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4日目

この日は杭州市観光。
初日からやや気温が高めだったけれど、この日は最高気温27℃と中国国内においても異常な暖かさとなった。ホテルは冷房が効かず、何となく早く目が覚めて、窓から西湖を眺める。写真では分かりづらいけれど、月がきれいだった。

西湖

まずは白堤を歩いて孤山へ向かう。天気が良くて、観光客が大勢いたよ。貸し自転車で回っている人も見かけた。余姚でもエコキャンペーンで、ホテルで無料で観光用自転車を貸し出していた。日本以上に車に注意が必要だけれど、自転車で回るのも悪くない。
ちなみに杭州市には交通規制があって、車のナンバーによって西湖付近に乗り入れられる曜日が決まっているそうだ。渋滞緩和のために、そういう規制を設けている都市は最近増えてきているね。


この後西冷印社を見学。西冷印社は公式サイトによれば、清の光緒30年(1904)、金石篆刻を専門とする学術団体として発足、現在は国内外の専門家により構成されている。発足当時の本拠地跡が孤山にあり、庭園の中に明清古建築や摩崖題刻を存し、「湖山最勝」として称えられている。
2009年には西冷印社の申請により「中国篆刻芸術」がユネスコ(国際連合教育科学文化機関)に「人類無形文化遺産」として登録されたんだって。

写真左は宋の義士、武松の墓。
武松は古典小説『水滸伝』『金瓶梅』の登場人物として有名だね。「武松打虎」という京劇の演目もある。物語の中の武松は義侠心厚い熱血漢で、義姉とその愛人の陰謀により殺された兄の仇を討つ人物として描かれている。

一方、史書の記載によれば、北宋のとき、武松は杭州知事だった高権にその才能を買われて知府に入ったが、後に高権が陥れられたときに連座して投獄された。新しい知事蔡京の息子、蔡鋆(いん)は民を虐げ、武松は民のために彼を暗殺、ついに獄中で虐殺される。民は彼を哀れんで西湖のほとりに埋葬したという。
現在の墓碑は2004年に再建されたもので、まだ新しい感じがするよ。


さらに歩いて、船着き場へ。西湖の中にある島、小瀛洲(三潭印月)へ向かう船が出るのを待つ間に、スタバでご当地カップなどを購入したりして過ごす。船に乗ってのんびり15分ほどで小瀛洲へ。天気が良いからいろんな船が西湖の上を行き交っていた。右の写真は船の上のぼく。

小瀛洲は西湖の中でも特に有名な景点で、湖に浮かぶ三潭石塔が見られる。この石塔はもとは北宋時代に蘇軾が設置し、明代に再建、現在のものは清・康煕年間に作られたものだそうだ。人民元の1元札の裏に描かれていることでも有名だね(ただし、実際の景色とはやや異なるらしい)。2013年秋に遊覧船がぶつかって三つのうち一つが倒れて沈む(!)という事件があったが、翌日朝までに何とか修復されたそうだ。
島の中にはさらに四つの湖があり(写真下)、十字になった道を散策できる。季節ごとに様々な花が咲くようになっていて、きれいだよ。この写真では花は写ってないけど、是非実際に行って見てみることをお勧めする。

ところでこの島は着いた途端鳥の声があちこちでしていて、「鳥はどこ?」と見ていたら観光客相手に売ってる笛を売り子さんが吹いているのだった。その他にも昔の衣装を着て写真を撮るところなど、観光客相手の出店があちこちにあったよ。


雷峰塔

西湖南部に位置する塔。人間に恋をした白蛇が封印されたという話で有名だね。白蛇伝の伝承・変遷については、中国芸文研究会の『學林』によく掲載されている谷口義介先生の論文に詳しいよ。
もとは975年に6年の歳月をかけて建てられ、「黄妃塔」というのが当初の名だったそうだ。雷峰に建てられたことから後に雷峰塔と呼ばれるようになったらしい。1924年に倒壊し、下から金剛羅漢や仏典が出土、その後2002年に現在の塔が再建された。
塔の下にたどり着くまでにエスカレーターがあり(写真下左)、中にもエレベーターが設置されている。武漢の黄鶴楼はエレベーター使用に年齢制限(70歳以上)があったけれど、ここは乗り放題だ。

塔の中にはもとの雷峰塔の遺跡がガラス越しに見えるようになっていた(写真上右)。何故かお金が投げ入れられていて、「保護のために物を投げ入れないように」との注意書きもあった。日本でもよく見かけるが、何故人はああいう場所でお金を投げ入れたくなるのだろうか。

上の写真は最上階から眺めた西湖。天気が良かったので遠くまで見渡せたよ。


八卦田遺跡

西湖の南部にある、中心に太極を据えぐるりと八卦が囲んだ形に作られている田の遺跡。明・田汝成『西湖遊覧志』に記載がある。南宋で杭州が都となったとき、皇室の籍田として整備、高宗自ら「三推一抜」の祭礼を行っていたそうだ。日本でも天皇陛下が「御田植」をされるね(昭和に始まったものらしいけど)。
現在は周囲を含め遺跡公園になっているけれど、田畑としても実際に使われていて、季節ごとに様々な作物ができるそうだ。
特に春は菜の花畑が見られるということで有名な観光名所になっているのだけれど、ぼくたちが訪れたときにはまだあまり菜の花は咲いていなかった。残念!!



六和塔

八卦田遺跡公園からやや南西に位置。銭塘江大橋の近くにある。
銭塘江の氾濫を鎮めるために北宋時に建てられたものだという(諸説有り)。現在の六和塔は南宋に再建されたもので、何度か修復されている。
ちょうどぼくたちが訪れたときも修復工事が行われていて、チケットを購入してお釣りをもらう際に、売り場のおばさんに「今工事中で塔には入れませんので、半額です」と言われた。そういうことは買う前に言ってほしい…。




杭州碑林(文廟)

杭州の孔子廟。北宋の仁宗年間(11世紀初)に創建、もとは鳳凰山のふもとにあったのを南宋の紹興元年(1131)に現在の場所に移設、現在に至る。1978年に碑林の整備が始まり、1989年に一般公開されたそうだ。つい最近リニューアルされたようで、園内は非常にきれいに整備されていた。回廊には唐~民国期までの貴重な碑が420点余も展示されており、ひとつひとつをじっくり見ていると一日かかりそうだよ。写真下左は康熙帝の諭旨碑。康煕43年(1704)のものだそうだ。だいぶ文字が薄くなっている。碑の下の亀趺(亀に似ているが龍の子で、禹の治水に貢献したという伝説がある)が舌を出しているのが何かお茶目だね。

この他、南宋の太学石経、編鐘(湖北省の曾侯乙墓から出土したもののレプリカだと思われる)、杭州の科挙合格者の答案などが展示してあったりと、広い敷地内に様々な展示場があった。


この後、昔の商店街を模した清河坊老街に行き、昔ながらの漢方薬の店舗や土産物屋を見て回る。呼び子のお兄さんが声を枯らしながら特産のお菓子などを売っていたよ。
夕食はホテルから歩いて行けるレストランに行き、帰りに夜市の混雑を抜けて戻ってきた。
戻った後、ホテル近くのファミリーマートを覗き、また土産物を買う。キャンペーン中らしく、レジででかい乳酸菌飲料を早口で勧められたが、CさんとMさんは言葉が分からず苦労したという…


5日目

最終日。この日は前日とうって変って気温が下がり、曇り空でやや寒い日となった。

ふたたび西湖の孤山に行き、まずは隠逸詩人林和靖の墓参り(写真左)。林逋(967-1028)、字は君復、西湖に隠居し、孤山に庵を作った。生涯独身で官職にも就かず、梅と鶴をこよなく愛したという。北宋の仁宗に和靖先生と諡された。

その後で浙江省博物館を見学。博物館前にあるミュージアムショップを覗き、それから文瀾閣へ。




文瀾閣

文瀾閣は清の乾隆48年(1783)に建設された皇家の蔵書楼で、四庫全書を所蔵した七閣のうちの一つ。咸豊11年(1861)に焼失したが、光緒6年(1880)に再建された。その後修繕を重ね、近年一般にも無料で公開している。
今回はY先生のお知り合いである浙江図書館の浙江省古籍保護センターの陳氏に案内していただき、文瀾閣の歴史などについてご教示いただいた。
写真は太乙分青室。2002年に四庫全書は新築された浙江省図書館に移されたそうで、これらの書架は復元したもの。

寧波にある天一閣を模倣した建築様式で、庭園が美しく、防火の面からも理にかなった造りになっているそうだ。敷地内には他に乾隆帝の上諭碑などもある。

見学後、隣の老舗料理店「楼外楼」で食事をしつつ、中国の古籍研究について陳氏からお話を伺った。食事を済ませた後は、迎賓館である紅楼と、現在も図書館の分館として使用されている白楼を少し見学して孤山を後にした。


こうして今回の旅行は終了。短い期間だったけれど、充実した旅だった。
今回は12月の旅と行先がいくつか重なっていたけれど、浙江省にはまだまだ多くの史跡や観光スポットがあるよ。無料開放の場所が多いのは助かるね。
皆さんもぜひ行ってみてね。



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