後藤先生
第10回 2008年11月29日 
過去・現代・未来 −古典芸能『長唄』の可能性−」

長唄演奏家・唄方
1956年生まれ。東京芸術大学邦楽科卒業。
長唄東音会を経て、長唄佐門会、長唄協会演奏会、舞踊会、NHK放送、現在では歌舞伎公演に多々出演している。
以前「THE 家元」のバンドで活動し、海外ライブ、TVコマーシャルに出演。大阪近鉄劇場ABCミュージカル「SANADA」では、舞台役者としての経験もあり。ミュージカル仲間、落語家など多くのジャンルのアーティストと共演した。
その傍ら作曲活動も手掛け、代表的なものに「サロメ」「エリザベート」などがある。
社団法人長唄協会広報、長唄佐門会幹事、目黒学園カルチャースクール講師も務める。

講師:杵屋 佐近(きねや・さこん)先生

「現代・過去・未来 −古典芸能『長唄』の可能性」




はじめに

今日のテーマにある「過去・現在・未来」、現在は現代としても結構です。『古典芸能「長唄」の可能性』という固苦しいタイトルですが、長唄というものを後々説明していきたいと思います。まずこの曲をお聴きください。

【資料CD 『花見踊り』が流されました】

これは15年以上前、私がバンド活動をしていたときにCDを出した『花見踊り』という曲です。この曲にはベース、ドラム、ギター、ピアノのほかに、三味線、鼓が入っており、歌っている人間は長唄の唄うたいです。長唄の唄い方がボーカルをしているバンドの曲ということです。15年前なので相当前ですが、我々はその若い時代に、邦楽の鼓や三味線、長唄の唄い方がロックバンドにのればどうなるかということを考えたのです。これが、「邦楽の融合」などという言葉にこれからなっていけばいいかと思います。私は基本的に長唄の唄うたいで、これから長唄の説明をさせていただきますが、古典芸能が将来どうなっていくのかという可能性について、皆さんと考えていけたらと思っています。

1. 長唄とは

皆さんの中に、長唄を聴いたことがある方がいらっしゃったら手を挙げてください。いらっしゃいますね。では「長唄とは何であるか」ということを、これから説明させていただきたいと思います。レジメには単に長唄と書いていますが、つまりは長い唄のことなのです。15分から20分、長ければ50分、1時間半くらいの曲になります。違うジャンルに小唄、端唄というのがありますが、小唄というのは小さな唄のことです。つまり昔の人は言い方にこだわっていなかったわけです。長い唄は長い唄、小さい唄は小さい唄、端唄はちっちゃな唄ということですが、一般的に有名な長唄として『勧進帳』という曲があります。歌舞伎を演じている後ろに流れている音が長唄と思って、まず間違いはないと思います。

【資料スライド 『勧進帳』が上映されました】

これが『勧進帳』の一場面です。ちなみに歌舞伎を観たことがある方はいらっしゃいますか。あまりいらっしゃいませんね。『勧進帳』は歌舞伎のものでして、兄・頼朝から非常に嫌われた源義経が都から落ちて行く途中、安宅の関にかかります。弁慶を率いる義経はここを破るために勧進帳を用意します。勧進というのは、東大寺を造る寄付集めを行う証明で、山伏の格好になってこの関所を破らなければいけません。弁慶が寄付集めのための紙である勧進帳を持っているので、番人はその趣旨を話せと言います。そこで弁慶は、白紙の巻き物をあたかも言葉が書いてあるように趣旨を述べるわけです。そしてこの関所をまんまと乗り越えるというのが、『勧進帳』という歌舞伎の演目です。その演目の音を聴いていただきたいと思います。

【資料音楽 『勧進帳』が流されました】

これはひな壇で、こちらに三味線が並んでおり、こちらにいるのが唄を唄っています。そしてここに鼓、笛がいます。その音の前で演じているのが、山伏に身を変えた武蔵坊弁慶で、この辺にいる義経が、強力という荷物持ちにわざと姿を変えて関所を通るところです。いま流れているのが『勧進帳』という長唄の曲で、邦楽の三味線と音で成り立っています。これが長唄というものです。

レジメにありますように、その音曲の中に常磐津、清元、義太夫というジャンルのものがありますが、これは頭に入れておいていただければと思います。

長唄というのは、クラシックでいうとオーケストラです。三味線が2人と歌が2人の四重演奏みたいなもので、全体としては鼓が入るので打楽器もありますから、クラシックのオペラのようなものだと思ってください。大まかな形ですが、オペラのような幅広い音楽性を持っています。そして、お芝居が前にあるというのが歌舞伎です。

2. 『道成寺』

いま『勧進帳』という長唄をご紹介しましたが、レジメにはその代表的なものとして『道成寺』と書きました。紀州の道成寺とありますように、紀州国日高郡に住む安珍、清姫の話は、昔から聞き伝えられたお話です。

【資料スライド 『道成寺縁起』上映されました】

 これは単なる漫画なのであまり勉強にはならないと思いますが、安珍と清姫という男女の話を語っているものです。左側にいる白い若者が安珍という僧で、右側が清姫という奥さまです。若夫婦が非常ににこやかに話しており、「今日の夕飯は何を食べようか」というようなことを話しているのかもしれません。

 2人が仲良く暮らしている中、安珍は若僧ですので熊野(ゆや)の山門に出掛けるということになりました。非常に離れ難いということで、奥さまは「なぜ行くの?」というようなことを言っているのかもしれませんが、旦那は熊野に参詣に行くと言います。

 そこで2人は誓いを交わしますが、「便りをください」「あげるよ」というようなことを言っているのだと思います。メールもないこの時代では、それくらいの話ししかできなかったと思います。

 そして安珍は後ろ髪を引きながら行くわけですが、何日経っても清姫に連絡がないのです。居ても立ってもいられず、清姫は安珍を探し求めて表に出て行きます。行き交う人に、「うちの主人はどちらにいますか」と尋ねますが、「私は知らねえな」とつれない返事が皆から返ってきます。

 清姫は先ほどまで頭巾を被りきれいに着飾っていたのを振り捨てて、裾のほうははだけています。そして、川が見えます。これが切目川という縁切りの川。多少これで暗示させているのですが、切目川に差し掛かる清姫は安珍の行方をずっと追っていきます。自分の思いはどこまで届くのやらと、全く行方が分からないわけです。

 この切目川を渡り、やっと安珍を見つけました。髪を振り乱して追っ掛けています。「あなた、どこに行ってるの!」というようなことを言っているのでしょうが、安珍は「人違いだ」と言います。人違いするわけはないのに逃げるのです。

便りを待っていると言ってくれていた奥さまから、人違いだと言って逃げてしまいます。どんどん安珍は逃げて行ってしまいます。

 さて、とうとう清姫は口から火を噴いてしまいます。怖いですね。安珍は自分の罪どころではありません。非常に怖くなって、荷物を全部置き捨て逃げ去って行きます。清姫はまだまだ追いかけます。口から出る火は、ほとんど体に付きそうになっています。どんどん清姫は妖女と化し、怨念の女になっていきます。

 そして、ついに首から上は蛇となり、口から出る炎も相当大きくなりました。今までの話では安珍が浮気をしたのかどうかわかりませんが、ここまでいくと誰でも逃げてしまいます。裾は乱れて、首は蛇となる。女の執念はここまでいきます。

 この後どうなるかというと、日高川という川に差し掛かります。大きな日高川には船頭がいます。まだ首だけが蛇でしたが、清姫はその船頭に川を渡らせてくれないかと言うわけです。自分では人間だと思っていますが、船頭が見たら蛇に違いない。冗談ではないといって船頭が逃げてしまいます。そうすると川を渡す船がないので、清姫は姫ですが、身ぐるみはいで脱いで大蛇の形になりました。そして蛇の形で日高川を泳ぎ渡ります。長唄には『紀州道成寺』という唄があり、「日高川をやすやすと渡り」という歌詞があります。蛇が水の上を泳ぐというのを聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、この大蛇が怨念1つで火を噴きながら日高川を渡ります。安珍を探しながらずっと日高川を渡って行きます。

一方、情けない男の安珍。紀州の道成寺に着いた安珍は、お坊さまに「私は怖い蛇に追いかけられている、怖い女房に追いかけられている」と言ったのかはわかりませんが、とにかく助けを乞うわけです。そうすると皆が、「裏庭がいいのではないか」「軒下に隠れればいいのではないか」ということを言ってくれます。そして1人のお坊さまがいい案を出しました。

 「鐘の中に隠れろ」と。お寺には鐘がつきものです。道成寺の鐘の中に隠れたら見つからないのではないかということで、安珍は情けなくも鐘の中に隠れてしまいます。これで安泰と思っているのでしょう。

 ところが、この後蛇が来ました。もう妖怪です。鐘に隠れようがどこに隠れようが、この目は見ています。蛇は道成寺に来た瞬間に鐘を見つけて火を噴いて、もう安珍は許せないと鐘をめがけてトグロを巻き、鐘の周りに火を噴きまくります。「女の一念、毒蛇となって」という言葉がありますが、愛は恨みとなり、毒蛇になり、この鐘をめがけて火を噴きます。

 その挙句、安珍を鐘から出したところ、真っ黒に焦げていました。情けない姿でばかばかしいのですが、お坊さんが泣いています。劇的というよりはお笑いですが、『道成寺縁起』というものの中のお話です。

【資料音楽 『娘道成寺』が流されました】

いま後ろに流れている音楽が『娘道成寺』という長唄で、私はここの部分をいつも唄っています。

【資料スライド 『道成寺の舞台』が上映されました】

 先ほどの『勧進帳』と一緒です。鐘が見えるのがおわかりになるでしょうか。先ほどのように三味線を弾いています。唄を唄っていて、太鼓、鼓、笛が並んでいます。『勧進帳』の清姫は怖い女性でしたが、長唄の舞台では舞台面をきれいにするためにきれいな女性に変わっています。火を噴いていた蛇が、ここでは白拍子花子(しらびょうしはなこ)という名前のきれいな娘に変わって道成寺に来ます。そして舞を踊るというのが歌舞伎です。

 ここに先ほどの道成寺のお坊さんたちが並んでいます。鐘の上には、一応先ほどの怖い蛇になっているのですが、舞台面としてきれいな蛇がいます。蛇は着物の模様が三角のウロコになっており、先ほどの赤い着物から白い着物に変わるという演技をしています。

 長唄に戻りますが、三味線を弾き、唄を唄う舞台の前で、『勧進帳』と同じように『娘道成寺』の舞台が繰り広げられていくわけです。

安珍・清姫の話ですが、能でいうと『道成寺』という言い方になりますし、『義太夫』という関西のものは『日高川』となります。長唄に関しては「娘道成寺」という言い方になります。娘にしてきれいな舞を見せるという形になっているのは、舞台面を美しくするということからです。

 この場面では蛇の怖い姿に変わっており、三角の模様を蛇のウロコに見せ、釣鐘に垂れる紐も蛇に見せています。こちらは市川染五郎さんで、こちらはお父さんの松本幸四郎さん。ちなみに端にいるのが私です。東京での舞台のときに撮影したものですが、このように舞台は音楽と演者とで成り立ち、1つの形になっていくわけです。どれが一番いいということではなくて、音と絵と演者が一緒になり、音楽をくり出していきます。

 さて、いろいろな舞台の話をしましたが、一応私は音楽家なので、音楽についての話をしたいと思います。これは、長唄『娘道成寺』の言葉です。「花の外には松ばかり、花の外には松ばかり、暮れそめて鐘や響くらん」。これは私がよく舞台に置いて唄う譜面です。長唄を聴いたことのない方は、今ここで私が唄わせていただきます。これまでの道成寺の話や歌舞伎の舞台で、こういう唄が流れていると想像していただければありがたいと思います。

【資料長唄 『娘道成寺』が唄われました】

こんなふうに私は唄っています。舞台ではこのようにまことしやかな顔をして唄っているわけです。今のが長唄『道成寺』の冒頭部分ですので、耳のどこかにちょっと残していただければと思います。古典・現代・未来、たぶんこのまま唄い続けられることだと思いますが、私が今唄っているものも諸先輩方から教えていただいたもので、私も弟子に教えています。

3. 邦楽と洋楽のビート感

それでは、ここから頭を少し軟らかくしていただきます。邦楽と洋楽のビート感ということですが、そんなに難しいことではありません。これはよくある1234という拍子で、ドラムをやった方はわかると思いますが、奇しくもここに来る前にファックスで質問をいただきました。「日本人は 2拍子4拍子の裏が弱いと聞いたことがあります。これは日本の伝統音楽に起因するものなのでしょうか。日本の伝統音楽の基本は表なのでしょうか」というものです。私が今日一番やりたかったことはここなのです。要するにとても鋭い指摘で、日本人は2拍と4拍が弱く13が強い。全部というわけではありませんが、日本の音楽は一般的に13に強さがあって「12341234」となっている。民謡などいろいろありますが、わかりやすい例としてこれを聴いてください。できたら手拍子で13を叩きましょう。

【資料音楽 氷川きよし『きよしのソーラン節』が流されました】

 今のは氷川きよしさんの『きよしのソーラン節』ですから、多少洋楽の要素がありますが、基本的に『ソーラン節』は「ヤーレン ソーラン ソーラン ソーラン」、つまり12341234となっているはずです。民謡も大体13に強さがきます。私は音楽家で、ルーツやなぜそうなるのかというのはわかりませんが、たぶん農耕民族ということがあると思います。例えば、日本舞踊の横の動きとバレエの縦の動きの違いをちょっと感じていただければ、「ああ違うな、日本人は農耕民族だ」と思われるかもしれません。

一番わかりやすいのは「ドッコイショ」という掛け声です。「ヤーレン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン ハイハイ」で、「にしん来たかと 鴎(かもめ)に問えば」ときて、「ドッコイショ ドッコイショ」で1234」なのです。洋楽では24が強いのですが、絶対に24では「ドッコイショ」は歌えないのです。1234ドッコイショ ドッコイショ」が、1234」「ドッコイショ ドッコイショになるとリズムが取れない。全部とは言いませんが、基本的な音のリズムの取り方・ビート感として日本人には1234があるのです。

では洋楽のビート感は24なのか。これも全部とは言いませんが、とりあえず24にビート拍がきます。「ワン、ツー、スリー、フォー」「1234」です。8ビートを考えるとわかりやすいと思いますが、皆さんもライブやコンサートに行ったときは「1234」と24で手を叩いているはずです。でも夏に浴衣を着て盆踊りに行ったときは、ヤーレン ソーラン ソーラン ソーラン」とやっているはずで、その辺は無意識にできる日本人の器用さだと思います。先ほどの『ソーラン節』の13と比較して、24で取れる音のわかりやすい例はラップ関係だと思います。これは15年前にうちのバンドがポーランドでやったときの音ですが、24でリズムをとって聴いていただければと思います。

【資料音楽 THE家元『襲名party night』が流されました】

こういうふうに1234」「1234」「ワン、ツー、スリー、フォー」「ワン、ツー、スリー、フォー」でとれるわけです。これが私たちの15年前のバンドです。三味線を弾いています。そしてボーカルです。この踊っているのが私で、こういうものをやっていました。8ビートで16でとっていますが、24でビート感が来ます。ここに三味線、鼓が入っています。これは黒人のラッパーや日本舞踊の方など全てを一緒にやろうということでポーランドでやったものです。

ここで歌の問題です。Queenの『We Will Rock You』を皆さんご存じだと思いますが、これも全く24です。もし24でのることができたら手を打っていただきたいと思いますが、この音楽に先ほどの『娘道成寺』の長唄が一緒になったらどうなるか。これが私の今考えている可能性です。

【資料音楽 QueenWe Will Rock You』が流され、長唄『娘道成寺』が唄われました】

こういうふうに一緒になれば、あまり違和感はないと思うのです。このようなことをしていくことで、我々は歴史ある古典芸能に関する非常に大事なことを教えてもらうことができます。しかしこれは、8ビートやラップなどの洋楽に長唄が重なっていくのではないか、というあくまでも可能性です。皆さんが今後何かを創ったりするときに、古典も今も大事にし、また未来を感じることを大切にしていただければと思います。

4. 三味線

【資料スライド 三味線の写真などが上映されました】

 三味線は三本の弦でできていて、上から一の糸、二の糸、三の糸となります。サヲはギターでいうネックです。ギターの場合は半音ずつのフレットが付いていますが、三味線は完全なフレットレスでバイオリンと一緒です。ですから音程を自由に使いこなすことができます。胴は、舞台用だと基本的に猫の皮を使います。黒くポツポツとあるのは猫のお乳です。猫の皮を開いてここがお乳になって、裏側にもお乳が2つあります。演奏用・舞台用には猫を使いますが、練習用には犬を使っています。三味線は非常にコンパクトにできており、かばんひとつに入れて持って行けます。そして、ギターの弦にあたるものを糸と言いますが、これは絹糸でよっているものです。これがバチで象牙です。それから駒というものがあります。いわゆるギターでいうエッジのところが駒で、高さがあって弾けるという楽器です。先ほどの「THE家元」のバンドの三味線もこれを使って弾いています。どんなものなのか、ちょっと聴いてみてください。

【資料楽器 三味線が演奏されました】

 これがいわゆる古典の音です。皆さんも三味線の「チントンシャン」というのをお聴きになったことがあると思います。

【資料楽器 三味線(チントンシャン)が演奏されました】

チントンシャンに聞こえましたか? 我々がチントンシャンというとこの音が耳に入ります。いわゆる口三味線で、チントンシャンという言葉だけで音程が耳に入ってきます。12年前でしょうか、NHKの朝の連続ドラマで『ちりとてちん』というのがありました。先ほどはチントンシャンでしたが、ちりとてちんと演奏するとそう聴こえます。三味線は口伝えといいますか、譜面がないのでチントンシャンなどといった言葉で昔から伝えられている楽器です。

5. 邦楽の音階

チントンシャンだけでは洋楽器と一緒に演奏することは不可能です。ではどうするかと言うと、レジメにあるように本調子というものがあります。五線譜で表すと「シ・ミ・シ」で、これが本調子の基本的な形です。

この後、「二上り」という調子が出てきますが、五線譜がおわかりになる方は、真ん中のミの音が1音上がるとファのになります。基本的に一の糸を「一」、二の糸を「二」、三の糸を「三」と言うので、二の糸が上がるから二上り、それだけのことです。そして二の糸を1音下げて、また本調子のシ・ミ・シに戻ります。そのほか「三下り」というのがありますが、これは「シ・ミ・ラ」で、シを1音下げるとシ・ミ・ラという音になっています。

基本的に古典芸能では五線譜は関係ないので、今のシ・ミ・ラやシ・ミ・シといっても、諸先輩方にはおわかりにならない方がたくさんおられると思います。しかし我々が洋楽器と一緒に演奏するためには非常に大事なことで、三味線は洋楽もできるのではないかということを感じていただければと思います。ではここで、『さくらさくら』を弾いてみたいと思います。私はこの歌詞を全部覚えられなくて。皆さんは歌えますか? 「さくら さくら やよいの空は 見わたす限り かすみか雲か 匂いぞ出ずる」この「匂いぞ出ずる」というのが出てこなかったのですが、ここで五線譜を追っていただきたいと思います。

【資料楽器 三味線『さくらさくら』が演奏されました】

 このように五線譜でも書けます。ラ・ラ・シでラから始まりますので三下りです。ラ・ラ・シ、ラ・ラ・シはピアノでも一緒です。ラ・シ・ド・シ・ラ・シラ・ファ、ミ・ド・ミ・ファ・ミ・ミド・シ、ラ・ラ・シ、ラ・ラ・シと、こういうふうに簡単ですが五線譜で弾けるようになっていきます。私の教室では、ほかの譜もありますが、五線譜でやったりします。若い方は五線譜でやった方が、ピアノやギターでも弾けるので面白いかと思います。このシとミの間は4度で、ミとラも4度です。ギターも44度ですからほとんど同じ調弦です。しかしギターの弦は6本で、三味線は3本という非常に限られた糸ですから表現がしにくくなります。表現がしにくい部分、非常に難しい。そしてドレミを弾く場合でもギターならフレットで弾けるのですが、三味線はフレットレスですから非常にアバウトになってしまいます。バイオリンもフレットレスで非常にアバウトな音になりますが、弾けないわけではありません。

【資料楽器 三味線(ドレミファソラシド)が演奏されました】

こんなふうに弾けるわけです。これができるとまた、洋楽器との融合が可能ではないかという考えが浮かんできます。例えばド・ミ・ラでこれがギターのAマイナーのコードです。これができるとスパニッシュギター、いわゆるフラメンコのギターができます。バチを使わない、ギターと同じような弾き方でスパニッシュに聴こえたらお慰みです。

【資料楽器 三味線(スパニッシュ)が演奏されました】

三味線にはこういう古典の音がもともとあり、弾き方によってはいろんなことができるわけです。今のはスパニッシュですが、だんだんギターに近づいていくとどうなるかというと

【資料楽器 三味線(ギターに近づく)が演奏されました】

このように、古典の楽器でギターのようなこともできます。

私は長唄の家に生まれたので、鼓は打楽器のドラムと、三味線は弦楽器のギターとほとんど変わりがないと思ってきました。それを歌舞伎の舞台でやると怒られてしまうのでやりませんが、それ以外のところで楽器の可能性を探っています。古典は踏襲されるものなので、覚えなければいけない、教えてもらわなければできないものです。私も非常に厳しい修業をしましたので、それを踏まえつつ、音楽や芸術は未来に届くものだということを信じて、これまで古典芸能を含めて音楽というものにトライしてきました。いいとか悪いとかというより、興味をもって好きになるかならないかというのが一番大事なのです。好きか嫌いかで生きるためには勉強しないといけませんが、勉強している中で好き嫌いが出るときに、初めてその人の魅力や個性が出ると思っています。

6. 未来に向けて

最後に、『撒羅米(サロメ)』についてお話しします。ここまで来ると本当にマニアックな世界になってしまいますが、オスカー・ワイルドを知っている方はいらっしゃいますか。19世紀末のイギリスの作家で、たぶん皆さんは『幸福の王子』という童話で知っていると思います。王子さまがいて、ツバメがいて、ツバメが貧しい人に物を与えるという童話を絵本やなんかで小さなころに読んだと思います。オスカー・ワイルドという人は、私の大好きな19世紀末の作家です。19世紀末の世界は非常にアンニュイで、いわゆる退廃の時代でした。退廃というと、壊れ落ちるとかそういうことを想像すると思いますが、実は退廃は熟れて熟した果実が落ちる寸前なのです。熟したものが落ちる寸前というのは、芸術でも何でも最高の段階です。最高だけれども死がそのすぐ後ろにある。その段階を絵や全てに託しているのが19世紀末美学です。それがアールヌーボーとかその辺のものになってくるわけです。「退廃のアシンメトリー」と言いますが、左右対称ではなくてズレている。そのズレに美学が生じるのです。長唄という古典音楽にも、妖精とかこの世に存在しないものの美しさを表す音楽が多いです。それはある意味で世紀末の死と裏腹になっているとか、例えばギリシャ神話のニンフや妖精といったものの幻想的な部分につながっていて、音楽というものはそこに幅を持たせていくのだと思っています。

この『撒羅米(サロメ)』に私が曲を付けました。皆さんがどのように思われるかはわかりませんが、ロックや三味線の可能性を感じるかもしれません。これは一体何だろうか、今なのか、現在なのか、過去なのか、というのをちょっと考えていただければうれしいです。これは古典芸能の作曲の場で私が発表したものです。

【資料音楽 『撒羅米』が流れました】

 ピアノと三味線が出てきます。これは私が唄っている長唄です。

これが古典なのか、未来の曲なのか、現在なのかとは、つくったときは考えていません。ピアノとお琴と笛と三味線と唄で、感覚的につくっています。これだけ構わずにできることが、今後の古典芸能の未来だと思っています。

【資料スライド ドレスシャープとヘッドピースの写真が上映されました】

 これは「ドレスシャープとヘッドピース」というもので、ドレスの素材はコットンとレーヨンですが、ビーズを敷き詰めて洋服のようにしています。場所は京都の法然院の方丈という建物の和室。そこで私はオブジェの作家の方と一緒に歌を歌いました。空間と何が歌えるかも、どんな音楽ができるのかもわかりませんが、可能性ですからいいとか悪いというのはありません。こういう形もやっていければと思っています。

 次は香港でやったもので、ヘッドピース、冠です。着物のように見えますが、ビーズが入っているので固く、完璧なオブジェです。教会などの空間と音とオブジェ。そこに何かが生まれればという可能性を、私はこれからも考えていきたいと思います。

今後の形はどうなるかわかりませんが、未来は今がないと存在しないので、頭を柔らかくして古典を考えていただきたいと思います。これで講義は終わりますが、私の先輩や仲間がいま南座で歌舞伎をやっています。歌舞伎や古典芸能を観たい方は、顔見世がありますので、ぜひ南座に足を運んでいただければと思います。

―以下、質疑応答―

Q. 学生時代に経験しておいて良かったことを教えてほしい。学生時代から古典と現代音楽の作家として実践されていたのか。

A. 先ほども述べたように、生まれたときから長唄の家にいるので、三味線もギターも弦楽器、ドラムも鼓も打楽器という意識があった。とはいえ表現は楽器によって違うし、舞台とバンドでやるものは全く違ったが、基本的にはごちゃまぜに考えていた。私は高校まで男子校だったので、大学に行って女子がいることが非常にうれしかったのが一番印象に残っている。

Q. 三味線の皮を練習用と本番用で犬と猫にわけているとのことだったが、音的に違いがあるのか。それとも値段が違うのか。

A. 理由は両方ある。昔はウサギや犬の皮も張ったりしたそうだが、猫が一番繊細な音が出る。それも、若い猫が一番いいということで非常に値段が高い。ちなみに犬は2万円くらいだが、猫は56万円くらいの皮になる。しかも消耗品なので、昨日5万円で張ってきたのに次の日弾こうと思ったら破けていることもある。

Q. レゲエなど24拍の音楽をやっており、演歌もたまに聴くが、合の手が13拍なので表に違いがあると思っていた。演歌の拍子は日本の伝統音楽にルーツがあるのかと思い、冒頭の拍子の質問をした。

A. 日本の音楽の本物というのは、本物という言い方はおかしいが、学校で習った童歌である。演歌は古賀政男先生が考え始めた音で、ちょっとインドが入っている。レゲエは裏から入って2拍が頭。我々は1234」と13が頭だと思っているが、黒人は2拍が頭ということに感覚的になっている。

それから先ほどのスパニッシュは13で、2ではとれない。1拍のんでというのが2の場合だが、頭から出るのがスパニッシュ。その辺は民族的なことが入ってくるので難しい。今日は相対的に1324というのが一緒になれるのではないかということを話したが、そういったことを考えると面白くなっていくと思う。キューバリズムは表だとか、レゲエは完全に裏だとか、その裏のとり方も大きくとるのかとか。ラップのとり方はまたレゲエとは違うなどいろいろ研究してみてください。

以上





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