第8回 2008年11月15日 
「音楽マーケティングにおける市場への取り組み」〜マーケット・セグメントとアプローチ

講師:三枝 照夫(さえぐさ・てるお)先生

1975年 早稲田大学卒業
    ビクター音楽産業株式会社入社(現ビクターエンタテインメント株式会社)

2007年 ビクターエンタテインメント株式会社取締役会長・邦楽制作統括
現在に至る。

「音楽マーケティングにおける市場への取り組み」
             〜マーケット・セグメントとアプローチ




はじめに

前半は、音楽ビジネスにおけるマーケティングはこういう考え方に沿って行っている、あるいは今後こういう考え方を強めていかないと産業として成り立たないという概論的な話をさせていただきます。後半は、これから私およびビクターがやろうとしていることについて述べます。具体的なシミュレーションを通して、いかにマーケティングが大事かを考える時間を皆さんと共有していければと思います。
 順番としては、「音楽マーケティングとは」「マーケティングの実践とは」「マーケット・セグメント」「適合消費者層への適合商材投入とは」「事例:ユーザー層の設定と商材投入」という流れで進めたいと思います。

1. 音楽マーケティングとは

 まず、ここで僕が使っているマーケティングと皆さんが受け止めるマーケティングの認識ベクトルを合わせたいと思います。そうしないとマーケティングの概念は非常に広いからです。今日僕が話すマーケティングの概念はこういうことなのだという定義を、この場でさせていただきます。
 近代マーケティングの父といわれるアメリカの経営学者フィリップ・コトラーは、「人々が求めているものは何か?それに対して何をどう提供すべきか?その答えをあらかじめ探る行為」をマーケティングと言っています。皆さんもこの意味に限定して、今日僕が使うマーケティングの意味を捉えていただければと思います。
 これは一般的なマーケティングの概念ですが、音楽ビジネスにおいても全く変わりありません。音楽イコール芸術だと捉えている方は、ちょっとイヤだと思われるかもしれませんが、やはり音楽もビジネスである以上マーケティングは必要です。もちろん音楽としての芸術的側面は大きく、文化として残していく価値のある作品も数多くあります。音楽ビジネスに従事する我々は、芸術性や文化、そして日常生活ともバランスをとり、両立させてやっているわけなので、音楽ビジネスの中でマーケティングが非常に重要な役割を果たすということを認識していただいて、これから話すことを聞いていただければと思います。

2. マーケティングの実践とは

ここからが本題ですが、マーケティングの実践とはどういうことかを、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。まず、「人々が求めているものは何か」「それに対して何をどう提供すべきか」「その答えをあらかじめ探ればどうなるか」ということを頭の中にインプットしておいてください。その観点で考えてみたいと思います。
 我々企業の人間にとって、消費者が求めているものを用意し、どう提供するかという方法論が準備できれば、当然、自分の会社の商品やサービスをお客さまに選んでいただく可能性は高くなります。しかしここで注意してほしいのは、買ってもらえる可能性が高くなるということは、必ずしも売り上げが上がるということではありません。マーケティングは魔法でも、お客さまに売り込む・売りつける方法論でもなく、購入してもらえる可能性を高めるものであることを覚えておいてください。そして、お客さまが求めているものを適切な方法論とともに用意しても、そのお客さまに「ご用意していますよ」と伝えなければ何も起こりません。何も起こらなければビジネス・商売にはならないので、マーケティングの実践には「お客さまに伝える」という大事な過程があるということです。「自社商品(またはサービス)に適合した消費者層に情報を届けなくてはならない」。マーケティングの実践とはこういうことです。
 ここで、その過程の参考事例として挙げられるのが「マーケティングの4P」。売り手の方は「Product(製品)」「Price(価格)」「Place(場所)」「Promotion(プロモーション)」の4つです。マーケティングの実践はプロモーションに相当します。それから買い手側の分析としても、フィリップ・コトラーは6つのOを提唱していますので、参考までに覚えておいてください。「Occupants(誰が買うのか)」「Object(何を買うのか)」「Occasion(いつ買うのか)」「Organization(購買に関わる人)」「Objectives(なぜ買うのか)」「Operation(どのようにして買うのか)。そして、両方を組み合わせたものをマーケティング・ミックスと言います。
 マーケティング・プランを立てる前に非常に重要なことは、適合した消費者層を対象にしていることです。用意したものとお客さまが適合していなければ何にもなりません。我々のビジネスで言えば、ジャズの好きな人に演歌の情報をいくら届けても大きなビジネスにはならないということ。中には買ってくださる方も多少はいらっしゃると思いますが、そんなことばかりしていたら会社は倒産してしまいます。適合した消費者層に、最適な情報を、最適なタイミングで届けるということが、マーケティングの実践においては理想の形なのです。
 言葉ではそう言うものの、往々にして消費者に本当に適したものを用意できているか、もしくは自社の製品・サービスに本当に適合したお客さまに情報を伝えられているか、という問題が起こります。企業活動において想定した状況・売り上げにならないというのは、適合性を間違えたことに起因する失敗がほとんどです。このことは、どの産業でもありがちで、気付かない企業もあるかもしれませんが、どんな企業でも経験していることです。
 ご存じのとおり世の中にはいろんな人たちがいて、いろんな趣味・趣向があり、音楽にもさまざまなジャンルがあるわけです。また音楽には多様な趣向性がありますから、まさにさまざまなマーケットが存在しています。皆さんの中でもヒップホップが好きな人、クラシックが好きな人、ジャズが好きな人、全部好きな人、あるいはヒップホップ以外は聴かない人などさまざまであるのと同じです。私の会社で音楽ビジネスに携わっている社員の中でも、個人的にはこれが好きでこっちは聴かないという者がたくさんいます。しかし、ジャンルが合っているというだけではお客さまは買ってくれません。他にもいろんな要因があって、演歌の好きな人たちは演歌であれば何でもいい、ロックであれば何でもいい、ヒップホップであれば何でもいいかというと、そうではない。ですから、そのアーティストの音楽ジャンルだけでなく、アーティストの特性、人間的な魅力、あるいはステージに立ったときの姿・表情テレビに映ったときのしぐさ、そういうものが音楽と相まって、お客さまの好き嫌いや、買ってみたいと思うアーティストなのか、音楽なのかということが出てきます。ですから、お客さまにどんな情報を届ければ買っていただけるかというのは、非常に重要な問題なわけです。
 マーケティング論的に言えば、どんなユーザー層をターゲット設定するかがマーケティングの第一歩。これは音楽ビジネスだけでなく、一般の企業活動にとってなくてはならないことです。

3. マーケット・セグメント

では次に、どんなユーザー層をどうやってターゲットに設定するかについて、我々が実践している考え方を話していきたいと思います。先ほど述べた通り、どういうユーザー層を狙うのかを間違えれば、全くビジネスにならないケースも多々あります。ですからターゲットユーザーは慎重に設定しなくてはいけないのですが、これが意外に難しい問題です。そもそもターゲット層の決め方が非常に難しく、ある消費者層を把握するときは、ほかの人たちと区別して把握できるように分析しないといけません。これをマーケティング用語では「セグメント」と呼んでいますが、このマーケット・セグメントとは次のようなことではないかと思います。
 「市場の中で共通のニーズを持ち、商品やサービスの認識の仕方・価値づけ・使用方法、購買に至るプロセス、すなわち購買行動が似通っている顧客層の集団」。またセグメントを発見するためには、意味のある市場を細分化して把握するために切り分け軸の設定が極めて重要であり、この基軸を間違えてしまうと全てがおかしくなります。実際には、年齢・性別、地理的、心理的な切り分け方などさまざまな角度での分析が可能で、ビジネスにおいては切り分け軸があり過ぎるほどなので、どこの何をもって切り分けるかということが非常に大事なのです。では次に、セグメントをどのようにして、ある基軸に沿ってわけていくのかについてお話しします。
 広告代理店でなじみ深いのは電通や博報堂になりますが、そこでは10代の女性や20代の女性といった年齢・性別でのセグメントを盛んにしていました。「これは10代の女性に評判がいい」とか「これは50代の主婦向けに狙っています」などといった考え方が、広告代理店の支配的な考え方でした。しかし、これはすでに時代遅れだということをマーケティングを学んだ人たちならよくご存じだと思います。
 皆さんの中にもプロ野球を好きな人がいると思いますが、阪神ファン、巨人ファンには老いも若きも男も女も、非常に幅の広い年齢層の人たちがいます。しかし、阪神ファンは阪神ファンとしてのマーケットを、巨人ファンは巨人ファンとしてのマーケットを成立させており、それぞれが巨大なマーケットです。例えば阪神ファンは、これは少し感覚的かもしれませんが、関西地域に多くて、巨人ファンは関東地域に多いといった地理的な分析は可能ですが、年齢・性別では全く切り分けができないと思います。では、阪神ファンは関西に多く巨人ファンは東京に多いので、これを切り分け軸に設定しましょうということでは、全くターゲット設定にならないということをご理解いただけると思います。
 ですから、例えば夜更かし型とか、雑誌よりも文庫本が好きな人たちなど、ライフスタイルや嗜好性でのセグメントや、コンビニに一日に一度は行くといった行動様式でのセグメントが非常に重要になってきます。実際の企業活動では、こういった複雑な要素を組み合わせてターゲットをセグメントしていくことになります。ここでは大雑把に話していますが、この切り分け軸というものをしっかりしないと、対象のマーケットを選定できないということです。

4. 「適合消費者層への適合商材投入」とは

では、いろんなことを分析してユーザーをセグメントした後、企業は何をすべきか考えてみましょう。先ほど述べたように、コンビニに一日一度は行くとか、朝は早くから起きない、などといった行動様式を分析しただけではビジネスになりません。理論を行動に移すことがとても大事で、分析したことから自社の持っている商品やサービスに適合するセグメントを見つけなければならないのです。私の場合はビクターという会社にいるので、ビクターの持っている商品やサービスに適合するセグメントをどう設定するかということが重要で、それをうまく行えばビジネスチャンスがもっと大きくなります。簡単に言えば、「適合消費者層へ適合商材を投入する」ということで、ユーザーを分析するのと同様に、今度は自分の持っている商材に本当に需要があるのかという問題を検証しなくてはいけません。
 その際の考え方として、マーケティング論はかつて、すでに存在するニーズを発見するということから始めました。しかし、消費者の趣向は変わっていき、またその人が気づいていない潜在的な需要もあったりします。それを掘り起こしたり、新たに創ったりすることで新しいビジネスチャンスが生まれるのです。ですから現在では、新たなニーズやウォンツを創るという非常にクリエイティブな考え方が導入されています。
 以前は、分析から抽出するという論理性が重要視されましたが、そこからさらに創出していくというクリエイティビティが要求されてきたわけです。我々音楽ビジネスを含むメーカー系の企業は、物をつくって売るというビジネスをしているのですから、ニーズやウォンツの創出をいかにして行うかという勝負を繰り返しているわけです。今お話ししているのはマーケティングの実践に対する考え方のほんの一例にすぎませんが、実際に音楽ビジネスにおいて行おうとしたら、一体どうなるのかを事例を挙げてお話しします。

5. 事例 ユーザー層の設定と商材投入

では先ほどの考え方に沿って、マーケティングをどう実践するかという例として、ユーザー設定の仕方と、そこへの商材投入の仕方をシミュレーションしてみたいと思います。
 これは、音楽ソフト全体の生産金額実績の推移をグラフにしたものです。CD・音楽DVDは生産金額、配信は売上実績で数値化されています。音楽ビジネスというのは1998年がピークでその後は縮小し、音楽DVDが登場しても下げ止まらずにどんどん下がっていったのですが、音楽配信の登場で息を吹き返してきているというのが現状です。しかし、2007年は1998年の75%程度の規模しかなく、まだまだ以前のような勢いの良さを取り戻したとは言えません。我々音楽ビジネスに携わる会社の経営者は、事業を拡大するためにいろんなことを考えなくてはいけないのですが、市場の規模の拡大がとても大きなテーマです。それを実践する方法論を考えてみたいと思います。
 市場規模の拡大をめざす以上、音楽ビジネスも高齢化社会に対応していかなければいけません。2005年に行われた国勢調査データを見ますと、60歳の少し下がボリュームゾーンになっています。1998年が音楽ビジネスのピークだったというのは、人数が多い団塊の世代のジュニアたちが最もレコード・CDを買っていたからです。
 いま団塊の世代のジュニアはどうしているかというと、大抵の人が子育てに一生懸命で、のんびり家でCDを聴いたり、車でどこかに遊びに行く余裕もない。我が子をどうやって立派な社会人にするかと孤軍奮闘している最中ですから、私はこの団塊の世代のジュニアをターゲットにするよりも、子育てが一通り終わった団塊の世代をターゲットにビジネスをしていきたいということです。
 しかし、これは単に年齢でわけたセグメントにすぎません。実際に団塊の世代向けのビジネスがいろいろと始まりましたが、その多くはあまりうまくいっていません。つまり年齢だけのセグメントで、漠然としたイメージや先入観でビジネスをしても失敗しますよということです。けれども団塊の世代は非常に人数が多く、これから仕事を離れて余暇を楽しむ人が増えるという状況で、その人たちを放っておく手はないと思います。
 では、どうしたらいいか。先ほどの方法論のニーズや、ウォンツを創るという考え方をミックスすればどうなるでしょうか。大勢いる団塊の世代の中で、特定のニーズやウォンツでセグメントが仮にできたとしたら、そこをターゲットにしてビジネスを展開すればいいという予測は簡単につくと思います。それでは、そのニーズ・ウォンツがあるのか、創れるのかという考察を始めることにしましょう。
 考え方の順番としては、第1段階としてニーズやウォンツを見出すことができたら、第2段階でそれが購買動機になりデータ化できるのかという裏付けを考えていきます。第3段階では、その特定のニーズ・ウォンツを持っている人数、つまり市場規模が十分な大きさでビジネスとして収益を出せるかということを検証しなければいけません。それが可能だと考えたら、第4段階の実施・実行に移ります。
 実行段階も難しいもので、実行にあたって効果的かつ効率的なプランが立てられるか、あるいは必要な環境や条件を会社として整えられるか、という現場的な問題をいろいろクリアしていかなければいけません。実際に実行するときには、その企業が置かれている立場というものもありますし、今日は短い時間なので第3段階までの話を中心にシミュレーションしていきたいと思います。
 団塊の世代でのシミュレーションの場合は、もともと人数が多く一定のセグメントで切り分けても十分な市場規模がありそうです。さらに、その世代のすぐ下である私が育ってきた時代背景を考えると、音楽ビジネスにおいて昔は今ほどジャンルが多様化しておらず、大ヒット曲も結構多かったのです。
 もっと具体的にいいますと、団塊の世代は三橋美智也、美空ひばり、春日八郎がヒットチャートを賑わしていた時代でした。私はそれより少し下の世代ですが、小学校6年生のときにビートルズが現れ、ビートルズを聴いてびっくりしたのが中学1、2年生ですから、団塊の世代で言うと中学2、3年生から高校1年生になります。それまでは歌謡曲といって、今でいう演歌・歌謡曲のジャンルにビートルズというロックンロールをベースにした洋楽が入ってきました。彼らはイギリス出身ですが、アメリカのポップス・流行歌も入ってきました。このように当時はジャンルが細かくわかれていなかったので、単純化した中で、ある程度共通のニーズやウォンツを見出せるわけです。
 ここでしっかりした考察分析を行い、大勢の団塊の世代の中で多数派になり得る共通項を探していかなければなりません。では、どのように探していくか。音楽ビジネスがターゲットとする人々においては、どの年齢層でもカラオケユーザーがかなり大きな比重を占めているということはわかっています。ですから、団塊の世代の中のカラオケ愛好者をターゲットにすれば、共通ウォンツが創れるのではないかと設定してみましょう。
 想定するウォンツも漠然とした勘に頼るのではちょっと困るので、できればデータ化・数値化したい。月間や年間で歌われる回数を比較したチャートは、カラオケの大手メーカーである第一興商やジョイサウンドにありますが、そういうデータは普段お付き合いしているのでいただくことができます。チャートを見ると最近のヒット曲が上位に入っているわけですが、中には古い楽曲が結構上位に入っています。団塊の世代の若いころのヒット曲もあって、かなり年月の経った楽曲がいまだに歌われている。これをどうにか出来ないかと考えることもできるわけです。
 これは第一興商のデータですが、皆さんは1カ月に歌われる延べの回数はどれくらいだと思いますか?もちろんAさんが1カ月に3回カラオケに行き、同じ曲を歌うことも入れて延べの回数はどれくらいかということです。実は、第一興商だけで2億回歌われます。つまり、1年だと24億回歌われているのです。これにジョイサウンドなどいろんなメーカーを加えると、昔の曲から今流行っているEXILEの曲まで、ものすごい数が歌われています。そして今はコンピューターで全部データが出てくるので、どの曲が何回歌われているかということもわかります。ただ歌っている人が学生さんなのか、おじいさんなのか、おばさんなのかはわかりません。
 第一興商のデータによると楽曲は10万曲あって、その中の約1割の1万曲が稼働しています。あとの9万曲はほとんど歌われていない。ちなみにレコード会社が世の中に出した曲を集めると100万曲以上あります。その1万曲の中から、先ほどのニーズやウォンツを探し出せないかという作業をやるわけです。
 例えば、2002年に島谷ひとみが『亜麻色の髪の乙女』というヒット曲を出しましたが、この曲は元々ヴィレッジ・シンガーズというグループサウンズのアーティストが1968年に出した曲で、まさしく団塊世代の青春時代のヒット曲です。これを島谷ひとみがカバーしたのですが、時代を超えて楽曲の良さが若い人たちに受け入れられ、2002年のオリコンの年間カラオケチャートで、『亜麻色の髪の乙女』は第1位になっています。このように古い楽曲であっても、今の若い世代にヒットする力を持っている楽曲は数多くあります。ベスト1000を見ると、イルカの『なごり雪』は当然上位に入っていますし、古い曲でも残っている曲は一杯あります。
 この話はシミュレーションなので、実際の数量的な検証は厳密に行っていませんが、上位曲には今お話ししたようにすごく古い楽曲もあります。それから、古い楽曲を今風にアレンジして大ヒットした実例もあって、いまだにカラオケでよく歌われる力のある楽曲もあります。これを一歩進めて考えてみると、カラオケの上位に入ってくる古い楽曲は、アメリカやヨーロッパで立派に存在するスタンダードという位置付けになり得るのではないかということです。
 ジャズには、1920年代からいろんなジャズシンガーが入れ代わり歌っている曲が一杯あります。ジャズの名曲とは言わないけれども『As Time Goes By』や『You’d Be So Nice To Come Home To』などは、ヘレン・メリル、サラ・ボーンなどそれぞれのボーカリストの持ち味で歌われました。そして、今も新しいアーティストが歌っているスタンダードです。そういうものを日本でも確立してみたいと思っています。
 ここで具体的な話に入りますが、この“New Standardを創ろう”というのはまさに自分自身がやっていきたいと思っている作業です。先ほどのマーケティングの方法論に基づいて皆さんにプレゼンテーションをして、New Standardという言葉を定着させるという音楽ビジネスをビクターはやっていこうと思います。ここで私が話していることが皆さんのところに届き、それを買うかどうかという実践があと1年、1年半後にどうなるか。「何を調子のいいことを言って。結局何にも自分たちに届かなかった」というのでは、失敗と言うしかありません。しかし、「なぜ失敗したのか」ということを皆さんなりに分析して学習していただけたら、きっと糧になることと思います。
 ということで、日本のNew Standard を創ろうということをやってみたいと思っています。データに裏付けられた楽曲群を、今の時代に合うように新たなアレンジでレコーディングし直して、団塊の世代に違った楽しみ方ができるようにします。僕はもともとその時代をリアルタイムに経験しているわけですから、趣味・趣向で切り分けてセグメントとして成立させる条件は整いそうです。キャッチコピーは注目を浴びるようにNew Standard”と名付けて、いろんなアーティストに歌ってもらおうと考えています。そして先ほどのターゲットユーザーの考え方に沿って言えば、New standardはカラオケチャートというデータ的な裏付けを持っているので、ウォンツとして成立するのではないかという方向性もわかってくると思います。
 次にNew Standardという切り口で、実際のビジネスに合う市場規模がつくれるのかという検証になります。今日はシミュレーションですから実際には検証していませんが、団塊の世代の中でカラオケに行く人の人口は、関係機関のデータを当てればほぼ手に入り、皆さんもご想像できるように結構な市場規模になると思います。我々の実際のビジネスの事例は、ノウハウも含めてちょっとした企業秘密になるので、今日はシミュレーションにさせていただきました。
 マーケティングの実践がどのように進むかについて、短い時間でお話ししましたがご理解いただけたでしょうか。まずは、「考え方の方法論」「考え方の段階」というものを覚えていただき、データによる裏付けをしてターゲットを設定し、どこをどう突けば新たなニーズやウォンツが創出できるか。今日は考え方の順番や狙うターゲット層をどう設定するかということを中心にお話ししましたが、流行りものである音楽ビジネスについてもマーケティングは非常に重要なものだということです。それから、皆さんが学校で学んでいることは実際の社会でも役に立つものです。特に日本では、例えばMBAを取得しても資格だけのように受けとめられて、実践することを重視されないケースが多々あるようですが、非常にもったいない話です。ですから、ぜひ皆さんはしっかり学び、社会に出て実践に役に立ててください。これをメッセージとして、私の話は終了させていただきます。

―以下、質疑応答―

Q. アーティストとの契約について教えてほしい。

A. アーティストとレコード会社が契約する場合、さまざまなケースがある。例えば、京都駅前の路上で歌っているすごくいい女の子がいたとする。彼女と契約しようとなったとき、東京での住居の手配などを行わなければいけないし、歌に専念させるのであれば生活費を支給しなければいけない。今はまだそこまでいかないので、アルバイトを紹介して足りない分を自活させながらレコード会社とアーティストでやっていくケースや、アーティストがプロダクションに所属してそこから給料をもらうケースなどさまざまである。
 つまり皆さんがこれから就職する際の相手側の就職条件、「基本給はいくらか」「有給休暇はどれくらいあるのか」というのと同じ形で決められていく。それ以外にも歌唱印税や作詞・作曲の権利の分配などさまざまなケースがあるので、契約の何を聞きたいのかということによって答えも異なる。
 刺激的な話になるが、大物のアーティストとの移籍交渉は、アーティストにもよるが、2億や3億、5億といった契約金を渡すこともあるし、契約金はゼロだが一緒にやっていこうというケースもある。

Q. 学生時代に経験しておいて一番良かったと思うことは何か。

A. 僕は大学の近くまでは行っても、ほとんど授業に出ない学生だった。社会学やマーケティング概論など、いくつかは勉強したが、あとはサークルで山ばかり登っていた。パーティーを組んで山に登ると、10日から15日間山に入りっ放しになる。目的地まで登って安全に戻ってくることが目的だが、体力のある人やない人など、チーム内には個人の能力差がある。それをリーダーとしてどのように統率していくかということを学べたことが、非常に役に立った。

Q. ビクターエンタテインメントにはSPEEDSTARなどいろんなレーベルがあるが、多様性のメリット・デメリットを教えてほしい。

A. ビクターにもソニーにもたくさんレーベルはあるが、アメリカと日本におけるレーベルには若干違いがある。アメリカのレーベルはA&Mのようにカンパニーであったりするが、日本ではレコード会社の中のレーベルとして際立たせるものが多い。ビクターでいうとSPEEDSTARは元々ロック専門のレーベルで、アーティストは12組だと最初から決めていた。というのは、自分たちの力量を十分に発揮するには、12組が適量だと当時は考えたから。それ以外にもいろんなレーベル名を付けて世の中に出しているが、そこまで特色あるレーベルは、ビクターの中ではSPEEDSTAR だけ。
 それから、HiHiRecordsというレーベルを昨年立ち上げた。子どもが泣いたときに掛けると泣きやむ確率が高いCDなど幼児向けの音楽をそこから出しており、ドラッグストアー等でどんどん展開している。
 例えば、アメリカのブルーノートも「ブルーノート」というレーベルで、ファンタジーも「ファンタジー」というジャンルに特化したレーベル。日本では、意外とジャンルに特化したレーベル名を付けていることは少ないような気がする。こういう音楽をやるから、格好いい名前を付けようという感じでレーベルを設けているところが多い。

Q. 音楽配信でアルバムをダウンロードする場合でも、ユーザーはシングル曲に集中するので、アルバムの作品価値が下がるのではないかという懸念はないか。

A. 懸念は相当ある。レコード会社やプロダクションがシングル曲をヒットさせると、僕はほかにどんな曲を歌っているのだろうとアルバムに興味が湧く。ビジネスの構造としては、シングルは広告宣伝費を相当使っても赤字だが、アルバムを買ってもらうと黒字になる。アルバムを買って、そのアーティストの持っている作風や楽曲の雰囲気、めざそうとしている方向などを理解してファンになってもらい、それが次のアルバム購買に結び付いてほしいのに、このように切り売りされると如何なものかという懸念はある。
 ネットの時代でもそれらを表現する方法はあると思うが、まだ音楽業界やレコード業界にはできていないような気がする。そういうものに慣れてきている人たちが入って新しい考え方が導入されたら、ネットにおいてもアルバムがどういうものかということが、もう少し具体的に確立されるのではないかと思う。
 いま音の研究者たちがめざしているのは、よりアナログに近い音源をどうしたら再生できるかということ。例えばこの場で話す僕がいて、それを聞いている皆さんがいて、メモを取る鉛筆の音や、着ているものによって発する体温などがこの空間に入っている。それらを空気感もひっくるめて全部音として出せれば、目に見えなくてもこの空間の雰囲気は伝わるということ。
 CDの音は、ある音域の上と下をぶち切っているので、イヤホンあるいはヘッドホンでずっと聴いていると相当疲れると思う。昔のアナログの音源というのは、そっくりそのままレコーディングするので、空気感や何もかもが全部伝わるから、音がすごく自然だったりする。昔のジャズの世界のグルーブやノリというのはそういうことだった。
 グルーブ感などをちゃんと聴きたいと思う人はそちらを選ぶし、ある種簡便さを追い求めたいという人はネット配信になると思うが、傾向としてはCDから配信へどんどん移行するのではないかと思う。

Q. 斉藤和義さんの大ファンだが、今回出たベストアルバムも初回版がなかなか見つからないほど人気がある。先ほど団塊の世代のセグメントについて聞いたが、斉藤和義さんが今年ヒットを飛ばされたセグメントはどうやって考えられたのか教えほしい。

A. 斉藤和義というのは15年くらいやっていて年齢は42歳。ミスチルの桜井さんが『歌うたいのバラッド』を歌ったことがきっかけで、名前がクローズアップされた。武田のアリナミンの『やぁ 無情』がコマーシャルで流れて評判がよくなっていき、ベスト盤はそこそこ売れていたが、ビクターは彼を押し上げていこうと相当量の露出をはかって宣伝した。
 つぎもアリナミンのシングルだが、そこでもヒットを狙って彼を大きくしようとしている。遅れてきたスターのように、いいものをやり続けて42歳、やっといろんな人に支持を得たというようなストーリーをお客さまに提供して展開する作戦でやっている。

Q. ビクターに入るにはどうしたらいいか。

A. ビクターは学歴一切問わず、前にどこの会社にいたということも構わないで、19歳から24歳までの人を応募している。ある時期が来るとホームページで案内をしており、課題に対するレポートを提出してもらって一次審査、二次審査と進む。僕は最終審査で見るわけだが、最近の傾向として、女性は自分が何をやりたいかを明確に言う人が多いが、男性はこの会社に入りたいという人が多い。僕は審査していて、「何てつまらない人が多いんだ」と正直思っている。選ぶ側からすると、御社のやり方、考え方やアーティストが好きだと言われても、「だからどうしたの」という話で、求めているのは「自分は何をやりたいのか」ということ。
 例えば、「ジャズ以外ならやる気はない。ジャズをやらせてくれるのですか、やらせてくれないのですか、ビクターは」と言ってくれるくらいの方が選ぶ側からするとうれしい。もちろんバランスは大事だが、最近の傾向としてそのような主張が少なくなっている気がする。「自分を選んでくれたら御社は得をする」というような言い方で、もっと自分自身に誇りを持ち、「自分はこれがしたいのだ」とアプローチした方がいい。レコード会社は横のつながりもあるが、大抵僕と同じような話をするので、主張がない人はたぶん落とされると思う。

以上

【参考資料】ビクターエンタテインメント株式会社HP http://www.jvcmusic.co.jp/



page top





後藤先生