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立命館大学

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先端総合学術研究科一貫制博士課程5回生/藤本 流位さん

先端総合学術研究科一貫制博士課程5回生藤本 流位さん

参加型アートの「暴力性」に迫る

 ~トーマス・ヒルシュホルンの作品に魅せられて~

 既成概念にとらわれることなく、あらゆる形で表現される現代アート。1990年代以降になると、美術館やギャラリーの中にとどまらず、公共空間を舞台に観客を巻き込んだ作品の展示が世界各地で開催されることも増えてきた。このようにして観客を巻き込む「参加型アート」には、社会に向けて多様かつ強烈なメッセージ性が込められた作品が多い。立命館大学先端総合学術研究科一貫制博士課程5回生の藤本流位さんは、参加型アートが内包するある種の「暴力」に関心をもち、作品に向き合いながら研究を続けている。

現在の研究内容や作品との出会い、どのように研究を進めているかを聞いた。

2023.11.14

  • 参加型アートが生み出す「気まずさ」の意味とは
  • 先行研究からこぼれ落ちる「アーティストの主張」
  • 実践知が先行したからこそ、理論を積み重ねる
  • 刺激的な環境と、ラテンアメリカという新しいテーマ

参加型アートが生み出す「気まずさ」の意味とは

 「参加型アート」は1990年以降に世界規模で拡大していった地域の美しい自然の中や都市空間などを利用する「国際芸術祭」のもとで発展してきた。
そこではアーティストが、絵画や彫刻といった造形的な作品を制作するだけではなく、観客を巻き込む行為やその状況の仕掛け人として特別な存在感を持つようになったのだ。
そのようなアーティストの中でも、藤本さんが注目するのが、1957年生まれのスイス出身のアーティストThomas Hirschhorn(トーマス・ヒルシュホルン)だ


ヒルシュホルンの参加型アートは、文化や人種などの人々の間の差異を強調する「敵対性(アンタゴニスム)」という文脈のなかで語られています。ドイツの都市カッセルで開催される、世界的に著名な国際芸術祭「ドクメンタ」で、2002年にヒルシュホルンは『バタイユ・モニュメント(2002)』を発表しました。ヒルシュホルンは、この作品を芸術祭会場から離れたトルコ系移民が多く暮らす公営団地に設置し、国際芸術祭という環境整備された空間で覆い隠されてしまうマイノリティの存在を逆に顕在化することを企図しました。
そして、この作品を見に来た観客たちは、社会的にマイノリティとされる人々が多数を占める空間のなかで作品に触れるというわけです。意図的に「緊張感」や「気まずさ」をつくり出し、観客に思考を促すこの作品は批判も含めて論争を引き起こしています。既存のアートワールドが内包している洗練性への挑戦といえる、このようなヒルシュホルンの姿勢に、非常に興味があります」


 藤本さんは、ヒルシュホルンの作品に注目しながら、現代の社会構造に潜む「暴力」が、現代アートにいかに組み込まれているかを明らかにすべく、研究を続けている。現在に至るまでヒルシュホルンがどのような文脈で語られてきたかについて文献調査によってひもとき、2000年代以前の美術史上のアーティストとの共通点や差異を突き詰めている。

先行研究からこぼれ落ちる「アーティストの主張」

 参加型アートに関する議論をリードし続けている研究者に、イギリスの美術史家Claire Bishop(クレア・ビショップ)がいる。しかし、ビショップの議論は「参加型アート」をめぐるその他の論客との論争に目が向けられがちで、ヒルシュホルン自身による作品の位置付けや彼の言説についての詳細な検討は十分になされていないのではないかと藤本さんは考えている。


「参加型アートに関する言説は、実際の現代美術作品の事例に対する言説や論争の展開のなかで新しい論点を提示することに主眼が置かれていたため、個々の作品、アーティストが提示する主題や方法論、その評価が不十分なのではないかと考えています。とりわけヒルシュホルンに関する先行研究では、アーティスト自身の視点が抜け落ちているという印象があります。そのため、今後はヒルシュホルンを中心にしながら、社会問題、とりわけ暴力に関する問題を取り扱うアーティストの思考についてフォーカスしていきたいと思っています」


 文献調査以外にも、国際芸術祭・展覧会に出向き、実際の作品の置かれた空間や作品を調査するフィールドワークを行っている。2022年に「ドクメンタ15」を調査した際には、「バタイユ・モニュメント」の設置会場にも訪れ、ヒルシュホルンが作品を設置した空間の持つ雰囲気やそこに住まう人々の様子を視察し、作品に込められたメッセージを多様な視点で検証している。
 そして、アーティストの主張に焦点を当てる藤本さんだからこそ、研究過程においてアーティストの言葉をうのみにしないように気を付けているという。


「アーティストにとって作品を制作・発表することは経済活動でもあります。彼らの語る内容は、当時の社会背景やこれまでの作品における傾向を考慮し、慎重に扱うべきです。アーティストの言葉が全て真実とは限りません。だからこそ、これまでの先行研究を丹念に分析しながら、芸術祭や展覧会にできる限り足を運び、作品に向き合う必要があると思っています。その上で、アーティストの言葉に耳を傾け、その意味を浮かび上がらせながら、論文を執筆していきたいと考えています

実践知が先行したからこそ、理論を積み重ねる

 京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)で学んでいた藤本さんは、アーティストやキュレーター(博物館や美術館などで資料収集、保管、展示、調査研究などに携わる専門職員)を目指す人々に囲まれた生活を過ごしていたが、自身が西洋美術史や現代アートを理論的に学んでいるわけではなかった。そんな中、東京の森美術館でヒルシュホルンの作品を見たことが、現代アートならびに彼の作品を研究するきっかけになったという。


「ヒルシュホルンの『崩落』というインスタレーション作品を見たときのことを現在でも鮮明に覚えています。それは災害によって廃墟になった建物を段ボールやガムテープといった誰でも手に入る安価な素材で再現するという作品です。ピカピカの工芸品のようにつくられたものだけが現代美術ということだけではなく、むしろそういった洗練性に対して一つの挑戦や破壊を提示することができるということに驚きました」


 学術的な立場から現代アートを学ぶために先端総合学術研究科に進学した藤本さんは、西洋の現代美術史を中心に、政治学や社会学などの分野の文献も調査し、基礎的な理論に関する知識を蓄えている。大学時代とは異なる分野で研究しているため吸収すべき知見は多いが、ディスアドバンテージに働いているとは考えていない。自ら行動し身に付けた実践知があるからこそ、裏付けとなるような理論を深く理解することができる。大学院での学び方は十人十色と言えそうだ。

刺激的な環境と、ラテンアメリカという新しいテーマ

 藤本さんが所属する先端総合学術研究科表象領域には、現代アート以外にもビデオゲームや文学を対象にした研究に従事する院生もいる。分野を超えてお互いの研究内容について議論し合う中で、新たな着想を得るなど、切磋琢磨できる環境が広がっている。また、大学院生という立場には、現代アートを研究する者としての責任を感じる瞬間があるという。


「先端研に進学して二年目の年に、指導教官である竹中悠美先生から、大阪・中之島にある国立国際美術館で開催されたDanh Vo(ヤン・ヴォー)というアーティストの展覧会について、大阪日日新聞で展評を執筆してみませんかという提案をいただきました。その際はキュレーターの方にインタビューし、新聞記者の方とやり取りをして、自分の文章が紙面に掲載された時は研究者として一歩踏み出した喜びを感じました。それと同時に、一般の人々に向けて情報を発信するスペシャリストとしての重責の両方を痛感した貴重な経験でした


 大学院生として多様な経験を積む藤本さんは、RARA学生フェローにも採択されている。多彩な分野の研究者から話を聞くことができる充実したプログラムの中でも、Wired Japanの元編集長 若林恵さん (現黒鳥社)を招いたワークショップが印象的だったという。社会に情報を発信、研究成果を発表することの意義について深く考える得難い機会になった。

 そんな研究者として確かな一歩を踏み出した藤本さんは、新たにメキシコをはじめとするラテンアメリカの現代アートに着目している


「今年の7月にブラジルで開催された学会で発表するという機会があったのですが、その後に1週間ほどメキシコでフィールドワークを行いました。ラテンアメリカという地域にどのような現代アートが根付いているのか、以前から興味があったのですが、実際に現地を訪れてみて興味深い作品に数多くめぐり合うことができました。自身の研究テーマである「暴力」とも接続性のある作品を見ることもできて、非常に実りあるフィールドワークになったと考えています。
今後は、ラテンアメリカの現代アートも視野に入れて、個々のアーティストや作品に対する考察を深めながら、現代アートが「暴力」という問題をどのように扱っているのかについて研究を深めていきたいと考えています


 世界には、そして私たちの周りには、暴力や対立があふれている。しかし、全ての人がそれらを自分事として捉えているわけではないだろう。そのような観客に、緊張感や気まずさをもって思考を促す「参加型アート」が持つ可能性を、今日も藤本さんは探し求めている。