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2006年度研究会報告

第1回(2006.6.16)

テーマ 『有機体論の構造転換 ― 長谷川如是閑における「社会の発見」―』
報告者 織田 健志(同志社大学)
報告の要旨

本報告では、大正デモクラシー運動のオピニオン・リーダーとして活躍した長谷川如是閑の「社会」観について、彼が人間における「個」と「共同性」の契機をどのように考えていたのかを中心に検討した。

まず、大正期知識人による「社会の発見」の思想史的意味について再検討を試みた。国家秩序の相対化に主眼を置く先行研究に対し、本報告では、伝統的な共同体秩序の弛緩を受けた共同性の再構成の試みとして「社会の発見」を位置づけた。そしてその「社会」観念が、従来考えられていた「市民社会」論よりも有機体論に親和的であった点を解明した。

ついで、「社会の発見」の代表的論者である長谷川如是閑の「社会」観について、その社会論を集成した『現代社会批判』『道徳の現実性』を中心に検討した。如是閑は社会有機体論を理論枠組として、社会を個人の単なる集合体とする原子論的思考、社会を個人の存在を超越した存在とする全体論的思考の双方とも批判した。そして、「個人か社会か」といった二者択一を斥けて両者の相関関係に着目し、個の自律性を考慮しつつも人間の「共同性」の回復を目指したのである

ところで、如是閑は1925年を境に「個」と「共同性」の相関関係という視点を維持しつつも従来の社会有機体論から「行動の体系としての社会」という立場に転回してゆく。本報告では、この如是閑の立場を分析し、「行動」概念を導入して社会を形成する個人の能動性をより明確にしたこと、生物学的な「群」観念を用いて、社会契約論的な「作為」の論理を批判しつつ秩序形成における主体的契機(「作為」)と所与的契機(「自然」)の間を媒介してゆく論理を模索したことを明らかにした。そして、このような社会有機体論から「行動の体系としての社会」へと至る如是閑における「社会の発見」が、「個」の自律性を包括した形での新たな共同性=〈協同性〉の探求への思想的営為であった点を解明した。

織田健志

討議の内容

まず、第一次大戦後における「社会の発見」の思想史的意味をめぐって、西洋思想の受容との関連について、とくにベルグソン主義の影響が如是閑にあるのかという点の質問が出された。これに対する報告者の応答は以下のとおりである。(1)一般に「社会の発見」におけるフランス学(とりわけ社会学)の知的影響が大きい、(2)如是閑の場合、表層における知識の問題と、基層の思考方法に見られるイギリス的な経験論や保守主義の影響を区別して考える必要がある。いずれも今後の検討課題であることが確認された。

次に、社会有機体論から「行動の体系への社会」への如是閑の立場の転回が、論理的にねじれているとの批判があった。これに対し報告者は、如是閑が西洋近代的な個人中心主義には終始批判的であり、社会契約論に違和感を抱き続けていた点を強調した。また、フロアから、社会の「機械化」に対する全体性の回復として如是閑における「社会の発見」を理解すべきではないかという指摘もあった。

その他、ロシア革命の影響など政治史的なコンテキストについて、「行動の体系」や「群」といった如是閑の用いる概念についての質問が出された。

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