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国際関係研究科国際関係学専攻博士課程後期課程2年生ウェルズ桜さん
横断的視点で近代エジプトを研究する
~リファーア・タフターウィーの文明論~
福沢諭吉といえば「文明開化」、明治初期に西欧の文化や考え方を、それらを象徴する言葉とともに日本に紹介した人物として知られる。ちょうど同時期のエジプトに、福沢と同じような役割を果たした人物がいた。エジプト総督の命を受けてフランスに留学し、西欧の知識を持ち帰って祖国の近代化に貢献しようとした人物、リファーア・タフターウィーである。ウェルズ桜さん(国際関係研究科国際関係学専攻 博士課程 後期課程2年生)は、そのタフターウィーについて、彼が生きた時間と空間を広く横断的に捉えながら研究している。
2025.01.07
- エジプトとフランスの接点
- タフターウィーから、さらに視野を広げる
- 現代的な課題解決にも貢献したい
エジプトとフランスの接点
ウェルズさんは、幼い頃からピラミッドなど古代エジプトに興味を持っていた。高校生時代は考古学への進学も考えていたという。
「もとから古代エジプトが好きだったことから派生して、世界史の授業では特に中東やイスラームに関わる内容を熱心に勉強しました。ところが、そうして学びを深めるうちに、ニュースなどでの扱われ方がとても一面的に感じられるようになったのです。こうした見方にどうして違和感を感じるのか説明し、他者に納得してもらうためには、まずメディアが採用する視点や立場を自分なりに理解する必要があると考えました。そこで急遽、当初志望していた慶應義塾大学文学部ではなく、中東やイスラームを取り巻く状況について政治学の観点から理解する方法を学べる法学部に進んでみようと思いました」
大学に入学した時点ですでに、卒業論文は「中東」や「イスラーム」に関わるテーマにしようと決めていた。ところがいざゼミを決めようとする段階で、中東政治を専門とする教授が退職してしまう。そのため、もともと学問分野として興味を持っていた西洋政治思想のゼミに所属したところ、そこで政治思想研究の奥深さに引き込まれていった。
「担当教授の専門は19世紀のフランス政治思想でしたが、日本政治思想などにも造詣が深く、比較政治思想という分野に大きな興味を持たれていた方でした。なので、私が中東地域やイスラーム政治思想に関心があるというと、本当にキラキラした目で、ぜひやってくださいとおっしゃってくださいました。それなら、先生のご専門とも重なるテーマにしたほうがお互いにとってより楽しいのではないかと思い、中東・イスラーム・19世紀・フランスをキーワードにテーマを探した結果、タフターウィーと巡り会えたのです」
タフターウィーこそは、まさに19世紀にフランスに渡り、その思想や科学を学んで祖国エジプトに持ち帰ろうとした人物である。担当教授の専門と自身の関心がタフターウィーによって重なった。しかもタフターウィーは、日本ではまだあまり研究されていない人物、研究対象としては最適な人物だった。
タフターウィーから、さらに視野を広げる
そもそもタフターウィーとは、どんな人物なのだろうか。
「タフターウィーは1801年生まれ、25歳のときにフランスに渡りました。オスマン朝からの独立という野望を秘めた当時のエジプト総督ムハンマド・アリーは、ヨーロッパの様々な科学、技術、軍事力などを取り入れようと多くの留学団を派遣していました。そうした留学団の一つに、イスラームの伝統的な諸学問に精通した学者だったタフターウィーは、イマームと呼ばれる礼拝指導者として随行しました。ところがフランスでの学びが楽しくなり、自らも学生に転身して5年間学び、さまざまな知識を身に着けて帰国し、ムハンマド・アリーの近代化政策に貢献しました」
タフターウィーは、福沢諭吉が欧米で学び日本に西欧の科学や思想を伝える努力をしたのと同様の関心を持っていた。彼は西欧の思想的伝統に基づく世界観や歴史観、さらに自由や進歩といった観念をアラビア語で紹介するために、多くの努力を重ねた。
「タフターウィーは自身の出身社会で支配的だった思考様式を踏まえつつ、フランス啓蒙思想や近代自由主義思想と真摯に向き合い、それらを自分なりに深く理解したうえで、両者の共通点や相違点のすり合わせを試みました」
福沢とタフターウィーは、どちらも留学を通じて現地の文化や環境にどっぷり浸かりながら知識を深めた。ウェルズさんもクウェートとエジプトへの現地留学を経験し、多くの人々との出会いや対話を通じて、その土地の空気感を肌身で感じとった。
「まだタフターウィーを知る前、学部2回生のときに1年間、クウェートに語学留学に行きました。中東をテーマとするからにはアラビア語が必須と考えたからです。当時の慶應法学部の第二外国語にアラビア語がなかったので、クウェート政府の奨学金に応募したところ、幸いにも合格できました。現地に着いてまず驚いたのは、日本との気候の差です。気温が50℃を超える日は、「オーブンに投げ込まれたグリルドチキンのようだ」と、友人たちと冗談を言い合うほどの暑さでした。逆に学校やモールなどの屋内はとても空調が効いていて、寒いくらいでしたね。モールといえば、多くの方がメイドさんを連れている光景が印象的でした。ホームパーティーや結婚式に招かれた際も、ホスト家族が住み込みのメイドさんを雇っている様子にびっくりしたことを覚えています。現地での長期滞在は語学だけでなく、多くの学びを得る機会となり、帰国後の研究を大いに支えてくれました」
帰国後、タフターウィーをテーマとする研究を本格的にスタートさせた。そのまま修士課程に進み「修士論文に集中しすぎて、就職活動などを考える余裕がまったくなく、気づいたときには進学する以外に道がなくなっていた」という。博士後期課程に進むとしたらどこがよいのかと探した末に、立命館と出会う。
「進学先を相談させていただいた先生が、中東地域の政治思想にも詳しい研究者として末近浩太先生をご紹介くださいました。立命館大学について調べてみると、国際関係研究科には中東地域に関わる多くの先生が在籍していることに加え、中東・イスラーム研究センターやアジア・日本研究所といった、さまざまな研究者と交流できる充実した環境が整っていることを知り、胸が躍ったのを覚えています」
修士課程まではタフターウィー一筋で研究を進めてきた。博士課程の指導教員、末近教授の専門分野は中東・イスラーム地域研究、国際政治学、比較政治学であり、現代社会におけるイスラームの意味と意義を検討している。
「末近先生のもとで、中東地域研究やイスラーム政治思想研究について多くの学びを得ています。今はタフターウィーという個人の研究を軸にしつつ、彼が生きた時代の世界を横断的に理解するため、より広い視点で研究することに努めています。その一環として、タフターウィーと近代地理学に関する研究を進め、19世紀初頭の地図や地理書をたくさん見ています。さらに、デジタル人文学に強い立命館大学の利点を活かして、こうした資料やデータを効果的に活用する術についても学んでいます。また、末近先生が近年では現代を中心に研究されていることもあり、私自身も現代の中東地域への関心が一層深まりました。特に教育をテーマとする新たな研究プロジェクトのキックスタートとして、立命館先進研究アカデミー(RARA)海外イマージョンプログラムの支援を受け、UAEのアブダビで短期調査を行うことも決まりました。自分の視野を広げるため、意識的に様々なトピックに目を向けながら学びを深めています」
現代的な課題解決にも貢献したい
ウェルズさんが次のテーマとして考えているのが教育だ。人のものの見方は、教育によって大きな影響を受ける。
「最近は教科書に注目しています。たとえば、アジアや欧米をはじめとする世界各地の教科書について関心を持つ研究者たちと意見を交わしながら共同研究を進めれば、新しい視点が得られるのではないかと考えています。教科書には、その国の考え方や世界観、そして目指す方向性が色濃く反映されています。たとえば、UAEでは国指定のイスラーム教育に加え、道徳教育の義務化が進められている点が注目に値します。サウジアラビアでは、同じ高校生向けの教科書でも男子生徒向けと女子生徒向けで中身が異なることもしばしばあり、これが興味深い点です。また、サウジアラビアは近年、英語教育などにも力を入れており、大きな変化だと感じます。以前は、英語教育は欧米の価値観に通じるものとして敬遠されることもありましたが、現在は世代交代が進む中で、教育政策がその変化を象徴しているように思います。まさに今、世代交代の転換期を迎えており、こうした動きはその地域に暮らす方々の価値観や目指したい未来像を読み解くうえでとても興味深いと考えています」
タフターウィーの史料探しも兼ねて、約10カ月のエジプト留学を経験した。その際には、古本屋街だけでなく、エジプト地理学会の図書室や地図保管室にもたびたび足を運んだ。日本学術振興会カイロ研究連絡センターで発表する機会も得られ、エジプト滞在中の研究者をはじめとする多くの方々がから新鮮なフィードバックを受けることができたという。
「分野横断的な研究の難しさや、それを発信する際の課題は痛感しています。けれども、私のタフターウィー研究が他の方々にどのように受け取られるのかを知ることには、とても興味があります。タフターウィー研究を遂行するためには、中東地域やイスラーム関連諸学の知識を深めることはもちろん、彼が影響を受けたヨーロッパの思想的潮流や時代状況についても理解を深める必要があります。もっと言えば、彼が生きた時代の世界を広く横断的に捉え、「西洋とイスラーム」といった二項的な枠組みを超えて考えることが私の目標です。そのために、他の方々との対話や議論の際にも、研究対象の思想家やテクストと向き合う時にも、傾聴と相互理解を重んじる姿勢を大事にしていきたいです」
そんなウェルズさんが今後の進路として考えているのが、まずは大学をはじめとするアカデミアでの研究者である。一方で、培ってきた専門知識や経験をアカデミア以外の場で活用し、新たな形での社会貢献も視野に入れていると、広がる抱負を語ってくれた。