2006年度研究会報告
第4回(2006.10.20)
テーマ | 戦後沖縄における保革対立軸の規定路線化 ─ 1961年那覇市長選における革新共闘への過程 ─ |
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報告者 | 櫻澤 誠(文学研究科) |
報告の要旨:山東牛貿易の研究 ─ 膠州湾還付に伴う輸出権益確保をめぐって ─
保守党対革新三党という保革対立軸が規定路線となっていく上で、1960年4月の復帰協結成が与えた政治的インパクトは大きかったといえる。 復帰協結成時点においては、復帰協に集った三党(社大党、人民党、社会党)は互いに対立しており、社大党はむしろ沖縄自民党に近い立場にあり、「革新」とはみなされていなかった。 そのようななか、先行研究では注目されていないが、1961年12月の那覇市長選における初の三党の共闘成立が、革新三党が共闘していく上での重要な画期であったと考えられる 。また、1961年に軸が形成されたことは、その後の「本土」革新勢力への歩み寄りをする前提としても重要な意義を持つといえる。 それ以降、「本土」自民党と沖縄自民党の「保守」に対し、「本土」革新政党と復帰協に集う沖縄革新三党の「革新」という図式ができていく。 その後、復帰運動の展開過程のなかで、革新三党も共闘の機会を重ね、教公二法阻止闘争によって、保革対立が決定的となったのち、三大選挙をむかえることになる。
櫻澤 誠