みなさまからのメッセージ

ご支援者インタビュー

立命館学園は、校友(卒業生)、企業、父母はじめ多方面の方々からご支援を得て運営しています。このページでは、学園の教育・研究充実のために、ご支援くださっている方々をご紹介します。

第11回


馬場 幸蔵(ばば こうぞう) 氏

馬場 幸蔵(ばば こうぞう)

1976年 産業社会学部卒業  エヌケー・テック株式会社
第11回は、馬場幸蔵様にお話を伺ってきました。

立命館入学にまつわるエピソード 

:立命館に入学された理由を教えてください。

馬場(敬称略) 当時、福島県出身であれば、東京の大学に行くことが普通でした。東京の大学を選ばなかった理由の1つは、「何でも『東京基準』というのが嫌だったから」だったような気がします。その東京基準に、国内で唯一正面から対抗できるのが「京都基準」ではないでしょうか。入学後、京都のお店の方に「この店、古いですね」と声を掛けたとき、「いえいえ、たったの350年です。お隣さんは桓武天皇の時代からですよ」と言われたことがあります。これには東京もかなわないだろうと思いました(笑)。

 遊びに明け暮れ、お尻に火がついて受験勉強を始めたのは高校3年生になってからでした。担任の先生には「立命館大学の合格判定はEランク。つまり、確実に落ちる!」と宣言されてしまいました。しかし、それで発奮、勉強・勉強の毎日でした。結果、経済・経営・産業社会の3学部、全て合格しました。

 その中で産業社会学部を選んだのは「何を勉強するのかよく解からない学部。だから面白そう」と思ったからです。ただ、同じクラスになった立命館高校出身の友人と産業社会学部を選んだ理由を話していると、「お前あほか」と言われたこともあります(笑)。



1979年1月15日「成人の日」の記念写真(座っている方が馬場様)
衣笠の仙壽院の門前にて)

学生生活にまつわるエピソード

Q:立命館の学生生活で印象に残っていることは何ですか?

馬場 望んで入った立命館でしたが、東北の学生にとっては、当時の関西は外国と一緒。まず言葉が通じません。何べん「難儀な子やなあ」と言われたことか、わかりません。

 今でも覚えている授業がいくつもあります。
 たとえば、社会学概論の最初の講義で、西周(にし・あまね)がSocietyを「社会」と訳した話を学んで、大学生になった気がしました。また、ルソーやマックス・ウェーバーを学び、世の中がわかったような気もしました。

 なんといっても、蜷川虎三・知事(当時)と末川博・総長(当時)の対談を以学館の大教室で聞いたときは、感動しました。「そうか、学生というのは、まず理屈を学べばよいのだ」と勝手に悟り、人間として一皮むけた気分でした。そこが、立命館で学んだ一番の価値でしょうか。親は「理屈ばかり勉強して、どんどん生意気になる」と嘆いていましたが(笑)。

 4回生の夏休みには、アメリカとカナダを1ヶ月間1人で旅行しました。それまで漠然としていた自分に対する自信が、「俺も結構できるじゃないか」という確かなものに変わったことを感じました。


ご卒業後のエピソード

Q:ご卒業から現在までのお仕事の歩みについて簡単に教えてください。

馬場 就職活動は、第二次石油ショック後の厳しい時代の真っ只中でした。ようやく外資系の商社に決まりましたが、入職まで1ヶ月と迫った3月、内定辞退を申し出ました。「小学校→中学校→高校→大学→就職という流れにこのまま乗ってしまっていいのだろうか」と初めて深く考えたためです。

 卒業後は、福島や北海道でスキー屋の店長をしながら、スキーを担いで国内外を放浪する日々を送りました。そんな生活を6年ほど続けた後、佐藤栄佐久・前福島県知事の参議院議員選挙を手伝ったことをきっかけに約25年間、佐藤知事の秘書を務めました。

 現在は、高校の同級生が社長を務める「エヌケー・テック株式会社(IT・WEBサービス関係)」のアナログ担当として、新規顧客・新分野開拓を担当しています。


お仕事をされている馬場様



 また、東日本大震災発生後、原発事故による風評被害に苦しむ福島県内の生産者のための、福島県産品のみを紹介するネットショップ「福島屋商店」の活動も始めました。今、福島はピンチをチャンスに変えるところにきています。乗り越えて強くなるために、私にできることを続けていければと思います。


福島屋商店で商品を取り扱われている業者さんとのお写真

Q:立命館を卒業して良かったと感じた瞬間はありますか?


馬場 一つは、原理原則を大事にするようになったことでしょうね。平たく言えば、「理屈っぽい」ということです(笑)。

 それから、秘書をしていたとき、立命館大学の「全国知事リレー講義」に佐藤栄佐久知事(当時)が講演に訪れたことがありました。福島県に帰ってきた知事に「立命館の学生は、まじめで優秀だ」とお褒めいただいたときは、かなり誇らしかったですね。

ご支援にかける想い

Q:「校友会未来人財育成基金」にご支援くださっている想いを教えてください。

馬場 2012年9月、福島県校友会の三村智春幹事長(当時)から「馬場さんをRFS(*1)に登録したので、会議に参加してください」と言われ、何のことかわからずに基金の会議に参加しました。

 お金集めは、秘書時代から苦労してきたことなので、母校がこれほど努力して取り組むには、きっとそれなりの理由があるのだろうと思います。「言わず語らず」で校友の皆さんに通じればよいのでしょうが、寄付については「出さない理屈」はいくらでもありますが、「出す理屈」を見つけるのは難しいものです。何の因果かRFSの一員になったのですから、できることから力を注いでいこうと思っています。

 *1「RFS」…立命館未来サポーター(Ritsumeikan Future Supporter)の略称。
       後輩・母校の未来のため、理念に共感する人の輪を拡大させる
       中心的な役割を担っています。


Q:今の立命館や後輩、校友の皆さんにメッセージをお願いします。


馬場 20年ほど前、福島県内の県立進学校(高等学校)の共学化について、大反対の嵐が吹き荒れたことがありました。その際、当時の福島県教育長がおっしゃった言葉が忘れられません。

 「高校は在学している生徒、そしてこれから目指そうとする生徒のために存在するのであって、卒業生の思い出のたに存在しているのではありません」

 「立命館大学」という名称は同じでも、私たちが在学していた当時とは中身はまったく別のものに成長していることを理解すべきでしょう。「現在ある職業の65%は、30年前には存在していなかった」と聞きます。また、「老舗とは常に革新している企業だ」という言葉もあります。

 現在の学生には、立命館の歴史を学びつつも、自分の「個性」や「感性」を大切にして、ぜひ新しい歴史を作っていっていただきたいと思います。校友会は、そうした学生を後押しする組織であり、妨げになってはいけないと考えています。

(掲載日:2014年4月4日)

馬場 幸蔵(ばば こうぞう)様のインタビューを終えて

馬場様は、50歳を越えてからIT・WEBサービスの会社に転職を果たされました。それに加え、60歳を前にして「福島屋商店」を立ち上げ、事務局長として日々県内を駆け巡っているそうです。
また、最近受けたTOEICは学生顔負けの830点、今は韓国語とロシア語に挑戦中とのことです。
「一日も早いHAPPY RETIREMENTを……」とおっしゃる馬場様ですが、「自分のやりたいことに向かって突進する」という意味で「生涯現役」の言葉がピッタリの方でした。