みなさまからのメッセージ

ご支援者インタビュー

立命館学園は、校友(卒業生)、企業、父母はじめ多方面の方々からご支援を得て運営しています。このページでは、学園の教育・研究充実のために、ご支援くださっている方々をご紹介します。

第14回


足立 厚平(あだち こうへい) 氏

足立 厚平(あだち こうへい)

2005年 経営学部卒業  一般社団法人 関西厚生協会 理事
第14回は、足立 厚平様にお話を伺いました。

立命館入学にまつわるエピソード

Q:立命館への進学を目指された理由やきっかけなどを教えてください。

足立(敬称略) 私は高校を卒業後、地元を離れて同志社大学工学部・機械システム工学科に入学をしました。しかしながら、その年の8月に退学をしました。
 父親が理系人間で技術の仕事をしていたため、高校時代は自分も理系に行くものだと思い込んでいました。そのまま、なんとなく工学部に進学をしたものの、製図や機械工作などの授業が実際に始まると、全く自分の肌に合ってないことに気づいたのです。人生ではじめて「自分が本当にやりたいことは何か」を考えた時間でした。

 大学に入り、京都での楽しい一人暮らしが始まったばかりであったため、実家に帰ることは頭にありませんでした。そのまま大学生活を送っていればかかる経費以上の負担を、両親にはかけないことを条件に、そのまま駿台予備校京都校で半年間の浪人生活をしました。
 このときに入寮面接をしてくださった方が、駿台予備校の寮の経営者で、現在の勤務先である「一般社団法人 関西厚生協会」の理事長でした。

 私が入寮したのは8月でした。4月に入寮した他の寮生達とは異なるスタートであったため、寮生活に慣れない私に対して、理事長はよく声を掛けてくださいました。
 頻繁に相談にものっていただき、「自分が本当にやりたいことは何か」ということについて話を聞いてくださいました。その過程で「事業を興し、社会に貢献することだ」という自分なりの答えが見つかったのです。「学生時代に起業をする」という夢を持つことで、私は受験勉強にも集中することができました。
 おかげで翌年には立命館大学経営学部に入学することができ、在学中に「教科書リサイクル事業」を立ち上げ、「学生時代に起業をする」という夢を叶えることができました。

学生生活にまつわるエピソード 

Q:立命館でのエピソードを教えてください。

足立 大学で最初に受講したエネルギッシュな奥村先生の「企業と会計」や、インテリジェンスが漂う松村先生の「経営財務論」の授業を、今でも鮮明に覚えています。他にも、見識ある先生方のお話を多く拝聴し、単なる知識だけではなく、卒業後も社会で通用する物の見方や考え方を得ることができました。

 また、起業家のコミュニティにも関わらせていただきました。そのコミュニティでの勉強会やインターンシップを通じて出会った先輩・友人のおかげで、「学生時代に起業をする」ことができました。
 ビジネスモデル特許の出願、複数の審査で賞を獲得するなど、その時は立命館大学生であることを大変誇りに思っていました。

 何より、創業時の「不眠不休・無給」という劣悪な条件にも関わらず、「この指止まれ!」の言葉で集まってきて、一緒に夢に向かって走ってくれた多くの友と出会えたことは、立命館大学という学びのコミュニティに、日本全国から学術に長け、多様な感性をもった学生が集ってきているからに他なりません。立命館大学に入学でき、学ばせていただいたことに深く感謝しています。 


足立様が学生時代に取り上げられた記事など

ご卒業後のエピソード

Q:これまでのご経歴や現在のお仕事について、簡単に教えてください。

足立 当初は任意団体として始まり、2003年には会社を設立するまでに至りました。「京都+学生+環境」というキーワードとともに、学生起業家としてラジオや新聞等に多く取り上げられました。その当時、私は有頂天になっており、事業計画の深慮がないまま「教科書リサイクル事業」を卒業後も継続し、京都だけではなく東京にも拡大させたいと意気込んでいました。

 ところが、eコマース(電子商取引)が急激に発展するなかで、私の会社の業績は急速に悪化しました。Amazon、楽天、ヤフーなどの大手WEBサイトが「学術書の古書」というニッチなカテゴリーもカバーするようになったからです。また、大学を卒業して「学生起業家」という肩書きがなくなると、メディアの取材もパッタリと来なくなりました。それまで自分がやっていたことは「会社ごっこ」だったと思い知らされたのです。その後、賃貸アパートも解約し、友人の家を転々とするなど住所不定の状況になりました。

 そんな時に私を救ってくださったのが、私が予備校時代にお世話になった今の勤務先の理事長です。
「君には失敗した貴重な経験がある。だから、この経験を活かし将来のチャンスに変えるべきだ。それまではうちの協会で修行をしなさい。」と言われ、現在の勤め先「一般社団法人 関西厚生協会」に入社しました。

 当協会は、戦後の海外引揚者及び生活困窮者を救済するために設立されました。創業理念は、悲惨な状況にある人々に「再び自らの力で立ち上がるための礎になる」です。
 現在は戦後と大きく時代が変わりましたが、生活困窮者の問題は全く解決されていません。一般社会に対して社会的貧困者への理解を促進するとともに、新たな社会的貧困者を生まない環境を整えることを目標に、生活困窮者の自立のお手伝いをしています。ホームレスの人達が販売する「ビッグイシュー」という雑誌のサポートもその一つです。

 当協会は設立されてから今年で67年になります。今後30年、40年という長期的展望の中で、新規事業の企画を立案し、これからの協会のあり方を提起することが、現在の私の主な業務となっています。
 また、当協会の理事長からは「時が来れば、独立することは大いに結構」「どんどん羽ばたいて親を超えることが、親への最大の恩返しだ」と言われています。将来は、私も次世代を育てることができる事業家に成長したいと思っております。
 
Q:卒業後に立命館とのつながりを感じることがあれば教えてください。

足立 現在、草津市内に住んでいますので、どこに行っても学生達の賑やかな声が聞こえてきて、いつも元気をもらっています。

 30歳を超えてからは、出勤前にウォーキングをしているのですが、天気が良い週末には旧東海道を通って、びわこ・くさつキャンパス(BKC)までよく足を延ばし、ベンチに座って読書をしたり、音楽鑑賞をしたりしています。
 
 実は、数年前から同級生の友人との間で、BKCを「ウィーンの森」と呼んでいます。数年前、東京から同級生達が遊びに来た時に、一緒に青春を過したBKCを歩いたのですが、「緑豊かな広大な敷地の中に大学という知的な空間が広がるBKCは『ウィーンの森』という言葉がピッタリじゃないか?」と言う話が出たのがきっかけです。
 今では「ウィーンの森」というと、私たちの中で青春時代のパノラマ画像がよみがえる母校・立命館大学のことになっています。

 
足立様がBKCで撮影された写真

ご支援に関して

Q:立命館にご支援くださった「きっかけ」を教えてください。

足立 当協会に入社した時に、理事長から最初に言われたのが「最近の若い人達は、目先の損得や利益ばかりを考える傾向がある。もし、あなたが事業を成功させたいと本当に思うのだったら、まず初めに社会的な貢献と正しいことをやることだ」「身銭を切りなさい」という話でした。
 初めはその意味が深く理解できず、暫くそのままになっていました。しかし、協会での仕事に取り組むなかで自然と、以前の事業の失敗を正面から受け止め、きちんと心の整理ができるようになりました。
 「曲がりなりにも学生時代に自分が起業できたのは、決して自分の力だけではなく、立命館大学という場があったからなのだ。先生方の講義を拝聴する機会に恵まれ、友と出会うことができ、その結果であったのだ」ということに、ようやく気がついたのです。
 そこで大学への寄付を思いつき、理事長に相談をしたところ、「君の思いだからいいでしょう。しかし、一度始めたら最後まで継続しなさい」と言われました。これが大学への寄付をさせていただくことになったきっかけです。
 母校・立命館大学への感謝の気持ちを忘れず、ご縁を大切にしたいという思いから、少額ではありますが2007年から継続的に寄付をさせていただいております。 

Q:今の立命館や学生(後輩たち)にメッセージをお願いします。

足立 やはり学生の本分は学業です。立命館大学で学問ができることに感謝し、この機会を大切にしてください。また、春休みや夏休み等の長期休暇を含め、学生時代は自由になる時間とできることがたくさんあります。立命館に全国から集う優秀な仲間たちと一緒に、色んなことにチャレンジをし、キャンパスライフを充実させ、一つでも多くの楽しい思い出を作ってください!




(掲載日:2014年7月4日)

足立 厚平(あだち こうへい)様のインタビューを終えて