉穀纂次。
釋氏碑文三十巻、梁元帝撰碑文集十帙百巻。付蘭陵蕭賁撰。

いずれにせよ、この『金樓子』著書篇の記事及び注記に據ると、『梁書』・『隋書』經籍志に於いては、梁元帝の種々の形態を持つ「編著書」がすべて一樣に「撰」と表記されている事實が明確となったと思う。それ故、特に帝・太子・王侯の場合には、たとえ『梁書』や『隋書』經籍志に「某撰」と明記されていたとしても、これを根據に「某一人の自撰」と確定することは甚だ困難であると認められよう。史書の「某撰」は必ずしも實際の編纂者を意味するとは限らないのである。

この梁元帝に仕えた顔之推の著した『顔氏家訓』中に「梁の孝元、蕃邸に在りし時、西府新文を撰す。」(文章篇)という記述がある。この『西府新文』という總集は、『隋書』經籍志には「西府新文十一巻梁蕭淑撰」と明記されている。これは曾て湘東王(後の梁元帝)の臣下であった顔之推が當時の風潮に從って、編纂を下命した「西府」の集團主湘東王を撰者と見做して記述したものである。『金樓子』の「著書篇」に記述されていないところを見れば、實際は、やはり『隋書』經籍志の記載通り「梁の蕭淑」が編纂したものである可能性が非常に強い。

梁元帝の編著における撰者の實態が以上の通りであるからには、たとえ「某撰」と明記されている當時の文獻があったとしても、その「撰」は種々の編著の形態を含んでいることが多いので、單純に「某」の「自撰」(實質的編纂)と決めつける譯には行かないことが判明したと思う。

そこで更に昭明太子に年齡もより近く、關係もより濃厚な同母弟簡文帝蕭綱編纂の「詩文集」編纂の實態を檢討していくことにしよう。


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