02.05


2016

キャンパスアジアで一番印象的だったこと

チャ・ヨンヘ

キャンパスアジアで一番印象的だったこと

チャ・ヨンヘ

 皆さん、こんにちは。
 キャンパスアジアの韓国の学生チャ ヨンヘです。日本語でこのブログの文章を書くのは約1年半ぶりです。これまで皆がいい記事を書いてきたので、私も頑張って書こうと思っています。

 ずっと続いていくような気がしていたキャンパスアジアでしたが、修了式まで終わった今、色々なことを感じ、多くの思いが頭を巡ります。振り返ると、精神的に成熟した面があったり、新たな悩みが出来たりもしました。この短い記事ではその全てをお話することができないのが本当に惜しいです。
 「CAPで印象的だったこと」というテーマでブログを書くことになった時、たくさん悩みました。何をお話すれば良いのか中々選べなかったからです。悩んだ結果、「皆さんとシェアしたいエピソードの紹介をし、最後に進路について簡単にお伝えすることでまとめ」という流れを決めました。
 キャンパスアジアでは、日中韓の学生たちが三ヵ国の絡んでいる懸案について討論したり話したりする時間が(授業など)公式的にも、非公式にも多かったように思います。その過程で私が感じたのは、自国と相手国の間にある複雑で微妙な問題を虚心坦懐に話そうとする際に、私たちの間に立ちはだかっていた壁が徐々に崩れていったことです。これはお互いが持っていた偏見や恐れ、情報不足などの問題が解決されていったからです。
 私が上のことを感じるようになったエピソードはいくつかあります。今回は、その内、2つを例にとってお話ししたいと思います。1つ目は、私たちが三ヵ国の懸案を討論する授業を準備する時にあったことです。この授業では、1つのチーム内に日中韓の学生が混ざって編成されていたので、自国だけではなく他国の情報や立場まで勉強しなければなりませんでした。そのため、それまで知らなかったことを知り、自分が知っていたことについて再度考えるようになりました。ある学生からは、「私がこのように思うのは我が国の教育を受けたからだ。だから私が間違えているかもしれない。」という言葉が出ました。私は、これがすごく大きな意味を持っていると思います。なぜなら、この言葉から、私が「知っていること」、私が「考える方式」を客観化する態度と、当たり前だと思っていることが正しくないかもしれないということを受け入れる勇気ができたことを見せてくれると思うからです。そのため、私にはこれがキャンパスアジアを通じて私を含めたみんなが成熟していることを測る一つの指標でもありました。



 2つ目のエピソードは、キャンパスアジアの外国人の友人との個人的な交流の中にあったことです。その友人は私にこのような内容の手紙をくれました。「前は敏感な問題について話すことを恐れていた。しかし、前に2人で歴史問題について話した時に、ちゃんと向かい合って歴史問題について話せる友達が出来て良かったと思った。」実は、これが、私がキャンパスアジアで聞いた言葉の中で一番印象に残っているだけでなく、様々なことを考えるようになった言葉でもあります。相手国の友人が自分に対し、こうした敏感なテーマを恐れず話をしてくれるようになったことに嬉しさも感じる一方、現在の日中韓関係はお互い配慮をしつつ客観的に問題を見ようとする努力や態度が足りないのではないか、そのせいで民間人である学生同士も対話をするには勇気を出さなければならなかったのではないかという考えにも至りました。



 こうして2つのエピソードを紹介しただけなのに、内容がとても硬くなってしまいましたね。^^;
 とにかく、上記のような経験から私が身に付けたことは、日中韓東アジアの問題を客観的に見ようとする態度です。おかげで国境や利益、偏見などを超え、心を通じあえる友人たちとの交流が可能になりました。キャンパスアジアでの学びが積もっていくほどに、毎朝伝えられる東アジア関連のニュースを見る私の視点も変化しました。そして、今、私はこれをもっと広めていこうとする段階にいます。私の進路とも関係のある話ですが、大学院で国際法を勉強することになった私が、キャンパスアジアで得た学びを活かすことが出来るのは、このような分野だと思います。これからは東アジアに限らず、もっと広い世界をより深く理解するための訓練を受けることができます。これから3年間、今までとはまた違う学びを通して、偏らない態度と視線で世界を見られるようにし、キャンパスアジアでの経験を活かしていきたいと思います。
 最後に、これまでこのプログラムの運営のためにご尽力下さった方々に感謝を述べ、良き友人たちと得がたい経験が出来て幸せだったという言葉でこの記事を締めくくりたいと思います。


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