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立命館大学

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人間科学研究科博士課程後期3回生/西川恵さん

人間科学研究科博士課程後期3回生西川恵さん

芸術鑑賞のスタイルに新風を

 ~芸術心理学から作品の「見え方」を解き明かす~

 美術館や博物館に出かける人なら誰しも、その空間を暗く感じた経験があるのではないだろうか。果たしてその環境は、芸術作品の鑑賞に本当に適しているのだろうか。
 西川恵さん(人間科学研究科博士課程後期3回生)は、芸術心理学の見地から、人の「見え方」のメカニズムを追い求め、新しい絵画鑑賞スタイルを模索している。芸術鑑賞という趣味から発展し、研究対象としての芸術に巡り合ったその軌跡とあわせて、彼女の研究内容に迫った。

2024.02.21

  • 「人の目にどう映るか」を追究
  • 「光を調整するレンズ」付きメガネというアイデア
  • 芸術に携わる人々の思いに寄り添って
  • 分野も国境も超え、新しい道を切り開く

「人の目にどう映るか」を追究

 西川さんが専門とする芸術心理学は、日本では比較的新しく研究され始めた分野と言える。藤永保監修『最新 心理学時点』(平凡社、2013年)では、芸術心理学を「芸術活動(創作と鑑賞)を行う際の人間の認知や情動の過程を分析する研究領域。芸術には、詩・小説・戯曲などの言語芸術、絵画・彫刻・建築などの造形芸術、舞踏・演劇などの表情芸術、音楽・効果音などの音響芸術などがある」と定義している。
 西川さんは、主に造形芸術、とりわけ絵画が人の目にどう見えるかという点に着目し、作品をより効果的に鑑賞できる環境・方法の検討を進めてきた。


「資料保存についての研究知見は多く蓄積されてきましたが、鑑賞環境や手法に関する研究についてはまだまだ少ないと感じています。鑑賞者がどんな環境で作品を見ることで、どのように感じるのか。心理学の実験手法を用いることでそのメカニズムの解明に挑戦しています」


 光による劣化や退色、変色を防ぐため、油絵や水彩画、浮世絵といった絵画は、ICOM(国際博物館会議)や文化庁などによって定められた明るさの基準にならい、日常生活より暗い環境で展示されている。西川さんはこの点に疑問を持ち、照明の明るさを変えて絵の印象を評価する実験を行った。その結果、作品の美しさを際立たせ、より魅力的に鑑賞するためには、現在の比較的暗い照明環境は最適ではないと考えられた。これは自身が展示をみて度々体験したことと同様だったという。


「パンフレットで見た作品の色鮮やかさと比べて、実際の展示作品がくすんで見えた経験がありました。本来の美しさをダイレクトに楽しめないのはもったいないと感じ、新しい展示スタイルが見出せないか、今も試行錯誤し、より良い鑑賞環境を追い求めています」


 その後、目の感度特性を利用し、暗い夜道でもよく見える防犯灯が展示照明として有効でないか調べるなど、より最適な照明を目指して検討を重ねた。ただ、現状の美術館や博物館の照明を変える提案は、コストや作品保護の観点から現実的ではないと考え、研究の社会実装を目指していた西川さんは他のアプローチを検討。さまざまな手法が考えられる中で出会ったのが、光の条件を調整できるレンズだった。

「光を調整するレンズ」付きメガネというアイデア

 西川さんが注目したのは、中高年者や白内障患者向けに開発されたレンズ(NeoContrast™、三井化学社)で、585nm(ナノメートル)付近の波長の光をカットする特性を持っている。先行研究では、585nmの光をカットすることで、赤と緑が特に鮮やかにはっきりと見えたり、コントラストへの感度が上がったりするという結果が出ていたが、芸術鑑賞への応用は前例のないものだった。
 しかし、比較的暗い美術館や博物館でもこの特殊レンズを使用したメガネをかけて鑑賞すれば、照明などの環境を変更することなくより鮮やかに美しく絵画を見ることができるのではないかと西川さんは考えた。自ら着用して複数の美術館で見え方を確認し、可能性を感じた西川さんは、実験の環境構築に駒を進めた。


「照明と絵画の印象に関する先行研究の多くは、照明箱という1m四方程度のミニチュアサイズの展示で実験を行っていましたが、私の研究では実際の鑑賞環境を少しでも再現するべく、大きな鑑賞スペースを自作しました。美術館でのフィールドワークを重ねて、実際の照明の明るさや色、絵の部分ごとの明るさのむらがどれくらいかも調べました。美術館・博物館で実際に使用される照明を取り付け、鑑賞風景として違和感がないかも検討を重ねました」


西川さんの実験で使用した鑑賞スペース

 この実験環境で、参加者は特殊レンズのメガネをかけて絵画を鑑賞。絵画について「醜い⇔美しい」「くすんだ⇔鮮やかな」といった印象を7段階で評価する心理尺度を用いて、「見え方」を定量化した。実験の結果は、レンズを装着しても「絵画」の見え方はあまり変わらないというものだった。予想とは反していたが、新たな知見が得られたという。


「特殊レンズによる『色』の見え方に関して、先行研究で判明していた赤・緑だけでなく、黄・青・紫といったほとんどの色合いで鮮やかに見えることが分かりました。また、鮮やかさを計測する機器を用いた測定では、レンズの有無で『物理的な色の鮮やかさ』にほとんど差はなかったため、特殊レンズによる『人の目に色が鮮やかにみえること』はある種の錯覚的効果だと判明しました。今後は、レンズが行う585nmの光のカットに着目して研究を進め、人の「見え方」に関する謎の一端を解き明かそうと試みています」

芸術に携わる人々の思いに寄り添って

 特殊レンズという全く新しい鑑賞スタイルを提案し、芸術研究の世界に一石を投じた西川さん。研究の始まりは、何よりも美術館や博物館という空間が好きだったからだという。学部生時代に経験したイギリス留学で、西川さんはさまざまな美術館・博物館を巡り、その展示環境に魅了されたのだと話す。


「例えば、ロンドンにある美術館、ナショナル・ギャラリーでは美術館の象徴として真っ赤な壁紙を採用していたり、ヴィクトリア&アルバート博物館では絵画や彫刻などあらゆる展示が互いを引き立て合うように配置されていたりと、今までに見たことがない空間が広がっていました。そんな折に出会ったのが、今の研究領域である『芸術心理学』です。帰国後、日本の美術館・博物館に行くと、展示照明が海外に比べて暗めに設定されていることも感じました。現在の展示でも芸術鑑賞を楽しむことができるのですが、さらにより良い鑑賞環境を提案したいと思い、現在の研究につながりました」


 西川さんは美術館・博物館で実際に導入されることを念頭に置きながら、研究を進めている。だからこそ、学芸員や研究員をはじめ日々芸術と展示に向き合う人の気持ちに寄り添うことを大切にしたいと考えている。検証を通して得られた見識を現場の人々に押し付けるのではなく、「誰にとっても豊かな芸術体験を届ける」という共通の目標に向かって、示唆となるような成果を残すために日々研究に取り組んでいる。


分野も国境も超え、新しい道を切り開く

 実証的なアプローチで芸術の分野に新しい風を吹かせる西川さんだが、実験参加者の生の声も大切にしている。芸術作品への感じ方は人それぞれで、意外な発見や事実という側面においては、数値だけでなく言葉によって見出されることがしばしば。量的・質的の両面から向き合うことで、新しい研究の展開が広がると西川さんは考える。


「人間科学研究科には多様な分野の心理学を専門とする先生が所属しているので、私の研究に関してもさまざまな角度から意見がもらえます。はじめは主に心理尺度によるデータ収集だけを実施していたのですが、異なる分野の先生にアドバイスを受け、内省報告と呼ばれる実験中に考えたこと、感じたことの報告も、可能な限り詳しく聞くようになりました。分野を超えて知見を交えた環境が、私の研究を深化させていると思います


左:ケンブリッジ大学の美術館での講演の様子、右:キプロスで行われた国際学会(Visual Science of Art Conference)での発表の様子

 西川さんはさらに、国境をも越えて学びを得ているという。立命館先進研究アカデミー(RARA)からの支援を受け、博士後期課程2回生時に韓国の成均館大学で感情神経科学を学んだ。同3回生時には再びイギリスに留学し、ケンブリッジ大学の美術館で自身の研究を講演したり、キプロスで行われた芸術の視覚学会で発表を行ったりするなど、見識を深めつつチャレンジングな姿勢で研究生活を送っている。

 日本学術振興会DC2に採用されるなど、今までの研究活動を通して期待が寄せられてきた西川さん。2024年度は学振PDとして研究活動を続けながら、新たな挑戦に踏み出すという。


「学位取得後の2024年度からは、大阪いばらきキャンパスでコンソーシアムを立ち上げ、心理学の視点から美術館・博物館の問題解決に携わる活動を行うことを構想しています。特に、展示環境について、学芸員や研究員のような専門家の方の視点だけでなく、一般の人が展示をどのように感じるのか調べるには、心理学の実験手法が大きく貢献できると考えています」


 芸術心理学という可能性に満ちた分野の先駆者の未来に、今後も目が離せない。