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スポーツ健康科学研究科博士課程後期2回生廣松 千愛さん
スポーツ選手の最大限を「食」から支える
~一人ひとりに合った栄養補給の実現を目指して~
多種多様な競技で華やかな活躍を魅せるスポーツ選手たち。そんな選手たちに欠かせない体づくりを支えるのは、サイエンスの力だ。立命館大学スポーツ健康科学研究科博士課程後期2回生の廣松千愛さんは、栄養と運動に関するデータを集め、選手の持つ力を最大限に引き出すための研究を進めている。
管理栄養士としてスポーツ選手の近くで働きながら、科学の知見を深めるために博士課程へ進学した廣松さんに、最新の研究内容や大学院生の生活について話を聞いた。
2023.10.05
- 「1日にごはん10杯分」は、正しいのか
- ストレスのない栄養補給計画の実現を目指して
- 最先端の研究知見を現場に還元するため、大学院へ
- 仕事と研究を両立し、新たなフィールドに挑む
「1日にごはん10杯分」は、正しいのか
体を動かす際の大事なエネルギー源である炭水化物。不足すると筋肉や肝臓に蓄えられグリコーゲンが枯渇し、持久力が損なわれたり、血糖値が低下したりする。持続的な運動を行うアスリートにとって不可欠な栄養素だ。
そのため、アスリートは一般の人よりも多くの炭水化物を摂取する必要がある。例えば、ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)では、試合が頻繁に行われる時期には、一日で体重1kgあたり6~8gの炭水化物を摂取することが推奨されている。これをごはんのみで換算した場合、体重が70㎏の選手だと、お茶わん9~10杯分にもなるという。
「スポーツ選手をそばで見てきて、推奨量の炭水化物を摂取してコンディションを維持できる選手もいれば、身体が重たく感じる選手、推奨量を満たしていなくても良好なコンディションを維持できる選手もいます。この違いは一体なぜ生まれるのか?選手たちにとって望ましい炭水化物の摂取とは何か?ということに興味を持ったのが研究を始めたきっかけです」
ストレスのない栄養補給計画の実現を目指して
そう語る廣松さんは、炭水化物の摂取によって個人差が生じる理由を探り、選手にとってより快適でストレスのない栄養補給計画の実現を目指したいという。まずは摂取する炭水化物量の違いによって、運動中ならびに運動後の血糖値がどのように変化するかを調べる実験を行った。
「体格などが近似した8名の健康的な男性に、「高炭水化物食を摂取する時期」、「中程度の炭水化物に脂質を通常より少し増やした食事を摂取する時期」の両方を過ごしてもらいました。その後、実験室で長時間運動をしてもらい、血糖値と相関性が高い間質液中のグルコース濃度を睡眠中も含めて連続的に測定しました。
血糖値は、血液を採取し、分析するまでに時間がかかりますし、痛みも生じます。私が行った間質液中のグルコース濃度の測定はすぐに数値を確認できるのに加えて、24時間の変化を連続的に測定することができます。今回の実験には、糖尿病患者を対象に用いられてきた最新のグルコース濃度の測定法を利用しました」
結果、高炭水化物食と中程度の炭水化物食では、運動中ならびに睡眠中を含む運動後について、グルコース濃度の動態に大きな差は出なかったという。これにより、高炭水化物食を摂取しなくとも、血糖値が維持される可能性が示された。
「中程度の炭水化物(プロサッカー選手が試合期に摂取していると報告されている炭水化物量)を摂取した状態でも、睡眠中を含めてグルコース濃度は維持されていました。運動中だけでなく、運動後の睡眠中でも有意な差が出なかった点は、従来の研究にない新しい発見だったと思います」
研究を進める上で、提供する被験者の食事を厳密に調整しなければならず、予想以上に準備や実行に苦労したという。
今後は研究をさらに進展させるため、血糖調整や持久的な運動能力に関与する肝臓のグリコーゲンに注目。トップレベルの持久性競技選手を対象にした実験を計画し、競技レベルの高い選手にとって有意義な研究成果を目指している。
最先端の研究知見を現場に還元するため、大学院へ
現在、博士課程後期の大学院生をしながら、管理栄養士としても働いている廣松さん。これまでを振り返ると、自身の競技者としての経験やスポーツ健康科学部での学びに原点があった。
「スポーツに関する仕事に就きたいと考えて進学した立命館大学スポーツ健康科学部で、特に面白かったのがスポーツ栄養学の授業でした。中学生・高校生時代に陸上競技を行っていたのですが、食事の面で思い悩み、心身ともに疲弊してしまった経験があります。知識があれば当時の自分のような苦悩を抱える人を支えられるかもしれない。そう考え、管理栄養士という職業を目指して学習し、スポーツ健康科学部を卒業後に、管理栄養士の資格が取得できる大学に入学しました」
スポーツ健康科学部に在学中、所属したラクロス部では練習メニューやトレーニング内容を選手が中心となって考案していたこともあり、授業で受けたトレーニング科学の学びを実践に生かすことができた。その経験を通して、サイエンスと現場での実践が結び付くことを肌で感じ、「理論を学び深めること」と「実践」を両立することに楽しさを見出したという。
「卒業論文では、ラクロス部の選手を対象に野菜・果物の摂取量と肌の状態の相関について研究しました。摂取量が少なくなりがちな野菜・果物を食べてもらえるためにはどうすればいいか考えた結果、着目したのが女子部員の関心が高い美容でした。選手のリアルな行動変容につなげたい気持ちで取り組みました」
管理栄養士課程の学生だったときに、プロ野球やプロバスケットチームの食堂で、調理スタッフとしてアルバイトを行い、大学卒業後に管理栄養士の資格を取得してからは食事メニューの考案もするなど、さまざまな形で食とスポーツに携わってきた。その後、廣松さんは、サッカーやバスケットボール、陸上競技やトライアスロンの選手、Jリーグのユースチームに対して、栄養面でのサポートをする機会を得て、プロフェッショナルとして現場を支える充実した日々を送っていた。その一方、業務の中で自身の知識量をもどかしく感じる瞬間があったという。
「日本語のスポーツ栄養学の文献や教科書を追って読んでいるだけでは、情報は限られていて、選手からの質問に答えられないことが多々ありました。そんな経験から、英語で執筆された海外の論文を読んで理解し、スポーツ科学やスポーツ栄養学のエビデンスに基づいた説明ができるようになる必要性を痛感しました」
思いを実現するために立ち上がった廣松さんは、国際オリンピック委員会(IOC)が管轄する2年間にわたる専門家向けのオンライン講座に挑戦。英語による大量のテストやレポートをクリアし、IOC Diploma in Sports Nutritionを取得した。学びを深める過程で、より高度なデータ解析方法やスポーツ科学の知見を学びたいと思うようになったという。そして、廣松さんは大学時代の恩師に相談し、スポーツ健康科学研究科の入試制度を活用することで、博士課程前期を経ず、博士課程後期で研究を深める道を選んだ。現在も仕事と研究を両立しながら、最先端のスポーツ科学を学び、研究する日々を過ごしている。
仕事と研究を両立し、新たなフィールドに挑む
「研究」と「仕事」に追われる廣松さんは、タイムマネジメントに苦労する一方、両立することで、どちらにも良い影響があったという。
「現場で選手とコミュニケーションを取ると新しい疑問や課題が見つかり、研究を前進させるアイデアやひらめきをもたらしてくれます。同時に、研究事例と向き合い知見を深め、栄養補給計画を見直すなど、すぐに現場に還元できるので好循環が生まれていますね」
そんな廣松さんが、次に思い描くステップの一つに「起業」があるという。
「いずれは、アスリートを第一に考えた会社を作りたいですね。データに基づくアドバイスも取り入れながら、パフォーマンスの向上・良好なコンディションの維持を実現させたいと思っています。そして、選手自身が栄養の知識や調理技術を身につけることができる『食育』や、栄養補給方法の提案などを事業にする会社を思い描いています。私自身がアスリートに薦めたいと真剣に考えるサービスを、起業というかたちで広く進めていきたいですね」
サポートする選手のデータを分析し、論文に残していくというアカデミックなアプローチも続けたいと話す廣松さん。スポーツに真摯に取り組む人に貢献するという純粋な思いが、これからも学びを深める原動力になる。