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2006年度研究会報告

第5回(2006.12.1)

テーマ 前衛芸術運動と戦争 ─ 福井における北荘・北美の運動と挫折 ─
報告者 清水 智世(文学研究科)
報告の要旨:山東牛貿易の研究 ─ 膠州湾還付に伴う輸出権益確保をめぐって ─

大正11年(1922)、福井に、土岡秀太郎を中心とする美術団体・北荘画会が結成された。「未来派」の衝撃から開始した北荘は、「美術」の基盤の無い福井に「美術」を確立するための果敢な運動を展開する。しかし、大政翼賛会発足後の昭和16年(1941)、福井の美術団体を大同団結した福井県美術協会が結成されると、北荘はそれに吸収される形で終焉を向かえる。そして、福井県美術協会洋画部の代表に就任したのは、北荘の指導者・土岡秀太郎であった。

福井県美術協会は大政翼賛会文化部の傘下に組み込まれた団体である。画家も時局に見合った行動を求められた当時、しかしながら、土岡を中心とする洋画部は、大正期・北荘の延長線上にある活動を展開した。大正期「自由画運動」の流れを汲む「児童画公開審査会」、北荘展を彷彿とさせる展示会の数々、セザンヌ・マチス等の複製品を掲げた試作展など、為政者の下で行われたことを鑑みると、それらは異質なものとして浮かび上がってくる。

そして、土岡秀太郎という存在の異質さを決定づけるのが、昭和17年(1942)における『末定豊画集』の刊行である。これは、土岡が実費で刊行した超現実主義者・末定の画集である。当時、滝口修造・福沢一郎らの検挙を始めとして、神戸、名古屋、長野、広島など、あらゆる地域において超現実主義者の弾圧がなされていた。末定自身は昭和15年(1940)に死去したが、同年、土岡は彼の遺作展も開催している。

文化や地方にも目をつけた大政翼賛会の試みは、結局、上意下達すら十分に行われないままに、中央集権化を促進させることとなった。しかし、この翼賛会結成当初の奇妙な熱気と不安定さこそが、福井県美術協会洋画部代表・土岡秀太郎の行動を可能にしたのだろうか。

結局、福井県美術協会洋画部は、昭和18年(1943)を境に活動を停止した。土岡が再び「前衛」美術運動を開始するのは、昭和23年(1948)、北美文化協会結成以後のことである。

清水智世

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