2007年度JASRAC寄附講座
音楽・文化産業論U
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2007.11.24



講師:反畑誠一(たんばた・せいいち)先生

音楽評論家・立命館大客員教授(「音楽・文化産業論」「現代メディア運営論」。
(社)全国コンサートツアー事業者協会理事。芸術選奨推薦委員。日本レコード大賞常任実行委員。
J-popを中心にジャンルを超えて幅広い視野で評論活動を、新聞(京都新聞)・ラジオ(FM綾部)・テレビ(KBS京都)を通じて展開中。
30余年間にわたり、日本人アーティストのアジア公演に同行取材を続ける傍ら、PROMIC調査団員としてアジア各国の音楽産業事情を現地視察するなど、アジアの音楽ソフト市場の調査・分析の第一人者。
 

 

「音楽文化と著作権」

  

はじめに

 

私は音楽評論家という肩書きの仕事をしています。音楽評論家はクラシックから歌謡曲まで分野別に大勢いますが、私はJ-popを中心に、ジャンルを超えて洋楽も含めて幅広い視野で、評論活動を続けています。例えば全国の新聞28紙(京都では京都新聞)には、私の書いた評論が毎週載っています。「ヒットの周辺」というタイトルのコラムです。今年で22年になりますが、一度も休んだことがありません。毎週欠かさず書くということは、心身共に大変なことなのですが、このようなレギュラーの仕事があるということは、働く意欲を駆り立て、仕事のローテーションの軸になります。ちなみに今週は木村カエラについて、先週は奥田民生について書きました。また長野県の信濃毎日新聞には、月に一回「ミュージック街路」というコラムのJ-POP編を担当しています。今月はCrystal Kayについて書きました。ほかには全国56局ネットのラジオ番組(京都ではFM綾部)「反畑誠一の音楽ミュージアム」という番組のパーソナリティを務めています。私のアシスタントをしてくれているのは、注目のシンガー・ソングライターの熊木杏里です。またライブを見ることも僕の好きな仕事の一つで、日本経済新聞の「コンサート評・ポピュラー音楽部門」を担当しています。先日はラジオ番組の収録後に、下地勇という宮古島出身のシンガー・ソングライターのライブへ行きました。今日は講義後に東京に戻り、BIGINのライブを観に行く予定です。鑑賞する数は年間150本ほどになります。

 このような仕事に関わっているので、連日、各レコード会社から最新のサンプルCDやDVDが何十枚も届きます。時間に限りがあるので全部視聴することはできませんが、私にとっての教科書は「聴くこと・観ること」です。たくさんの音楽を聴いたり観たりすると、好き嫌いは別として客観的に比較することができるからです。

 先月、東京で開かれた「第4回東京アジア・ミュージックマーケット」という国際的なイベントを主催している財団法人音楽産業・文化振興財団(PROMIC)をご存知でしょうか? 私はこのPROMICという財団の調査団の一員として、アジア各国に音楽著作権事情や海賊版の現状調査に、1990年代から毎年のように行く機会がありました。これからお話すことも、その成果をベースにした内容です。

ただし本日は、「音楽文化と著作権」というテーマに絞ってお話しようと思います。「著作権」という言葉を聞くと「難しそうだなあ」と思う人もいるでしょうが、これから話すことは基本な知識なので皆さんはぜひ積極的に勉強して欲しいと期待しています。

 

1.著作権とは何か

 

 私が著作権についてお話をする際は、いつも弁護士でニューヨーク州弁護士でもある福井健策先生の著書『著作権とは何か』から言葉を引用させてもらっています。他人の著作物を使うということですので、当然お断りしたうえで、講義でも度々引用いたします。ついては、まず著作権とは何なのかということについて説明します。

 

「著作権とは、文学・映画・音楽・美術といった作品の創作者が持つ、その作品がどう利用されるかを決定できる権利のことです。著作権の最大の理由は、芸術文化活動が活発に行われるための土壌をつくること。なぜなら、芸術文化が私たちの社会に必要なものだからです。著作権をその目的に沿うように使ったり、設計することは、私たちに課せられた課題です。」(福井健策著『著作権とは何か』より)

 

1)著作者の権利

「著作者の権利」には、「著作者人格権」と「著作権(財産権)」の二つがあります。「著作者人格権」は、財産ではなく無形の人間のプライドのようなものなので、お金には換えられません。つまり一代で終わりです。それに対して「著作権」は財産ですから、預けたり譲ったりすることができます。現行の国内法では死後50年間はこの権利が守られますが、アメリカなどでは死後70年のため、日本でも世界基準に合わせて70年に延長しようという動きがあります。

 

2)著作隣接権

「著作隣接権」は文字通り、著作権と隣り合わせになっている権利です。どのような人たちが隣り合わせになっているのでしょうか。

@実演家…実演家には著作権者と同じように実演家の人格権や財産権という権利が発生します。したがってシンガー・ソングライターたちは、著作権と著作隣接権の両方の権利を持つことになります。

Aレコード製作者…いわゆる「原盤権」を持っています。CDの売り上げ収入はレコード製作者にも入ってきますが、それ以外にも「着うた」や「着うたフル」はCDの音源を使っているので、音楽配信の売り上げはすべて「原盤権」を持っているレコード製作者のもとにひとまず入ってきます。

B放送事業者…ドラマの原作者は著作権者ですが、それを元に番組を制作した放送局も権利者になることができます。今日ではそれがDVD化されたり、ネットで放送されたりするので、その都度違う権利が発生し、新たな使用許諾が必要になっています。

C有線放送事業者…CATVなどの有線の放送局も権利者になることができます。ただしその保護期間は、放送されてから50年間となっています。

 

3)産業財産権

 知的財産権には、他にどのような権利があるのでしょうか。例えば産業財産権と呼ばれる権利があり、そのなかには特許権(出願日から20年)、実用新案権(存続期間、出願公告から6年)、意匠権(存続期間15年)、商標権(存続期間10年、更新可)などがあります。これらも知的財産の大きな権利です。

 

4)上記以外

ほか不正競争防止法によって守られる権利、肖像パブリシティ権(判例で認められた権利)、育成権(種苗法)などがあります。

以上、著作権や産業財産権を含む知的財産権が、私たちの文化を保護してくれています。

 

2.音楽エンタテインメントに必要な著作権知識

 

1)権利をめぐるルール

 著作権を守るためには、当然ルールがあります。一つ目のルールは、「それがあなたの権利なら、一定のコントロールができる」というものです。「コントロール」とは、権利の使用を許可したり、あるいはライセンスと言って権利を預けるかどうかを自分で決めることができるという意味です。二つ目のルールは「著作権は、著作物について、それを創作した人に与えられる。それが著作物として認められる内容のものでなければならない」というものです。つまり著作物をつくった本人にしか与えられないし、またそれが単なる思いつきではだめですということです。

 そんなことを言われても難しく複雑過ぎると言う人も多いと思います。そこで著作権に関して必要な知識を列挙してみましょう。

 

○著作物の利用と実演・レコードの利用
○著作権と著作隣接権の働き方の違い
○サンプリングについて
○音の「依拠」問題(意図的に盗んだのではなく、自然に頭の中に蓄積されていた音かもしれない。その境界は?)
○著作権等管理事業者(JASRACもこの管理事業者の一つ)
○応諾義務(管理事業法16法)
○信託する範囲(財産を預ける範囲)
○編曲行為と実演(演奏)との境界
○歌詞の「翻案」と「同一性保持」(どこまで歌詞を変更していいか)
○歌詞における引用(どこまで歌詞を引用していいか)
○替え歌の引用(どこまで歌を替えていいか)
○音楽著作物における無意識の「依拠」(「写り込み」と同義。どこまで無意識のうちに著作物を作っているのか)

 

 上記2つ目の「著作権と著作隣接権の働き方の違い」を、サンプリングを例にとって説明します(以下、「 」内は『月刊コピライト』(社)著作権情報センターより)。

アメリカの著作権法によると、サウンド・レコーディングの著作権者の複製権は「録音物に固定されている実際の音を直接または間接に再録するレコードまたはコピーの形式に録音物を複製される権利に固定される」とあります。アメリカではあれほどたくさんのサンプリング作品が生まれていますが、このような著作権法のもとで作られているのですね。さらに「録音物に固定されている実際の音を再整理し、再調整しまたは順序もしくは音質を変更した二次仕様物を作成する権利に限定される」ともあります。少々難しい言い方ですが、つまり中身や音質を勝手に変えたりしてはいけないということです。サンプリングする際はあくまで二次仕様の範囲内で行うことに限定されています。

しかし次のような身近なケースでは緩やかです。「自宅で自作曲の伴奏をシンセサイザーでつくり、パソコンのハードディスクに録音する段階では、家庭内の私的録音の対象サンプリングは自由に使える」。つまり自宅で私的に録音するという範囲内であれば、サンプリングは自由に認められているというわけです。また「一定規模を備えた音楽専門学校の『授業の過程』で使用される場合は、音源の権利者に許諾なく行うことができる」とあります。教育の場においては、その使用は自由なのですね(「著作権法の解説」の「著作物の自由利用」より)。そしてアメリカの判例では、「使用量の多寡にかかわらず、音源の権利者の許諾を得ずにサンプリングして自己のCDのために利用することは違法」です。日本と比べると非常に厳しいですね。なぜかというと、アメリカの著作権法には日本の著作権法でいう「著作隣接権」がないのです。アメリカと日本の著作権法の一番興味深い違いと言えるでしょう。

 

2)著作権の取得と保護期間

 著作権とはどのようにして取得するのでしょうか。まず著作物は、作品を書いたときから「著作物」となります。そして著作権を取得するためには何の手続きも要りません。産業財産権である特許権や意匠権などの場合には、すべて届け出が必要となります。著作権は作った段階で届出の必要はありませんが、作った人は公表時に、実名・変名・無名のいずれかで公表することを決める権利を持っています。これを「氏名公示権」と言います。

しかし自分がその著作者であることを証明するにはどうすればいのでしょうか。それには二つの推定規定があります。まず原稿には作者名を記載していること。絵画の場合はサインや落款が表示されていること。書籍の場合は表紙や奥付に氏名が表示されていること。CD・ビデオの場合はジャケットに作者名が表示されていること。映画のタイトルやコンサートのパンフレットには作者名が表示されていることです。もしも変名を使う場合は、この変名が周知されていなければこの著作者表示の推定は使えないという規定もあります。

 著作物が盗まれたり、複製された場合はどうなるのでしょうか。それは当然証明されなければなりません。原作品の創作的部分と同一でなければならず、まったく独自に、同一あるいは類似の著作物を創作しても著作権の侵害にはなりません。

 

3)音楽著作権の管理システム



左図を見てください。上の「著作者」の部分は、作詞・作曲者に限られています。編曲家などはここに含まれません。左下の「JASRAC」は、会員によって成り立っている社団法人で、著作権を信託されて管理しています。そのJASRACには直接著作権を預ける人もいますが、なかにはもう一つの構成メンバーである「音楽出版社」の会員になっているケースもあります。作曲家は音楽出版社に著作権の管理を信託しているのです。海外ではこのケースが非常に多いです。

 

4.世界の音楽産業

 

次のデータはIFPI(世界レコード製作者連合)から報告された最新のデータです。昨年のシングルトラックのダウンロード数は7億9,500万件で前年比89%増です。すごい伸びです。音楽配信市場はアメリカが52%、アジア(日本ほか)が20%、ヨーロッパが18%を占めています。リリースタイトルは旧譜の配信も増え、消費者の選択肢は拡大傾向にあります。よく、音楽市場が縮小しているとか、CDが売れないとか言われていますが、89%増という世界の数字を見てみると、音楽産業は配信市場に移行しているということは明らかですね。しかもこの中で、旧譜も蘇りつつあるということを確認しおいてください。

 世界の音楽産業の売上げ実績は、昨年のデータによると市場規模が世界第2位の日本が唯一前年比増です。それでも1%だけですが、1位のアメリカなどは7%減です。アメリカの音楽売り上げの5分の1は音楽配信。それだけ音楽配信市場が伸びてきているということを表しています。

メディア別の売上げは、パッケージは前年比11%減ですが、音楽配信はなんと85%も伸びています。

 

5.著作権関係条約・立法の歩み

 

1)万国著作権条約

1956年、万国著作権条約(UCC:Universal Copyright Convention)が交付され、日本も加盟しました。この万国著作権条約は、1952年にジュネーヴで採択された主要な著作権条約です。著作権保護の条件として、登録、納入、著作権表示などの方式を要求していたパン・アメリカン条約に加入する米州諸国と無方式で著作権を保護するベルヌ条約に加入するヨーロッパ・アジア・アフリカ諸国とを結ぶ架け橋条約として、1952年にジュネーヴで成立しました。

日本や韓国もこの条約に入っていますが、相互の国同士で別の条約を結ぶ必要があります。例えば日本の楽曲を別の国で使われた場合、その国の著作権管理団体が著作権使用料を徴収し、日本に支払うことになっています。逆に日本で他国の楽曲が使用された場合は日本の管理団体JASRACがその使用料を聴取し支払っています。しかしすべての楽曲を掌握しているわけではなく勝手に使われるというケースもあるので、相互に情報交換のうえ互い管理し合いましょうという約束ごとが条約で決められているのです。これを音楽著作権に関する相互管理契約と言います。中国や台湾もマレーシアも、万国著作権条約に加盟した上で、それぞれの国と個別に相互管理契約を結んでいるのです。しかし韓国と日本の場合、長い間話し合いの場を設け、相互管理契約について話しあってきましたが、遅遅として話し合いが進まずにまだ締結されていませんでした。それがようやく来月、日韓の間で相互管理契約が締結されることになりました。これは本当に喜ぶべきことです。

なぜこの時期にそこまで辿り着けたかというと、韓国はアメリカとも締結することになったからです。アメリカは知的所有権については非常に厳しい国で、すぐにWTOとの関連を持ち出してきます。WTOのなかに万国著作権条約が項目として含まれているので、著作権条約を結ぶ代わりに、「車を買ってくれ」あるいは「牛肉を買ってくれ」というようなことを条件として出してきます。こちらは知的財産について話しているのに、違う産業の話を合わせて持ち出してくるのです。このような駆け引きもなく日本が韓国と相互管理契約が結べたというのは本当に素晴らしい話です。20年近くも韓国と粘り強く交渉を重ねてきて、ようやく辿り着けた出来事です。このように約束事というのは、世界各国間で取り決めをしたうえで、最後は相互に批准したうえで発効されるという大変なものなのです。

この万国著作権条約は、ユネスコ(国連教育文化機関、1946年成立)によって取り扱われているため、ユネスコ条約とも言われています。今年の8月現在で、100カ国がこの条約に加盟しています。

万国著作権条約は、具体的にはどのように私たちの生活の中で機能しているのかというと、この条約によって無方式国で最初に発行された著作物の複製物の「マルシー表示」の記号、それから「著作権者名」や「最初の発行年」を表示してあれば、著作物が保護されることになったのです。この条約を結んでいれば世界的に保護されます。

 

2)ベルヌ条約

 ベルヌ条約は、著作権の基本です。どのような条約かというと、「文学的及び美術的著作物の保護に関する条約」です。1886年9月9日、スイスのベルヌにヨーロッパ諸国10カ国が参加して開催された国際会議で、条約が作成されました。どのような約束事が成立したのでしょうか。まず、各国民の待遇の原則を確立しました。また、各国同盟国に対し、国内法で最小限度に認めるべき著作権の範囲を規定しました。このときの名誉会長は、文豪のビクトル・ユーゴでした。日本は1899年3月に著作権法を交付し、4月に条約に加盟しました。このベルヌ条約の最大の特徴は、著作物の保護に関して、登録とか納本といった手続きを必要としない無方式主義を条約上の原則としたのです。これ以前のパン・アメリカンは、著作物を届け出なければ著作権の取得ができませんでした。現在は162カ国がこの条約を締結しています。

 

3)ローマ条約

1961年、実演家、レコード製作者及び放送機関の保護に関する国際条約が締結しました。この条約をローマ条約と言います。この条約によって、実演家については実演の放送及び公衆伝達、生演奏の固定、演奏の固定物の複製に関する権利が定められ、レコード製作者についてはレコードの複製に関する権利が定められました。放送事業者については放送の再放送、放送の固定、入場料を徴収して公衆にテレビ放送を伝達することなどに関する固定されました。保護期間は最低20年で、日本は1989年に加盟しました。現在では86カ国が加盟しています。

 

4)WIPO

 これも非常に重要な機関です。WIPO(World Intellectual Property Organization:世界知的所有権機関)は、ベルヌ条約と工業用の所有権を扱うパリ条約の両条約の管理・機構上の問題を統一的に処理して、また世界的に知的所有権の保護を促進し、改善することを目的とした条約が成立し、1970年に発効したという歴史をもっています。重要なのは、「工業用の所有権」もここで入ってきたという点です。現在は183カ国が締結、日本は1975年に発効しています。1974年には国連の14番目の専門機関となりました。

 

5)TRIPS協定

 1990年代の国際社会における貿易のルールを定めるために設けられたGATT(貿易と関税に関する一般協定)のウルグアイ・ラウンドは1986年9月から開始され、知的財産権サービスを含む多方面の貿易の分野で交渉が進められた結果、1994年4月、モロッコのマケラッシュで開催された国際会議で、世界貿易機構(WTO)を設立するマケラッシュ協定が成立しました。協定は4つの付属書から成り立っていて、その一つには「知的所有権の貿易の側面に関する協定」(Trade-Related of Intellectual Property Rights)が含まれています。著作権は知的財産なので、貿易にも発展していくのです。

 TRIPS協定のうち著作権関連協定はどのようなものかというと、@ベルヌ条約の規定に関する保護内容の遵守。そしてAコンピュータ・プログラム及びデータ・ベースの著作権による保護、Bコンピュータ・プログラム、映画及びレコードの貸与権の付与、C実演家、レコード製作者及び放送事業者の保護等を定めている。1995年に発効し、149カ国・地域が締結しています。今から12年前になってようやくコンピュータ・プログラムの権利にまで辿り着いたのです。

 

6)WIPO新著作権条約

 1996年12月、「インターネット著作権条約」と称すべき、実演家、レコード製作者の権利を保護するための「WIPO実演・レコード条約(WPPT)」が外交会議で採択され、著作物、実演、レコードをインターネットなどで用いた「インタラクティブ送信」によって公衆に伝達することについて、新しい権利が規定されました。日本では公衆送信権と言います。

 

6.1963〜65年の日本 ―中間レポートの課題によせて―

 

 今回の中間レポートでは、昭和38〜40年の日本はどのような時期だったかということについての課題を出しました。そこで最後に、この3年間について少し振り返ってみておきましょう。

 

1)1963年

 オリンピックの前年であるこの年は、いやな事件がたくさん起きた年でもありました。ざっと挙げただけでも吉展ちゃん事件、狭山事件、鶴見事件、三池炭鉱事故などがありました。またプロレスラーの力道山が亡くなった年でもあります。一方で、ボウリングが大ブームになったり、東京オリンピックを控えて英会話学校が大人気となりました。都市部ではスーパーマーケットの出店旋風が起きて「流通革命」と言われました。

 流行った歌は三波春夫さんの「東京五輪音頭」、ザ・ピーナッツの「ウナ・セラ・ディ東京」、ボブ・ディランの有名な「風に吹かれて」などがあります。

 

2)1964年

 東海道新幹線が開通した年です。東京・大阪間は4時間も費やしていた時代です。また日本がOECD(経済協力開発機構)に加盟して、経済的にも先進国として認められました。10月には東京オリンピックが開催されました。94カ国から5586人がオリンピックに参加、宇宙衛星を利用したテレビ中継が世界45カ国で放送されました。

 

3)1965年

 ちょうど戦後20年にあたる年です。アメリカはベトナムへ北爆を開始しました。ここから、泥沼のベトナム戦争が始まるというわけです。一方で初めて、日韓の関係が正常化されました。また日本サッカーリーグが開幕、そしてエレキギターが月産6万台も生産され、ブームになります。音楽的には非常に重要な年と言えるでしょう。国際化されていく中で一番敏感なのはファッションですが、女性の間ではミニスカートが大流行します。ちなみに都バスの運賃は20円の時代でした。

売れた曲はローリング・ストーンズの「サティスファクション」、そして代表的なのはザ・ビートルズの「ミッシェル」とか「イエスタデイ」など。ロックをやっている若者は不良扱いだったこの時期、この年の流行語にもなった「期待される人間像」にはほど遠いものだったのでしょうか。

 

―参考文献―
『著作権法の解説』千野直邦・千野晋子著、一橋出版刊
『ライブ・エンタテインメントの著作権』福井健策篇、福井健策・二関辰郎著、CRIC刊
’60 ’70年代の青春』「anngle」編集、主婦と生活社刊
『月刊コピライト』社団法人著作権情報センター刊
『月刊CPRAnews』実演家著作隣接権センター刊



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