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立命館大学

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スポーツ健康科学研究科/井上 健一郎さん

スポーツ健康科学研究科井上 健一郎さん

「いつのまにか健康に」をかなえたい

 ~「運動が体に良い」を分子レベルで解明し、広く社会に還元する~

 「健康に暮らしたい」というのは、人であれば誰しもが抱く願いだ。一方で、そのように思っていても、自分たちの健康のために、運動不足解消や食事に気を遣い、節制した生活を実践することは決して簡単ではない。
 井上さんは、運動が人体に及ぼす効果とそのメカニズムを日々研究している。目指すのは研究の先にある「誰もが無理なく健康になれる社会」の実現だ。強い信念をもって、人体の不思議に挑み続ける井上さんに迫る。

2023.07.10

  • 「運動が体に良い」。何となく知っているテーマをアカデミックに紐解く
  • 大規模な横断研究を通じて、運動と健康を科学する
  • 「自分が夢中になれるものを見つけたい」。強い意志が井上さんのスタートライン
  • 個人が意識し努力する予防から、社会で実現する「0次予防」という考え方へ
  • 主体的に選び、学ぶことで理想の未来へと自身を導く

「運動が体に良い」。何となく知っているテーマをアカデミックに紐解く

 井上さんの研究テーマは「習慣的な有酸素性運動が心血管疾患を予防するメカニズムの解明」。メカニズムを解明することで、エビデンスに基づいた、より効果的な心血管疾患の予防方法につなげることを目指している。


「『筋肉から分泌される何らかのホルモンが動脈硬化に影響を与えているのではないか』ということがここ10年ほど言われ、さらには『ホルモンと運動の関係性』が示唆されていました。つまり、運動をすると、血管に影響するホルモンの分泌量が増えるのではないかというのですね。ただ、習慣的な運動によって骨格筋からのホルモン分泌量が増えることが本当に動脈硬化の予防に関与するのか?という点は研究されていませんでした。」


 井上さんが着目した骨格筋から分泌するホルモンは「マイオカイン」と呼ばれる。ランニングなどの習慣的な有酸素性運動によって、骨格筋から分泌されるマイオカインの量が増加し、血管を柔軟にすることで心血管疾患を予防するのではないかと仮説を立て、実験、解析を進めている。そして、遺伝子・たんぱく発現解析や血管機能評価等の分析だけではなく、統計解析も絡めたさまざまな切り口で、謎の解明に迫る。

大規模な横断研究を通じて、運動と健康を科学する

 井上さんは「マイオカイン」の影響を解明するために、動物やヒトを対象として、有酸素性トレーニングを実施させ、トレーニング前後の比較やマイオカイン量の変化と動脈硬化予防の関連性を検討してきた。さらに現在は、より多くの被験者を集め、解析する横断研究を進めている。


「研究を始めて数年間は、介入研究といって有酸素性トレーニング前後のホルモンの濃度や血管の硬さなどを調べる研究を行っていました。今はより多様な個性を持つ数百人単位の被験者を集め、体力レベルや健康状態とそのホルモンの量に関係があるのか統計的に解析しています。」


 十人十色の被験者の特徴をコントロールし、運動とホルモン分泌の因果関係を統計学的に分析する横断研究。運動の頻度、体格差や体力レベルの差によって、ホルモンの量を比較するなど、介入研究とはまったく異なるアプローチに挑んでいる。この研究を通して、マイオカインが心血管疾患だけでなく、肥満や糖尿病、血液中のコレステロール値の改善など、さまざまな面で人体に良い影響を与えることが明らかになるかもしれない。


「仮説通り結果が出ないことも多く、簡単な道のりではありません。壁にぶつかったときはなぜそうなったのか毎回検証し、次の実験につなげます。なかなか思うように進まないこともありますが、自分の予測していた結果に、統計学的に処理したデータがピタッと合致したときはとても嬉しいですね。研究を続けていてよかったと思う瞬間です。」


 さまざまな困難に直面しながらも、研究の根本にある「1人でも多くの人を健康にしたい」という思いは止まることを知らない。そのモチベーションはどこからくるのか。

「自分が夢中になれるものを見つけたい」。強い意志が井上さんのスタートライン

 もともとスポーツが好きで、高校時代はサッカーをしていたという井上さん。大学に入学してからは、スポーツ科学の分野に興味はあったものの、自分の中で「これだ」と確信をもって取り組めるものを探していたという。そんな中、大学の講義で知り衝撃を受けたことがある。日本人の死亡原因につながる危険因子のうち、喫煙、高血圧に次ぐ3番目が「運動不足」であるということだ。大学で学ぶ以前、『運動が健康に与える影響』を深く意識したことはなく、運動不足が原因で健康を害してしまう人のあまりの多さに井上さんは驚いた。
 運動が必要なのはアスリートだけではない。あらゆる人にとって、健康維持のために運動が必要なのは明らかだった。井上さんの視野が、この講義を通して一気に広がる。


「スポーツが体に良いということは周知の事実でも、習慣的にスポーツをする人は、世の中全体では一握りにすぎません。一方、病気の予防や健康維持は誰もが関心を持つことであり、よりよく生きるために必要不可欠なテーマです。運動不足が健康問題に直結するという課題があり、その解決のために貢献することが、いきいきとした社会の実現につながるのではないか。多くの人の人生に、素晴らしい変化を起こすことができると思ったのが研究を始めたきっかけです。」

個人が意識し努力する予防から、社会で実現する「0次予防」という考え方へ

 井上さんは研究室の外にも学びを広げたいと考え、2019年から立命館大学が取り組む既存の枠を超えた「博士人材」を育成する「超創人財育成プログラム」に参加した。そこで大手スポーツジムを運営する会社の取締役がメンターとして月に1回、井上さんを指導するゼミナールにて、人生を左右する「0次予防」の考え方に出会った。0次予防とは、「意識的な個人の努力をいかに不要にするか」という考えを基に、環境や都市デザイン、行動デザインといった観点で、人々が知らず知らず健康につながる行動をとることで、人を病気から守ろうとする考え方だ。



「メンターが参加している都市開発関連の会議に参加したのですが、多くのプロフェッショナルや経営者の方たちが、健康というものを俯瞰的に捉えていました。人々を健康にする方法を多様な切り口で考えている姿を見て、自分の視野の狭さを実感しましたね。「経営で人を健康にする」という概念や「人を健康にする街づくり」という発想自体、当時の私にはありませんでした。メンターからは、幅広い知識や考え方、そして仕事に取り組む姿勢など、学んだことは数え切れません。学びの場が広がったことで、0次予防の重要性を知れたことはエポックメイキングなことでしたね。自分が携わる研究に関しても、その中身を一般の方が理解しやすいように伝え、企業が活用しやすいよう心を配ることで、社会に役立ててもらおうと意識するようになりました。

主体的に選び、学ぶことで理想の未来へと自身を導く

 井上さんは、修了後に食品関連企業の研究職に内定が決まっていて、食品の研究を通して「0次予防」の道を模索し続けるという。今後の展望については、次のように語ってくれた。


「0次予防に貢献したいという思いが、最も強いです。運動が健康に良いと分かっていても、運動したいと本人が思わない限り、なかなか強制はできませんし、きつい運動を継続するのは困難です。そこで、注目しているものが、意識をしなくても、人が必要とする『食』です。
 食事は強度の低い運動でも効果を最大限引き出すことできるため、運動の負担を低減できる可能性がありますし、健康と直接的にも関係しているため、誰もが無理なく健康に近づく道を探す鍵になると考えています。そのため、新たな『食と健康』を研究テーマとして、企業で商品開発に携わりたいと思います。」


 「運動と健康」から「食と健康」というテーマに変化しても、人々の健康に貢献したいという思いは変わらない。社会と研究のつながりを常に意識し、研究室の中だけでは知りえなかった新しい知見を追い求め続けた井上さん。その生き生きとした表情から、研究を通して活気づく人や社会が垣間見えた。